16

 翌日からヘルマンは目に見えて忙しくなった。帰宅も日付が変わるくらいで、自分の仕事もあるルーテシアは起きて待っていることができない。


 しかしルーテシアはそれに耐えることができた。衝動的に抱きついてしまったことについての恥ずかしさから顔を合わせにくいという理由もあったが、寂しいという気持ちを伝え思う存分泣いたことで、気持ちが落ち着いていた。


 それにルーテシアを心配してか、ヘルマンはどんなに夜が遅くても朝ルーテシアが出かけるのに合わせて起きてくるようになったことも大きい。一瞬顔を合わせて「いってらっしゃい」と、見送られるだけだがルーテシアはそのことが嬉しくてたまらなかった。


 ルーテシアには「夜起きて待っていなくていい」と言うのにヘルマンは朝起きてくることに申し訳無さはあったが、疲れているだろうに自分のことを想ってしてくれているのだと思うと甘えてしまいたい気持ちが勝っていた。


 プルガトルへ向かう日は朝が早いので、前日の夜に早く帰宅したヘルマンとルーテシアは手土産を持ってルーテシアの実家に向かった。ルーテシアの実家には両親と、長男家族が住んでいる。二人が実家へ行くと、応接間で賑やかな家族に迎えられた。


「ルーテシアがご迷惑をおかけしていませんか?」


 ルーテシアの母は心配そうにヘルマンに尋ねる。本が好きでそれ以外に興味がない生活を送っていた変わり者の娘を、母は一番心配していた。


「いえ、大丈夫ですよ」

「本当ですか? 食事中も本ばかり読んでいるでしょう?」

「ちょっとお母様。そんなことはしていませんから」


 放っておくと母親が変なことを口走るのではないかと懸念して、ルーテシアはすぐに止める。


「上手くやっているならいいんだよ。ルーちゃんはいい子だから」


 父親はルーテシアと同じ楽天家で、はははと楽しそうに笑っていた。


「この度は私の都合でご迷惑をおかけいたします」


 ヘルマンはルーテシアの夫として、ルーテシアをしばらく滞在させることを詫びる。そんなヘルマンをルーテシアは嬉しく、そして少し照れた気持ちで見ていた。


「僕たちは大歓迎だよ。みんなも喜ぶだろうし」


 ルーテシアの兄と姉は年の離れた妹であるルーテシアを大層可愛がっている。結婚生活について根掘り葉掘り聞かれるだろうと、ルーテシアも覚悟はしていた。


 少し会話をしてからヘルマンは早々に立ち上がる。翌日は早く、準備もあるのでゆっくりはしていられない。


「それではルーテシアをよろしくおねがいします」


 夫としてしっかりと挨拶をしたヘルマンを見て、ルーテシアはときめいていた。両親も温かく見送ってくれて、ルーテシアだけ家の前まで送りに出る。


「お土産買ってきます」


 別れ際ヘルマンはそんなことを言う。ルーテシアは寂しい顔をしないように心がけながら、1つ頷いた。


「お気をつけて、ヘルマン様」

「ありがとうございます。すぐに戻ります」



 ヘルマンがプルガトルへ出発してから3日後。休みの日なのにも関わらず寂しくて本を読む気持ちにもなれないルーテシアは、ベッドにもぐりこんでぼんやりとしていた。気持ちは落ち着いたと思っていたが、やはり実際離れてみると寂しくてたまらない。


 そこにノックもせずにバタンとドアを開けて、亜麻色の髪の毛の女性が飛び込んできた。


「ルーテシア! 来たわよ!」

「うう……うるさい……」

「貴女、本当に落ち込んでいるのね!? カーテンも閉めっぱなしで、身体に悪いわ!」

「もう……お姉さま、眩しいよう」


 ルーテシアは布団を頭まで被ろうとしたが、それを取っ払われる。


「ほら起きて! お茶しましょう!」


 ほとんど引っ張られるようにルーテシアはサンルームまで連れて来られた。そこには既に紅茶とお菓子が用意されている。


「会えて嬉しいわ、ルーテシア! ルーテシアったら全然帰って来ないんだもの。新婚だからって遠慮してたけど、たまにはお姉ちゃんの相手もしてね?」


 そう元気よく声をかけているのはルーテシアの実姉、ソフィーユだ。利発な姉は妹のルーテシアを溺愛している。


「ヘルマン様がたかだかプルガトルに12日間行くってだけで、その落ち込みよう。変わったのね、ルーテシア」

「もう、うるさいなぁ……」


 ルーテシアはボサボサの髪の毛で口を尖らせながら紅茶をすすった。


「あんなに結婚したくないって言っていたのに、ヘルマン様とずいぶん仲良くなったのね?」

「仲良く……それはわからないけれど」


 少し恥ずかしそうに、口をもごもごとさせる。


「でも、そうね。ほんの少しだけ、仲良くなれた……かもしれないわ」


 ルーテシアは照れながら言った。会話をするようになって、抱きついた時も抱きしめ返してもらえたし、ルーテシアのことを気遣って朝も顔を見せてくれるようになった。


 仲良くなったと言ってもいいと思うのだが、本当にそうなのか、まだ確信が持てないでいる。


「だけど、まだ笑ったところは見れていないのよね」

「ああ“笑わない騎士”ですものね」


 ソフィーユはくすくすと笑う。


「お父様とお母様に聞いたけれど、仲が良さそうだって言ってたし、心配はないんじゃない? ルーテシアはこんなに可愛いし」


 頬杖をついて、ニコニコと笑いながらルーテシアを見る。


「そうなのかなぁ……」

「自信がないのね」


 浮かない顔を続けるルーテシアにソフィーユがそう言った。


「愛されてるっていう自信はほしいわよね。お姉ちゃんからヘルマン様に、ちゃんと気持ちを口にするよう言ってあげようか?」

「それは大丈夫! ヘルマン様が困っちゃう」


 姉ならやりかねない、とルーテシアは強く拒否する。


「それよりお姉さまは順調?」

「もちろんよ。毎日手を繋いで寝てるし、愛情のこもったプレゼントも定期的にしてくれるわ」


 ソフィーユはルーテシアより7年も早く嫁いだが、子供ができた今でも夫婦仲は良好だ。これまではなんとも思ってこなかったが、今ではソフィーユのその愛されているという自信が羨ましい。


「お姉さまを怒らせたら怖いもんね……」


 ルーテシアがポツリと零したが、ソフィーユは聞き逃してくれたようだった。


「どうしたらお姉さまみたいになれるんだろう」

「そんなの簡単よ」


 ソフィーユは満面の笑みを浮かべる。


「自分がしてほしいと思うこと、言って欲しいと思うことを素直に言ってみればいいのよ!」

「私とヘルマン様はお姉さまみたいに恋愛結婚じゃないし、無理だわ。離縁されてしまう」

「そんなことしたらお姉ちゃんが殴り込みに行ってあげる!」

「それはやめて!」


 ルーテシアは苦笑しながら断った。


「冗談じゃなくて、時には大胆な行動も必要なのよ?」

「大胆な行動、か……。例えば?」


 そう尋ねると、ソフィーユは「うーん」と、少し考えてから、思いつくと表情を明るくした。


「夜、寝室に忍び込むとか!」

「そんなの絶対に無理!」


 ルーテシアは間髪を入れずに拒否する。


「夫婦なんだから、いいじゃない! 寝室が別な方がおかしいのよ。それに、そうされて嫌な男性なんていないと思うけど」

「……そうなの?」

「当たり前じゃない!」


 ソフィーユに自信満々に言われて、ルーテシアは首を捻りながら考え込むのだった。

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