第30話:真実への鍵
もう目を開けてくれないかも知れない。永遠に待つ事になるかも知れない。
そして、名倉先生は更なる現実を僕に投げつけてきた。
「二週間、いや、長く待てても一ヶ月で目を覚まさないと、歩けなくなる可能性が高い。事故の衝撃で足が骨折していた。筋肉が貫かれて、それは治るんだけど、リハビリを行わないと筋肉が癒着してしまう。幸い脳や脊髄へのダメージは少ないみたいだから、半身不随のようにはならないだろうけどね。厳しいだろうけど、一応報告しておくよ」
脳へのダメージがないのが不幸中の幸いだった。
それでも、過酷な現実がより残酷になったのには変わりない。
今まで聞いてきた話が全て本当なら、香澄は誰よりも犠牲になってきたと言える。
例え嘘だったとしても、現実は、香澄を真っ暗な未来で待ち続けている。
心では助けたいと思っているのに、葛藤が僕の決断を遮る。
千野先輩の事。それに一連の出来事の真実。
頭を悩ませ続け、あっという間に一週間が経過した。
夏休みが数日前に終了し、無気力なまま学校へ通い続ける毎日。
授業は頭に入ってこない。部活でも周りに迷惑をかけてばっかりだ。
それに千野先輩にも、かなり素っ気ない態度をとってしまっている。
先輩はいつも通り優しくて、明るい。きっと今の状況を話すべきなんだろうけど、自分の中で収拾がついてないのに、更に混乱させる要因を招き入れるのは無謀だ。
先輩は僕に何も聞いてこない。家のことだと思われているんだろう。
あの日、あんな別れ方をしたんだ。きっと内面では相当心配しているはず。
それは分かっているのに、何もできない。
そして今日もまた、混沌とした想いを胸に、病院へと足を運ぶ。
入り口の自動ドアが、まるで自宅の玄関のように感じる程、ここには慣れてきた。
学校帰りに毎日三十分だけ。集中治療室から厳重に管理されたガラス張りの部屋へと移動した香澄に会いに行く。
名倉先生と顔を合わせるのは、三日に一度程。あれから二回近況報告をされたけど、特に何も変わらない。
でも、もう少しすれば普通の病棟に移動してもらえる。
今は香澄の状態が安定するまでの観察期間的なものらしい。
名倉先生が、色々な権限を使って特別な処置をしてくれてるんだとか。
本当は面会禁止で、面会時間外の現在。名倉先生は、かなり気を配ってくれている。
人を救うためには、底知れない努力が必要だと改めて思った。
僕がただ眺めているだけで、滅多に誰も入ってくる事のないこの部屋。
その筈だったのに、ガラガラガラ、と入り口の引き戸が開く音がした。
名倉先生、かな……
「なんで病院なのよ……って香澄⁉︎」
部屋の入り口から、驚愕の表情を浮かべた野田さんが走ってきた。
両手をガラス窓につけ、その向こうに寝ている少女を見たままの体勢で静止した。
「香澄⁉︎ 香澄⁉︎ なんで、どうしてこんな事に……」
それから野田さんが涙を流し始めるまでは長くはなかった。
様々な器具が香澄の体を囲い、誰にでもその重症さは一目瞭然。
逆に、説明を受けない方が変に誤解してしまうかも知れない。
野田さんに気を取られていた僕の肩を、誰かがトントンと叩いた。
「健斗? どうしてここに?」
「真帆がどうしてもって言うからこっそりお前の事つけてきたんだよ。普通に聞けばよかったんだが、聞いても教えてくれなさそうだったからさ。悪いな」
「い、いや。別にいいよ。隠そうとしてた訳でもないから」
そういえば、千野先輩以外にはこの件を伝えようとも考えていなかった。
野田さんは、この四ヶ月間ずっと香澄の側に寄り添い続けたんだもんな……
一週間無断欠席なんて、想像もつかないほどの不安を抱いていたんだろう。
「じゃあ普通に聞いちまうけどさ、何がどうしてこうなったんだ?」
「……和人が飲酒運転してバイク事故を起こした。それに香澄が巻き込まれた。和人は手遅れで、香澄は……見ての通りだよ」
昏睡状態の事を言った方がいいんだろうけど、それを否定したい自分が言葉を盗んでいった。
こんな断片的な説明で……って健斗たちはなんで僕についてきたんだ?
野田さんがどうしてもって、つまり……
「っ⁉︎ もしかして、健斗たちは何か知ってるの?」
香澄の方を見ていた健斗に、真実に近づける可能性を見出した僕は、勢い余って両手で健斗の肩を掴んでしまった。
「おいおい、落ち着けって。知ってるっちゃ知ってるけど、真帆の方が詳しいんじゃないか?」
野田さんは、眠り続けている香澄のために泣いていた。
こんな状況で聞けるはずがない。
「ってのは今は無理そうだな。俺が知ってるのは、長瀬の想いがずっとお前に向いてたって事くらいだな。なんかよくわかんねーけど、嫌々付き合ってたみたいだし。それに何か他の理由でも悩んでたって、真帆は言ってたけど、俺の情報は全部真帆経由だからこれ以上はわかんねーよ」
「……いつから知ってたの?」
「そりゃ真帆と付き合い始めてからに決まってんだろ。お前が千野先輩といい感じだったしさ、どうも裏事情ありきで、話しても誰の得にもなんなかったし、何より真帆に口止め食らってたからな。今こう言う状況なら言っても問題はないんだろうけど。にしてもお前はどうすんだ? 千野先輩すげー心配してたけど、言わないのか?」
やっぱり言った方がいいのかな? でも、自分の事は自分のタイミングで決断したいし……
「もう少し落ち着いたら、かな。なんか色々迷ってて」
「まぁ、俺はこんな事経験した事ないからなんも言えねーな。お前の事はお前で決めるのが一番だ。前にお前無視して長瀬のこと問い詰めちまったの結構後悔したからさ、これ以上は口出しなしだ」
「ありがとう。助かるよ」
健斗の雰囲気が少しだけ変わった気がする。
僕が自分の知っている事を何も話さなかったのに、前みたいに聞こうとはしない。
野田さんと付き合い始めて。色々後悔をして成長したんだろう。
僕は何も変われていないって言うのに……
健斗との会話が終了すると、部屋には野田さんのすすり泣く声だけが響いていた。
数分すると、その音も止まり、一瞬の静寂を経て少女の声がした。
「香澄は、香澄は本当は助けを求めてたのよ……」
そう呟くと同時に、野田さんは涙を拭った。
「誰も巻き込みたくないって言ってた。あの日、アンタが泣き喚いてた日の次の日に、私が問いただしたら教えてくれたわ」
「野田さん……」
「家庭の事情だからって、詳しくは私にも教えてくれなかった。ただ一つだけ、アンタに謝りたかったって。相談したかったって。でも、それもダメだって言われてたみたい」
誰にだ?
「絶対に他言しない約束だった。本当は、健斗にも言っちゃいけなかった。でも、何も行動できなくて、何も香澄の力になれなくて、無情に過ぎていく時に耐えきれなかったの。だって香澄は、クズ男と付き合わされてたからとか、アンタに対しての後悔があったからとかじゃ説明できないほど疲弊していったんだもの」
「それが、他の理由ってやつ?」
「多分ね。私には何も分からなかった。ただの家庭の事情じゃないと思ってた。だって、夏休みの前に、突然アンタに会いたいって言い出したのよ? 死に際の人みたいな顔して、涙を流しながら……」
千野先輩とお祭りの約束したあの時の事か。
僕は香澄の心の叫びを棒に振るった。あの時は知らなかった。ただ、見えている現実だけ追いかけていたから……
「あの時ね、アンタにノートを渡そうとしてたのよ。私にも見せてくれなかった、何かが書いてある香澄の秘密。でもね、あの後、私にこれを渡してきたの」
そう言って、野田さんはカバンの小ポケットの中から、一つの小さな鍵を取り出した。
「鍵? ノートじゃなくて?」
「うん。私に何かあったら、私の部屋に行ってって。それだけ言われてこの鍵を渡されたわ」
その秘密の鍵を、野田さんは僕に手渡した。
家の鍵にしては小さく、まるで自転車の鍵のようなシンプルな形のモノ。
でもこの中に、真実が詰まっている。
「僕が持っててもいいの?」
「香澄はアンタしか信用してないのよ。だって、私に見せてくれなかったノートをアンタに渡そうとしてたんだから。私は香澄が起きたら直接聞くことにするわ」
今さっきまで泣いていたとは思えない程、活気に満ちた笑顔だった。
昏睡状態だって知らないからかも知れない。でも、それは香澄が目覚めると信じてやまない、期待とはまた違った形の想い。
僕にはその気持ちがあっただろうか? 信じてはいた。でもそれは期待に過ぎなかった。
「じゃあ、何かわかっても教えない方がいいんだよね?」
「そうねー。今はアンタに任せるわ。私はお邪魔になっちゃうかも知れないし、アンタとばっかり話してると後ろに立ってる野獣が嫉妬しちゃうからね」
健斗の方へと振り返ると、野田さんへと向けられた怒りの視線に直撃した。
楽しそうなカップルだな。対等な立場にある感じがして憧れる。
僕も、悩んでばかりいないで前に進もう。
明日、千野先輩をここに連れてくる。
「じゃあ私たちは帰るわね。山田はまだ残るの?」
「僕もそろそろ帰ろうかな。ずっといても、病院の人たちに迷惑かも知れないからね」
「アンタは相変わらず人の事ばっかり考えてるわね。少しはわがままになった方がいいわよ?」
たまに言われるこの言葉。
そして少し前にわがままになった時、確かに気分がよかった。
自分に自信が持てたような、そんな感覚。
「そうだね。でも今日は帰るよ。そろそろ夜だしね」
そのまま、三人揃って病院の出口まで向かった。
夜の病院は人が少ない。でも、受付の人たちは僕に軽く会釈して見送ってくれた。
顔パスみたいになってるのは、なんだか少しだけ複雑な気分だ。
一番迷惑をかけてるって事だもんな。
僕も受付の人に頭を下げ、自動ドアの方を振り返ると、まだセンサーの範囲外の筈なのに道を開けてくれた。
いや違う。外から人が入ってきただけか。それにとても見覚えのある顔。
全てを誤魔化して遊んでいる、道化の様な美女。
「やぁ涼太くん。こんな所で会うなんて、奇遇だね!」
健斗と野田さんは僕の方を不思議そうな瞳で見ていた。
そうか、絢香さんの事は知らないもんな。でも、何故だか健斗たちに紹介してはいけない、そんな直感が僕の口を開かせた。
「迎えの人が来てくれたみたいだから、また明日学校でね二人とも」
「お、誰だ? 親戚かなんか……」
「いいから行くわよ」
空気を読んでくれたのか、野田さんが健斗を引っ張って帰ってくれた。
そして僕は直感の正体を知っている。それは、僕が求めている真実に直結している違和感のせい。
なんで今の今まで分からなかったんだろうか? いや、きっと色んな情報を得て、やっとパズルが完成したんだろう。
そのパズルこそ、千野先輩と展望台に登った時に、強引に誤魔化したカケラの繋がり。
絢香さんの感情の込もっていない笑顔に、僕は今すぐにでも逃げ出したくなった。
でも、それは望んでいる事じゃない。今まで蚊帳の外だった自分を戒める機会がやっと巡ってきてくれたんだから。
「おやおや、君はエスパーかなんかなのかな? それとも、小さな探偵さんにでもなったのかな? 全く、可愛いなぁ〜もう。んふふ」
やはり僕狙い。一番真実に近いであろう僕を消しに来たのかも知れない。
どうせなら全部知りたかった。と、何故だか僕は死を予感した。
それでも、恐怖心を見せたら狩られてしまう。
「ただの冗談ですよ。からかうのはやめてください、怖いですから。それに絢香さんこそ、こんな時間に病院だなんて妊娠でもしたんですか?」
「もぉ〜冗談きついよ。でも、少しは肝が座ってきたのかな。ヘタレ君の成長が見られてお姉さん嬉しいよ。だけどやっぱり何も知らない子供を見るのは楽しいなぁ」
そう言いながら、絢香さんは僕の肩に手を回してきた。
「それじゃあ気分転換に、ドライブデートでもしようか?」
せっかく鍵を手に入れたのに、届かないかも知れない。
でも、香澄を助けるっていう事は、この道化を乗り越える事だ。
「たまにはいいですね。でも、飲酒運転は、しちゃダメですよ?」
「っぷ。面白い面白い。それでこそ私の同胞だね。まぁあれだけ教えてあげたんだから、ちょっとは感謝してくれよ」
「本当に、感謝してますよ。ここまで
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