12

「はぁ~」


 ヘルマンが無事に立ったままでいるのを見て、ルーテシアはようやく身体の力を抜く。よほど息をつめていたらしく、周りがチカチカして見えるほどだった。


「おめでとうございます! 流石はヘルマン様ですね!」


 今にも倒れ込みそうなルーテシアとは対照的に、エクレールは頬を僅かに染めて興奮した様子だ。


「お強くて羨ましいですわ。ガリオもヘルマン様のようになってくれたらいいのですけれど」

「ありがとうございます」


 息が整ったルーテシアはようやくお礼を言った。見渡せば、周りの見学者も興奮した様子で拍手をしている。みんなアルビリオン闘技祭を見慣れているので、娯楽として楽しんでいるようだった。


「ルーテシアさん」


 ヘルマンよりも少し高い声の男性が自分の名を呼ぶのを聞いて、ルーテシアは顔を向ける。すると、広場からにこやかに歩いてくるガリオの姿があった。


「ガリオ様ですね。主人がいつもお世話になっております」


 未だに青い顔をしているルーテシアだったが、ヘルマンの妻としての役割を果たすべく、しっかりと挨拶をする。


「いいえ、お世話になっているのはこちらの方です。エクレールまで」

「私も一人で参りましたので、ご一緒できて嬉しく思っております」

「そう言っていただけてよかったです」


 普段は令嬢らしくないルーテシアだが、一応男爵家の娘だ。教育は受けてきているので、こうした会話もやろうと思えばできるのだった。


「ガリオの出番はまだなの?」

「うん、僕は最後の方だからまだ余裕があるんだ」


 ガリオとエクレールの婚約者同士の会話を聞きながら、ルーテシアは気を取り直す。


(これはチャンスだわ。ヘルマン様に笑っていただくために、いろいろと聞きたいと思っていたのだから!)


 再び瞳に力が戻ったルーテシアは、令嬢らしい控えめな笑顔を浮かべるように心がけながら、ガリオに話しかける。


「ガリオ様は普段から主人と親しくしていただいているのですよね?」

「ええ、いつも剣の手ほどきを受けたりしています」

「それでは、主人と話す機会も多いのでしょうね?」

「そうですね」


(やっぱり!)


 ルーテシアは心の中でニンマリと笑う。ルーテシアは慎重に言葉を選びながら、自分の知りたいことを知るために会話を進める。


「主人は“笑わない騎士”なんて呼ばれていますけれど、失礼はございませんか?」

「まったくありませんよ。確かにわかりにくい人ではありますが、僕は部隊に入ってから4年ほど一緒で、最近ようやくわかってきた気がしますよ」

「わかってきた、とは?」

「ヘルマンさんが今どう思っているかとか、そういうことです」

「まあ!」


 これぞ聞きたいことだ! と思うと、段々とルーテシアの瞳が爛々と輝いてきた。令嬢の皮が剥がれ、どんどん尋ねたい衝動が襲ってくる。


「すごいですわ、ガリオ様! それではもしかして、ヘルマン様が笑ったところもご覧になったことがあるのでは?」

「そうですね、何度かは」

「!!!」


 ルーテシアは思わず一歩ガリオに近づいた。


「どういう時に笑っていらっしゃいましたか!? どんな話で笑っていたのでしょう!?」


 あまりの勢いにガリオは一瞬言葉を失う。しかしすぐに困ったような笑顔に変わった。


「もしかしてヘルマンさん、家でも笑わないんでしょうか?」


 ガリオにそう尋ねられて、ルーテシアは自分の感情が抑えきれなかったことに気がつく。だがもうバレてしまったものは仕方がない。少し恥ずかしそうにハンカチで口元を抑えながら「はい、実は」と、認める。


「まったく、しょうがないなぁ。ヘルマンさんは」


 ヘルマンが家で無表情なのではないかと薄々気がついていたガリオは、特に驚きもしなかった。


「気にすることないですよ、ルーテシアさん。ヘルマンさんは緊張しているだけですから」

「え? 緊張?」


 ルーテシアはその先を聞こうと促したが、それはぬっと割り込んできた影に阻まれてしまう。


「ガリオ」

「あ、ヘルマンさん!」


 いつの間にか側までやってきたヘルマンが、無表情のままガリオを呼ぶ。ガリオはしまった! という顔をしながら頬を掻く。


「そろそろお前の番だ。準備しろ」

「は、はい! それじゃあルーテシアさん、また今度!」


 そう言って、ガリオは逃げるように広場へと戻っていった。その場には無表情のヘルマンとルーテシア、エクレールが残される。


(ヘルマン様、怒っている?)


 同じ無表情に見えるが、ルーテシアには不思議と怒っているように感じられた。


「ヘルマン様、先程の戦い、素晴らしかったです。私、ドキドキしながら見てしまいました」

「そうでしたか」


 まずは模擬戦のことに触れてみるも、やはり素っ気ないように思える。


(もしかして、ガリオ様との会話を聞かれてしまったのかしら)


 そう思うとルーテシアの背筋は寒くなった。いろいろと詮索して、嫌われてしまったらどうしようかと思うと苦しい。


「あの、ヘルマン様。こちら、ガリオ様の婚約者でいらっしゃいます、エクレール・スタリオン様です」


 一刻も早くヘルマンの気持ちが知りたいが、今は二人きりではない。まずは失礼のないように、エクレールを紹介した。


「はじめまして、ヘルマン様。ルーテシア様と一緒に見学させていただいております」

「そうでしたか、ありがとうございます」


 今その存在に気がついたかのように、ヘルマンはエクレールに視線を向ける。


「ガリオもルーテシア様に挨拶させていただいていたところでした」

「そうでしたか。楽しそうでなによりです」


 ヘルマンの言葉に棘があるように感じたルーテシアは、ヘルマンは一体どうしたのか懸命に考えた。しかしどうにも原因がわからず、正直に口にすることにする。


「申し訳ありません、ヘルマン様。ガリオ様にヘルマン様のお話を伺っていたところでした」

「私の話、ですか?」


 再びヘルマンの瞳がルーテシアへ向く。


「はい。ヘルマン様とガリオ様は4年間も一緒に過ごされているのですね。初めて聞きました」

「……ええ」

「そのような話を伺っておりました」

「……そうでしたか」


 正直に会話の内容を話すと、どうもヘルマンは聞いていたような反応は示さなかった。それどころか怒りがふっと収まったように、ルーテシアには感じられる。


(どういうこと……?)


 わからずに不安そうな顔でルーテシアが見つめていると、ヘルマンは何かを自分の中に落とし込むように1つ頷いた。


「ところで、退屈ではありませんか?」

「ええ。先程も申しましたが、とても楽しませていただいておりますよ」

「そうでしたね」


 怒りをすっかり収めたヘルマンはルーテシアを気遣うようなことを言う。ルーテシアもどうやら嫌われてはいないようだと安心して、再び笑顔になった。


「ですが、ハラハラいたしました。ヘルマン様のお相手の方、とても屈強な方でしたから。でも最後、お見事でした! 私、ちゃんと目を閉じずに見届けましたよ」

「ありがとうございます」

「怪我はなさっていませんか?」

「はい、おかげさまで」


 そうして普段の調子に戻った夫婦の会話を、隣でエクレールは居心地が悪そうに聞いていたのだった。

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