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二人はたっぷり2時間をその店で過ごした。ルーテシアが恋愛小説を読み終わったことをきっかけに、二人は店を出る。ルーテシアはうーんと伸びをして、身体をほぐした。
「ずいぶんと読むのが早いのですね」
ヘルマンはルーテシアが2時間で1冊の本を読み終えたことに触れる。
「はい、読むのが早いんです。もったいないですよね」
褒めるような口調だったのに、ルーテシアは眉尻を下げて残念がった。
「実は、本気を出したらもっと早く読めるんです。もったいないので、これでもなるべくゆっくり読むようにはしているんです」
「いいのではないですか? 数を読めるということですから」
「物語は特に、長くその世界に浸っていたいんです。どんなに素敵な物語でも、たった2時間しかその世界にいられないなんて……。だから、ヘルマン様がうらやましいです」
2時間でヘルマンは持ってきた本をようやく半分読み終えたところだ。しかしルーテシアが本当に残念そうに言うので、ヘルマンも悪い気はしなかった。
「それではどこかに寄って本を買っていきますか?」
「いいんですか!?」
ルーテシアは喜んで飛び跳ねる。
「図書館に寄ってもいいですか? この前寄った時に、王立図書館にはない天文学の本を見つけて気になっていたんです。荷物が多すぎて持ちきれなかったので、借りることができなかったんですよ」
「わかりました。私は図書館に行くのは初めてです」
「そうなんですか!?」
ヘルマンの言葉にルーテシアは目を丸くした。
「あ、でも、そうですよね。普通、貴族の方は借りるのではなく買ってしまいますものね。私はあまりに本を読むので、父に『破産する!』と言われてしまって、図書館を昔から利用していたのですけれど」
子供の頃は特に時間があり、ルーテシアは1日1冊以上のペースで本を読んでいた。初めは買い与えていた両親も、場所とお金の問題で図書館に頼らざるを得なくなったのだ。
貴族でありながら図書館を利用することも、ルーテシアは気にしなかった。むしろ膨大な蔵書をすべて読み尽くせると思うとワクワクが止まらなかったほどだ。
そんな話をしている内に二人は図書館へ到着した。中に入ると、ルーテシアがくるりとヘルマンを振り返る。瞳がギラギラと輝いていた。
「それでは、ヘルマン様。30分後にここに集合にしましょうか」
ルーテシアは指をぴっと立てて、それでも声は小さくしてそう言う。デートだからといって、一緒に見て回ろうという気持ちはルーテシアには微塵もなかった。ヘルマンも無言でうなずき、二人は別れてそれぞれの興味がある本棚へと向かっていく。
そして、30分後。入り口前に4冊の本を持ったルーテシアが現れた。
「あら、ヘルマン様は1冊だけですか?」
ルーテシアは意外そうに尋ねる。
「5冊まで借りられますよ?」
「いえ、私は……。読む時間も限られますから」
「そうですよね。お忙しいですものね」
哀れんだように言ってから、ルーテシアは急にそわそわし始めた。
「でしたら、あの……」
「どうかしましたか?」
「図々しいお願いで恐縮なんですけれど、あと1冊持ってきてもいいですか? 一人では持ちきれないと思ったので、泣く泣く諦めた本があるんです」
もじもじと申し訳なさそうにしながらも、ルーテシアはそうヘルマンにお願いをする。
「構いません。元々私が持って帰るつもりでしたから。返却も私が一緒にしますよ」
「まあ、本当ですか!? ありがとうございます!」
ルーテシアは息で興奮を伝えながらそうお礼を言った。
「でしたら、貸出手続きはあそこのカウンターでできますので、先に行っていていただけますか? すぐに持ってきますから!」
そう言い残してルーテシアは音もない早歩きで棚の方へと戻っていく。ヘルマンは言われた通り、カウンターへと向かった。
「今日は本当に楽しかったです」
帰り道、ルーテシアは跳ねるように歩きながらずっと笑っている。
「こういう休日、憧れだったんですよ、ずっと」
ルーテシアは本を読むのも、図書館へ通うのもいつも一人だった。それを一人じゃなく誰かと一緒に共有することができる。なんて素晴らしいんだろうと、夢を見ているような気持ちだった。
「ヘルマン様と結婚できてよかったです!」
高揚した気持ちのまま、ルーテシアはそんなことまで口にする。ヘルマンは僅かに目を瞠ったが、テンションの上がったルーテシアはまったく気がついていない。
家に帰って食事の最中まで、ルーテシアはずっと上機嫌で話し続けていた。
(またこういう休日を過ごせたらいいけれど……)
ふと、そんなことを思うと、急に寂しくなってそこで言葉が途切れる。今日だってヘルマンにとっては珍しい休日だ。いつも休みを合わせるというわけにもいかないだろう。
(もっとたくさんヘルマン様と一緒に過ごしたい。ヘルマン様の笑った顔が見たいと思って話かけたのだけれど、こんなにヘルマン様の存在が大きくなってしまうなんて……)
この数日でルーテシアのヘルマンに対する印象はずいぶんと変わった。趣味が合い、一緒にいて楽しい。もっと親しい結婚生活を送りたいと、そう思うようにさえなった。
(ヘルマン様はどう思っていらっしゃるのかしら)
無言で食事を続けるヘルマンを見る。一日過ごしてもヘルマンの感情ははっきりとわかるわけではない。口数も少ないし、どう感じたかも推測するしかなかった。
(もしかして、今日楽しかったのは私だけで、ヘルマン様は退屈だったんじゃないかしら……)
一回そう思うと不安がどんどんと膨れ上がる。ルーテシアは舞い上がると周りが見えなくなるという自覚があるので、今回もそうだったのではないかと思うと胸が痛い。
「ごちそうさまでした」
ヘルマンが食事を終えても、ルーテシアは暗い気持ちのままで挨拶もできない。そのままで二人は席を立ち、一緒にそれぞれの寝室へと向かう。
「それでは」
二階に着いて、ヘルマンが別れを告げる。ルーテシアは胸の苦しさから、反射的にヘルマンの服の裾を掴んで引き止めた。
「…………?」
「あ、あの、ヘルマン様」
ルーテシアは泣きそうな面持ちでヘルマンを上目遣いで見る。
「ヘルマン様は今日、楽しかった……ですか?」
それだけをなんとか尋ねると、ルーテシアは俯いてしまう。気になったら聞かずにはいられない質だが、答えを聞くのが怖くて仕方がなかった。
「…………」
ヘルマンはなかなか口を開かない。やっぱり楽しくなかったのかもしれない。そう思うと辛くて、ルーテシアはぎゅっと目をつぶった。
と、ルーテシアの頭に温かい手のひらが乗る。
(え?)
何が起こったのかすぐには理解できずに、恐る恐る目を開ける間にその手のひらがルーテシアの頭を二度往復した。どこか安心できる温かさに、ルーテシアはゆっくりと顔を上げる。
「……楽しかったですよ」
目が合うとヘルマンはそれだけ言って、ルーテシアの頭から自分の手を離してくるりと背を向けてしまう。
「おやすみなさい、ルーテシアさん」
背を向けたままそう言って、ヘルマンはスタスタと自室に消えてしまった。ルーテシアは呆然と立ち尽くした後、自分の頭を触りながらぼんやりと寝室へと入る。
そのままベッドに腰掛けて落ち着くと、みるみる内に顔が真っ赤に染まった。
「ちょ、ちょっと待って……」
今更になって胸が早鐘を打ち、苦しくなってくる。
「最後のあれ……」
頭を撫でられたこと、楽しかったと言ってくれたこと、初めておやすみの挨拶を言ってくれたこと、そして名前を呼んでくれたこと。
「ずるい、ずるいわ……ヘルマン様……!」
耳まで赤く染めながら、ルーテシアは勢いよく枕に頭を突っ込む。
「去り際にあんな……」
驚くべきことがありすぎて、頭がパンクしそうだった。
「わー!!!!」
ルーテシアは枕に顔を押し付けて思い切り叫ぶ。その日、ルーテシアはしばらくそうして悶え続けた。そしてもう認めざるを得なくなる。自分が旦那さまに惹かれはじめていることを。
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