17

 長かった12日間が過ぎ、ヘルマンが帰って来る日の夜。ルーテシアは翌日も仕事だが、今日ばかりはうずうずしながらヘルマンの帰りを待っている。


 いつもはすぐに眠れるように楽な格好をしているが、今日は外に出られるようなワンピースを着て、髪の毛もきっちりと整えていた。


「はあ……ふう……」


 ルーテシアは何度も何度も息を吐き出す。たった12日離れていただけだというのに初めて会うかのような緊張感に襲われていて、とても落ち着いてはいられなかった。


 そわそわしながら待ち続けること数時間。とうとう入り口から物音が聞こえて、ルーテシアは食堂から飛び出した。駆けていくと疲れた様子もない、いつものヘルマンがいる。


「ヘ、ヘルマン様……お帰りなさいませ」


 ルーテシアは声を裏返しながらなんとか挨拶をした。走っただけではない鼓動の速さがあり、胸が苦しい。


「ただいま戻りました」


 ヘルマンにそう挨拶され、ルーテシアは手持ち無沙汰にもじもじと手をこすり合わせた。緊張からどこか身体を動かしていないと、どうかなってしまいそうだった。


「遅くなってしまい、申し訳ありません。明日も仕事でしょう」

「いえ……大丈夫です」

「今日は食事は済ませて来ましたから、すぐに休んだほうがいいです」

「あ……」


 少しは一緒にいられるかと思ったのに、そう言われてしまっては何も言うことができない。二人はどこにも立ち寄らずに二階へと進む。


「プルガトルはどうでしたか?」


 一緒にいられる時間が短すぎることに焦り、少しでも話がしたいとルーテシアは尋ねた。


「アルビリオンよりも暑かったですね。思っていた以上に景色も違っていて」

「プルガトルは荒野が多いのですよね。緑地には町がある、と言われるほどに」

「さすがルーテシアですね」


 ルーテシアは王立図書館所蔵の『プルガトルの地理』も読んでいるので、ある程度の知識はある。ヘルマンが褒めてくれたことに、照れた様子を見せた。


「あ、そうでした」


 二階に着いて、ヘルマンが立ち止まって荷物を下ろす。何かを探すような様子を伺っていると、荷物の中から大きな紙袋を取り出した。


「これをルーテシアに」

「ありがとうございます」


 受け取ると、ずっしりと重い。ルーテシアは開けずとも中身が何かわかった。


「まさか、本ですか!?」

「ええ」


 緊張も忘れて夢中で袋の中を開けると、プルガトルを舞台にした冒険物語の上下巻が入っていた。


「!」


 ルーテシアは言葉もなくそれを見つめる。瞳がキラキラと輝いていて、とても喜んでいることは明らかだった。


「ガリオには『アクセサリーにするべきだ』と、言われたのですが、プルガトルで今一番人気がある小説だと言われて、つい……」

「アクセサリーとは比べ物にならないくらい嬉しいです……! ありがとうございます、ヘルマン様! どうこの嬉しさを表現したらいいかわからないくらい、嬉しいです!」


 国交があると言っても、プルガトルの本はほとんどアルビリオンに入ってこない。入ってきたとしても数が少なく小説類は特にすぐ売り切れてしまうので、ルーテシアは今まで手にしたことも見たこともなかった。


 初めて手にするプルガトルの本に興奮して子供のように興奮してページを開きはじめているルーテシアは、ヘルマンの表情がほんの一瞬だけ変わったことには気がつかない。


 元の表情に戻ったヘルマンはルーテシアに声をかける。


「夜眠れなくならないように、読み始めるのは明日からにした方がいいですよ」

「そ、そうですね! 失礼いたしました!」


 既に我を忘れて読み始めようとしていたルーテシアは危ないところで現実世界に戻ってきた。


「それでは、おやすみなさい」

「おやすみなさい、ヘルマン様! 本当にありがとうございます!」


 ルーテシアは深くお辞儀をして、飛び跳ねるように歩きながら寝室へと戻っていった。


「はぁ……夢みたいだわ」


 本を枕元に置いて、ルーテシアはベッドに横になってニヤニヤと笑いながら眺める。プルガトルの本が手に入るなんて思ってもみなかったし、ルーテシアのことを想って選んでくれたヘルマンのことを思うと胸がいっぱいだった。


「どんな宝石よりも素敵なプレゼントだわ! きっと重かったでしょうに……」


 ルーテシアはうっとりと夢心地のまま、姉のソフィーユが愛のこもったプレゼントをもらっていると言ったことを思い出す。


「ヘルマン様だって負けていないわ! 愛がこもっている……か、どうかはわからないけれど」


 自分で言って途端に恥ずかしくなって、布団に顔を埋める。


「ちゃんとお返しできているのかしら、私は」


 思い返すと自分ばかりが素敵な思いをして、ヘルマンには何も返せていないのではないかと不安になった。料理を作っても失敗してしまったし、プレゼントもしたことがない。


「今度おすすめの本でも差し上げようかしら。……って本ばかりね、私は」


 ルーテシアは今まで本ばかりでそれ以外のことに興味を持ってこなかった自分を初めて後悔した。


「ヘルマン様の喜びそうなもの……」


 考えても、思い浮かばない。紅茶が好きとは言っていたが、茶葉だって自分で選んでいるだろうし、ルーテシアの入る隙がない。それ以外のヘルマンの好みは考えても何も思いつかなかった。


「もっと仲良くなりたいわ……」


 ごろりと仰向けに転がる。ヘルマンに近づけたつもりだったが、まだまだ知らないことが多いと気がつき、情けなくなった。


 ルーテシアはベッドの天窓を見ながら、またソフィーユの言葉を思い出す。


「寝室に忍び込む……なんて無理よ」


 ルーテシアは腕で目を覆う。


「だけど、もう少し話したかったな。だって、12日ぶりなのよ!? プルガトルのことももっと聞きたかったし、ちょっと触れたり、とか……」


 ヘルマンがプルガトルへ行く前に衝動的に抱きついてしまったことを思い出す。思い出すと顔が赤くなってしまうほど恥ずかしいけれど、とても幸せだった。触れ合うことが幸せなことなのだと、ルーテシアは初めて知った。


「うーん」


 すぐ側にヘルマンがいるのに、とても遠く感じる。


「会いたい、な……」


 この12日間ずっと思ってきたことだ。今は手を伸ばせば届く距離にいるのにそんな風に思うなんて、おかしなことだとルーテシアは思った。


「よし!」


 ルーテシアは勢いよくベッドから起き上がる。思い立ったらすぐに行動してしまうところは、姉のソフィーユとよく似ていた。

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