第29話 彼の真実と彼女の決意3
「さて、まだ夜明けまで時間があるな。眠くはないか? リサ」
そう言われて、今が深夜だということを思い出す。
けれどイオニスを脱出させたり、マユリと会ったり、いろいろあってなんだか目が冴えてしまっていた。
「それなら、何か話してくれないか?」
ねだられてリサは戸惑う。
「何かって言っても……」
「君のことを話してくれ。どこで生まれたのか、どうやって今まで生きてきたのか、友人がいるならその人のことも。こうしてゆっくり話す機会が、今後もあるかわからないだろう?」
言われてリサは思い出す。
そうだ。彼は王子なのだ。
王宮へ戻ってしまったら、もう会う機会はない。
彼が約束通り貧民街の人達を救済してくれたとしても、貧民街の人間が王宮へ招かれることはない。リサは彼に直接会うことなく、イオニスの使者と品物の取引をすることになるだろう。
もう、会えないのか。
そう思うと寂しさがリサの胸を満たしていく。
「いいわ」
うなずいたリサは、イオニスと二人でがらんとした地下室の隅に座った。
二人の間にはほんの掌一つ分だけの隙間がある。
「私が生まれた場所はね、ここじゃない世界だった」
「ここじゃない?」
「異世界……って言ってわかるかな? 私が夢を見ているのだと思ってくれてもいいよ。寝物語の代わりに話すだけだから」
不思議そうな顔をしたイオニスが、うなずく。
だからリサは、今まで養父にしか明かしたことのない話をイオニスに語った。
「その世界の私が住んでいた国では、王様がいなくて、身分の差っていうのもなかった。そして貧しさで飢えて死ぬ人はごく少なかったの。貧しい人でも、お役所に行けば生活を援助してもらえる方法があるって聞いた」
「ずいぶんと民に配慮しているんだな。王がいないというのも珍しい。だがこの国も、元は共和国だったという。古代王国が滅びた後、残った貴族家が共同で代表を選出して治めていたのだ」
リサはこの国の歴史を詳しく知らなかったので、イオニスの話に驚いた。
「共和国。でも貴族はいたんだね」
「だがその後、領地の力のバランスが崩れたのか、ある一家だけが代表を務めるようになり……いつしかそれが今の王家の基礎となったのだ」
「王国に逆戻りしてしまったんだね」
「その方が、民を統治しながら他国からの侵略に対応しやすかったのだろう」
なるほど、とリサはうなずく。
「それで、お前はどうして別な世界からやってくることになったんだ?」
「理由は全くわからなくて……。ある日、学校の帰りに気づいたらこの王都にいたの」
我に返ると、暗い穴の中にいた。
今思えば、あれは地下遺跡の入り口のどこかなのだと思う。
そんな場所にいたものだから、道を歩いていて落ちたのだと思った。
「穴から出たら、王都の貧民街の近くだった。建物や風景も全く違ったけど、とにかく帰ろうと思って歩いて……でもどこにもたどり着けなくて。水や食べ物も、どうやって手に入れたらいいのかわからなかった。それで、パンと水をくれるっていう見知らぬ男の人について行って、慌てて逃げ出したこともある」
「それは……」
イオニスが何を想像したのかわかるので、リサはうなずいた。
「人買いだった。売られそうになったのは娼館で、顔立ちがマシだから良い店に売ってやると言われて、初めて自分が売られたことを知って」
それを告げると、イオニスは息を飲んでこちらを凝視してきた。
あの時の恐怖を、まだ自分は覚えている。
鬼のような形相をして追いかけてきた人買いの男。
それを撒くために飛び込んだ雑踏でいろんな人に突き飛ばされ、踏まれたりもした。それでも捕まるよりはいいと我慢して、食べ物屋のゴミ箱に飛び込んだ。
結果として人買いは撒いたけれど、今度は食べ物屋の人間に見つかって「乞食が近づくな」と言って殴られた。
それから養父に会うまで、リサは人買いに見つかることに怯えながら、王都をさまよったのだ。
不意に、床についていた自分の手にイオニスの手が重なった。
思わず彼の顔を見上げると、イオニスは柔らかく微笑んで言った。
「逃げ出せて良かった」
労るような口調に、本当にイオニスがそう思ってくれていると感じたリサは、胸が温かくなる。過去を思い出してささくれ立ちそうになった心が、不思議なほどさらりと静まっていく。
「後は見ての通り。養父に拾ってもらって、その仕事を私もしてる」
一区切りして、リサは尋ねた。
「あなたも話して。赤色の鍵と接触したんでしょう? どんな話をしたの?」
イオニスは言い難そうに顔をしかめる。けれどリサに見つめられ続け、やがて諦めたように口を開いた。
「済まないリサ、正直に言おう。本当は国王を抹殺し、古王国の末裔だという彼らに王位をやろうとしたんだ」
「え……?」
あまりな発言に、リサの思考回路は一瞬止まってしまった。
確かにイオニスの様子は、昨日も今日もおかしかった。何かを振り捨てたいけれどできないような、沼に落とされてもがく人のようだった。
今まで親だと信じていた人々を殺そうとしていたのなら、それも納得がいく。
でもそれは、やはりユシアンから聞いた話が本当だということで。リサにはさっき嘘を言ったということになる。
リサの困惑を察して、イオニスが言葉を続けた。
「今日君が来てくれるまでは、本当にそうしようと思っていた。今をしのいだところで、王妃は自分の罪が明かされることを恐れてもっと直接的な行動に出るだろう。かといって国王に真実を知らせても、あいつは冷酷に私に罪を着せて処刑することぐらいするに違いない」
「そんな……」
でもリサにもイオニスの言葉は否定できないのだ。たとえ血の繋がった親であっても、自分たちのために子供を切り捨てることを知っている。
貧民街では、そうした親から逃げてきた子供も、逃げた末に貧民街でなんとか一人で暮らしている人もいるのを知っているから。
ただ無心に、親だから自分を見捨てないなどとはリサでも信じられない。
しかも、イオニスにとって国王夫妻は赤の他人だとわかったのだ。
イオニスはそれを理解しているから、父とは言わず『国王』と言ったのだ。
けれど何かイオニスに言いたい。こんな風に思うのは二度目だ。
あの時は何を言っていいのかわからなかったけれど、今度はリサにもイオニスが何を望むのかわかる。
「なら、逃げちゃえばいいのよ」
「逃げる……?」
初めてその単語を聞かされた子供のように、イオニスは呆然としている。
「そうよ逃げるのよ。辛い思いしてまで家にいる必要なんてないじゃない。王子でいる必要なんてある? それよりも安心して暮らす方が大事だと思えるなら、どこか別な遠い所まで逃げてしまえばいいわ」
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