クールな旦那さまが笑う時
弓原もい
1
一人の花嫁が鏡の前で自分の姿を見つめている。焦げ茶の瞳がせわしなく動き、頭に着けたヴェールから純白のドレスを経由して足元の真っ白なヒールの靴までを行き来していた。
「ドレスでこんなにも見られるようになるのね……」
花嫁は鏡の中の自分に向けてポツリとつぶやいた。彼女の名はルーテシア・ラルジャイルという。男爵家の次女であるルーテシアは、普段は自分の容姿に無頓着だ。
そんな彼女でもウェディングドレスというのはやはり特別。純白の花嫁となった自分を見て目を丸くしていた。
ルーテシアはよく見れば愛らしい顔立ちなのだが、花のように華やかな髪色が多いアルビリオン王国では焦げ茶色の髪の毛はとても地味で、顔立ちの可愛らしさが目立たなくなっている。しかしルーテシア自身はそのことを悲観したことは一度もない。
彼女の関心は自分の容姿よりも仕事のこと、本のことばかりだった。
結婚についても同じだ。ルーテシアはこれから夫婦となる旦那さまのことをほとんど知らない。知っているのは名前と年齢、仕事くらいのものだ。
旦那さまの名前はヘルマン・テラウェッジ。アルビリオン王立騎士団に所属する騎士だ。
二人の結婚はお互いの親によって決められた。ルーテシアの実家、ラルジャイル家には跡継ぎとなる長男がいて、すでに結婚もしている。テラウェッジ伯爵家もヘルマンは三男で跡継ぎではないし、長男、次男ともにすでに家庭を持っていた。
普通なら自由に恋愛ができたはずの二人だが、お互いそれぞれ恋愛にはまったく興味がない。のんびりとしている内にルーテシアは19歳、ヘルマンは24歳。そろそろ相手を見つけないとまずい年齢になっていた。
アルビリオン王国では適齢期を過ぎて未婚であることは恥とされる。そこでそれぞれの家はどうにかこの子供を結婚させようとしたのだ。
同じような境遇にあったルーテシアとヘルマンはそうして引き合わされた。ルーテシアは結婚しても仕事を続けて構わないと言ってくれる人ならば誰でもいいと思っていたし、ヘルマンはそういうドライな結婚を求めるルーテシアを気に入ったらしい。話が持ち上がってすぐにこの縁談はまとまり、二人は結婚することになったのだ。
こんこん、とドアがノックされる。ルーテシアが返事をすると、ドアが開いて式典用の真っ白な騎士服に身を包んだヘルマンが入ってきた。
ヘルマンの紫色の髪の毛は、ルーテシアが前回見たときと違ってしっかりと固められている。顔周りの髪の毛が後ろになでつけられているおかげで、端正な顔立ちが顕になっていた。
(かっこいい方なのね)
二人が顔を合わせたのは縁談がまとまる前の顔合わせの一度きりで、今日が二回目だ。まじまじと顔を見たのも、これが初めてのことだった。
ルーテシアは頬を赤く染めて見惚れるというよりは、ただただ感心してヘルマンの容姿を見つめている。目の前の美丈夫が自分の夫となることに実感が湧いていないようだ。
対するヘルマンは着飾ったルーテシアを見ても表情1つ変えない。紫色の瞳はしっかりとルーテシアを見ているが、そこに何もないのと変わりがないようだった。
ヘルマンはすっと手を差し出す。
「時間です」
「……はい」
ルーテシアは差し出された手を取って立ち上がり、ヘルマンにエスコートされながら控室を出る。
(何を考えているか、本当にわからない方だわ……)
隣を歩くヘルマンの横顔を盗み見ながら、ルーテシアはそんなことを思う。
ルーテシアは結婚が決まってから旦那さまについての話を同僚から聞いた。ヘルマンは騎士団の中でも若手の実力派でそこそこ名の知れた人物だった。年に一度行われるアルビリオン闘技祭という騎士の戦闘能力を競う大会では、そこそこ上位に食い込んでいる。
ただ、ヘルマンが有名なのはそれだけが理由ではなかった。アルビリオン闘技祭は一般市民も観戦できる大きなお祭りで、毎年大変な盛り上がりを見せる。騎士達は観衆に向けて、勝ったら雄叫びを上げたり、かっこよくポーズを決めてみたりとそれぞれ個性的な表情を見せるのだ。
そんな中、ヘルマンは勝っても負けても表情1つ変えない。どんなに厳しい戦いを勝ち上がっても、無表情で礼をしてそのまま去っていく。闘志を剥き出しにもせずクールに戦うことから、ヘルマンは“笑わない騎士”という異名がつくほどだった。
そんなヘルマンが結婚するとあって、ルーテシアの結婚式に出席する同僚は「とうとう笑う姿が見れるんじゃないか」と、話題にしている。しかしルーテシアはそんな事態にはならないのではないかと思っていた。
一度会ったヘルマンは噂通りまったく表情を崩さない人であったし、その後の婚約期間に届いた手紙も形式的なもの。ルーテシアもそうだが、ヘルマンも仲睦まじい夫婦関係を望んでいるわけではなさそうだった。
これから結婚式だというのになんの感情も浮かんでいない。そんなヘルマンの横顔を見ながら、ルーテシアはむくむくと持ち前の好奇心が湧き上がるのを感じていた。
(ヘルマン様。この方はどんな時に笑うのだろう。笑ったらどんな顔をするのでしょうか)
結婚式から2月が経った。ルーテシアの旦那さまは結婚式の間も、同じ家で一緒に暮らしはじめてからも笑顔を見せることはない。笑わないどころか同じ家で生活していて会話もほとんどないくらいだ。二人の結婚生活はそんなスタートであった。
二人は寝室も別で、生活時間も微妙にズレているので、普通に過ごしていたら顔を合わせることがない。望んでいた形の結婚生活のはずなのに、ルーテシアは複雑な心持ちで日々を過ごしていた。
「浮かない顔してんねー」
ルーテシアが仕事場であるアルビリオン王立図書館の受付でぼんやりとしていると、同僚のオベロスタ・グラッグがひそひそ声で話しかけてきた。青い髪の毛を外側にぴんぴんとはねさせたオベロスタはルーテシアの三つ年上の男性だ。
年上の異性ではあるがオベロスタは親しみやすく、仲がいい。それに、五年に一度程しか人員が入ってこない王立図書館では年の離れた者が多く、二人はお互い一番年の近い同僚なので親しくなるのは必然でもあった。
オベロスタは色恋の話が大好物で、今も瞳を輝かせている。ルーテシアはオベロスタの紫色の瞳を見ながら、ヘルマンと同じ色でもまったく別物だな、と思う。
「とても新婚とは思えないね」
「嬉しそうに言わないでくださいよ」
ルーテシアはため息混じりにそう返す。
「ルーテシアの望んだ形の結婚だろう? やっぱり結婚してみて後悔とかあるわけ?」
「後悔とはちょっと違うんですが……」
言葉を濁して図書館内を見る。今はちょうどお昼時で、図書館には一人も来館者がいなかった。それを確認してから、ルーテシアは重い口を開く。
「好きになってほしいとか、普通の夫婦のようにしたいとか、そういうのはないんです。ですけど、同じ家に住む者として、まったく話さないのはどうかなって」
「話してないの? まったく?」
「……えぇ。顔も合わせていません」
「それは……」
オベロスタも苦い顔をする。
「それじゃあ、もちろん笑った顔も見たことがないんだろうね?」
「はい。家で何度か顔を合わせた時も“笑わない騎士”のままです」
「ミステリアスだねえ」
ルーテシアの隣に座っているオベロスタは、音を立てないように指でトントンとカウンターを叩く。ここで働く司書は、人がいようといまいと音を出さないような動きが染み付いている。
「それは、なんていうか息がつまりそうだ」
「そうなんです!」
ルーテシアは小さなボリュームのまま声色だけで興奮を表す。
「まだどんな人なのかも知らないんです。同じ家に暮らしていながら、オベロスタさんと同じくらいの知識しかない。……将来有望な若手騎士で笑わない、ということくらいしか知らないんです。それってなんだか、つまらないですよね」
ようやくいつもの調子に戻ってきたルーテシアは頬を膨らませる。元来、ルーテシアは好奇心が旺盛で、なんでも知りたがる気質だ。それが謎多き騎士と結婚したというのに、何も知ることができないなんて、物足りないという気持ちがあった。
「それに、私だってオベロスタさんと同じように興味があるんです。だって、“笑わない騎士”ですよ? 笑わないって断言されたら、笑わせてみたくなるじゃないですか!」
「ははは」
オベロスタは声を殺して笑う。ここが図書館でなければ、お腹を抱えて笑っていたはずだ。オベロスタは笑い上戸である。
「そりゃそうだ。じゃあ笑わせてみなよ、ルーテシア。君にならできるよ」
「そうでしょうか?」
ルーテシアは首を傾げたが、オベロスタは力強く頷く。ルーテシアは人当たりがよく、誰にでも好かれるタイプだ。そんな明るいルーテシアならあるいは──と、オベロスタは思っていた。
「まずは相手のことが知りたいなら会話からだね。同じ家に住んでいるんだからどうにでもなるだろう」
オベロスタにそう何度も励まされて、ルーテシアの瞳に輝きが戻ってくる。
「そう、そうですよね! よし、今日から私、ヘルマン様とお話してみることにします。それで、可能ならば笑ったところを見てみたいです」
愛のない結婚とは言え、家族になったのだ。せめて相手のことが知りたい。ちゃんとした夫婦のようにはなれなくても、家族なのだからもう少し親しくなりたい。そういう気持ちがルーテシアの胸いっぱいに広がった。
「ルーテシアなら笑わせられるんじゃないか?」
「どうでしょうか……。容易ではない気はしますが。何しろ、結婚式でもあの顔のままだったのですから」
「言えてる」
オベロスタは声を殺したままくっくっと笑う。
「ですが、笑っていただけるよう、やれることはやってみることにします」
そう宣言して、ルーテシアは早速頭を働かせる。どうしたらヘルマンに会えるだろうか。いつも帰りはルーテシアの方が早いから先に食事を済ませてしまうが、ヘルマンが帰ってくるまで待っているのはどうだろう。
いつもの調子に戻って頭を働かせるルーテシアを見て、オベロスタはくすりと小さく笑った。
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