それからしばらく経ってヘルマンが戻ってきた。お盆に真っ白なポット、お茶請けのクッキーが乗っている。


「ありがとうございます」


 ルーテシアは腰を浮かしながらお礼を言う。お盆の上に乗ったカップは2つだった。


(ヘルマン様もこちらで……? お話をしてくださるということかしら!)


 そう理解するとルーテシアはパアッと顔を明るくする。ヘルマンはそんなルーテシアの表情を横目で見ながら、カップに紅茶を注ぐ。


「すごくいい香り……!」


 ルーテシアは紅茶が大好きだ。母も好きだったので、実家でも茶葉にはこだわっていた。しかし実家で飲んでいた紅茶よりも香り高く感じる。


「この茶葉、どちらで買ったものなのでしょう」

「特別なものを使っているわけではありませんよ」


 ルーテシアの向かいに腰を下ろしたヘルマンが質問に答えた。


「淹れ方にコツがあるのです」

「淹れ方? どんなコツが?」


 自分の知らない知識は聞かないと気が済まないルーテシアだ。思わず尋ねると、ヘルマンは数回ゆっくり瞬きをしてから答える。


「お湯は沸騰前後まで温めます。それをポットに注ぎ、7分ほど蒸らします」

「な、7分もですか!?」


 実家でも蒸らしてはいたが、そこまで長く蒸らしていた覚えはない。せいぜいお湯を入れてからリビングへ持っていくまでの1、2分だ。


「渋みが苦手なので、茶葉を少なめにして抽出時間を長く取っているのです。あとは、カップをお湯に通して温めておくとより美味しく飲めますね」

「カップを?」


 言われてみればカップの持ち手までほんのり温かい。


「これは紅茶の温度を下げないための工夫です。そして、注ぐ時は色が一定になるようにする。そのくらいです」

「はぁー」


 ルーテシアは感嘆の息を吐きながら紅茶を見つめる。実家で飲むものよりも色が薄く、水面がキラキラと輝いていた。


「!」


 そっと口に含むと、鼻から香りが抜けていく。渋みもなく、とても美味しかった。


「美味しいです」


 ひとまずそれだけ伝えて、ルーテシアはしばし紅茶を堪能する。飲むことだけに集中して味わいたくなるほど、美味しい紅茶だった。


「すごいです、ヘルマン様。よく紅茶をご自分で淹れられるのですか?」

「……ええ」


 ヘルマンは目を伏せながら頷く。


(長い睫毛だわ……)


 そうルーテシアはしばしヘルマンに見惚れた。


「……料理も、時折」

「……料理を?」


 見惚れていたせいで、反応が一瞬遅れてしまう。意味を理解するにつれて、ルーテシアの瞳がこぼれそうなほどに見開かれる。


「ヘルマン様、料理なさるのですか!?」

「……ええ、休みの日に時々」

「まあ! 素敵です!」


 ルーテシアはもう少し親しければ握手を求めたのではないかと思うほど、ヘルマンの方へ身を乗り出す。


「素敵、ですか。気持ちが悪いの間違いでは?」

「いいえ! まさか!」


 ルーテシアは興奮していた。アルビリオン王国では王宮でなければ、料理は女性か身分の低い男性がするものだ。一般的に男性が料理をしてよく思うものは少ないだろう。


 しかしルーテシアはそうは思わない。それ以上に『“笑わない騎士”が料理をするなんて!』と、いう驚きと、それを知れたことの喜びの方が強かった。ルーテシアの考えは世間の常識と必ずしも一致していない。


「だから、先程私の料理を召し上がっての指摘もあんなに的確だったのですね! 符に落ちました」


 ルーテシアは嬉しそうに笑う。ヘルマンはそんなルーテシアを静かに見つめている。


「どうして料理をしようと思ったのか、きっかけをお伺いしても?」

「……普段は剣を携え、主や国民を守るために常に気を張っていますから、休みの日にそれを切り替えないと、集中力が続きません。私にとって、たまたま料理がその役割を果たすから、というだけです」

「料理をしていると、気持ちが楽になるのですか?」

「余計なことをごちゃごちゃと考えず、目の前の料理だけに集中できますからね。頭を空っぽにできます」

「その気持ち、少しだけわかる気がします。私も今日初めて料理をしてみただけですけれど必死でしたので、他のことを考えている余裕なんてありませんでしたから」


 ヘルマンは食事中には何も喋らないので、こうして長く会話が続くことは初めてだ。聞けばすぐ返ってくる答えに、ルーテシアの気持ちはどんどんと高まっていく。


「ですが、私は先程貴女が言った『実験のよう』という意見には同意しかねます。本を見てレシピ通りに作るのが、私にとっての料理ですから」

「!」


 ヘルマンはルーテシアの発言に同調せず、自らの意見を述べた。機嫌を損ねてもおかしくない発言だったが、ルーテシアはそうではない。僅かに頬を赤らめ、表情をより一層明るくしたのだ。


(やっぱり私の話を聞いていてくださったのだわ!)


 食事中、ルーテシアはヘルマンに一方的に話し続けているので、話が頭に入っていなくてもおかしくはないと思っていた。その時の話にリアクションが返ってきたことが初めてだったので、ちゃんと聞いていてくれたのだということがたまらなく嬉しい。


「ヘルマン様は料理本をお持ちなのですか?」

「……ええ、何冊か。基本のものもありますよ」

「まあ! ぜひお貸しいただきたいです!」

「構いません。私には必要がなくなりましたから。本は、そちらの本棚に」


 ヘルマンは居間の本棚を指す。


「あの、ヘルマン様。あちらの本棚にある本は、全て料理本ですか?」

「いいえ。料理本もありますが、私が集めた本が雑多に入っています」

「……!」


 ルーテシアは瞳を輝かせる。本と聞いて、黙っていられるルーテシアではない。


「自由に見て構いませんよ」


 見かねてヘルマンはそう言う。


「本当ですか!?」

「はい。ですが、貴女の気に入る本があるとは思えませんが。専門書は体術書くらいで、他には大衆向けの歴史書などですから」

「私は本ならばどんな本でも大好きです! 目の前に本があり、めくると活字が現れるだけで、幸せなのです」


 ルーテシアは興奮のままに話す。


「それに、仕事では難しい専門書ばかり読んでいますが、普段は物語も読みますよ? 町の図書館や本屋さんに行くことも、私の休日の楽しみですから」

「そうですか。それでしたら、どうぞご自由に。ここの本を読み尽くしたら、私の寝室にも本棚がありますから、声をかけてください」

「そんなにたくさんの本が!? ヘルマン様は読書がお好きなのですか?」

「ええ、貴女には到底及びそうにありませんが、趣味程度に。料理と同じで、休みの日に読んで気分を変えられるものが好きですね」

「そうでしたか……」


 ルーテシアは嬉しくて胸がいっぱいになり、胸に手を当てる。旦那さまが自分の大好きな本を読んでいるなんて、なんて素敵なことだろうと思う。ルーテシアの両親や姉兄は、読書をほとんどしない人たちだったから余計だ。


「いつか、おやすみにヘルマン様と一緒に読書ができたら嬉しいです」


 胸がいっぱいになりながら、そんな願望を口にする。


「一緒に読書を? 同じ本を、ですか?」

「まさか! 同じ空間で別々の本を読むんです。そう、例えば天気のいい日に外でピクニックをしながら、ですとか、オシャレなお店で、ですとか!」


 ルーテシアの頭の中にはそんな光景が浮かぶ。誰かと一緒に本を読みながら時間が過ごせたらと考えたことがあったが、そんな相手はルーテシアにはいなかった。


「それで貴女は満足ですか? 会話もできないのに?」

「おかしいでしょうか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……」

「お話をしなくてもいいのです。大切な人と、自分の好きなことをしながら一緒に過ごすなんて、私の理想です!」

「…………」


 黙ってしまったヘルマンを見て、ルーテシアは今自分が何を言ってしまったのか気がついた。「大切な人」だなんて、何回か話した相手に言っていい言葉ではなかった、と。


「あ、あの、すみません。つい嬉しくてそんなことを……」

「いえ……」


 ルーテシアは身体を小さくする。なんて恥ずかしいことを言ってしまったのだ、と、耳まで赤くなるほど恥ずかしくなった。


「……休みの日、ですが」


 しばしの沈黙のあと、口を開いたのはヘルマンだ。


「次の貴女の休みはいつですか?」

「ああ、えーっと……6日後、です」

「そうですか。それでは……」


 ヘルマンは珍しく一度口ごもったが、静かに続ける。


「騎士の休みというのは不定期で、不確実なものです。いくら事前に決めていても直前で休みが返上、ということはよくあること。希望してもその日に休みがもらえるとは限りません」

「……はぁ」


 何の話をしているのか、ルーテシアは即座に理解することができなかった。ヘルマンは心なしか早口で続ける。


「ただ、一応希望はできます。それを踏まえて、ですが、6日後に休みの申請をしてみようかと思います」

「……!」


 しばらく考えて、ルーテシアはパッと顔を上げた。もしかして、もしかしたら。


「お休みを合わせていただけるのですか!?」

「取れる確率は低いと考えていただいたほうがいいですが……」

「ありがとうございます!」


 ルーテシアはヘルマンの言葉を遮って元気よくお礼を言う。


「とっても嬉しいです! あ、もちろんダメになっても謝らないでくださいね? 私はこうして少しお話できるだけでも幸せですから!」

「……そうですか」

「ああ、お休みになったら何をしましょうか!? 一緒に本を読むこともしたいですし、料理も教えていただきたいです! あ、紅茶の淹れ方も!」


 ウキウキと構想を練るルーテシアをヘルマンは静かに見つめていたのだった。

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