15

 ヘルマン達、第一王女アンジェリカを警護する小隊は慌ただしかった。何しろ、第一王女のプルガトル行きが5日前というかなりギリギリで決まったからだ。


 今回のプルガトル訪問は、17歳になる第三王子の結婚準備のためのものだ。古くから親交が深いアルビリオン王国とプルガトル王国は、頻繁に交流している。その中でアルビリオンの第三王子と、プルガトル第五王女が恋仲となった。


 この度めでたく正式に婚約し、結婚する流れとなる。本来ならプルガトルの第五王女をアルビリオンに迎えるのだが、今回は事情があってそうはならない。


 プルガトルの王族は王子に恵まれず、ようやく生まれた皇太子は現在7歳。しかし、プルガトル国王は現在49歳である上、大病を患い政務もまともにできていない状態だ。


 そこでやむなく皇太子8歳の誕生日に国王になることが決まっている。その幼い新国王を支える役目として、表に立つ役割をアルビリオン第三王子が担うことになるのだ。


 第三王子のプルガトル訪問に、直前になってついていくと言い出したのがアルビリオン第一王女アンジェリカだ。彼女は結婚適齢期でアルビリオンの社交界へも頻繁に顔を出しているのだが、なかなか本人が納得する相手が見つからない。それもアルビリオン国内で選ぶとなると、どうしても王族と縁を結びたい貴族がやってきて、恋愛感情が後回しになってしまうからだ。


 そんな状態に辟易していたアンジェリカは、歳も近く仲の良い第三王子がプルガトルに行くことに着目し、そこならば自分も自由に恋愛ができるのではないかと、ついていくことを申し出た。ヘルマン達騎士にとっては迷惑な話だが、アルビリオン国王は娘にひどく甘い。一も二もなく帯同を許し、自らの婚活のためにプルガトルに行くことが決まった。


「アンジェリカ王女にも困ったものです」


 仕事中、ついガリオがそう零す。


「普段は明るくて気さくな方ですが、どうも行動が突拍子もなくて。特に恋愛に関しては」

「……そうだな」


 ヘルマンも小さく同意した。


「ヘルマンさんも新婚なのに、大変ですよね。実は僕もエクレールと劇を見に行く約束をしていたんです。それがダメになって、どう言ったものか……。たぶん、エクレールは『仕方ないよ』って言ってくれるとは思うんです。でも、怒られないのもそれはそれでキツイというか……」


 ガリオは相当参っているようで、愚痴を続ける。


「プルガトルでお土産を買ってこないと、愛想をつかされてしまうかもしれません。お土産を買う時間があればいいんですが。ヘルマンさんも買いたいですもんね、ルーテシアさんに」

「……そう、だな」


 ヘルマンは一応ルーテシアから借りてきた本に目を落としてはいるが、目は動かずに一点だけを見つめていた。


「きっと寂しがりますよ、ルーテシアさん」

「どうだろうな」


 ようやく本から顔を上げて、パタリと閉じる。


「ここだけの話ですが、僕はアンジェリカ王女がプルガトルの人と上手くいかないことを祈っています。もし、結婚することになんてなったら、近衛騎士として選ばれるのはヘルマンさんなんじゃないかって噂ですよ」


 アルビリオン王国では、正式な近衛騎士がつくのは男性の王族だけだ。だが他国へ嫁ぐ女性王族だけは例外で、近衛騎士が数人選ばれ、連れて行くことになっている。


「そんなことはないだろう。もっと優秀な人間はいる」

「いえ、僕もヘルマンさんは必ず選ばれると思っていますよ。闘技祭でも、ヘルマンさんの剣さばきは王族の目に止まっていたという話ですから。……はあ、ヘルマンさんがプルガトルに行くなんて嫌です。ルーテシアさんだって、故郷を離れることになってしまいますもんね」

「ルーテシアは……きっとついては来ないだろう」

「なんでですか!?」


 ガリオは驚いた声を出してまじまじとヘルマンを見た。


「ルーテシアは王立図書館の司書として責任感を持って働いている。プルガトルになんて行きたがらないだろう」

「それは……」


 ヘルマンは表情を変えないが、ガリオは暗い顔をする。


「お二人が離れるなんて、想像つかないですが」

「……今は考えても仕方ない。王女の結婚が決まったわけでも、近衛騎士に選ばれたわけでもないからな」

「それもそうですよね。すみません、勝手な想像を」


 ガリオは無理に明るい声を出したが、どこか悲しそうな表情のままだ。


「それより、今日は先に上りたいんだが」

「はい、残りはやっておきますね。ルーテシアさん絶対に寂しがりますから、今日は一緒にいてあげたほうがいいです」


 ガリオは力強く言うが、ヘルマンはそれには答えずに「お疲れ様」と、だけ言って部屋を出ていった。




 その日の夜、ルーテシアは家の食堂でそわそわとしながらヘルマンの帰りを待っている。「また、夜に」と、言われたのだから、待っていてもいいのだろうと判断した。


 ヘルマンはいつも「遅くなるので」と、ルーテシアが待っていることを断っている。だから夜にこうして会えるのは久しぶりのことだ。


 ルーテシアが『アルビリオン闘技祭の歴史』という、成り立ちから観客動員の推移、歴代優勝者の名前が書かれた主催者が読むような専門書を読んでいると、いつもよりも早くヘルマンが帰ってきた。


「旦那さま、お帰りなさいませ」


 いつもなら本に集中して帰宅に気がつかないところだが、今日はすぐに気がついて立ち上がる。


「ただいま帰りました、ルーテシア」


 ヘルマンはしっかりと名前を呼び捨てで呼ぶ。


(聞き間違いじゃなかった──)


 ルーテシアはそう思い、頬を薔薇色に染めた。


「今日は仕事中に突然お邪魔して申し訳ありませんでした」

「いえ、とんでもない! ヘルマン様のお仕事のお役に立てたならばよかったです」

「とても役に立ちましたよ」


 ルーテシアの向かいに座ったヘルマンが食事を始める前に、不安に思っていたことを尋ねる。


「あの、ヘルマン様。もしかして、プルガトルへ行かれるのですか?」

「はい。5日後から、12日間です」

「12日……」


 目の前が暗くなりそうだ。そんなに長い間会えないことは、結婚してから今までなかった。


「ルーテシアは実家に帰ってはどうかと思うのですが」

「そうですね……連絡を入れておきます」


 ヘルマンのいない家で一人きりというのは耐えられそうにない。ルーテシアは言う通りにしようと思った。


 ルーテシアはヘルマンの様子を伺うが、やはり表情はいつもと同じだ。名前の呼び方が変わっても、自分と同じように寂しいとは思ってくれないのだと思うと、たまらなく切ない。


 ヘルマンは食事を始める。いつもならルーテシアが喋り倒すところだが、そんな気にはなれずにただ見ていることしかできなかった。


(いつの間にこんなに欲張りになってしまったのだろう……)


 ルーテシアは遠い目をして思う。少し前までは話ができたら飛ぶように嬉しくて、一方的であっても一緒にいられたらそれだけでよかったはずだ。


 それなのにヘルマンに対する気持ちが大きくなるにつれ、反応がほしくなってしまっている。考えれば考える程、物悲しさが胸に広がって泣き出したくなった。


 何も喋ることがないまま食事は終わる。ルーテシアは明日も朝から仕事なので、二人はすぐに立ち上がった。


 食堂を出て、歩きながらヘルマンが声をかける。


「戻ったら……」

「?」


 そこで、久しぶりにルーテシアはヘルマンを見た。しかし瞳に生気はない。


「戻ったらおそらく休みがもらえると思うので、前に言っていた料理でも一緒にやりましょうか」

「……本当ですか?」


 ほんの僅かだけルーテシアの声が持ち上がる。


「はい、教えますよ」

「楽しみに、していますね」


 ルーテシアは笑ったが、笑顔は弱々しい。そのまま二階に上がり、それぞれの寝室へ向かうところまでやってきた。


「それじゃあ……」


 ヘルマンが出るのはあと5日後だというのに、ルーテシアは今日別れるような気持ちで泣きそうになる。向かい合ったまま動けずにいると、一瞬ヘルマンの表情が揺らいだような気がした。


「ヘルマン様……!」


 それは衝動的だった。たった12日だが会えなくなる寂しさと、どうにかこちらを振り向いてほしいというもどかしさが、ルーテシアの両手を伸ばす。ルーテシアは思い切り背伸びをしてヘルマンの首に両手を回し、自分から抱きついた。


 振りほどかれるのが怖く、ルーテシアは固く目を閉じる。なんて子供のようなことを、と後悔の気持ちがじわりと胸に去来した。


 それはすぐに消し飛ぶ。ヘルマンもルーテシアの腰と背中に手を回し、同じくらいの力で抱きしめたからだ。


(ヘルマン、様……!)


 自分の心臓が大きく脈打つ音だけが聞こえる。あまりに大きな振動で、ヘルマンに気がつかれてしまわないかと気が気ではなかった。


 だが自分の感情がヘルマンにしっかりと受け入れられたようで、ルーテシアはこわばっていた心が溶けていくような気がする。


「私が、いなくなって……」


 抱き合ったままヘルマンがルーテシアの耳元で静かに呟く。


「寂しいと、思ってくれるのですか?」


 ルーテシアの瞳から一滴涙が溢れた。


「……もちろんです」


 涙声でルーテシアはそう答える。ルーテシアの腰と背中に回された手に力がこもった。


 ヘルマンの腕の中にしっかりと収まったルーテシアは、そのまましばらく涙を流していた。

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