第4話 地下迷宮の王子様3

「えっ、な、なにを……」


 彼の手には指輪一つないものの、袖が上質の布だったことで、リサはうろたえた。

 土が天井から落ちて来る場所を通って来たので、掴んだところが汚れてしまうかもしれない。元の世界ではそんなことはなかったけど、この世界で養父に拾われて以来、何度も怒られたのだ。

 汚い貧民街の子なのに、私に触らないで! と。


 そもそもリサに、お金持ちの若様がお願いがある、というのが信じられない。


「僕がここから出る手助けをしてほしい」

「ここから出る?」


 わけがわからず復唱すると、青年は「ああ、こんな穴じゃこっちの様子は見えないか」と、リサの腕を放し、ぐらぐらとしていた上の煉瓦を外そうとする。思わずリサも手伝って、上二つの煉瓦を外した。


 さすがにそれ以上はどの煉瓦もぴくりとも動かず、青年は少し残念そうにしていた。

 彼に促されてリサが向こう側をのぞき見ると、そこは地下室のような場所だった。書棚もあり、立派で大きな寝台もある。

 飴色の文机も据えてあり、明かりは四方八方に置かれてかなり明るい。どの家具にも芸術的な彫刻がほどこされて、簡素な自分の家や石の地下ばかりを見てすごしてきたリサには、くらくらしそうなほど華やかだ。


 様子が違うのは、扉と壁だ。

 扉は鉛色の、のっぺりとした鉄の扉になっている。壁は普通、大きな商家や貴族の家は真っ白な漆喰に覆われているはずだ。なのにむき出しの煉瓦の壁なので、違和感をおぼえる。

 一通り見渡したのを見計らってか、再び青年が顔を覗かせた。


「ここは王宮の地下だ」

「お、王宮?」


 今まで全く縁のない単語に、思わず復唱してしまう。

 この世界には王様がいると聞いていたし、ちょっとは見てみたいと思ったことはあるのだ。

 ……この世界に転移したばかりの頃だけ。


 なにせ王宮は貧民街の住人を最も毛嫌いする場所だ。

 でも、高価そうな家具がある理由は納得できた。それに王宮なら、地中深くに地下室を作ってもおかしくはない。

 考えてみれば、自分が歩いた距離と曲がったりした経路からして、ここは王宮に近い場所ではあるのだ。


「私はもう一週間、ここに閉じ込められている」

「王宮の地下に閉じ込め……って、何か悪いことしたの?」


 もしかして自分の目の前にいるのは犯罪者か、とリサは怯える。いや大丈夫だ。危険人物なら、問答無用で穴をふさいで逃げてしまえばいい。この小さな穴なら、彼は無理やりここを通って出られはしないのだから。

 すると青年は自虐的な笑みを浮かべた。


「悪いことか。本来なら私は、多少の悪行ぐらいでは裁かれるはずのない人間なんだよ」


 そして彼は自己紹介してきた。


「私の名はイオニス・ヴァイル・ハールフェルト。この国の王子だ」



 イオニスが幽閉されたのは、父王の即位二十年式典の後だった。

 国内中の家臣を集めて行われた式典は壮麗で、その前後には連日舞踏会が開かれるなど、賑やかなものだった。

 そのため王宮内は人目こそ多いものの、使用人達に至るまで全ての人間が忙しさで周囲に気が回らない。そんな空白を狙ったかのようにイオニスは拉致された。


 幽閉した人物の意図は彼にもよくわからないという。

 身の回りの世話をしにくる女に尋ねようにも、付き添ってくる兵士に厳しく監視された上、会話すら禁止されている。

 彼はわけがわからないまま、この一週間をすごしていた。


「だからまず教えてくれ。私に関して、市井でどう噂されている?」

「え、噂って言われても……」


 リサは何も知らなかった。王子様が幽閉されたなんて話題は、耳にしたことがない。

 というか、王都中のつまはじき者である貧民街の人間に、そんなことを聞いてくれるなと思う。


「そもそも王宮の話なんて、すぐには私たちの所まで伝わってこないよ。城の使用人や出入りの商人が話して、他の人達に広まった後で、通りすがりに耳にするくらいだもの。それでもまぁ、貴方が本物だっていうなら、一週間も噂すらされてないってのは変だと思うけど」

「私は間違いなく本物だ」


 まだ疑っている様子のリサに、イオニスはそう言い切った。

 その表情にややいら立ちが見られる。


「や、でも私王子様の顔なんて知らないし」


 嘘をつかれたって、真偽は判断できないのだ。


「私の顔を知らないとは……」


 イオニスはショックを受けた顔をしたが、すぐに真顔に戻る。


「そもそもお前……名前は?」

「リサ」


 名乗ったからといって、別に問題はないだろうと正直に話した。


「ではリサ、どうしてこんな所の壁に穴を開けようと思ったんだ? お前のいる場所はどこかの穴のようだが、城の抜け道にでも忍び込んだ盗賊か?」

「ちょっ! 失礼なこと言わないでよ!」

「ば、ばか、大きな声を出すな!」


 イオニスがとっさに手を伸ばしてくる。そしてリサの口を覆い、自分は背後を気にしていた。しばらくお互いにそのままじっとしていたが、どこからか人が来る様子もなかった。

 イオニスはふっとため息をつきながら、リサの口をふさいだ手を離した。


「盗賊呼ばわりしたことは済まなかった。なぜ、ここにいるのか教えてほしい」


 謝られた彼女は少し溜飲を下げ、自分のことを話す。


「私は遺跡の探索者よ。魔法の遺物を探して売って生活してる。ここはそんな地下遺跡の中にある空洞の一つなだけで」


 淡々と説明したリサに、イオニスはもう一度済まなかったと言ってくる。


「それについては聞いたことがある。すると君の側は地下遺跡の一部なのか……」


 イオニスは壁を見回す。


「そこに道があるのは分かったが、誰にもバレないように壁の穴を広げるのは難しそうだな。それができても、逃げ場を確保しなければ面倒なことに……」


 ぶつぶつと呟いたイオニスは、再びリサに視線を向けてくる。


「とりあえず頼みがある」


 そう切り出したイオニスは、報酬はこれで、と腕輪を外してリサに渡してくる。

 リサのランプでもまばゆく輝く金は、異常に純度が高そうだ。あげくに紅玉がはめ込まれている。


「ちょっ、そんな、こんな高い物に見合う頼み事なんて、怖くて受けられないよ!」


 これを売ったら、リサは向こう三年ぐらい働かずに暮らせる。

 そんな物と引き替えの仕事となれば、人殺しに手を染めるくらいしか思いつけない。たとえイオニスが本物の王子でも、そんな危ない事はごめんだ。

 怯えるリサに、イオニスは微笑む。


「別に様子を探って、教えて欲しいだけなんだが……かと言って、私はこれ以外あまり金になりそうなものを持ってない」

「じゃ、じゃあそれでいい」


 リサはとっさに指さした。イオニスの袖のカフスボタンだ。


「これが?」


 不可解そうな表情になるイオニスに、リサはこくこくと頷いてみせた。


「一応それも金なんでしょ? これなら売るときに『どっかのお貴族様が落とした』って言い訳できるもの。むしろ言い訳できないようなもの渡されても、私が怪しまれるじゃない。本物の王子かどうかは別として、あなた捕まってるんでしょ?」

「なるほど。そういうものなのか」


 イオニスは納得して左袖のカフスを渡してくれた。


「で、何を頼みたいって?」

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