第34話 そして彼は陽光の下で1
円形の、広場のようになったそこには、既に天井などなかった。
瓦礫が積み重なっている様子から察するに、悪魔が出現と同時に壊したのだろう。
床は悪魔の流した血が所々へばりつき、まだら模様になっている。
血の匂いで、リサはむせそうになった。
その中央。淡い緑の光を放つ円の前には祭壇のようなものがあった。
前に司祭のごとく立つのは、赤い豪奢なガウンを着た女性だ。彼女は何があったのか、肩口から血を流しているイオニスの首にナイフを当て、近づこうとするユシアンやクリストを牽制していた。
「王子を離すんだ、王妃」
「貴方を庇った人を、どうして……」
呼びかけるクリストとユシアンの言葉から、イオニスが彼女を庇い、おそらくは暴れている悪魔から庇って負傷したのだとわかった。
それでも王妃自身も腕に怪我を負っていた。おそらくは悪魔を呼び出した自分の行動への恐怖と、怪我をした衝撃で正常な判断ができなくなったのかもしれない。
「近寄らないでぇぇっ!」
王妃は既に正気を失っていた。血走った目でナイフを振り上げる。
イオニスは動かない。
王妃に呼応したかのように、背後の悪魔が咆吼を上げた。
振り下ろされたのは、自由になった悪魔の足だった。
「…………!」
クリスト達が怒号のような声を上げた。イオニスが目を開き、叫んだ声が聞こえない。
悪魔の足は背後から王妃をはじき飛ばした。
もう一度持ち上げられ、その場に倒れたイオニスへと向かう。
リサは頭の中で何かの枷が切れるのを感じた。
何も考えずにそこから走る。そして手に持っていたものを投げつけた。
「解呪!」
言葉と共に広がる闇が、空中を舞う石と共に軌跡を描いて悪魔の足を貫いた。
悪魔が再び轟音のような叫びを発する。
はじき飛ばされた王妃を捕まえたクリストが、何も無い場所に起きた爆発に巻き込まれ、さらに吹き飛ばれる。
悪魔が飛んだ。
石の翼を震わせながら、悪魔はゆっくりと上昇していく。
悪魔の体からは血が滴っていた。血の雨を避けてリサは駆けた。まっすぐにイオニスだけを目指して。
「イオニス!」
たどり着き、彼の頭を胸に抱く。
その時を狙ったかのように、祭壇の近くで爆発が起きた。
イオニスをきつく抱きしめたリサは、さらに誰かに庇われる。それでも破片や埃まじりの風が吹き付けた。
それらが収まるとすぐ、リサは腕の中に抱え込んだイオニスを見る。
「イオニ……」
「せっかく、来ないように……馬鹿な子だ」
血の気が足りなくなったのか、イオニスは蒼白な顔で苦笑してみせる。
痛みのせいかゆがんでいたけれど、彼の顔は更にその秀麗さが増しているように見えた。
「バカって何!? バカはそっちじゃない! 人のことを勝手に置いていって、あげくこんな怪我して」
「ああ、これは少々予想外な事態が」
のんびりとしたイオニスの口調が、さらにリサの怒りに油を注いだ。
「予想外って何よ! だいたい人に意味深なこと言い残して……人を、こんなに心配させて」
このバカ。
小さくしぼんでいく声は、自分でも不思議なほど震えていた。
今にも嗚咽が出そうになって、思わず唇を噛みしめる。そんなリサを見つめ返すイオニスの目は、ひどく穏やかなまなざしをしていた。
お互いに言葉を継げずに、見つめ合う。
それを断ち切るように、リサの頭に手が置かれた。振り返ると、ユシアンが何かを差し出してきていた。
「リサ、これ。早く手当しないと」
言われてリサは慌てる。そうだイオニスが失血死してしまう。
渡されたのは小さな石のカルタのようなものだった。細かな文字が書いてある。文字を読んでいたリサに、ユシアンが傷口に当てて唱えるよう指示してきた。
『其は理の表裏を映すもの。事象をこの身に移せ』
パキ、とカルタが折れると同時に傷口がふさがる。けれど流れ出た血はそのままだ。
きっと傷を石に置き換えて塞ぐものであって、回復させるものではないのだろう。
リサが今までしらなかった発掘品だ。
ユシアンにもう一枚渡されて、リサはイオニスの肩の傷も塞いだ。
とたんに痛みが抜けてほっとしたのか、イオニスが脱力してしまう。
「ちょっ、イオニスまだ寝ちゃだめ!」
ここは悪魔の膝元だ。
見上げれば、悪魔は更に高くまで浮かんでいた。しかも何か準備をしているように羽を振るわせている。
「早く、立って!」
急かしてはみたものの、辺りを見回してもどこへ逃げたらいいのかわからない。クリストも同じだったようで、気絶しているらしい王妃をひきずってとにかく悪魔から離れている。
イオニスがリサにすがって立ち上がろうとした。
それよりも先に、不吉さとは無縁の涼やかな音がリンと響き渡る。
――間に合わない。
リサは再びイオニスを庇おうとした。が、それより先にイオニスに手を引かれ、抱き込まれてしまう。
再びの咆吼が空気を振動させる。
それと相まって鼓膜を破ろうとする爆発音。地面が揺れて、わけがわからなくなって、不意に辺りが暗くなった。
振動が収まる。
イオニスの腕の中で目を開いたリサは、地下のような暗さに目をしばたく。
それでも光が差し込んでいるのだろうか、目前にある瓦礫の山が見える。けれど閉じ込められたにしては押しつぶされるような感覚はない。
「無事か」
イオニスに尋ねられ、リサはうなずきながら起き上がる。
上も瓦礫に覆われていた。リサ達は瓦礫の下の、半円状の小さな空間にいるようだった。
「間に合った……」
嘆息するユシアンの手に、見慣れない代物があった。指先から少し離れてくるくると回る小さな薄青の結晶体。赤色の鍵が隠し持っていた発掘品の一つなのだろう。
「これで結界を張ってる。一応あの悪魔がまた攻撃してきても、耐えられるはずだよ」
そういうわけだから、とユシアンはリサに厳しい目を向けてくる。
「王都の外に逃げるように言ったはずだよね、リサ。なぜここまで来たんだ?」
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