第31話:道化の殺人ショー
病院を出た時、健斗たちの姿はもうなかった。
野田さんに感謝しないとな。もし二人が色々知っている事がバレたら、絢香さんはまた新たなお仕事を始めるかも知れない。
新月の夜。雲一つなく、街明かりがなければ綺麗な星空が見える事だろう。
同時に、僕には月も、月光の源である太陽の存在も視認できない。
今僕が置かれている状況の不吉さを、自然が教えてくれているかのようだ。
「空なんて見上げてどうしたんだい? 早く乗りなよ」
言われるがままに漆黒の車の助手席に乗り、一応後部座席もチェックする。
絢香さんのお仲間はどうやらいないようだ。いたら僕の運命は確定していたから、少し安心だ。
「さぁ、じゃあドライブに行こうか。なんかリクエストはあるかい?」
「どこか星空が綺麗に見える所がいいですね。それか月に一番近い場所がいいです」
「んー、だったら海か山だね。好きな方選びなよ。どうせ最後なんだから」
その笑顔とは裏腹の死刑の宣告。でも、僕はそれに抗うしかやるべき事が見当たらない。
名倉先生のように、大切な人を守りながら上手くやり過ごす方法。
ドライブの最終目的地に到着する前に見つけないと……
「じゃあ海がいいです。こんな暗い時に山にドライブっていうのも、なんだか微妙ですからね」
「そうだね。じゃあそうしようか。ちゃんとシートベルト付けといてね。車から落ちちゃうと私が困るから」
命を守るための帯が、逆に僕の逃げ場を無くした。
それでも、何があっても逃げないように出来る、自分への戒めだと捉えればいいのかもな。
ドアのロックがかけられた、カチッという音がなると共に、車は僕を終着点へと送り届けるために発進した。
走り始めてから約二十分間。僕は絢香さんのご機嫌な鼻歌を聴きながら、止まらない冷や汗が額から落ちるのを必死に堪えていた。
背の高いビルが乱立した街を離れ、こじんまりとした風景の夜道を走っている。
あと三十分もしないで海についてしまうだろう。
僕はそろそろ覚悟を決めて、口を開くことにした。
「絢香さん。あのお話の少女は今どんな気持ちなんでしょうか?」
「ん? 嬉しいんじゃないかな? ちゃんと弟を守れたんだもんね。まぁでも、相当お疲れだと思うよ。なんたって、自分の描いた計画が昼ドラマみたいになっちゃったんだから」
「それってもしかして……ヘタレのせい、ですか?」
「おっ、よくわかったね〜。今は前と比べればヘタレじゃないんだろうけど。なんにせよ、少女にとってはいらない異物だったんだよ。君がいなければ、どれだけ楽に事が進んだことか」
絢香さんは、もう隠す気はそうそう無いようだ。
何を喋っても僕を封じる術がある。社会的強者の余裕と言うやつか。
「僕が神崎先輩と親しいからですか? それとも、神崎先輩が和人を殴ったからですか?」
「まぁ、どっちも、だけど、どっちも違う、かな。とてもいい考えだと思うよ。でも、君が本当の真実に辿り着けない理由を教えてあげようか?」
「……あのお話の続き、ですか?」
「ご名答! なんだい、君はいつからそんなに頭が良くなったんだい?」
「多分、ついさっきですよ。それに、絢香さんが僕に色々教えてくれたおかげですね」
「私が教えた事だけじゃ、絶対に辿り着けなかった筈だったんだけどなぁ。もしかして、他の誰かも知ってる……」
「それは無いです」
つい即答してしまった。これだと逆に怪しまれてしまう。
「まぁいいや。じゃあお話の続き、って言っても少しだけしか残ってないんだけどね……」
その少しが、今までの情報を全て結びつけるんだろう。
「あの少女は相当な力を持っていた。でも、弟は何回か不良グループに襲われてしまった。これは一体なんでだと思う?」
「……何かの力、ですか?」
「半分正解だね。あの不良グループのバックにはとあるおバカな大企業の次男がついていた。少年にグループの頭を潰されて、金で買っていた部下たちはその次男を頼ったわけだ。その次男こそが、西山和人。出来が悪いのに、優秀な長男にしか興味がなかった父親は、和人の行動は全て放任していた。それなのに、ほぼ無限と言っていい父親の財力と権力を分け与えたんだから、そりゃ厄介だよね」
始まりは先輩が和人を殴った時じゃなかったのか。
でも、先輩は和人を知らない様子だったし、てことは全て絢香さんが…。
「でも、少女は湧いて出てくる部下たちを根絶やしにした。それでも、まだ問題は残っている。一番厄介な問題が、ね」
「和人ですよね? でも神崎先輩は和人を知らない筈です」
「そりゃ、知らないさ。そして和人も篤の顔は知らなかった。あの時、私が篤を守るためにどれだけ尽力したかは君には想像もつかないだろうね。和人の親父には絶対に勝てない。そしてその親は、うちの組の弱みを握るために次男を利用した」
段々と、絢香さんの声音に力がこもってきた。
両手で握っているハンドルから、ギシギシと革が軋む音がする。
「それだと絢香さんも個人的に……」
「あぁそうだよ。弟の為でもあった。いや、全ては篤の為だよ。だから私は自分の体まで売った。向こうのお偉いさんと通じるために。どうにかして弱みを握るために。でも、それだとクソ親父どもの性欲をただただ満たすだけで、何も解決しなかったんだよ」
絢香さんは神崎先輩を守るために自分までも犠牲にした。
それなのに、そのせいで個人的な恨みが募り過ぎているのは気のせいだろうか。
本当の理由を利用して、自分の怨恨を解消させようとしていたんじゃないだろうか?
「だったら何が必要だと思う? 涼太くんなら、何をすればいいと思う?」
「……自分も何かを利用する、ですか?」
「やっぱり君は同胞だよ。私と同じ考えだ」
それは言われたくなかった。でも、ここで絢香さんの思考と違う事を発言するのは危険すぎる。
「私は根源である和人の弱みを握ることにした。あのお子様が何か隠しきれない不祥事を起こせばいい。それだけの簡単な事。そのために、私は女を用意した。頭の悪い和人に、とある少女を差し出したんだよ。謝罪の品という名目でね」
「まさかその少女って……」
その瞬間、僕は絢香さんを殴ろうとした。だけど心の中だけで。
「香澄ちゃんだよ。街にいた可愛い子を適当に取り繕った。理解力のある両親でよかったよ。それに、香澄ちゃんは正義感の強い子だったからね。両親以外にも、どうしても迷惑をかけたくない人がいたみたいだよ? お隣に住んでる、大切な彼氏にね」
「じゃあ香澄は……香澄はただの気まぐれであんな事に巻き込まれたんですか⁉︎」
「運が悪かった、と言えば聞こえはいいね。でも、私は家族が一つ潰れるくらいならどうでもよかった。まぁ可愛さ故の不運だよ」
ダメだ、堪えろ。今この怒りを爆発させても、僕の未来は何も変わらない。
「その彼氏くんに別れてもらうために、私は香澄ちゃんに浮気してる最低な女を演じるように伝えた。そしたらそれもまた上手くいったよ。君が偶然にもホテルに入っていく香澄ちゃんと遭遇したんだからね」
「…………」
「でもここで誤算が二つあった。一つは君が篤の大切な後輩だって事。それに涼太くんを助けろって言うんだから、私は困っちゃったよ。そしてもう一つ。香澄ちゃんが和人とヤらなかった。もう機嫌を取るのに大変だったよ。丁度一年前に捕まえた、体売り専用の女の子を差し出す羽目になったんだからさ。ほんと、面倒だった」
「絢香さんは……いや、なんでもないです」
全てを感情のままに吐き出す絢香さんに、僕は子供っぽさを感じた。
あの物語の少女は、少年に手を差し伸べた時から変わっていない。
成長していない僕にもそう思えるんだから、本当に拗らせているんだろう。
そして真実が終わりに近づいてくるのと同時に、僕は上昇しゆく命の危険によって胸が張り裂けそうだった。
絢香さんが今こうやって全てを教えてくれている理由。それはただ人に話して気分を解消させようとしているだけ。そして、真の真実を知った僕は消される。
「君が何を言いたいのかは分かるさ。でも、君のせいで私はまた苦労する事になった。篤が、和人を殴っちゃったからね。あれがなければ、もっと早く、もっと楽に事が進んでいた。それこそ、君に香澄ちゃんを無事なまま返してあげられたかも知れない」
「今のは嘘ですよね?」
「あ、わかっちゃった? そうだね、どちらにせよ香澄ちゃんは無事ではすまなかった。でも私は、和人を始末する前に、篤の方をどうにかしなくちゃいけなかった。なんたって、君の事を助けるのに必死みたいだったからね。そのために、私は一度篤を傷つける事にした。一年前に捕まえた、淫乱娘を使ってね。君もその光景を見ただろ? お祭りの帰りにウチの前で篤と話してたのは聞こえてたよ?」
梓のことか? てことはあの偶然にしては出来すぎていた人間関係は、全て絢香さんの手の平で作られていたモノ……
「ええ見ました。神崎先輩、すごく怒ってましたよ。弟を傷つけてよかったんですか?」
「あれは仕方がない。どうにかして、篤が和人を嫌いになるように仕向けなきゃいけなかったからね。それにしても、あの浮気女は随分と使えたよ。香澄ちゃんが純情な娘役だとしたら、梓ちゃんはただの性処理娘だからね。やっぱり手駒は多い方がいい」
人間を手駒呼ばわり。一体何がどうなったらここまで倫理観念が欠落するんだろうか?
家庭環境。それが一番大きい原因だろうけど、それ以上に弟への執着心がそうさせてるのかも知れない。
「それで思い通りに神崎先輩が和人を嫌いになったら後は始末するだけ、ですか?」
「うんうん。その通りだよ。でも、そこで私が実行したら、今までの努力が水の泡だろ? だから、絶対に私が手を汚さないで、そして脅していた対象者により強い口止めをするためにとある事をしたんだ。同胞の君なら分かるだろう?」
とある事。絢香さんが直接手を下したわけでもなく。それでいて香澄を縛り付ける方法。
和人に事故を起こさせる。確実な方法。それは、後ろに乗っている香澄に実行させる事……
……このクソ女が。
「……アンタは、香澄にやらせたのか?」
「アンタだなんて。怖い声を出さないでくれよ。元々、バイク乗ってる男性ってかっこいいと思うんです! って言ったのは香澄ちゃんだよ? それに、やります、とも言ってたし、全ては合意の上の契約さ!」
明るい声で、満面の笑顔を浮かべている道化。
どうせ死ぬなら、今全てを吐き出したい。
知っている事を叩きつけて、無意味な反撃をしたい。
「全部アンタが言わせたんじゃないのか? いや、そうに決まってる。医者に手を回して飲酒運転だと明言させる。そして普通の女子高生まで巻き込んだなら、和人の親父はいらないバカ息子は切り捨てる。そうすればもう神崎組に関わる利点がなくなるから。言われなくてももう分かる。アンタは全てを犠牲にして、全てを巻き込んでただ一つの目的を達成した」
言葉にすると更なる忿怒が心の底から湧き上がってくる。
「絶対に、絶対に許せない……」
「だから?」
そんな僕の怒りは、道化の狂気に満ちた単純な質問に打ち砕かれそうになった。
「許せなかったら、君には何ができるんだい? 今まで散々人に助けられてきて、大切な彼女に知らない所で助けられて。新しく現れた女の子で気を紛らわして。そして真実を知った今、全てが自分のせいだって勘違いにも程がある自己嫌悪をしている、無力なヘタレに何ができるって言うんだい?」
また、全てを見透かされたような感覚だった。
絢香さんの目は街中、いや、この件に関わっている全てのモノの周りに蔓延る。
そう言えば前に、真実は推測でしかないって言ってたっけな。人一倍の情報量を駆使して、僕の性格を理解して予測しただけの事。
図星をつかれた表情を浮かべるのは、その真実を肯定しているだけの愚行だ。
「僕にだって……僕にだって復讐くらいはできる。それに自分のちっぽけな命を使う事だって!」
勢いのまま、僕は絢香さんの握るハンドルに手を伸ばした。
左にハンドルをきれば、進む先にあるのは断崖絶壁の海。
なのに、それなのに、僕の手はそこまで届くことはなかった。
カチャ、とドアのロック音にも似た音が、額の先でした。
本物は初めて見る。実際に所持している人が存在するなんて、お話の中だけだと思っていた。
「おや? 君の覚悟はその程度だったのかな? 実は今少しだけ安心しているんじゃないかい? 拳銃を額に突きつけられて。勢いに任せて自害しなくて済んで」
グイグイとねじ込まれる銃口に、僕の体は段々と押し戻されてしまった。
何もできない。子供だから? まだ大人じゃないから?
いや、ただ無力だからだ。
和人の親を黙らせるような道化を相手に僕みたいなただの高校生が反撃できるはずなんてない。
でも、何かはしたかった。最後に、何かをしたかった。
「はい、残念。でも、私は君の事が嫌いじゃないんだよ。鉛玉打ち込もうとしている女が言える事じゃないけどね。なんてったって、君は私に似ている。世の中の事を何も知らずに生きてきて、現実に直面した時に自分の無力さを学んだ。ただ違ったのは、君に真実を掴み取る力がなかった事だ。そして今それを死ぬ程欲している。誰かの為に何かをする事を、自分の魂と引き換えにでも手に入れたいと渇望している。間違ってるかな?」
「……そうだよ。その通りだよ。僕はアンタに一矢報いたい。殺されるなら、道連れにしたいと思ってる」
「おー、怖い怖い。口調まですっかり変わっちゃって、また一歩成長したんだね? お姉さん嬉しいよ。香澄ちゃんの両親も遠い場所で君の成長を喜んでいるだろうね。あ、そう言えばさ、香澄ちゃんのお父さんからのお手紙は読んでくれたんだよね? 二百字以内に簡潔に、って言ったら夢中で書いててさ。余った十数字で私にお手紙までくれたんだよ。見てみるかい?」
「……それはどうでもいい。そんなことより、長瀬さんたちを殺したのか?」
「うーん、それは私の担当じゃなかったからね。後始末は他の連中に任せたからさ。まぁ、何があったとしても、書面上から生きている証拠は消えてるだろうね」
僕がここで死んでも、香澄が両親に会えるかも知れない。
それだけでいいような気もしてきた。あぁ、でも、僕の家族はどうなってしまうんだろうか。
「僕の家族と香澄には手を出さないでくれ。頼むから」
「ん〜、考えとくよ。それで、最後に聞くけどさ。ウチの組で働いてみないかい? 君には見込みがある。きっと生きてれば私を脅かす存在になるかも知れないし。どう、いい誘いじゃない?」
この誘いに乗れば生き延びられる。
それは分かっている。でも、真実を知ったままそれを無いものにするのは生き地獄だろう。
香澄をこんな目に合わせた犯人と手を組んで活動するなんて。絶対に無理だ。
「ブラコン女のお誘いには乗れません。僕には、自分の命を懸けてでも守りたい人がいるので」
カチャ、とまた音がした。銃のロックを解除する音かな。
横目で見える絢香さんの顔は、今までみた事ない程に真顔。
それに無駄に長い銃口……サイレンサーってやつか。僕は誰にも知られる事なく、何もできないまま死んでしまうのか。
悔いしかない。後悔と自己嫌悪。最後に感じたのが負の感情だなんて。
これが僕ら被害者に相応しい最期。僕で、最後の一人だ。
「それはいい選択だ。それだと私とはしばらくお別れだね。またいつか会おう。その時の君の成長っぷりを楽しみにしているよ。じゃあね、ヘタレで無力な探偵さん」
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