第31話 彼の真実と彼女の決意5
イオニスはくずれるように倒れる彼女を抱え、もう一度口付けた。
意識がないと分かっていながら、彼女に何かを応えてほしいような衝動に駆られて、先ほどよりも深く、長く。
自分に一番欲しいものをくれる相手。
誰もが眠りにつくような真の暗闇の中を。もう一度会いにも来てくれた。
本当は、今日彼女が来た時に追い返すべきだったのかもしれない。でも弱いイオニスには無理だった。
毒薬という形で決別を突きつけられた自分。
王妃を愛する国王も、事情を察したなら、脱出したイオニスのことを殺そうとするだろう。
歪みを背負わされた自分はもう、帰る場所がないのだ。
ならばせめて、悪名という形でも自分が居たことを歴史に刻み込みたい。
そして自分を道具のように扱う二人に、責任をとらせたかった。
そのためには王都の人々に、目に見える形で恐怖を植え付けなければならない。そうでなければ全ては闇へ葬り去られ、誰も知らぬままになってしまうだろう。
代わりに、沢山の人が命を落とす。そしてリサも怪我をするかもしれない。
だから今日一日、イオニスは悩んでいた。
彼女が死んでしまったなら、その咎は自分の命一つではあがなえない。赤色の鍵に頼み込み、彼女を騙してでも王都から逃がす方法を考えていた。
けれどリサは予想に反してイオニスの元を訪れ、彼女と会ったイオニスはやはり彼女にかすり傷一つ負わせられないと感じた。
だから、別な方法を考えていたのだが……。
借りていた外套で彼女を包み、静かに横たえる。
「どうやら先を越されてしまったようなんだ。真実の親子ではないはずなのに、なぜ考えることは同じだったんだろうな」
君に聞いたら、教えてくれるだろうか。
名残を惜しんで頬に手を触れていたイオニスは、人の足音にはっと顔を上げた。
相手もこちらのランプの明かりに気付いたのだろう。
曲がりくねった道の向うから、早くなる足音と明かりが見えた。そしてイオニスの前に駆け寄ってきたのは、あの赤色の鍵の首領と一緒にいた青年だ。
彼はイオニスよりも、横たわっているリサを見て悲鳴のような声を上げる。
「リサっ!」
赤色の鍵の人間は、リサと知り合いだったようだ。顔色が青くなるほどだ、かなり親しかったのだろう。
そういえばリサは赤色の鍵のことを知らなかったはずだ。
この青年は、彼女にずっと自分たちのことを隠していたのだろう。恐らくは彼らが王家の転覆を願い、暴動を起こそうとしていたからだ。
貧民街に育ちながら、なお純真さを失わない彼女を自分たちの道に引き込まないよう。
そこまで考えてイオニスは思わず笑みをこぼしてしまう。
彼女の真っ直ぐさは、きっとそうして守られてきたのだ。たとえ辛い事があっても、その心だけは守れるようにと彼らは心を砕いてきたのに違いない。
ならば、任せて行っていいだろう。
「リサに何をした!」
彼女の側に膝をついた青年が、真っ直ぐにイオニスを睨み上げてくる。
「私は行くところがあるんだ。だけど正直に言えば彼女は付いてこようとするだろうから、少し眠って貰っただけだよ。確認してみるといい、ちゃんと呼吸はしてるはずだ」
そう話したことで、青年はイオニスと赤色の鍵の約束を思い出したらしい。念のためリサの呼気を手をかざして確認した青年は、さきほどより落ちついた声で言った。
「悪魔を……呼び出しに行くのか? しかし先程の揺れは?」
既に呼び出したからこそ、あれほど激しく地が揺るがされているのではないかと問う青年に、イオニスは告げる。
「そうだ。恐らくは既に呼び出されつつある」
「誰に?」
「恐らくは私の逃亡を知って、全てを瓦礫の下へ隠蔽しようと追い詰められた人間……王妃だろう。彼女は自分の配下以外の人間に、私が王妃の子ではないことが知られるのを恐れていたはずだ。人の口を塞ぐことは難しい。だから王都ごと民を殺せばと考えて悪魔を呼び起こしたのかもしれない」
「それは……」
濃い金の髪の青年は、イオニスの言葉に呆然としていた。
王子だと思っていた相手が王妃の子ではないと聞かされたからだろうと、イオニスは解釈した。
「それにしても予想外の事態だ。お前達の準備もさほど整ってはいないだろう? それに王妃が悪魔を制御できるのかも怪しい」
国王の断罪を恐れて何も言い出せなかった王妃に、人を使って誰かを殺すことはできても、悪魔を自力でどうこうする度胸があるとは思えない。
すぐに操れなくなって、暴走させるのが落ちだろうとイオニスは予想していた。
「あまり悪魔が暴れすぎては治めるべき国が無くなって困るだろう。だから王都が破壊されつくす前に、お前の仲間をこの地下道を右に折れた先の祭壇へ来させろ。計画を前倒しにするよう指示しておけ」
居丈高に命じてイオニスは立ち去ろうとする。と、青年が「お前は何をしに行くんだ?」と訊いてきた。
「我が王家には悪魔を止める術は伝わっていない。ただ、一時的にでも従わせる方法はある。本来なら王家の血統でなければ、悪魔は従わせられないはずだが……試してみよう。その間に」
イオニスは目を閉じたままのリサを見下ろす。
「ここは危険だ。王城は祭壇に近すぎる。リサをなるべく安全な場所へ運んでくれ。私を地下から脱出させてくれた恩人だからな」
リサに話したように、彼女のために復讐を諦めようと思った。
彼女さえ側に居れば。ずっとこの自分を哀れんで、慰めてくれるならと。
正直、かなり情けない話だ。幼子が母親の側で安らぐように、甘やかしてほしいだけなのだから。
けれどそれと同じくらいに、彼女を死なせてはならないと思う。
計画通りであれば、充分に赤色の鍵が準備を整えてから悪魔の威容を見せつけるだけの話だった。けれども悪魔は何の備えもないまま呼び出されてしまった。
赤色の鍵が止めるまでの間に、かなりの被害が出るだろう。それでは、リサが怪我をしてしまうかもしれない。
イオニスは再度リサと青年に背を向けた。今度はもう、青年は自分のことを呼び止めはしなかった。
地下通路を進むイオニスを、再度の揺れが襲う。
立っているのもままならず、イオニスはその場に膝をついて耐えた。
堅牢なはずの城も、三度の揺れで痛んできたのだろう。天井は崩れないまでも、ぱらぱらと隙間から石のかけらが落ちてくるようになった。
「あの男、ちゃんとリサを避難させてるだろうな」
隠し通路が崩れるより、そちらの方が不安だった。
よりにもよって自分に「何をした」と怒鳴ったのだ。それぐらい果たして貰わないと困る。ただでさえ、リサの知り合いに若い男がいるというだけでムカつくというのに。
イオニスはそれでも任せるしかなかったのだ。もうイオニスは彼女の側にいられない。
代わりに彼女は、いつまでもイオニスのことを哀れんでくれるだろう。リサのために彼女の敵を道連れにした男のことを。
自室や王の部屋へ続く隠し通路を、途中で右に折れる。
そこからは下り階段になっていた。
暗闇は深く、数段先までしか手に持ったランプでは照らせない。
揺れに備えて壁に手をつきながら階段を下る。その先にある銅色の扉は、何かの余波で内側からひしゃげるような形で開いていた。
向う側からは光が溢れていた。
ランプの明かりとは違う。おそらくは夜明けの光だ。
イオニスは扉の影から中を覗き、ランプをその場に置いて中に踏み込んだ。
曙光で熟れた果実のような色をした空を背景に、黒々とした姿をさらす悪魔がいた。その足下に、祭壇らしい場所で座り込む王妃の姿があった。
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