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オベロスタは上機嫌だった。最近ルーテシアの反応が面白いからだ。
ルーテシアの状況に似た恋愛小説を貸した効果なのか、どうやら自分の気持ちを自覚したらしい。旦那さまの話を振れば露骨に顔を赤くして口ごもる。恋愛に無縁だったルーテシアが、短期間でここまで変化するとは正直思っていなかったので、楽しくて仕方がない。
そんなルーテシアが今日は珍しく難しい顔をしている。オベロスタはまた面白い話が聞けるんじゃないかと、仕事後を狙ってルーテシアに声をかけた。
「ルーテシア、最近旦那さまとはどうだい?」
「オベロスタさん……」
ルーテシアは僅かに口角を上げたが、表情は曇ったままだ。
「私、旦那さまと前よりはちょっとだけ仲良くなれたんじゃないかなって思うんです。もしかしたら私の勘違いかもしれませんが……。でも結婚当初よりは、たぶん少しだけ。いや、でも、」
「うん、それで?」
本題に入るまで時間がかかりそうだったので、オベロスタは先を促す。
「はい、そうなんですけど、私気がついてしまったんですよ。ヘルマン様と丸一日一緒に過ごしても、笑顔どころか表情1つ変わったところを見られていないんです」
「ふーん、なるほど。手強いね」
突飛もない行動や発言をするルーテシアを見て笑わずにいられるなんて、オベロスタには考えられない。
オベロスタはヘルマンと直接話したことがないので人となりはよく知らないが、ルーテシアを見て笑わないでいられる理由を推測してみる。そしてもしかしたらルーテシアの片想いなんじゃないか、という懸念を持った。恐らくルーテシアも同じ不安を持ち、こうして悩んでいるのだろう。
「どうしたら笑っていただけるのか……考えてはいるんですけれど、次の手がなかなか思いつかなくて」
「そうだなぁ……」
からかいがいのある後輩がこうして悩んでいては面白くない。オベロスタも真剣に考える。
「突然くすぐってみて、笑わせるのはどうだい?」
「く、くすぐる!?」
ルーテシアは自分がヘルマンの脇腹に触れてくすぐることを想像した。一度も自分からは触れたことがないので、好きだと自覚した今、それをしようと想像しただけで顔から火が出そうになる。
「そんなの無理です!」
「そうかぁ」
オベロスタはルーテシアの反応に満足した顔で頷く。
「じゃあ、笑える話でもしてみたらどうだ?」
「笑える話? 例えば?」
「そうだなぁ……あ、そうだ。この前ルーテシアがカウンターで眠気と戦っていた時に、結局勝てなくて白目を剥きながら船を漕いでいた話は?」
「もう! そんな話、できるわけないじゃないですか!!」
ルーテシアは顔を真っ赤にして怒って、オベロスタから離れていってしまう。
「いいと思ったんだけどな」
オベロスタは首を傾げて一人そう呟いた。
いい解決策が見つからないまま翌朝になった。ルーテシアは朝から難しい顔をして考え続けている。
オベロスタが言ったエピソードは別として、面白い話をして笑ってもらうというのはいいかもしれない。と、昨夜からいろいろと思案しているのだが、どの話もヘルマンが笑うところが想像できない。町の本屋にでも行って笑える本でも探してみようか、と考えながら、ルーテシアは家の食堂に入った。
「おはようございます、ルーテシアさん」
「きゃあ!!?」
突然今まで考えていた本人に声をかけられて、ルーテシアは悲鳴を上げる。見ると、食卓についたヘルマンがいた。
朝にヘルマンがいて、こうして悲鳴を上げてしまうのは二度目だ。旦那さまに対して失礼なことだし、一緒に住んでいるのだから食堂にいてもおかしくはない。いい加減慣れなくては……と、思いながらルーテシアは何事もなかったように、
「おはようございます」
と、挨拶をして、ヘルマンの向かいに座った。ヘルマンは騎士服姿ではなく、ゆったりとした服装をしている。
(どんな格好をしても素敵だわ)
ルーテシアはそんなことを思い、頬が赤くなりそうになった。その上、前回はじめて一緒に出かけてから、はじめてこうしてちゃんと顔を合わせる。
朝からヘルマンに会えると思っていなかったこともあって、心臓がバクバクと暴れ回っていた。だが意識しすぎて何も喋れなくなってしまっては、何かあったのかと気がつかれてしまうかもしれない。そうならないために、慌てて口を開く。
「今日はどうかなさいましたか?」
「ええ、ルーテシアさんに伝えたいことがありまして」
いつの間にかルーテシアと名前を呼ぶことが定着している。そんなことにも気が回らずに、ルーテシアはヘルマンの言葉を待つ。
「今度、騎士の家族向けの公開訓練があるんです。興味がなければ不参加で構いませんが、一応伝えるだけ伝えておこうと思いまして」
「家族向けの公開訓練、ですか?」
初めて聞く話だったので、ルーテシアは聞き返す。
「はい。年に二度程、騎士は家族だけを招待して訓練を公開します。家族であれば誰でも参加可能です。ですが、小隊単位なので小規模なものですし、参加の義務はありませんので……」
「行きます!」
ヘルマンの声を遮ってルーテシアは元気よく言った。その瞳はキラキラと輝いている。
「……女性が見てもあまり面白いものではないと思いますが」
「いえ、ぜひ参加させてください!」
ルーテシアの言葉に迷いはない。ヘルマンの剣を振るう姿は見たことがないし、騎士の訓練がどのようなものかも知りたい。好奇心の固まりのルーテシアが断るはずがなかった。
好奇心に満ちたその瞳を見て、ヘルマンは頷く。
「わかりました。では、そのように申請しておきます」
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