第36話 そして彼は陽光の下で3

「うわぁぁぁぁぁっ!?」


 どんどん大きくなっていきながら、キケルの体が少しずつ変化する。

 胴はもう少し長めに、前足が目立ちはじめ、後ろ足ともに鋭い爪が目につくようになる。尾羽は伸び、鞭のようにだらりと垂れた。


 クチバシのついた羽毛と翼があるトカゲ。

 そんな形になったキケルは、さらに結界を内側から破壊し、瓦礫を押しのけて大きくなっていく。

 リサ達はキケルのお腹の下に避難し、どうにか崩れてきた瓦礫から逃れる。


 そして気づいた時には、悪魔と匹敵しそうなほど巨大化したキケルがいた。キケルが体を一度震わせる。ざわりと体毛が青白く変化した。

 喉をそらして上げた声は、もはや小鳥のさえずりではない。獣の声だ。よく見ればクチバシの内側には噛まれたら即死しそうな牙が並んでいる。


「えええ。ヒヨコだと思ったのに……」


 リサはぼうぜんとするしかない。

 変種のヒヨコだと思っていたのに、月光石を飲みこんで光るどころか、人の血をすすって巨大化するとは思わなかったのだ。

 まさか、キケルも悪魔だったとかいうんじゃないだろうか。


 恐ろしい想像をして身震いしていると、キケルはちらりとリサを見下ろし、楽しそうに目を細めて飛び立った。

 祭壇から離れつつある悪魔へ向かって。


「きっ、キケル?」


 呟く間にも、キケルは悪魔にまっすぐ肉薄していく。それに気づいた悪魔が無数にある腕を振るう。長大になった翼でキケルは避けようとするが。


「危ない!」


 節のある足が蔓のように伸びた。回避しようとしたキケルの翼の上部をかすめていく。

 青白い羽毛が舞った。そして赤い血。

 それでもキケルは意に介さず、前足の爪で悪魔の足の一本を引き裂いた。

 青白い光の軌跡とともに、ちぎれた悪魔の足が落下する。その途中で灰のように分解して消えていく。


 なんだか理由はわからないけれど、キケルよくやった! リサは心の中で叫ぶ。

 きっと悪魔と対抗しているのだから、あの悪魔の仲間ではないのだろう。キケルが何なのかはわからないながらも、もうそれでいいとリサは思い切った。今を乗り切れるのなら、キケルが悪魔でもかまわない。

 そんなリサの隣で、イオニスが「まさか」と呟く。


「リサの養父が話していた聖なる爪を持つ者。あれがそうなんじゃないのか?」

「え……」


 キケルが? そう聞き返してしまったリサに、イオニスが続ける。


「聖なる爪を持つ獣が古王国の王を助けたんだろう? あの姿は書物で読んだことがある。おそらくクチバシを持つ竜ロストルムだ」

「ろすとるむ……?」


 耳慣れない名前をリサが繰り返すと、ユシアンがはっと息を飲んだ。


「竜の一種だ。昔はこのあたりに住んでいたって聞いている。その生き残りか?」


 二人の話をあわせると、どうもキケルは竜だったらしい。

 では、地下にあったあの卵はかなり昔からあるものだったのだろうか。


「そもそも君は地下であの卵を見つけたと言ったね、リサ。遺物だと思ったのに、急に孵化したと。そしてあの地下通路は王宮にほど近い所にあった。もし……万が一のためにロストルムを保存していたままになっていたとしたら? それなら悪魔に近い場所にあるのが自然だ。なにせ悪魔は封印しただけで、滅したわけではないのだから」


 リサは初めて卵を見つけた場所のことを思い出す。

 壁画の奥に隠されていた卵。

 封じた悪魔が、何時の日が蘇った時のためにそこに安置されていたのだと言われれば、確かにそうかもしれない。


 今頃になって孵化したのも、危機が訪れた時には、人の手が触れることによって目覚めるようになっていたのだろうか。

 いや、あのケーキをむさぼり食うキケルのことを思うと……ちょっと違う気がする。むしろリサが、なにげなくロストルムを発見して、偶然卵から還してしまっていたと考えるべきだろう。


「なら、それが血の契約だったわけだ」


 ユシアンがイオニスの肩を見る。引き裂かれた上着の隙間から、新しい小さな傷が覗いていた。

 では、急にキケルが猟奇的になったわけではなく、悪魔の出現により戦おうと思ったキケルが、血の契約を必要としてイオニスを襲った……ということか。


「じゃあ、父さんの話は本当だったんだ……」


 呆然と見上げるリサの視線の先で、キケルは戦い続けていた。

 少しずつ悪魔の動きに慣れ、縄のように捕らえようとする黒い足から舞い上がって逃れている。けれど無傷というわけにはいかない。


 再び飛び散った羽が、リサの頬をかすめていく。

 キケルは明らかに苦戦していた。彼が振り下ろす爪もまた、悪魔にかわされていたのだ。

 しかも本体にはなかなか近づけない。いかにその爪に力があっても、当たらなければ意味がないのだ。


「魔法使いが必要なんだ……」


 おとぎ話では、竜の他に魔法使いがいたはずだ。

 でも、古王国が滅びた後、魔法使いと呼ばれる人もまたいなくなった。


「でも代わりがある」


 リサは腰の革袋を探る。先ほどから何度か使っている、物質を消失させる翡翠色の石。

 それを握ったはいいけれど、キケルも悪魔も遙か上空にいる。どうやって届かせようと逡巡していると、悪魔が自分の周囲にまたも爆発を起こした。


「わっ」


 リサは思わずその場に伏せる。

 瓦礫が飛んできたけれど、まだ有効だったらしい結界が弾いてくれた。風が止むとともに、ユシアンが叫んだ。


「祭壇だ!」


 瓦礫が爆風でいくらか取り除かれたのだろう。祭壇の上部が見えるようになっていた。


「ならもう一度……」


 イオニスが立ち上がって祭壇へ向かおうとするのを、ユシアンが手で制した。


「僕がやる」


 しかし、とイオニスが言った。


「この祭壇は、そもそも古王国が作ったわけではない。古王国が崩壊した後……悪魔を呼び出した者の子孫である現王家の人間が、さらに強固に悪魔を封じ、また利用するために作ったものだ。ロストルムのことからすると、君は古王国の血を引いているんだろう?」


 それでは、イオニスと結果は変わらない。

 しかしユシアンは、首を横に振っていた。


「それなら僕の方がもっと適してる。……僕には王家の血が流れているから」

「え?」


「僕こそが、君と入れ替わった王子なんだよ、イオニス殿下」


 突然の告白に、リサもイオニスも目を見開いた。


「え……ユシアン。そんな」


 王子だったなんて、全く知らなかった。

 クリストさんの親戚で、マユリさんの息子。ずっとそうだと思って来たのに。


 でも……と、リサは思い出す。

 クリストが保護したと思われる王妃。初めて見たその人に、ユシアンの髪色は似ていた。

 そもそも、母親であるマユリとは目の色さえ違うのだ。それでも父親譲りなのかと考えていたのだが。


「あとイオニス殿下、君の母親は僕を育ててくれた人。幽閉されてからもずっと傍にいた、母のマユリなんだ」

「彼女が……母」


 イオニスはマユリのことを思浮かべたに違いない。

 脱出時のマユリの言葉が、リサの脳裏をよぎる。切ない声音で無事を祈ったマユリ。それはもしかして、自分の子だったからなのか。

 だとしたら納得できた。

 彼女は、イオニスが自分の子供だとわかっていたから、毒殺される前に脱走させようとしたのだ。


「王妃は、母マユリの夫に子供の交換を持ちかけたんだ。彼の夫はクリスト叔父さん同様、古王国の復権が至上の目的としてた人で……。千載一遇のチャンスだと思ったんだよ。子供をすり替えてしまえば、王子として自分達古王国の血を引く子供が即位することになる。そんなことに自分の子供は使えないと母マユリは反対したんだ。でもそれを押し切って、君は王妃の手に渡った」


 しかし間もなく、マユリの夫は事故で亡くなってしまう。

 さらにイオニスの状況が苦しいものばかりだとわかって、マユリは酷く苦悩した。自分の元から手放しても、王子として育てば何不自由なく過ごせると夫に説得されていたのに、現実はその反対になってしまった。


 けれど成長してしまった後ではすり替えることもできない。

 そんなことをしたら、誘拐したマユリともどもイオニスは殺されてしまう。


 苦悩しながら見守るしかない中、それでもイオニスは耐え抜いて、立太子されることになった。ほっとしたのもつかの間、幽閉されてしまったのだ。

 どんなにか辛かったことだろう、とリサは思う。

 閉じ込められた自分の子供を、すぐに逃がすことすらできないなんて。


「母は、王妃がこちらの顔を忘れているのをいいことに、君の世話係となって安全を図ってたんだ」


 許してやってほしい。そうユシアンは言って祭壇に近づく。


「だから僕の親は、君が恨んでいるあの国王夫妻だよ」


 腰のベルトに下げていたナイフで、ユシアンは掌に切り傷を作る。赤い血がにじんだ。


「この祭壇が王家の血を受け入れるなら、僕があの悪魔を支配できるはず」

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