第15話 彼女の探索5
硬直するリサの前で、ポケットから取り出して手に乗せていたキケルが目を輝かせる。
そしてイオニスが差し出したケーキに、豪快に顔を突っ込んだ。
「おい……」
イオニスもリサも、そのままケーキをむさぼるキケルを凝視してしまった。
二人が硬直している間にキケルはその周囲を食い荒らして小さな穴を開け、満足したようにクリームだらけの顔をひっこ抜いてこてりと横に寝そべる。
鳥にあるまじき態度で羽と足を伸ばして伸びをし、そのまま目を閉じてしまった。
リサはキケルを持った手をぶるぶると震わせる。
「け、ケーキが。こんな高級品に、頭をつっこんで……」
なんて罰当たりな。
日本に住んでいた頃を最後に、リサだってクリームたっぷりのケーキなんて食べたことが無かったのに!
贅沢な……と呟いていると、イオニスに呆れた調子で尋ねられる。
「鳥が先に摘んだ物だが、欲しいなら食べるか?」
「た、食べるっ!」
リサはイオニスの気が変わらないうちにと、差し出されたフォークでケーキをつつき、口に含む。
舌先に広がる、感動しそうなほどの甘さ。
思わず身震いするほど美味しい。
探索者になってから初めて食べて感動した、クリーム入りのパンなど目ではない。
もう一匙食べて、ふわふわのスポンジと甘酸っぱいベリーに頭がくらくらしそうになった。その間にイオニスが鳥の頭についたクリームを拭い、眠っているキケルを一時預かってくれた。
安心してケーキを堪能することに専念していると、すぐにケーキはなくなってしまう。
すると寂しさがこみ上げた。
昔、自分や両親の誕生日ごとに食べていた、ショートケーキが懐かしい。
もう二度とあそこには戻れない。戻る方法もわからない。だから諦めていたのだけど。
こうして郷愁をさそう物を口にしてしまうと……なんだかたまらない気分になる。
ふっとため息をついたリサは、視線を感じてイオニスの方を見た。
こちらを見ていたらしいイオニスは、何ともいえない優しいまなざしをしていて、リサは思わず心臓が跳ね上がる。
そんな綺麗な顔で、じっと見ないで欲しい。貧しさ丸出しでケーキを頬張ったことを恥ずかしく思いながら、リサはイオニスに皿を返す。
「あの、ありがとう。美味しかった」
「いいや。私は甘い物がそれほど得意ではないから。こんなもので喜んでくれるなら、またあげるよ」
「ほんとっ!?」
思わず笑みを浮かべて答えると、イオニスはくすくすと笑い出す。
「本当だとも。さぁ、皿を渡して……」
イオニスはキケルをリサの膝に置くと、皿を受け取ろうとしてリサの腕を注視する。
「どうかした?」
「珍しいな……と思っただけだ」
イオニスはリサから左手で皿を受け取って床に置くと、空いていた右手でリサの手首を掴んだ。そっと詰め襟のようなジャケットの裾をまくり、飛び出していたレースに触れる。
「あ、それね」
珍しいと思うのも無理もない。人生で着るのは二度目のドレスだ。
「これから王宮に忍び込むつもりなの。だけど探索者の格好のままだと、見つかったときに悪目立ちするでしょう?
その後に人に会う時も、貧民街の人間だと相手にしてもらえないかもしれないし。で、昨日人からこの服を貰ったから……。この格好、暗い時間なら王宮でうろついていても変じゃないよね?」
フードをとって膝下まで覆う長い外套を脱ぎ、ジャケットの前を開けて見せる。
せっかく何度も着れないような綺麗な服なので、今日はきっちりと風呂にも入ってきた。裾の辺りを膝丈まで上げて裾を縛っているのだけは、地下をうろつく関係上仕方ないだろう。
イオニスは立ち上がったリサを見て、しばし声を失ったようだった。
あんまりにも長い時間何も言わないので、リサは不安になってくる。
「えっと。やっぱり変? こんなのじゃ誤魔化せない……か」
やっぱり似合っていないのだ。
髪の結い方もわからずに解いたままとなれば、尚更のこと王宮に勤める人にすら見えないのだろう。
しかし髪を結う方法なんて、ポニーテールとおさげと、お団子しかわからない。日本ではゴムがあったから簡単に髪をまとめることができたけど、紐でなんとかしなくてはならないこの世界では、綺麗に結うのすら難しいのだ。
自分の思いつきが失敗だったと知ったリサはしおしおとうなだれ、脱いだ外套に手を伸ばした。
その手が捕まれる。
えっ、と声を出しかけたリサは、再び自分を見つめるイオニスの、何かを乞うようなまなざしと目が合った。
「誤解させて済まない。似合わないなんてことはない、リサ」
真摯な声で告げられたとたん、なぜか視界にイオニスの以外のものが見えなくなる。
今までかすかに続いていた、地下を吹き抜ける風の音も、全て遠ざかった。
イオニスの声だけが、はっきりと耳に届く。
「だけど髪は結った方がいいな。王宮に勤める女性は皆そうしている。そこに後ろを向いて座ると良い」
「うん……」
リサは何も考えられず、言う通りにする。
イオニスは自分の襟元に結んでいた藍色のクラヴァットを外すと、それを紐代わりにリサの髪を結い上げはじめた。
髪に触れるイオニスの手を意識して、肩が震えそうになる。それをリサは必死で押しとどめた。
時折地肌に触れる彼の指に、心が溶かされていくような錯覚をおぼえた。
そしてリサの髪を結い終わったイオニスが、肩に手を置いてささやいた。
「気を付けて。せめてドレスを着ている時は、もう、誰かに髪をほどいたところを見せてはいけないよリサ」
リサにはイオニスのその声音が、なぜかケーキよりも甘いような気がして、そんな自分に戸惑うのだった。
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