第22話 彼の誤算と彼女の涙3

   ※※※


 くくっ、と薄暗い部屋の中に笑い声が漏れる。

 壁にもたれたまま、イオニスは無骨な煉瓦の天井を見上げた。


「そうか、あれすらも己の血族ではなかったか」


 自分の薄情な部分は、欲しくもなかった子供を放置してきた王妃に似ているのだとばかり思っていた。


「しかし存外、あれはもっと冷たい女だったか」


 自分の子供を捨ててまで他人の子供をすり替えて、嘘を信じている王を見て溜飲を下げるような陰湿な趣味があるとは。


 おそらく、本当の子供は既にこの世にいないのだろう。

 望んだ結婚ではなかったと聞いている。彼女は国王に乞われてやむなく従ったと王妃の古参の侍女に聞かされていた。


 ――だから、どうかご辛抱下さい。


 年取った侍女は、そう言って母親にかまってもらおうとした幼いイオニスを制したのだ。

 何度も、何度も。

 国王に逆らえば、恋人だった相手や家族に類が及ぶ。それが怖くてカトリーナ王妃は嫌々ながら国王に嫁いだ。


 ――おかわいそうな方なのです。想い合っていた婚約者と引き裂かれて……。


 侍女からそれを聞かされて、イオニスは思ったのだ。

 ならば自分はかわいそうではないのか、と。


 望まなかった子供かもしれない。

 それでも王妃として在るために、世継ぎを産まなければならなかったことは理解できる。そうして誕生したはずのイオニスなのに、見向きもされない上、産まれながらに保護者であるはずの大人を気遣えと強制されるのは、かわいそうではないのかと。


 そんなイオニスを哀れに思った侍女もいた。

 彼女からイオニスはあの指輪の由来を知らされ……幼い子供だったイオニスは辛さのあまりに、夢をみてしまったのだ。


 もしかしたら、自分は国王の本当の子供ではないのかもしれないと。王妃の元婚約者との間の子ではないかと。

 そうであるなら、王妃が自分を疎んじるのも当然だった。秘密を知られてしまえば、王妃の地位は追われ、国王の逆鱗に触れて没落するだろう家族からも非難される。


 だから王妃はイオニスを堂々と愛することはできないのだ。

 そう思い込もうとした。


 国王の嫡子であるならば、王妃はその子を疎んじなければおかしい。

 なにせ嫌々ながら嫁いだことは皆が知っている。

 また、それを国王もうすうす知っているからこそ、イオニスに手をさしのべることなく、むしろ懐いてこようとした彼を度々手ひどく折檻したのだろう。


 夢を描き、それを信じようとしたのはほんの二・三年だったと思う。

 やがてイオニスは、子供らしく親の愛情を求める事はやめてしまった。自分の妄想に過ぎないとそう思えるようになったからだ。

 それほどまでに、王妃は冷たかった。

 二人きりになった瞬間でさえ、イオニスのことを疎んじて、周囲に人がいる時以上に言葉を交わすことも嫌がった。


 諦めたのだけれど、イオニスは自分の真の父が誰なのかは知りたいと思っていた。そして、立太子の前には明かしてくれるだろうと思っていた。

 もし王妃に国民全てを偽ることについて、良心の呵責があるなら。


 イオニスはその時を待ち――王妃は自分を幽閉するという暴挙に出た。


「あれが決定的だったな」


 少なくとも、自分の父親が元婚約者ではないことがわかった。愛していた男の子供ならば、密かに口頭で告げるだろう。


 次にイオニスが疑ったのは、国王の子供を産むのが嫌なあまりに、手近な男と不義密通をしたのではないかということだ。国王への当てつけのつもりだけで密通をした結果がイオニスだとすれば、幽閉も納得できた。


 しかしそれらは全て、イオニスの母親がカトリーナ本人だった場合の仮定だ。

 赤の他人である可能性を無意識に打ち消していたことを思い、イオニスは自分にもまだそんな可愛げがあったのかと自嘲する。

 期待することはやめようと、何度も思ったはずなのに……。


「まぁいい。これで私もなけなしの良心が痛むことはなくなる」


 魔法に溢れ、今よりもっと様々な力を持っていたはずの古王国を壊した悪魔を呼び出そうというのだ。

 まず間違いなく王城は倒壊し、あの二人が死ぬ可能性もある。


 さすがにイオニスも、親殺しとなるのは少々気が引けていた。だから赤色の鍵が勝手に反乱を起こせば良いと当初は思っていたが、あちらも自分を殺そうとしていたとわかったのだ。容赦する必要などない。


 どうせなら自らの手で葬るべきだろう。

 王妃としても、秘密が露見してしまうより、自分ごと秘密を葬り去れるのならば本望のはずだ。全ての元凶である国王ごと、いなくなればいい。


 そもそも、あの男が恋人のいる女に懸想して略奪しなければ、こんなことにはならなかったのだ。イオニスが己の子ではないとわかれば、あの国王も自分を殺そうとするだろう。


「明後日か……」


 二晩の間、王妃に殺されないようにしなければ。

 万が一あの牢番が剣を抜いて襲いかかってきたなら、どうにかして倒さなければならない。


 イオニスは自分の手を見る。

 二週間近く体を動かしていないのだ。握力も腕力も衰えて、以前のように動けるかわからない。


「リサから、何か借りておけば良かったかな」


 あの娘に、護身になりそうな古王国の品を売って貰えば良かったのだ。

 今になってそう思うのだが、先ほどはそうした考えすら浮かばなかった。まるで馬鹿みたいに彼女を見つめること以外、思いつかなかった。

 自分がおかしい。いつもと違う。


 貧しい暮らしに耐えながら生きているはずの彼女は、演技ではなくイオニスに同情しきった眼差しを向けてきた。リサ自身が泣きそうになるほど。

 彼女の顔を見た瞬間、子供だった頃に欲しかったものを思い出した。

 リサという人間として、それが目の前にあらわれたとイオニスは感じた。


 当時、全ての同情は王妃に集まっていた。成長してからは下心のために、皆は同情した振りをしてみせたのだと感じ、信用できなくなっていた。

 だけどリサは違ったのだ。自分に聞き知ったことを話す時でさえ、彼女は言葉を選んで苦しそうにしていた。


 その様子を見ているだけで、イオニスは満たされたような気持ちになったのだ。

 本当はずっとそうして、イオニスに同情させ続けたかった。かわいそうだと言い続けてほしかった。


 けれど切望し続けたものを手に入れたとたん、恐ろしくなった。

 そうしたら自分はもう、己の運命を翻弄した国王夫妻への復讐を果たせるとは思えない。

 満たされない気持ちが、復讐への原動力となっているのだから。

 イオニスは壁に背を預けた状態で、ずるずるとその場に座り込んだ。


「なぜ……」


 今までにも、イオニスに心から同情してくれた人間がいなかったわけではないと思う。けれどそのどれもイオニスの心には届かなかった。

 なのにどうして、リサの同情はこんなにも心地よく響くのか。


 最初はとるに足らない卑賤の娘と思っていた。

 赤色の鍵に王都を破壊する計画を持ちかけた瞬間さえ、王都の混乱に巻き込まれかねない彼女について、心配などしなかった。

 そもそも自分の出生について調べさせたのも、女一人ならば後でどうにでも口封じできると考えたからだ。


 けれどもう、そんな事はできないと自分で痛いほどにわかる。

 イオニスは開いたままだった手を握りしめた。

 この手に触れた彼女の頬の柔らかな感覚が、妙に残っているように思えた。

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