第12話:独りじゃない孤独

 千野先輩達が家に入るのを見届けてから、僕と神崎先輩は来た道を戻り始めた。

 時間はもう十二時前。明日起きられるか心配だけど、それ以上に神崎先輩が難しそうな顔を浮かべてるのが気になる。

 いつも自信に満ち溢れている先輩にも悩み事があるんだろうか。


「神崎先輩、大丈夫ですか?」

「ん? 何がだ?」

「いや、その、なんだか難しい顔をしているので……」


 すると神崎先輩が僕の背中をバンッと軽く叩いた。


「何言ってんだよ。さっきまで泣きじゃくってた後輩だとは思えない程生意気な口を聞きやがる。まぁ、元気になってくれたみたいで何よりだ」


 いつもの先輩の顔に戻った。

 でも、どことなく何かを隠しているような、そんな表情。

 そう言えば、先輩はさっき何をしに行ってたんだろうか。

 気にしないようにしてたけど、こんな表情を見せられたら知りたくなってしまう。

 心の蓋が外れ切ると、好奇心まで戻って来てしまうみたいだ。


「先輩、さっきの……」


「弟さん。よかったっす。無事でいらしたんですね」


 僕の質問を遮ったのは、大きなマスクをつけた、金髪でガラの悪そうな美人な女性だった。

 緩そうな半袖の白シャツに、凄く短い短パン。露出部分が多すぎる、と奥様方ならコメントするだろう。

 

「おい、直美。来るなって言ったろ?」

「でも、姉さんがちょー心配してたっすよ? ついでに愛しのヘタレ少年の面倒も見ろって言われたんすけど?」


 姉さん? 絢香さんのことか?

 それになんで僕の面倒を?

 

「姉貴は心配しすぎなんだよ。こんな繁華街の近くじゃ何もねーっての。よく見ろ、まだかなり人がいるだろうが」


 先輩の言う通り、横浜の繁華街ともなれば、こんな深夜でも人はいる。

 と言うより、なにかあるって? あの飯島先輩が噂してた痴漢か?


「神崎先輩、何がどうなってるんですか?」

「なんでもねーよ。ただ姉貴が俺の帰りが遅いからって迎えを寄越しただけだ」


 先輩の口調は無性に苛立っていた。

 怒らせるといけないから、もう聞かないようにしよう。

 先輩にも、聞かれたくない事はあるんだろうし。


「って言われてもっすねー。あたしは姉さんの指示に従ってるだけっすから。それに歯向かったらどうなるか、弟さんならよく分かってますよね?」

「……ああ。嫌という程な。まぁ、いいけどよ。黙ってついてくるだけにしろよ? 今から涼太を家まで送り届けてから帰る。それなら姉貴も文句はねーだろ?」

「んー、多分オッケーっす。伝えときますね」


 直美という名前の美人さんは、尻ポケットからギラギラにデコレーションされたスマホを取り出し、目にも止まらぬ速さでタイプし始めた。

 絢香さんが何かをしてるのか? 先輩と僕を守るための何か、みたいだけど、なんなんだ?

 でも、直美さんは絢香さんの部下みたいだし、きっと暴力沙汰か何かなんだろう。

 絢香さんは一応関東女連合の総長だったんだから。


 神崎先輩は、まだ何かに苛立っている。

 先輩の視線の先の路地裏。よく見えないけど、女の人が数人立っていた。 

 まさかあの人達が何かなのか? いや、でも繁華街に女性はたくさんいるし、断定はできないよな……


「涼太、今の事は忘れろ。お前には関係のない事だ。分かったらさっさと帰るぞ」

「え、あ、はい。分かりました……」


 今の先輩はいつもの優しい先輩じゃないように見えた。

 余程の事があるんだろうけど、僕は先輩を信じているからもう首を突っ込もうとは思わない。

 そのうち教えてくれるのを待とうかな。

 先輩が卒業するまでに教えてもらえればいいんだけど。

 


「ただいまー」


 先輩達に送ってもらって、無事に家に着いた。

 もう大体深夜の一時頃。父さんも母さんも寝ているはず……


「むにゃ〜、おかえり〜、涼ちゃん」


 玄関の椅子で、黒髪ミディアムで若々しい僕の母さんが寝ていた。

 待っててくれたのか。悪い事しちゃったな。


「ごめん母さん。遅くなっちゃって」

「いいのよ、いいのよ〜。涼ちゃんも高校生だもんね〜。夜遊びなんて普通よ〜」


 母さんは大分眠いみたいだ。いつも以上におっとりした声になっている。

 まぁ、あんまり変わらないんだけど。

 

「それは母親としてどうなのかな……」

「も〜。涼ちゃんは相変わらず真面目なんだから。母親として色々心配だわ〜」


 いつも通りの平常運行。

 放任主義の頂点に立てるんじゃないか、と思う程に母さんは僕を信頼してくれているみたいだ。


 まだ椅子に座って寝かけている母さんを優しく立たせて、寝室まで体を支えながら移動した。

 父さんが寝ているから、なるべく音を立てないようにしないと……


「ねぇ、涼ちゃん? そう言えば昨日香澄ちゃんとデートに行かなかったみたいだけど、何かあったの?」


 母さんの率直な質問に、僕はつい足を止めてしまった。

 やっぱり母さんは知らなかったか。でも、僕は浮気された、なんて言い出せない。

 失恋はしたけど、僕は少なからず香澄の事を好きだ。

 と言うよりは、まだ忘れきれるわけがない。

 自分の羞恥心と事実を知った後の母さんの気持ちを考えても、今は別れた事も言わない方がいいのかもしれない。

 長瀬のおばさんは母さんとたまに会っているみたいだし、いずれ自然に知ることになるだろう。

 

「そ、それが、香澄が忙しいからってなくなちゃったんだよ。ちょっと残念、だったかな……」


 残念だったな。色々と。

 悔しかったな。本当に。

 でも、それ以上に香澄には幸せをもらった。

 全部嘘だったのかもしれないけど、それでも僕の感じたものは嘘じゃない。

 現実を見て、あれだけ悲しくなったのが何よりの証拠だ。

 失恋して、こんなに苦しいのが何よりの証明だ。 

 そして僕は、今度こそ本当に新しい道を歩み始めている。

 幸せだった十四年間の思い出と共に。


「涼ちゃん大丈夫? そんなに悲しそうな顔して、何かあったの?」

「ううん。ただちょっと遊び疲れてるだけだよ。心配ないから、ゆっくり寝てね」


 母さん達の寝室のドアを開きながら、そう伝えた。

 やっぱり父さんはもう寝てるや。きっと僕なら問題ないと思ってくれてるんだろう。

 父さん母さん、いつもありがとうございます。

 

「じゃあ寝ちゃうね。お腹空いてたら、冷蔵庫にハンバーグが入ってるから食べてね。おやすみ〜」

「ありがと。お休みなさい」


 バタン。


 寝室の扉を閉めた直後、久しぶりの一人を痛感した。

 物音一つしない家の中で、襲ってくるのは急な虚無感。

 騒いだ後に寂しくなるのは普通か。

 

 なんだか眠れそうにないので、ダイニングに行って、母さんが作り置きしてくれたハンバーグを食べることにした。

 いつも通りのチーズが乗った歪な形のハンバーグ。母さんはあまり料理上手じゃないからな。

 それでも、冷めていてもとても温かい。

 母親の愛情っていうものだろう。

 誰かの心を支えられるような、どの高級料理にも勝るハンバーグだと、僕は思う。


「ありがとう、母さん……」


 不意に言葉にしてしまった。

 もちろん、返事をしてくれる人なんて誰もいない。

 一人って、寂しいな。


 何かを紛らわすために、僕はスマホを片手に取った。

 開いたのはKINE。癖になっているのか、もしくは僕が誰かの言葉を求めているのか。

 いや、そのどちらも正しくない。

 僕が真っ先に開いたのは、非表示にした香澄とのトーク履歴。

 

《水曜の放課後にどこか行かない?》


 既読もついていない、僕の最後のメッセージ。

 送ったのは、浮気現場を目撃した一日前の夜。

 あの時は、もう寝ているんだろう、としか思っていなかった。

 

 それでも、その前まではちゃんと返事が返ってきている。

 

《ねぇ、涼太? 今度の大会は出られるの?》

《んー、僕下手っぴだから難しいかも……》

《えー。もうちょっと頑張ってよ。私はいつになったら応援に行けるの?》

《じゃあ頑張ってみるよ》


 新学期の初めに交わした会話。

 この頃、香澄はもう浮気をしていたんだろうか?


 ……そんな事考えても意味ないか。


 一人になった途端にこれだ。

 前に進もうと思っていても、一人じゃ逆に後退している。

 みんながいた時にはあんなにも前向きでいられたのに……


 もう閉じよう。


 ヘタレな僕は、香澄とのトーク履歴をまた消すことができなかった。

 尽力した末の非表示。そして、着信通知をオフにする事が僕にできる限界の事だった。

 

 情けないな……もうお風呂に入って寝よう……


 ブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブル

 

 KINEを閉じようとした瞬間に、ものすごい数のメッセージが届いた。

 

 健斗か。


 開いてみると、何故かゲーセンで土下座している智樹の姿が、色々なアングルから撮られた写真が送られてきていた。

 ピースしている健斗と正義が一緒に写っている写真も何枚かある。


《ヤバイだろ⁉︎ 負けた方が土下座ってルールでレーシングゲームやったらさ、オタク少佐が二十連敗。ちょーザコかった(笑)》


 っぷ。智樹はレーシングゲーム苦手だったもんな。

 そのくせに負けず嫌いで何度も挑むんだから、そりゃこうなる。


《可愛そうだから泣かせちゃダメだよ》


 と送信すると、すぐに返事が返ってきた。


《もう遅い。でも、萌戦士なんとかっていうフィギィア取ってやったら泣き止んだ(笑)》


 智樹らしいな。

 ちゃんとアフターケアをしてあげる辺り、健斗はやっぱり優しい。

 

《よかったよかった。でも、もう帰らないと、明日大変だよ?》

《大丈夫だって。もう帰宅中だからさ。涼太も早く寝ろよー。じゃあおやすみな》

《おやすみ》


 健斗との連絡を通して、少し救われた。

 なんとも言えない満悦感が僕の心を埋めていく。

 離れていても、僕は誰かと繋がっている。

 今この瞬間も僕は一人じゃないんだって、不思議とそう思える。

 

 ブルブルブル


 また健斗かな……って、違うや。

 

 サウザンドラバーからのメッセージ。


 千野先輩は、てっきりもう寝てるかと思ってたけど……


《涼太くん! ウチや。さっき言い忘れた事あんねん》


 そう書いてあって、その下に嫌がらせかと思うほどの空白がある。

 これだけ改行するのも大変だろうに。


 十秒ほど全力でスクロールした先に、やっと文章を見つけた。


《嘘や! 騙されたやろ? でも、元気出してな! また遊ぼな!》


 千野先輩は文面でも元気に満ち溢れてるな。

 口元が自然に綻んでしまう。

 本当に僕は、一人じゃないんだ。

 楽しみながら。ゆっくりゆっくり、前進するくらいの気持ちでいいのかもな。

 

 僕も千野先輩を真似して、何かを送ってみよう。


《先輩、僕も言い忘れたことがありました……》


 明日、もし学校で会ったら怒られるかもな。

 まぁいっか。なんか楽しいし。

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