第17話 王宮に侵入します2
イオニスは病気ということになっている。
なので、誰か付き添いだと言って部屋に待機させられてるかもしれないと思ったが、違ったようだ。
素早く部屋の中へ忍び込んだリサは、暗くてもわかるその部屋の壮麗さに息を飲む。
天蓋つきの寝台は、自分の家くらいありそうだ。薄衣の覆いは月光のような白。壁は漆喰ではなかった。白木に細かな彫刻が一面に施され、精巧さに触れた指が震えそうなほどだ。
空気の泡一つ無い窓硝子からは、遠い城下の光が見下ろせる。点々とともる生活の灯がまるで星の光のようだ。
何一つとっても、全てに長い時間と高い技術がほどこされた物で溢れた部屋。しばし圧倒されたリサだったが、すぐに正気に返って部屋の中を探し始めた。
(確か、机の引き出しの裏……)
しかも底板の裏ではない。一番奥になる横板の裏だ。そこにいくつかのピンで止められた封筒を手に入れたリサは、急いで隠し通路へ戻ろうとしたが、
「……っ!」
気づかなかったが、部屋の前まで人が来ていたらしい。ドアノブを開ける音に、リサはとっさに寝台の下へ潜り込んだ。
明かりを持って入ってきた人物の、足が見える。足首より上の濃い色のスカート。女性……ということは、城の下働きかもしれない。
彼女が眠る者などいないイオニスの寝台に近づいてきたところで、リサは思わず悲鳴を上げそうになる。
しまった。寝台の下へ飛び込んだ時に、ドレスの裾をちゃんと引き込んでおかなかったのだ。
暗いおかげで女性はまだ気づいていない。けれど踏まれたらすぐ分かってしまう。
リサはそっと裾を引き寄せようとしたが、上等な絹は絨毯の上を滑ってシュルっと高い音をたててしまう。
「何者!?」
下働きの女性が誰何の声を上げ、寝台のリサに向かってナイフを突き出してくる。
咄嗟に避けたリサは、なんで下働きがナイフを持っているんだと驚き、次にそのナイフの刀身が青白く光っているのを見て二重に驚く。
相手は寝台を覗くようにしてナイフで再度刺して来ようとした。
寝台の下は狭くて、しかもドレスの裾が邪魔で避けにくい。
「解呪!」
咄嗟に叫んだ瞬間、相手の握っているナイフの刀身がりんと鈴に似た音と共に光となってほどけ、手に握られた柄だけになる。
刀身を形作っていた光で、リサは相手の顔を確認して息を飲んだ。
「ま……マユリ、さん?」
ランプの明かりに照らされた淡い栗色の髪。紫に近い色の瞳が戸惑うように揺れている。
王宮の、しかも王子の部屋で、リサと会うとは思っていなかったのだろう。
ユシアンの母親である彼女は、既に四十代にさしかかっているというのに、今なお可憐さを失っていない。そのたおやかと表現できそうな所作と相まって、服装さえ改めたなら身をやつした貴族の夫人のように見えるだろう。
持っていた懐剣に近いナイフは、リサがユシアンから見せてもらったことのあるものだ。だからリサは呪をとなえたのだ。
刀身を消してしまえば、武器とはわからなくなる。ユシアンは最近物騒だから母に持たせるとそう言っていたのだ。
「リサちゃん? なんで……ここに」
お互いにしばし見つめ合ってしまう。
「マユリさん、どうして……」
マユリがここにいるのはなんとなくわかる。城で勤めている人なのだ。しかしリサの方は疑いもなく不法侵入者なのだ。
何か言わなくては。
焦ったリサは、口から出任せで言い訳した。
「あの、その……地下を通ってちょっと貴族様の屋敷に出て聞き込みをしようとしたら……間違ってここに。あの、ここってどこですか?」
マユリはまだ驚きから脱しないまま、応える。
「ここは王宮で……。イオニス殿下のお部屋よ。今ちょっと殿下は訳があっていらっしゃらないんだけど、ご不在を病気ということで隠しているの。
でもそうすると世話をする者が宿直していないとおかしいけど、侍女は貴族の子女だから親兄弟に知らせてしまうかもしれないからって、お金で口をつぐみそうな私が泊まり込みしていて」
話しているうちに頭の整理がついたのか、マユリは苦笑いした。
「それで、その服を着てるのね」
彼女はリサの着ているドレスを指さして、意外なことを告げた。
「昨日うちのユシアンがあげたんでしょう? 聞いたわ。古王国に関わる集団の聞き込みをしてて、貴族の家に忍び込んでたって」
ユシアンと貴族の家で鉢合わせしたことを聞いていたらしい。上手く誤解してくれて、リサはほっとした。
「でもよく似合ってるわ。その家の方から、お嬢様の着古したドレスを品代の代わりに一着譲って貰ったって聞いたわ。うちの子もそれなりにセンスがあるみたいね」
「え? わざわざ譲ってもらったんですか!?」
思わず大きな声を出しそうになる。
確かにクリストは穀物以外にも、品代として様々な物を引き取って扱う事が多い。古王国の遺物に傾倒したのも、その流れで収集をはじめたからだと聞いていた。
だから他の屋敷を回ってる時に、たまたま受け取ったドレスがあったのだと思っていたが、わざわざリサの為に譲って貰ったのだとは思いもしなかった。
「ああ……もっとちゃんと御礼しないと」
顔を覆って呻くリサに、マユリが笑う。
「それなら、もう一度息子の前で着て見せてやってちょうだい。さ、そろそろ戻りなさいリサちゃん。医師もそろそろ巡回しにくるわ。代わりに殿下のことは内密にね」
「あ、うんそうですね」
うなずいてリサは寝室から隣の部屋への扉を開いた。
「マユリさん、それじゃ」
「もう夜遅いから、気を付けて」
柔らかな笑みに送られて、リサは執務室へと戻る。
急いで隠し通路へ戻りながらふと思う。
「マユリさんて、理想のお母さんて感じだなぁ」
養父が拾ってくれたから寂しくなかったけれど、母親の存在は正直うらやましいと、ユシアンを見る度に思っていたのだ。
取り返しのつかない過去を思うのはやめ、リサはおいていた外套を羽織り、未だすやすやと眠っているキケルを確認してから、封筒の中身を確認する。
中から転がり出てきたのは、指輪だった。
「大きな石……」
指の太さほどある卵形の石が指輪についていた。落とさないように人差し指に填めて、それをもっとよく見ようとランプの光に近づけた。すると、指輪の石から虹色の光が溢れ出す。
「……っ!」
最初驚いたリサだったが、すぐにその光に見せられる。薄絹が舞うように曲線を描いて広がる虹が、いくつも空中を踊っている。
光の妖精の舞いかと思わせる光景は、ランプから遠ざけるとふっと消え失せた。
夢の時間が終わると共に、リサは改めてこの指輪が普通のものではないことを知る。
「まさかこれ、古王国の発掘品?」
一国の王子が持っていても、遜色のない代物だ。そうであるなら、なおさら隠されていたことが気になる。
リサはこれから会いに行く相手が女性であることを思い出し、ふと胸に感じた小さな痛みと共に推測を呟く。
「身分差のある恋人に、自分は無事だと知らせるため……とか?」
現在幽閉中のイオニスは、隠している恋人がいたとしても無事を知らせられないだろう。そのために王宮にリサを忍び込ませたのだろうか。
「それならつじつまが合う、か」
いやでも、イオニスは犯人のことを調べるためと言ったではないか。
自分で自分の考えを否定しながら、次の目的地を確認しようとイオニスに託された封書を開いた。
一枚は地図と人の名前が書かれている。きちんとした都民らしいその女性は、大通にほど近い場所にある家で暮らしているようだ。
更にもう一枚。
彼女に尋ねるべきことを印された紙は、三つ折りにされていた。逡巡しかけて、何で自分がそんなことを怖がるのかと気持ちを奮い立たせ、紙を開く。
そして目にした文章から、リサはしばらく目を離せなくなった。
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