第20話 彼の誤算と彼女の涙1

 その合図は、いつも大聖堂の鐘が十五回鳴るころにしていた。


 しかし今日は違う。

 眠っているかもしれない。それで気付かなかったら、明後日に延ばそう。

 そう考えながら、リサはためらいつつ煉瓦の壁を叩いた。


 ややあって、煉瓦が向こうから引き抜かれ始める。一つ一つ取り払われる重たい煉瓦がリサの気持ちも重くしていき、イオニスを手伝う手が時々止まった。


(なんて言おう。どう言おう)


 リサの戸惑いとは逆に、イオニスはさっさと穴を開けてしまう。


「さ、頼み事の結果を聞かせてくれないか?」


 穴に肘をついて顔を出したイオニスに促されるが、リサは喉にものがつまったように声が出せない。

 するとイオニスが手を伸ばし、リサの口元を覆っていた首巻きを外し、フードまで取り去ってしまう。


「えっ、ちょ、なんで……」


 驚くリサに、イオニスは微笑んだ。


「その顔からすると、私の考えた通りの結果を相手から引き出せたみたいだね、リサ」


 リサは息を飲む。そして感情が出やすい自分の顔を呪った。

 きっと困惑して苦虫をつぶしたような表情になっているはずだ。そのリサの頬に、イオニスは楽しげに指先で触れてくる。


「聞かせてくれ。私の父親は、一体誰だと言っていた?」


《私、イオニスの本当の父親の名前を尋ねること。その指輪は、本当の親から贈られた物だと乳母を追求して認めさせている。尋ね先のイリーシャ・ハンセンは私の出生に係わっていた助産師だ》


 手紙に書かれていた内容を思い出し、リサは唇が震えるのを止められずにいた。それでも、知りたいと願ったのはイオニス本人だ。


「イリ―シャは、全部話してくれたわ」


 寝入りばなに訪ねてきたリサを、イリ―シャは嫌な顔一つせずに迎えてくれた。助産婦だっただけあり、深夜に呼び出される事には慣れていたようだ。

 王子の使者だと言うと、イリ―シャは顔を蒼白にし、最初に本当に王妃の使者ではないのかと確認してきた。どうも王妃はイオニスの出生に係わる人を、秘密裏に処分してきていたらしい。

 イリーシャは出生の時に立ち会った医師から逃げるように言われて、髪を染めて親戚もいない土地へ逃げていた。

 その後結婚し、今は名前もイリーシャから変えているため、夫の仕事のため王都へ移り住むことにしたようだ。

 今まではそれで、見つからずに暮らせていたのだけど。


 怯える彼女にイオニスの署名入りの手紙を見せると、ようやくリサを家の中へ入れてくれた。

 夫は既に亡く彼女一人で暮らしているという。リサがイオニスに言われた通りの言葉を告げて指輪を見せると、イリ―シャは深いため息をついた。


 最初は彼女も渋っていた。けれどイオニスが重病らしいといううわさ話に乗じた言葉が効いたのかもしれない。

「死んでしまう前に、全てを知っておきたい」そうイオニスが言ったと伝えたとたんに、彼女は流れる水のように全てをはき出したのだ。


 そして聞いた内容は、おそらくはイオニスの予想さえ超えていた。

 リサは絞り出すように、彼に告げる。


「イリーシャさんは、あなたの父親については何も知らないって。ただ……」

「ただ?」


 落胆した表情さえ浮かべずに、イオニスが聞き返してくる。


「お母様は妃殿下でもない、と。王妃の侍女が、別の子供とすり変えるのを偶然見たと言ってた」


 さすがのイオニスも、目を見開いて息を飲んだ。

 それはそうだろう。つい先頃まで王宮の医師の元で働いていたイリーシャによると、イオニスは国王と顔が似ていないことで噂になっていたらしい。


 けれど、王妃は政略結婚で嫁いできた人だ。

 間もなく懐妊した彼女が不義を働けるわけもないからと、人々の噂は城下までは伝わってこなかったようだ。

 しかし、イリーシャの証言通りならイオニスが国王に似ていなくても不思議ではない。

 同じ時期に産まれた子供と、取り替えたのだから。


「あの、イオニス……」


 気を落とさないで、というのも何か違う。だけどリサは何か彼に言ってあげたかった。

 自分は親と離れ離れになった子供だ。だからわかる。本当の親だと思っていた相手が違うとわかった上、本当の両親には手放されたのだと知ったら……傷つくだろう。


 リサは優しい養父に拾ってもらえたが、イオニスはどうだったのだろう。

 今になって本当の親が気になるということは、王妃や国王とは家族として上手くいっていないのではないだろうか。


 しかも王妃が子供を出産したのは確かなのに、何故子供を取り替えたのか。

 おそらく、国王に恋人との仲を引き裂かれた王妃が、自分の血を継がない子供を王子として遇さねばならない姿を見て、自分の心を宥めていたのだろうとイリーシャは言っていた。


 子供を取り替えた侍女は、その後すぐに死んだと、イリーシャは言っていた。彼女が王都に戻って来てから知ったそうだ。おそらくは、秘密の露見を恐れた王妃に殺されたのだろう。


「指輪はね、本当のお母さんが子供に持たせてやってくれって。で、王妃様が高価そうだったからって……」


 王子に持たせておいても不審がられないだろうと、指輪を与えることを見逃した。そう言おうとして、リサは言葉に詰まる。

 もしこの指輪がただの銀や小さな宝石だけのみすぼらしい物だったら、イオニスは親の形見さえ受け取ることができなかったのだ。


 リサは頭を絞って考えた。

 でも気の利いた言葉が浮かばずに、なんだか息苦しくなって目に涙が浮かんできた。

 自分だって沢山辛い思いもしてきたはずだ。それなのに、肝心なところで言葉にならないのはなぜだろう。


 うつむいてしまうと、頬に触れたままだった手に顔を上向かされた。

 イオニスは笑っていた。

 優しいのに心が痛むような笑い方に、リサは呆然とする。どうしてこの人は、苦しいはずなのに笑うのだろう。

 問いかけられないままのリサに、イオニスは告げる。


「今日はお帰りリサ」


 頬にあてられていたイオニスの手が、滑るように移動して肩を包む。


「もうこの穴も私が抜け出せるだけの広さになったし、知りたいことは分かった。明日は新月だから月光石は使えないし、私も少し準備が必要なんだ。三日後、いつもの時間に脱出を手伝ってくれ」


 促され、リサはイオニスの前から立ち去った。

 頭の中は何もできない自分への情けなさで一杯で。

 だからユシアンが自分を追いかけて来ていたことや、イオニスと会っている所を目撃していた事など、何一つ気づかなかった。

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