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その日以降のルーテシアは、誰の目にも明らかな程に浮かれていた。ここが図書館でなかったならば、鼻歌を歌いステップを踏んでいただろうと思われるほどだ。
きっと何かあったのだろうとオベロスタも気がついていたが、仕事の関係で上手く話をすることができなかった。ようやくルーテシアを捕まえられたのは、数日後の昼休みのことだ。
「ルーテシア!」
「オベロスタさん。どうかなさいましたか?」
「どうかなさいましたか、はこっちのセリフだよ」
どう考えても旦那さま関係のことだろうと、ずっとうずうずしていた。オベロスタは恋愛に興味がなかったルーテシアの変化が楽しくて仕方がない。
「旦那さまと何かあった?」
「ああ、そうですね。ヘルマン様と長めにお話ができて、本も貸していただけたのですよ」
「へえ、“笑わない騎士”は読書もするのか」
「そうなんです! 家にある本を何冊か読みましたが、どうやらヘルマン様は史実を元に作られた物語が好きみたいなんです。歴史物語で一番有名な、三賢者が暗躍する“三賢史”は全巻揃っていましたし、初代アルビリオン皇帝を主人公とした話は、別の作者が書いたものが何冊も置いてありました。夢中で読んでしまうので、毎日寝不足ですよ」
そうは言うが、ルーテシアに疲れた様子は見られず、むしろ肌がつやつやと輝いているようにさえ見える。
「まだ笑ってはいただけていませんが、今度の休みには一緒に町へ出る約束までしたんです! 待ちきれないくらい楽しみです」
ルーテシアは頬を上気させながらいつも以上に饒舌に語った。言葉が途切れるのを待っていたオベロスタはニヤリと笑う。
「すっかり恋する顔だな、ルーテシア」
「恋……? またオベロスタさんはすぐにそういう方面に話を持っていくんですから」
「いい加減自覚したほうがいい。恋の悩みだったら俺がいつでも聞くからな!」
「もしそうだったとしてもオベロスタさんには言いませんよ。からかわれるだけですから」
僅かに頬を膨らませてふいっと顔を逸らす。
「私はただヘルマン様と仲良くなって、笑った顔が見たいだけなんです。恋とか、そういうものじゃありません」
「恋っていうのは気がつかないうちに始まっているものさ」
「恋愛小説の登場人物みたいなことを言うのはやめてくださいよ」
ルーテシアはうんざりとした表情をしてその話題をそこで打ち切る。恋というのはルーテシアにはまだ理解できていない感情だった。
「おはようございます、ヘルマン様」
待ちに待った休みの日がやってきた。ヘルマンも無事に休みをもらえ、二人は朝食を取ってから待ち合わせる。
普段オシャレをしないルーテシアだが、この日ばかりはできる限り身なりを華やかにした。髪の毛を高い位置でまとめ、花の形の髪飾りで止める。それにフリルのあしらわれた白いワンピースを合わせた。
そんな可愛らしい格好をしても、持っていくカバンはそれに不釣り合いなくらい大きい。出かける時はいつも本を持ち歩き、帰りには買った本が増えるので、大きいカバンしか持っていないのだ。
そうして普段とは違う格好をしても、ヘルマンはピクリとも表情を変えない。それでもルーテシアはヘルマンと一日過ごせることで頭がいっぱいで、明るい表情のままだ。
「それでは行きましょうか」
ヘルマンは自然とルーテシアのカバンを取った。
「持ちます」
「あ、ありがとうございます」
ルーテシアは頬を赤らめながらお礼を言う。こうして女性扱いされた経験はルーテシアにはない。申し訳なさと嬉しさで、どんな顔をしたらいいかわからなくなってしまった。
家を出た二人は並んで町を歩く。恋人同士のように寄り添ったり手を繋いだりはしないが、ルーテシアは本当に嬉しそうだ。
「まずは昼食を食べましょうか! よかったら、私のよく行くお店にご案内します。サンドウィッチも美味しいですし、長い時間本を読んでいても嫌な目で見てくることのない店主さんですから、安心ですよ!」
アルビリオン王国民はデートの時、男性が行き先を決めて誘導するのが普通で、女性はそれに従うだけだ。しかしそんなことは気にしないルーテシアが行き先を指定する。
着いた先はこじんまりとした、一見すると民家と見紛うのようなお店だった。ここの店主は自分の家を改装して店を開いたのだとルーテシアは説明する。
「いらっしゃい……ルーちゃん!」
「こんにちは」
店に入ると、店主がルーテシアを見て親しげな笑みを浮かべた。ルーテシアは休みの日によくこの店を訪れる。
「今日はデートかい? いいねぇ」
「デートだなんて、そんな」
ルーテシアは照れながら手を左右に振って否定する。席に着いて目の前のヘルマンの様子を伺うが、やはりその顔から感情を読み取ることはできなかった。
「今日はヘルマン様は何の本をお読みになるのですか?」
注文をして落ち着くと、ルーテシアはヘルマンにそう話を振る。料理が運ばれてくるまでは貴重な会話の時間だ。
「今日は引退したばかりの騎士の自伝です」
ヘルマンはそう答えて、カバンから一冊の本を取り出す。
「自身が思う戦いの極意や、騎士隊長になって小隊を任された時の苦悩などが書かれていると言うので」
「まあ、勉強熱心ですね」
ルーテシアは何度も頷いて感心する。
「私なんて、同僚に『読め』と無理やり勧められて押し付けられた恋愛小説ですよ。読まないと怒られるので、この休みで読んでおかないといけないんです」
同僚、というのはもちろんオベロスタのことだ。女性が読むような恋愛小説が好きで、新刊は欠かさずチェックしている。
休日にヘルマンと出かけると言うと「ルーテシアは恋心を知る必要がある!」と言って強制的に貸してきたのだ。
「女性はそういった本が好きですよね」
「そうですね。姉もよく読んでおりました。王立図書館にこの手の本は置いてありませんし、私はほとんど読まないのですけれど」
ルーテシアは苦笑しながら答える。
「ヘルマン様もお読みになりますか? 男性でも読む方はいますよ」
「いえ、遠慮しておきます」
そういった会話をしていると頼んでいたサンドウィッチが運ばれてきた。最初に比べてずいぶんとスムーズに会話ができるようになったな、と思うとルーテシアは嬉しい。ヘルマンを怖いと思う気持ちも、いつの間にか消えていた。
いつもの通り食事中はルーテシアが一方的に喋る。今日の話題は流行りの恋愛小説についてだった。読みこそしないが、オベロスタから話は聞いているので、ルーテシアは無駄に詳しい。
そうして食事を終えると、いよいよ読書の時間だ。本を開いてしばらくは、ヘルマンは時折ルーテシアに視線を送る。
しかしルーテシアは本を開いた瞬間からものすごい集中力で瞳を上下に動かし、物語に入り込んでいた。そんなルーテシアの様子を見て、ヘルマンも顔を上げずに読書に集中し始める。
オベロスタが貸してくれた恋愛小説は、政略結婚をすることになった二人が初めはいがみ合っていたものの、次第に惹かれ合い両想いになるまでの話だった。オベロスタはルーテシアに自身の感情に気がつけるように、なるべくルーテシアと状況が近い設定の本を渡し、自分に置き換えてほしいと考えたのだ。
だがルーテシアは一筋縄でいく女性ではない。
(第一印象は最悪だったのに、こんなにすぐに心変わりするものかしら?)
うーん、と口を尖らせながら読んでいく。
(でも、女性のピンチに駆けつけてくれるシーン……何だか素敵ね。実際こんなに完璧な男性はいないと思うけれど。強くてかっこいいなんて……)
そう思いかけて、本を読み始めてから初めて顔を上げた。そこには背筋を伸ばしたままゆったりと本を読むヘルマンがいる。
ルーテシアが顔を上げた気配に気がつき、ヘルマンも視線を上げた。ばっちり視線が交わって、ルーテシアの心臓がどきりと大きく跳ねる。
「出ますか?」
ルーテシアが本を読むのが疲れたのかと思い、ヘルマンはそう尋ねた。ルーテシアはぶんぶんと大きく頭を横に振る。
「いいえ! ちょっと目が疲れたので休憩していただけです」
「そうでしたか、失礼しました」
二人は再び本に顔を落とす。しかしルーテシアの鼓動は早いままだ。
(びっくりしたわ……まさか目が合うなんて思っていなかったから。それに……)
ルーテシアは今度はバレないように、顔は上げずに視線だけでヘルマンを見る。
(私の目の前にいるじゃない。強くて、かっこいい完璧な男性が)
会話をするようになって、ルーテシアはまだヘルマンのダメなところを見つけられていない。気は遣えるし、かっこよく、強い。
(この人が私の旦那さまなのよね……この本の男性より、よっぽど素敵な人だわ)
本に視線を落としていることでヘルマンの長いまつげが見える。改めて見ると、ヘルマンは健康的な肌色に整った顔立ちの美丈夫だ。笑わないという印象が強いせいで冷たく見られているが、そうではない面もあるとルーテシアはもう知っている。
(ダメだわ、ドキドキして変になってしまいそう)
ルーテシアはもう一度本に視線を戻してヘルマンを見ないようにした。
(恋愛小説を読んでいるからこんな気持ちになるのかしら。もう二度とヘルマン様の前で恋愛小説を読むのはやめましょう!)
オベロスタの作戦は、思惑通りには行かなかったものの、かなりの効果を発揮したようだった。
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