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 ルーテシアが掲示を見ていた頃、ヘルマンは騎士の正装をして挨拶回りに奔走しているところだった。まず王に謁見し、正式に任命を受けたのが朝のこと。そこから主となるアンジェリカ王女に謁見し改めて誓いを立てた。


 そうすればヘルマン達は正式にアンジェリカ王女の近衛騎士となる。アンジェリカ女王が王族一人ひとりに結婚の報告をして回る間、ずっと側に控えていた。


 その挨拶が終わると、今度は自分たちの近衛騎士就任の挨拶だ。他の王族の近衛騎士や騎士仲間に順々に挨拶をする。


 覚悟していたことだったが、慣れない挨拶が続くとヘルマンの顔にも疲れの色が浮かぶ。それはガリオに至ってはもっと顕著に表れていた。


「はぁ……」


 次の挨拶へと向かう移動の最中。思わずと言ったようにガリオが小さくため息をつく。ヘルマンも、筆頭近衛騎士となったアルセフもそれに気が付きはしたが、咎めることはしなかった。


 騎士団の懇親会でギルガムから近衛騎士の話を内々で聞かされていたアルセフとヘルマンとは違い、ガリオの近衛騎士就任は寝耳に水だった。聞かされたのは数日前のことで、ヘルマンですら驚いたのだ。


「大丈夫か?」


 前を歩くアルセフが顔を半分向けてガリオに尋ねる。ガリオは情けなく眉尻を下げながら小さく頷く。


「すみません。ここ数日あまり眠れていなくて」

「婚約者のことか?」

「はい、まあ……」


 ガリオが近衛騎士になることで一番懸念されることがエクレールのことだった。婚約の時点ではまさかプルガトルに行くことになるとは思っていない。だからエクレールが拒絶すれば結婚がなしになる可能性もあるのだ。


 だが近衛騎士就任が公表される前には家族に対してであってもはっきりと告げることができない。なのでガリオは近衛騎士就任が内々に決まってから、毎日エクレールのところへ通ってそれとなく伝えられるように奮闘していたのだ。


「察してくれた……と思いますが、泣かれてしまいまして」


 ガリオは疲れた表情を浮かべる。まだ若い女性が親元を離れて別の国へと移住するのだ。衝撃は計り知れなかった。


「なんとかなりそうか?」

「一時はショックで先のことは考えられないとまで言われたんですが、昨夜は離れたくないと言ってくれたのでおそらく大丈夫かと……。でも今日改めて話をしたいと思います。ようやくはっきりと話ができますから」

「そうだな」

「アルセフさんは奥様に理解してもらえましたか?」

「ああ」


 アルセフは表情を変えずに頷く。


「うちは子供のこともあるからな。離縁はないが、ついてくることに難色を示すだろうと思っていたが、逆に怒られた」

「怒られた、ですか」

「連れて行かないつもりか、とな」


 その夫婦のやり取りから仲の睦まじい様子が滲み出ていてガリオは表情を和らげる。アルセフの妻はきっと今日正式に報告しても、特に驚くこともなく当たり前にプルガトルについてきてくれるのだろう。


「ヘルマンさんのところは大丈夫ですか?」


 アルセフと妻のやり取りに和まされて、気持ちがほぐれたところでヘルマンに話を振ったガリオはギョッとした。ヘルマンの表情が暗かったからだ。


「俺のところは……無理だろう」

「え、無理って……。ルーテシアさん、ついてきてくれないんですか?」


 ヘルマンは暗い表情のまま頷く。


「やはり仕事があるからか?」


 アルセフが心配そうに尋ねる。


「元々私達はルーテシアが仕事を続けることを条件に結婚したのです。怒るのも当然でしょうね」


 ヘルマンの悲痛な様子にアルセフとガリオは言葉を失う。


 近衛騎士就任が内々に決まってから、ルーテシアに探りを入れてきた。王立図書館がなくなったらどうするか、と尋ねると冗談が過ぎたようで怒られてしまったが、それだけルーテシアにとって仕事が大切なのだとわかった。


 それでもルーテシアには側にいてほしいとプルガトルへついてきてくれないかと尋ねようとすると、何故か近衛騎士就任を事前に知っていたらしく怒って断られてしまった。あそこまで怒っているということは可能性はないのだろうとヘルマンは諦めていた。


 しかしヘルマンを元気づけようとガリオは気を取り直す。


「もう一度話し合ってみてはどうですか? プルガトルに行くまでまだ時間はあるんですから」

「どうにもならないと思うが……」

「だが離縁する気もないのだろう?」


 アルセフもガリオに加勢する。


「妻の気持ちを尊重したいのはわかるが、時には自分の望みに正直になることも大切だと思うぞ」

「はい。ですがやはり私は……」

「とりあえず機嫌を取ることから始めたらどうですか?」


 ガリオはわざと明るい声を出してそう提案した。


「僕もエクレールに会う時は彼女の好きそうな店を調べたり、プレゼントを持っていったりします。そうした方が話が円滑に進むんです! だからヘルマンさんも今日は何かプレゼントを買っていったらどうですか?」

「そうだな。女性は菓子や花を渡すと喜ぶぞ」


 二人の励ましにヘルマンはふっと息を吐き出す。昨夜「もう顔も見たくない」と言われてしまったばかりだが、近衛騎士になることを自分の口から伝えてはいない。


 まずは傷つけてしまったことを謝って、二人の関係をどうにか継続させる方法を模索したいと思う。例えルーテシアがそれを望んでいなくとも。


「……では、花を買って帰ろうと思います」

「それがいいだろう」

「上手くいくといいですね」


 三人はそれぞれのパートナーへと思いを馳せる。支えてくれる人がいることは、隣国の地で任務に就くに当たって心強いことだと思うから。


「……早く帰りたいですね」

「急ぎ挨拶を済ませよう」


 決意を新たにすると、三人は歩くペースを速めたのだった。

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