「昨夜はどうだった?」


 翌日の昼。たまたま休憩が一緒になったオベロスタは王城職員用の食堂へ向かいながら、ルーテシアにそう尋ねた。


「旦那さまは笑ってくださったかい?」

「いいえ」


 ルーテシアは残念そうな表情で首を振る。


「結局、私が建築について語ってしまっただけでした」

「ははは! なんだそりゃ」


 オベロスタは周りの人が「何だ何だ」と視線を送るくらい大きなリアクションで腹を抱えて笑う。だがルーテシアは1つも笑わない。


「昨夜は気分良く眠れたのですけれど、朝起きてよくよく考えてみたら、仲良くなるどころか呆れられてしまったのではないかと心配です」

「旦那さまは建築の話には興味がなかったか?」

「それもよくわかりません。反応がありませんでしたから」

「反応がないのに語ったって言うのかい? まったく、ルーテシアの心臓は強くて面白い」


 ルーテシアが何か言う度にオベロスタの笑いは深まっていく。


「笑ってばかりいないでアドバイスでもしてくださいよ」


 あまりに笑い転げるので、とうとうルーテシアは口を尖らせて苦言を呈す。オベロスタは笑いすぎて目の端に溜まった涙を拭う。


「旦那さまがどんな人間なのかわからないからアドバイスのしようもないな。だけど、そうだな。俺が女性を口説くんだとしたら、まずは質問をして相手のことを尋ねるね。女性はしゃべることが好きだから」

「恋愛上級者みたいな口ぶりですけど、オベロスタさんは実際全然うまくいっていないじゃないですか」

「うるさいな。今度こそうまくいく予定なんだ」


 惚れっぽいオベロスタは、いろいろな女性に恋をしてはアタックを続けている。ただなかなかその恋は実らないようで、うまくいった話は聞けていない。勢いがすごすぎて引かれてしまうんだとルーテシアはよく指摘しているが、わかってはいても抑えられないようだ。


 ちなみに今は王宮の厨房で働いている女性に恋をしているらしい。何度か食事に行ったが最近はずっと断られているようで、ルーテシアはたぶんダメなのだろうと思っている。本人は気がついていないので静観しているが。


「それにしても、質問、ですか」


 そんなオベロスタの意見でも一理あるな、とルーテシアは思う。一人で喋り続けることもやぶさかではないが、それだとヘルマンのことを知ることができない。


 ヘルマンは食事中には喋りたくないと言った。つまりヘルマンの言葉を聞くには食事以外の場で一緒になる必要がある。


 ただ昨日みたいに帰りが遅いと食後に時間も取れないし、どうしたものか。ルーテシアは昼食の間考え続けたが、いい方法は思いつかないままだった。



「やってしまったわ……」


 翌朝、ルーテシアは落ち込んでいた。毎日ヘルマンの帰りを待とうと思っていたのに、寝不足だったこともあって昨夜は我慢できずに先に眠ってしまったのだ。


 今日仕事に行けば明日は休みなので、今夜こそは起きて待っていようと意気込んで、朝食をとりに家の食堂の扉を開ける。


「おはようございます」

「きゃあ!!?」


 聞こえるはずのない声が聞こえて、思わずルーテシアは悲鳴を上げた。声の主はヘルマンだ。


 ヘルマンは夜遅い分、朝も遅い。ルーテシアは朝が早いので、この時間にヘルマンに会うことは今までなかった。


 ルーテシアは胸に手を当てて、驚いて暴れまわっている鼓動を落ち着ける。ゆっくりと息をしてから、静かに自分を見つめるヘルマンに声をかけた。


「おはようございます、旦那様。今朝はずいぶんと早いのですね」

「……ええ」


 悲鳴を上げたことはなかったことにして、ルーテシアは平静を装いながらヘルマンの向かいの席へ向かう。ヘルマンは朝であってもいつもと同じ無表情で、感情は読み取れない。


「今日はいつもよりも遅い勤務時間なのです。だから貴女を待っていました」

「私を……?」


 自分のためにヘルマンが早起きをしてくれた? 結婚生活で初めてヘルマンがルーテシアを意識したということではないか。そう思うとルーテシアの胸は高鳴った。


「今夜は特別遅くなります。もし貴女がこの前のように夜待っていると困るので、忠告しておかねばと思いました」

「そうでしたか。お気遣いありがとうございます」


 どのような理由であれ、ルーテシアの存在がヘルマンの行動を変えたのだ。その事実をポジティブに捉え、ルーテシアはとても嬉しそうに微笑む。


「では、今夜は失礼して先に休ませていただきますね」

「今夜だけと言わず、私はいつも夜が遅いのですから常に先に休んでいて構いません。初めに言ってあったはずですが」


 ヘルマンの言葉に、ルーテシアは顔をしかめそうになる。それでは今までの顔も合わせることがない夫婦生活に逆戻りだ。


(どうにかして会う時間を作らなきゃ……)


 そのためにまずはヘルマンの生活形態を知る必要がある。


 今ヘルマンの目の前にはお茶しか置かれていない。と、いうことは食事中ではなく、話をしてもらえるということだ、と即座に判断する。


「それでは、今少しお時間ございますか? 少しだけお話したいのですが」

「何か用でも?」

「いえ、用と言うわけではありません。先日も申しましたように、私はヘルマン様とお話がしたいだけです」


 朗らかにそう言って自分は目の前の朝食に手を付ける。


「そうは言っても、貴女はこれから仕事でしょう。時間がないのでは?」

「そうですね、ほんの10分少々しか時間がございません。ですがそんな短い時間でもお話できたら私はとても嬉しいです」


 ルーテシアは口にせっせと朝食を運びながら、物が入っていない時にそう言う。決して汚くはないその芸当をヘルマンは真似ができないな、と密かに思った。


「……わかりました。しかし私はあまり話が上手ではありません」

「構いませんわ。もしよろしければ私から質問させていただいても?」

「ええ」

「ヘルマン様のお休みは不定期なのですか?」

「そうですね。丸1日休みなのは10日に一度くらいでしょうか。そうでなければ、今日のように昼過ぎから仕事という時に身体を休めています」

「そうだったのですね」


 ルーテシアは騎士の生活形態を知らない。5日仕事に行ったら2日休みがあるルーテシアとはずいぶん違うのだとわかる。特にヘルマンのような王城に勤める騎士は、王族が休みの時も王城や王族を守る仕事があるのだから、休みが合わないのも当然だと思った。


「今夜は何か特別なお仕事でも?」

「王族が出席されるパーティがあります。詳しいことは守秘義務があるため言えませんが、その警備のために今夜は遅くなります」

「大変なお仕事ですね」

「ええ。ですが、よくあることですので」


 ヘルマンは淡々と述べて目の前のお茶を一口飲む。ルーテシアの目にヘルマンの指は、いつも剣を握っているであろう手には見えないほど長く美しく映った。


「いつも朝が遅いのは王族の方のパーティが多いからですか?」

「いえ。王族の方は朝、たいてい教会での礼拝に行っております。王宮の側の教会は私の担当ではありませんので、朝は比較的休めることが多いのですよ」

「そうだったのですか」


 確かに教会の近くにいる騎士はヘルマンが着ている服とは少し違うものを着ている。所属が違うのだと、ルーテシアは初めて知った。


「それでは本当に私とヘルマン様は時間が合いませんね……。お休みが会えば、一緒に出かけたりもしたかったのですけれど……」

「……なぜ、貴女は」


 初めてヘルマンがそれまでの平坦な口調から困惑したようなものに変わって、ルーテシアは食事から顔を上げる。ヘルマンの表情は一見していつもと同じ無表情に見えるが、ルーテシアには少し困っているようにも見えた。


 ルーテシアがじっとヘルマンを見つめて先を促すと、一瞬の間の後で再び口を開く。


「貴女と私は似た価値観から結婚を決めたように思っていました。それなのに、なぜ私と一緒にいたいなどと」

「迷惑でしたでしょうか?」


 胸がチクリと痛むのを感じながら、ルーテシアはそう聞き返す。ヘルマンは小さく首を横に振る。


「そういうことが言いたいのではありません。ただ純粋に疑問に思っただけです」


 先の発言はヘルマンがルーテシアを突き放すために言ったことだと思ったが、どうやらまだそこまでのことは言われていなかったらしい。ルーテシアは安堵して、落ち着いて口を開く。


「正直に申し上げまして、確かにヘルマン様のおっしゃる通り、私も積極的に関わりを持とうと思って結婚をしたわけではありませんでした。ですが今まで過ごしてみて……そうですね、単純に少し寂しくなってしまったのです」

「さびしく」

「はい。同じ家に住んでいながら、顔も合わせない。それどころか私はヘルマン様の人となりも知りません。それは寂しいことだな、と思ったのです。だから、少しでも会話を、と……。ご迷惑でしたら申し訳ございません」

「いえ……」


 ヘルマンは少し遠い目をして考えるような仕草を見せた。ヘルマンが何を考えているのか、どう返事をしてくれるのかゆっくりと聞きたかったが、ルーテシアにはもうそんな時間は残されていない。


「すみません、もう行かないと」


 ルーテシアは名残惜しそうにそう言って立ち上がる。


「それでは……」


 椅子を中に引いて、まだ座ったままのヘルマンにそう声をかけて立ち去ろうとしたルーテシアだったが、思いとどまってもう一度話しかけた。


「あの、もしご迷惑でなければ私は明日、明後日とおやすみなので、明日の夜はお帰りを待っていても構いませんか?」

「明日……」

「あ、いえ、私のために早く帰ってきてほしい、なんていう気持ちはございません。私のわがままで、勝手に待ちたいと思っているだけですので」

「……わかりました」


 ヘルマンはゆっくりと頷く。


「明日は比較的早い時間に帰れるはずです。元々そういう予定が組まれていました」

「そうですか」


 自分のために無理をするわけではなく、元々の予定だったということを伝えてくれて、ルーテシアはホッと柔らかい笑顔を見せる。日常的にいつ会うのかは決められなかったが、ひとまず次に会う約束だけはできた。短い時間で上々の成果だとルーテシアは満足する。


「それではまた明日の夜に。今朝はありがとうございました」


 そう言ってペコリと頭を下げてから、足早に食堂を出た。急がないと仕事に間に合わなくなってしまう。


 そんな慌ただしい背中を、ヘルマンは座ったままで見送っていた。

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