33
中庭には人だかりができていた。集まった人々は掲示を見て笑顔を浮かべている。必死な表情のルーテシアはその人だかりをかき分けて、掲示が見える位置までたどり着いた。
アルビリオン王国の正式な掲示にはこう書かれている。
『アルビリオン王国第一王女アンジェリカ・フォン・アルビリオンはプルガトル王国次期宰相ベーカゼリス・デンライズとの婚約が内定した。今秋プルガトルへ降嫁する。
それに伴い、近衛騎士三名を任命する。
筆頭近衛騎士:アルセフ・エムバラ
近衛騎士 :ヘルマン・テラウェッジ
ガリオ・スワイロス』
「ヘルマン様がアンジェリカ王女の近衛騎士に……つまり、一緒にプルガトル、に……?」
掲示の内容を何度も何度も確認し、ルーテシアはそう呟いた。集まった人々はアンジェリカの婚約に色めき立っているが、ルーテシアだけは違う。ヘルマンの名前と近衛騎士という文字をじっと見つめて青白い顔をしている。
「そんな……」
ヘルマンがプルガトルに行ってしまう。その事実を理解し、ルーテシアはその場にへたり込む。
混乱する頭に蘇ってきたのは昨夜のヘルマンの言葉だ。
『話が、ありまして。大事な話が』
「大事な話ってまさかこのこと……?」
てっきり昨日見た女性とのことを告げられるとばかり思っていた。
「そうだとしたら──」
『それでは……私についてきてはくれない、ということですか?』
「プルガトル行きのことを言っていたってこと? 私もついていっても、いいということ?」
ルーテシアは昨夜の自分の重大な勘違いに気がついた。てっきり新しい女性との新居にルーテシアをつれていくと言っていると思ったのだ。昨夜のヘルマンの傷ついた顔を思い出すと胸が締め付けられて苦しい。
「だけど、あの方は……?」
ヘルマンと一緒に歩いていた、銀髪の女性だ。その女性もプルガトルにつれていくつもりなんだろうか。それともルーテシアだけ?
わからないことばかりで、ルーテシアはその場に呆然と座り込んでいる。洋服が汚れることも気にならない。今は目の前の掲示のことで頭がいっぱいだ。
ヘルマンがアルビリオン王国からいなくなる。このままだとルーテシアを置いて。
ルーテシアの心は切り裂かれそうに痛い。たった12日間離れただけで辛かったのに、今度はもっと長くなる。年に一度も会えるかどうかわからない状態が一生続くことになってしまう。
そんなことになれば事実上の離縁だ。苦しすぎて、ルーテシアの息は荒くなる。昨夜のヘルマンも傷ついた顔をしていた。あの表情が意味する感情はなんだったのだろう。
何を信じればいいのかわからない。ルーテシアには笑顔を見せてくれず他の女性とデートをしていたヘルマンが真実なのか、それとも家で見せるルーテシアを大切に想ってくれている様子のヘルマンが真実なのか。
ルーテシアに見せない顔と見せる顔。それらを思い出しながら、ルーテシアはしばらく座り込んでいた。
ハッと我に返ったのは、答えを見つけたからではない。仕事を放り出してここへ来てしまったことを思い出したのだ。
「戻らないと。オベロスタさんに迷惑が……」
よろよろと立ち上がり、スカートに付いた土埃を払う。そしてもう一度だけ掲示に目を向けた。
『おかしいぞ、お前。自分でもわかってるんだろ』
仕事のことを思い出したからだろう、昨日言われたオベロスタの言葉を思い出す。
「おかしい、か。そうよね……」
最近のルーテシアは、自分のヘルマンへの愛が大きくなってしまったことで臆病になってしまっていた。失うこと、愛されないことが怖くて、自分を見失ってしまっていたのだと気がつく。
『ルーテシアらしくない。もっと自分の気持ちのままに突っ走るのがルーテシアだろ』
「自分の気持ちのまま、か……」
ルーテシアは目を閉じて自分の胸に手を当てて考える。今自分はどうしたいのか、今後どうしていきたいのか。
すっと頭が澄んでいくのを感じる。自分の心の奥深くで何を欲しているのか。
ルーテシアはパッと目を開ける。その瞳には光が戻ってきていた。
「よし!」
後先は考えず、今後悔しないことをする。ヘルマンが遠くへ行ってしまう前に。
「まずは仕事! 急がなきゃ!」
ルーテシアは自分で自分に気合いを入れて、図書館へ向けて再び走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます