第5話:夢の終わり

 朦朧とした記憶。

 それはまさに『夢』のようなひとときだった。

 彼氏と遊園地に遊びに行って、1秒1秒が幸せで満ちていて、それで、それで……


「……あれ? もう、終わっちゃったの?」

「ん? どうしたの香澄? 『終わっちゃった』って?」


 気づくと私は、流れゆく夜景を眺めていた。

 ガタンゴトンと、決まったリズムで体が揺れる。  

 いつの間に、私は電車に乗ったのだろうか?

 いつの間に、私の夢は終わってしまったのだろうか?

 怖くなった私は、隣にいる男の子の手をそっと握った。


「え、ちょ、いきなり何ですか⁉︎」

「はぇ? ……あっ、すいません。人違い、でした……」


 慌てて、反対側に立っている少年の腕に抱きついた。

 寄り添っていて心地いい。不思議と心が落ち着く。

 そう。彼は間違いなく、私の恋人だ。

 名前は……なんだっけ?


「ど、どうしたの香澄。顔が真っ赤だけど、気分悪い?」

「ううん。大丈夫。ありがとぉ」

「あ、あと二駅だから、着いたらタクシーで帰ろう。香澄、本当に体調悪そうだし……」

 

 優しい言葉をかけてくれた彼は、とても緊張しているようだった。

 肌越しに伝わってくる激しい鼓動は、私が少し強く抱きつくとさらに早くなる。

 試しに彼の目を見つめてみると、彼はプイっとそっぽを向いてしまった。 

 思えば若干腰も引けているし、私は彼に嫌われているのだろうか?

 さっき間違えて手を握った男の人は、私のことをチラチラと見てくれているというのに。


「か、香澄。あのさ……」

「な〜に?」

「周りから結構見られてるからさ、少し離れてくれる……かな?」

「え、どうして?」

「いや、どうしてって……。本当にどうしちゃったの? なんか酔っ払ってるみたいだよ?」

「そうかな?」

「で、でも、嫌ってわけじゃないから。どっちかっていうと、その……」

 

 と言いながら、彼は優しく私の腕を解いた。

 すると私に集まっていた視線の嵐は過ぎ去り、電車が駅に到着すると、一気に電車内が混雑する。奥へ奥へと追いやられた私たちは、タバコの臭いがする金髪のギャルさんを間に挟んで、反対側の扉の前に漂流した。


「香澄。平気?」

「うん。大丈夫」

 

 息苦しい。

 頭がクラクラする。

 扉が閉まると、車内に生暖かい湿気が充満した。

 その根源であろうスーツ姿のサラリーマンさんたちは、こんなにも不快な状況の中でもスマートフォンをいじっている。隣のギャルさんが舌打ちをしたくなる理由も少し理解できる気がした。


「ごめん、もうちょいそっちいけない?」

「え? あ、はい」

 

 ギャルさんが、私に手すりのバーの奥の隙間に移動するように頼んだ。

 動けるか動けないかの瀬戸際で、すり足の要領でなんとか後退すると、スカート丈短めのニットのワンピースを着たギャルさんのお尻が、後ろの誰かに弄られている現場を目にした私。

 空いたスペースを使って一歩移動したギャルさんは、動揺した痴漢の手が離れていくと、「はぁ」とため息をついた。

 だが痴漢を咎めることはせず、笑顔で「あんがとね」と私に呟いて、ただ夜景を見つめる。

 それからは特になにも起こることはなく、私は次の駅で無事に下車することができた。


「大丈夫だった香澄? ……ってあれ、なんか顔色良くなってる?」

「……」

「ん? どうしたの? なにか見つめてるみたいだけど……あ、もしかして知り合いでもいた?」

「ううん。別になんでもないよ。せっかくのデートだし、歩いて帰ろっか」

「……? う、うん。そう、だね。あはは……」


 彼は痴漢の現場を目にしなかったのだろうか?

 もしも私が気づいていたら、ギャルさんのために声を挙げられていたのだろうか?

 どうして、ギャルさんは痴漢の犯人を許したのだろうか?


 夢の酔いから覚めた私は、そんな現実への疑問を何度も何度も自分に問いかけながら、楽しいデートを終わらせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る