第30話 彼の真実と彼女の決意4
いい? とリサはイオニスに指をつきつけた。
「もしわたしがイオニスみたいな状況だったら、絶対に家を出て逃げたわ」
どんなに説得しても無理だったら、自分の身を守るために逃げ出しただろう。
「わたしは望んで一人になって、遠い場所まで来たわけじゃないけど、でも優しい養父に拾ってもらえた。優しい人達や仲間にも一杯会えた。だからイオニスも、居られないなら逃げちゃえばいいの。そうしたらもっと安心できる場所や人に出会えるようになるよ。行くところがないなら……わたしがしばらくなら面倒みてあげるから」
辛い経験をした後は、すぐに何かをするのは難しい。
その間だけリサが支えてあげたなら、イオニスはまた自分で立ち上がるだろう。
「大丈夫。王様達が追ってきたら地下迷宮に逃げ込んじゃえばいいもの。わたし達なら地下を知り尽くしてるけど、そうじゃない兵隊さんたちはこっちを追いかけられなくて、あきらめるしかなくなるし。なんだったら強制的に道塞いだってかまわないし」
そうしようよ、とリサはなるべく明るく言った。
王子様の生活を捨てても、なんとかなるんだとイオニスに思ってもらいたくて。
するとイオニスは、呆れたような笑みを浮かべた。
「私の側には、ずっと君のように言ってくれる人なんていなかったんだよ、リサ」
けれどその声はとても暖かい。耳からゆっくりと音の波がリサの心を満たしていくようだった。
「君は優しい人だ。こんな王都を破壊しようと思っていた私に同情してくれる。君が側にいてくれるなら、何者にも負けずに自分を保てるのではないかと思うよ」
その言葉にリサは自分の顔が熱くなるのを感じた。
なんだろうその言葉は。まるで口説き文句みたいだ。けれどイオニスがリサにそんな事を言うとは思えない。
イオニスは王子で、リサは貧民街の子だ。
彼は王都の表舞台にいる人で、リサは一生地下を這い回って……。たとえ一時でもリサを頼ったとしても、必ず彼は明るい陽の下へ出ていくだろう。
「……え? 今王都を破壊って言った?」
聞き返したその時、ふと鼻先を焦げ臭い匂いがかすめた。
「なにこれ?」
くんくんと匂いを嗅げば、確かに煙の匂いだ。しかも藁を燃やしているらしい。
「外が火事なの?」
思わず扉に駆け寄ろうとしたリサだったが、イオニスに静止される。
「待てリサ!」
「え?」
振り向いた瞬間だった、扉の隙間からもわっと煙が吹き込んできた。思わず吸い込んで咳き込むリサを、イオニスが抱き込むようにして壁際に移動させてくれる。
「火事ではない。きっと王妃が手を回して、私を見かけたら殺すように通達したのかもしれない」
「でもイオニスは王族だって神官達も知ってるのに!」
「どうとでも言いくるめられる。私と良く似た賊が城に入ったとかな」
話している間に、地下室にはどんどん煙が流れ込んできていた。火にあぶられているのだろう。扉側から熱が伝わってくる。
イオニスがリサを離し、壁を探りはじめた。やがて出入り口の位置を見つけた。イオニスが押すと、隅の壁が小さく引っ込んでいく。
「リサ、先に」
言われてリサは穴を四つん這いになって通り抜ける。
続いてイオニスが通り抜けたが、リサより体格が大きな彼は、体を穴から引き抜くのに難儀した。
けれど無事に通り抜けて、すぐに穴を塞ぐ。
とりあえず隠し通路へは移動した。すぐさま王宮へ向かうのかと思ったが、しばらく足元においたランプを見下ろし、イオニスはそのまま動かなかった。
どうかした、と尋ねようとしたリサだったが、それより先にイオニスが顔を上げ、彼女を促した。
この通路も大分埃や蜘蛛の巣だらけだった。
慣れているリサが「先に行こうか?」と言ったが、イオニスは首を横に振る。そしてリサのフード付きの外套を借りたイオニスが、ランプを持って先頭に立った。
狭い通路の中を歩きながら、リサはなんとなく昔のことを思い出していた。
初めて養父がリサを地下迷宮へ連れて行ってくれた時、こんな風にして養父の後を歩いた。
養父はイオニスほど背が高くなかったけれど、天井に頭をぶつけないよう、イオニスと同じように体をかがめていた。
懐かしい。
昔を思い出しながらリサは後を追う。
――とその時、二人の体を激しい振動が襲った。
リサは壁に叩き付けられそうになった。それをイオニスが腕に庇ってくれる。
幸いなことに、振動はその一度で収まった。
「大丈夫か?」
聞かれてリサはうなずく。
「何だろう今の。地震にしては変な……」
「先を急ごう」
硬い表情のイオニスに促され、リサは走り出す。しかしその足はすぐに止められた。
がさがさという音が迫ってきて、ランプに照らされた壁や床、天井が黒光りしながら蠢く。
「……っ!」
息を飲む二人の足下や横を、大量のネズミたちが移動していった。いつも地下にいるリサでさえ、こんな光景は見たことがない。硬直して彼らを凝視することしかできなかった。
幸いなのは、ネズミ達は二人にまとわりつくより先を急ぐ方を優先した事だった。
やがてネズミは潮が引くように姿を消す。
ほっとしたのもつかの間、今度はコウモリが大挙して飛んできた。
「何だこれは!」
イオニスが驚愕しながらも、リサを抱き込むように庇ってくれた。
が、コウモリもネズミと同様に、二人のことなど目に見えていないように駆け去ってしまった。
再び静寂に包まれた隠し通路の中で、リサは困惑していた。
今までこんな事一度だってなかったのだ。一体何が起こっているのかわからない。
なじみ深い地下が、急に自分の知らない場所に変わったみたいに感じられて、心細い。
イオニスが、そんなリサの肩を抱きしめるようにして歩き出した。彼の表情もいつになく硬い。
不安に襲われつつ、リサは一緒に歩き続けた。
しばらく進むと、見覚えのある場所へとやってきた。
リサが地下迷宮から無理矢理隠し通路へ穴を開けた場所だ。壁が少し崩れ、通路を固めていた石が床に転がっているのですぐわかる。
しかしそこで、再度揺れに襲われた。
リサはまたイオニスに庇われた。そのさなかにイオニスが「やはりそうだ」と呟くのが聞こえた気がする。
そして彼は、揺れが収まってもリサを離さずにいた。
「イオニス? あの、ありが……」
とりあえず御礼を言おうとしたリサの言葉は、イオニスの言葉に途切れた。
「頼みたいことがあるんだ」
彼は掠れそうな声で言い出した。その表情は突然の事に驚いたというより、何かを耐えるような、何かを決断してもう気持ちを翻す気がない人のようにも見える。
「なに?」
彼と出会ってから何度かくりかえした言葉。リサは慣れた調子で尋ね返していた。
「戻ってしまう前に、もう一度だけ私に同情をくれないか?」
「同情?」
わけがわからず首を傾げるリサに、イオニスは綺麗な笑みを見せた。同情が欲しいなどと言う人には似つかわしくない、幸せそうな笑みだ。
「そう、同情だ。かわいそうな私のために、慈悲をくれ」
「慈悲って」
そんな単語をイオニスの口から聞くこと事態がリサには驚きだった。だってそれは、物乞いをする貧民街の子供や老人が口にする言葉だ。
けれど持たざる物であるリサに、イオニスは慈悲をくれと言う。
「貴方の欲しい慈悲って?」
よく意味がわからずに尋ねると、イオニスが初めて哀しそうな表情になる。
「どうか私を許してくれ……」
彼に体を抱え込まれる。
近づく顔、次いで唇に触れる柔らかで冷たい彼の唇。
顔が離れた後も目を見開いていたリサは、首の付け根に衝撃を受けた。痛みと、頭が揺らされるような感覚と共に意識が朦朧としていく。
「君がこの先も安全でいられるように、私も王妃も王でさえ遠い場所へ始末してこよう。真っさらになった王都で、君は自分の仲間と一緒に望みを果たすといい」
その言葉を最後に、リサの意識は暗転した。
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