27

 時は少し戻り、ヘルマンがルーテシアを室内に送り届けてから庭に出た時。一緒にいたガリオがにっこりと屈託のない笑顔を見せていた。


「ルーテシアさんと順調そうですね」


 ルーテシア達からはもうずいぶんと離れているのにも関わらず小声だ。


「……そう、見えるか?」

「はい。だいぶ緊張もほぐれてきたように見えます」

「……そうか」


 ヘルマンはどこか苦い顔だがガリオはそれに気がついていない。


「お相手がルーテシアさんのような明るい方でよかったですね。結婚前、あんなに嫌な顔をしていたのが嘘のようじゃないですか」


 結婚前のヘルマンを知るガリオは嬉しそうだ。ガリオは適齢期になっても結婚しようとしないヘルマンをずっと心配していた。


 親の紹介で結婚することになったと聞いた時も、同じように心配した。ヘルマンにまったくその気がなかったので、苦痛なだけの結婚になるのではと懸念したのだ。


 実際、結婚生活が始まってすぐの頃はまったく会話がないとヘルマンは言っていた。それを聞いて、ガリオは不安を募らせていた。


 仕事に一生懸命なヘルマンが家でも落ち着けないのでは気が休まらない。だから徐々にヘルマンが早く帰るようになったり、休みの日を自ら選んだ時には本当に安堵したのだ。


「今後も上手くやっていけそうですね」

「……だといいんだが」

「何か不安でも?」


 ようやくヘルマンの様子に気がついたガリオがそう尋ねる。ヘルマンはしばらく口を開かずに庭を見つめていた。


 ガリオも何も言わずにヘルマンの言葉を待つ。仕事で自分の考えを述べる時、ヘルマンは長い時間考えてから物事を口にする。ヘルマンの言葉を待つことは、ガリオにとっては慣れたものだった。


「ルーテシアは俺に遠慮しているように思う」


 しばらく経って、ヘルマンは静かにそう切り出す。


「何か思い悩んでいるように見えて聞き出そうとしても、頑なに言おうとしない。怖がられているのかもしれないな」


 「そんなことないですよ」と、否定したいところだが、思い当たるところがありすぎてガリオは唸ってしまう。ガリオ自身もヘルマンと出会った当初は考えていることがわからずに怖いと思ったことがある。


 ルーテシアに公開訓練で会うまでは、どんな夫婦生活を送っているのか心配もしていた。公開訓練で笑顔でヘルマンと話すルーテシアを見てその心配はなかったと判断したのだが。


「言いにくい悩みを抱えているのかもしれませんね。お二人は夫婦なんですから、言ってくれるまで辛抱強く待ちましょう」

「……ああ」


 悩んだ末にガリオはそう励ます。ガリオから見て、ルーテシアはヘルマンに好意を寄せているように見える。ヘルマンと同じくらいに。


「でも、なるべく早く解決するといいですね。あの話が現実になれば……」

「ヘルマン、ガリオ」


 話の途中で隊長のギルガムと小隊長のアルセフがやってきた。敬礼をして挨拶をする。


「二人共、可愛い奥さんをもらって、いいねぇ」

「恐縮です」


 ガハハと笑うギルガムにガリオが苦笑で返した。


「アルセフみたいな奥さんもいいけどな」

「私の話は……」

「アルセフの話、聞きたいだろう? みんなの注目だからなぁ。ああやって支えてくれる奥さん、俺はいいと思うぞ。な?」


 ギルガムに話を振られてガリオは曖昧に笑顔を返す。アルセフのいないところで、自分も話を出していたから余計に気まずい。


「ヘルマンはどうだ? お前のところの奥さんは大人しそうだが、尻に敷かれたいって願望もあるんじゃないか?」

「おっしゃるほど大人しくはありませんよ、私の妻は」


 ヘルマンは涼し気な顔でそう答える。ギルガムが「ほう」と瞳の奥を輝かせた。


「大人しくないというと?」

「頼めば私が喋らなくてもずっと話を聞かせてくれます」

「見かけによらずお喋りな奥さんなんだな」

「ええ。それも、女性の噂話のような類のものではなく、建築などの専門的な話を永遠と」


 ガリオとアルセフは僅かに目を開いて、二人で顔を見合わせる。ヘルマンがこうしてルーテシアのことを饒舌に話すところを初めて見たからだ。


「建築? 奥さんは建築関係の仕事をしていたのかな?」

「いいえ。王立図書館で司書をしています。王立図書館には一般人が読まないような専門書がたくさんあり、妻はそうした本を読んでいるのであらゆる分野の専門家なのですよ」

「そりゃあ、アルセフとは別の意味で頭が上がらないな」

「おっしゃるとおりです」


 そしてふっとヘルマンは表情を崩した。目尻を下げ、口角を上げる。ガリオは久しぶりにヘルマンの笑った顔を目にした。


「賢い奥さんは君にはぴったりかもしれないな」

「そうありたいと思います」

「だが……そうか、王立図書館か」


 今まで陽気に笑っていたギルガムの表情が一瞬で変わる。それは仕事の時に見せる厳しい顔だ。


「……アンジェリカ王女のことですか?」

「ああ」


 ヘルマンが控えめに尋ねると、ギルガムはすぐに頷く。おそらくこの話をしたくて話しかけてきたのだろうと、ヘルマンはすぐにわかった。ギルガムは陽気なだけのおじさんではなく、意外と策士なのだ。


「例の縁談、上手く行きそうなのですか?」

「……ここだけの話だが」


 ギルガムは渋面を作って続ける。


「初めは一方的だったが、アンジェリカ王女の粘りが実りそうな気配があるという。相手はプルガトル次期国王の宰相だ。娘を国外に出したくない我が国王も、正式な申し入れがあれば認めざるを得ない。身分も申し分ない上、アルビリオン第三王子もいるわけだからな」

「……そうですか」


 前回の訪問で、アンジェリカはプルガトル次期国王の宰相に一目惚れをした。そのおかげでアルビリオンでの社交界に出る機会がなくなったことは、ヘルマン達騎士にとって仕事が減ってありがたかったが、実際に嫁ぐことになったらそうは言ってはいられない。


「現実となれば第三王子と共にプルガトルに渡ることになる。そうなったら3人近衛騎士が選ばれるが、アルセフとヘルマンには覚悟をしておいてもらいたい」


 二人は重く頷いた。王命に逆らうことは、騎士にはできないことだ。


「それぞれ奥さんにも心づもりはさせておけ。はっきり言うことができない分、やりにくいとは思うが」


 王族に関する話題を外に漏らすのは、例え家族であっても罪になる。それに触れない範囲で準備をするようにと、ギルガムは言った。


「まあ、まだアンジェリカ王女の縁談がダメになる可能性も十分にあるがな」


 雰囲気をガラリと変えてギルガムはガハハと笑う。しかしアルセフとヘルマンはすぐには表情を変えられず、固い表情のままだった。

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