第10話 終わりの始まり

魔術士の位階、その上位に位置する者達は当然ながら高等魔術を愛用する。いざ戦闘となればボロス・ブラストを挨拶代わりに叩きつけ合うのが常となっている高等魔術士の中でも、六魔士ヴァヴ七魔士ザインに身を置く者しか扱うことの出来ない……即ち、最高難度を超越した魔術が多数存在する。

 名は体を表し、その魔術の総称は超越魔術。略称にして越魔とも呼ばれるその術において最強の破壊力を持つ術式は—————「業火剣嵐バハムート」と名付けられた、魔術界最大の滅炎だった。

 それを束になったとはいえ学生が使える道理は無い。単純な技術力のみならず尋常なき才能までもを要求し、それらが揃っていてなお魔装の質によっては発動出来ないことが多々ある。

 故にこその成功である。完全に不意を突いた強襲は寸分の狂いもなく貴賓席を滅却し、プラズマを漂わせて融解した貴賓席跡で原型をとどめているものは塵一つ無い。

 —————はずだった。


『やってくれるじゃない……! ぐううあっ、イタズラが過ぎるわよお子様どもッ…………!』


 もうもうと立ち昇り吹き荒れる蒸気とプラズマの嵐の渦中で、歪な翼を広げた悪魔が怒声を吐き散らす。流石に無傷とはいかなかったようで、美しいドレスや顔の所々に煤がつき、枯木の翼も片方が焼け落ちてしまっている。

 それでも空中に浮遊できるのは魔術の効果によるものか、異能によるものか。


「全くもってその通りですねぇ……セイントフラグマの構築があと少し遅れていたら、死んでましたよ? オブセットが」


 セレスティアへのダメージは全てオブセットが肩代わりしている。それを利用した黒衣の男は防御魔術で業火剣嵐バハムートの威力を殺いで悪魔を盾にしたのだった。重力操作の術で浮遊するこの男、悪魔よりも悪辣である。


『その時はアンタの魂を引きずり出して延命するわよクズがっ! ……まぁいいわ。あんな超高火力を連続で出せるはずもないし、あの連中が戻ってくるまでに魂の百や二百、奪い取ってやるわ』


 赫にぎらつく双眼で悪魔が眼下を睥睨する。状況を呑み込めておらず呆然とする者、姫に取り憑いた悪魔を見て愕然と声を失う者……そして、青白い顔に尽きぬ闘志を宿してこちらを見据える少年少女。

 その筆頭とも言える浅葱色の少女にふと違和感を覚えた。


『……アタシの異能が解除されてる? いや違うわね、感じるわよ処刑人……直ぐ其処に—————アンタの仕業ね?』


 オブセットの呟きが先か、それとも。


 —————ビキッ、ギギキギキ、パリンッ。


 学園の防衛結界に刻々と刻まれてゆく亀裂、それが奏でる破砕音が先か。

 空間が歪む。規模の大きい転移魔術特有の空間のゆらぎは、まるで揺れる水面宛らに波紋を起こし、唐突に人影が湧出する。

 それは波乱の幕開け。虚空からオブセットへと突進し斬りかかる人影は、脊柱の剣を肩口に構え無感情な声音で呟いた。その人選に予想を裏切られはしたが、納得はいく。悪魔は両の手に荊を纏わせて迎撃態勢へ移行した。


「やぁ。死ね」


 曇天色の瞳はいつも以上に深く澱み、その言動には一切の緩みが見当たらない。容赦が無い、と表すべきか。

 少なくとも、教師の面構えでは断じてなかった。




 転移術の前兆を見た次の瞬間に黒衣の男は手を打っていた。


「《影よ僕に》《蠢く奇怪に》! さぁさ、狂宴の時間です。精々踊りなさい、叫びなさい……逃げ惑うその背を射抜いて差し上げましょう! 白日に骸を晒しましょうやァァァァッ—————ひひははははァぁ!!」


 男の絶叫。指差した先へと射出された黒矢は会場の床へと染み込み、陽射しをものともしない闇の泉を作り出した。その闇から蒼く輝く眼を持つのっぺりとした漆黒の獣が溢れ出す。生物の形を模しただけのそれは、破壊衝動の塊だ。

 狼、猛禽、巨蟲。蠢きだす黒の暴虐が濁流となって迸る。条件起動リンク・インヴォークによって鼠算式に増殖していく怪物の波は瞬く間に観客や生徒へと押し寄せ—————


「死兆星が見えるか、影の輩ッ!!」


 唐突にその勢いが停滞する。影を押し留めているのは、幾本もの歪曲した片手剣ショートソード。星雲の様に煌きを放つ剣軍は瞬く間に影の獣を串刺しにしていく。然し無尽蔵に増殖していく影は、貫かれ塵と化して消えた側から湧き出る。

 拮抗した両勢を背景に、因縁が運命の鎬を削る。混沌の会場を真っ二つに別つ二人の魔術士は対称的な色をその瞳に宿して睨み合った。


「…………貴方では相手にならない、とは言いませんよ。純粋な技量では私に劣るとも優らない……それどころか真っ向から挑めば、斬って捨てられるのは私の方でしょうね。ですが、貴方は私より弱かった、だから敗北した。『私に有利な戦場だったから』なんて言い訳にもなりません。—————弱者に興味は有りませんよ、エルクレウス=メティアル」


 黒衣の男はダークグレーの癖っ毛を、魔術方陣が描かれた手袋を嵌めた手で搔き上げる。その仕草には冷酷な侮蔑がありありと表れており、観客席付近へと高度を落としてエルクレウスへ浴びせた視線は冷酷の青を冷たく閃かせている。


「弱者に興味は無い、か。その割りには楽しげに生徒達を甚振っていたそうではないか……『狩人』を自称するくせして、根本的な部分はやはり殺人鬼と変わらんようだな? それも最もタチの悪い快楽殺人鬼と。—————尤も、それを抜きにしても私は貴様を許しはせんがな。『夢見の魔眼テレスコープス』幹部、『影狼』のリグル=アーチャー」


 生真面目を形にしたような厳格な顔つきを静かな憤怒に染め上げて、エルクレウスは幻星雲ステラの柄をきつく握り込む。その胸中は怒りの炎に焦がされているが、頭の中は至って冷静。十魔公の名は伊達ではない。

 瞳に紅の怒りを宿して、エルクレウスはリグルの零度の視線を焼き尽くさんばかりに睨んだ。


「……はぁ、致し方ありません。今回の目的を達成する上で貴方方は、少し戯れましょうか」

「なんだと……?」

「貴方が弱いからではありませんよ? 戯れ程度に済ませなければ私が保ちません。この肉体は戦闘には不向きなので……殺意も程々に殺し合いましょう—————ッ!?」


 弾かれたようにリグルが明後日の方角を射抜く。

 直ぐそこまで迫っていた火球は突き刺さった魔力の黒矢を呑み込み、盛大に爆炎と衝撃波を撒き散らしてリグルを地へと墜落させた。

 受け身を取り、それでも殺しきれなかった衝撃を堪えながらリグルは油断無く弓矢を番え—————嗤った。


「あぁ、あぁ! 私は残念で—————大変残念でなりませんッ! 憎きクルス=ディバーツに戦闘用を殺されていなければ……貴方を全力で狩り殺して差し上げたものをオォォ! 『断罪』ィイ!!」


 嬉しそうに狂気を垂れ流す戦闘狂に対して、空中の闖入者—————アヴァドンはエクスキューショナーズソードを上段に構えると、無機質に詠唱を開始した。


「……《罪に罰を》《命に終わりを》《その頸に断骨の刃を》。目標、確認。直ちに斬首刑を執行する」

「獣諸共屠ってやろう! 教え子を非道に晒された我が怒り……子を殺された龍に匹敵すると思うがいい!!」


 エルクレウスの怒声の裏でずるりと響く狂人の舌舐めずりを皮切りとして、挨拶代わりのボロス・ブラストが紅炎を奔出させた。






 地上の混沌を他所に、上空ではクルスとオブセットがそれぞれ魔装と翼を振るって高速戦闘を繰り広げていた。

 片や術式を改変した短期速攻用強化魔術「デビルズトレイド」の輝きを身に宿し、片や「執着の魔眼」を火炎もかくやと輝かせてドレスを焼べる。

 両者から立ち昇る波導は大気を揺らす陽炎だ。剣と翼、蹴撃と長爪、魔術と異能。互角の戦勢は一体どうしたことか、クルスへと大きく傾いていた。

「業火剣嵐」のダメージが後を引いていることは確か。だがそれだけでクルスがオブセットを圧倒できるだろうか。

 可能である。—————クルスの魔装が、脊柱剣であれば。


『ぐうう……その剣、どうなって……!? 魂のアタシに直接干渉なんてバカげてるわよ!? そんな悍ましいモノ—————アンタ、なにをやったっていうのッ!?』


 一撃を翼で受け止めたオブセットが奔る痛みに悶絶の悲鳴と狼狽を叫ぶ。

 超越魔術の中には特例を除き使用・研究を許可されない術が存在する。そのどれもが倫理に反する外法の醜類であり、魂に関する術がそこに該当する。それは禁忌の屍術ネクロマンスとして知られる最悪の呪い。意識を残したまま魂を内側から蝕みやがては肉体をも支配する、魔術士の生み出した魔術悪だ。行使に莫大な贄を必要とする為に禁忌指定されるこの術は、使用する時点で悍ましき惨劇を作り出す。


「……別に、何も? さ。少なくとも、彼女カフィーネに頼まれたこと以外は……何もしてないよ—————はっ」


 表情は皆無、洗い立ての綿布のように純白。その白いベールの向こう、殺意だけが曇天色に澱む。のっぺりとした会話もそこそこに繰り出された袈裟斬りの中に、オブセットは無慈悲の意味を垣間見た。

 クルスは畜生の道に落ちたわけではない。この剣が生まれた経緯も、オブセットの邪推とは程遠い。

 ただ、死後逝く地獄場所は……変わらない。

 クルスの斬撃が密度を増して加速する。より速く、より深く。目の前の命をがむしゃらに殺す。

 脳天への振り下ろし、手首を返して金的を斬り上げる。当然防御されるが————オブセットに疲れが見え始める。

 —————見逃すものか。

 連鎖する急所への一撃リーサル・ヒット

 心臓、肩口、内腿、手首、肝臓、顔面、エトセトラ。遍く人体の弱点を情け容赦なく攻め立てる。人間を魔術ではなくその手で屠った経験を素人目にさえ理解させる、最高に効率の良いヒトデナシの証明。息をするように致命の一刀を繰り出すクルスの眼には、僅か十三歳の少女など映っていない。

 確殺クルスの眼には、殺すべき魂しか見えていない。

 痛いだろう、苦しいだろう。肩で息をするオブセットの頭は苦痛一色のはずだ。

 繫ぎ止める。人々の平和を絆で繋ぎ、親愛にて悪を止めようと尽力した少女の魔術特性はその方向性を他でもない人々によって歪曲を余儀無くされ……その効果は死して尚、苦しみを与えるため振るわれる。

 脊柱剣「飽界のディリプシィ・楔剣ダークリヤ」。その特殊付呪は悲愴なりや、生前の少女を「四導」足らしめた魔術特性と同じく「楔」。

 森羅万象、一切合切を繫ぎ止める能力は少女の願いを裏切って、「魂を肉体へ深く『繫ぎ止める』ことによって痛みを強制させる」という残虐な用途に駆使されていた。


『あが……っ! あああ、あ、あああ————?』

「《堕ちてくれ》」


 術式改変。冷血にさえ聞こえる無彩色の一声は、紡ぐ呪文に込められたデビルズトレイド全身に重ねがける。強化呪文の重ねがけは肉体に強烈な負荷を強いる。オブセットへと一撃を見舞い撃墜するも、クルスの両腕からはブチブチと生々しい怪音が連鎖している。

 


「怖いだろう? 痛みが這いずる感覚は。……お前が本当に執着しているのは魂じゃない、『生きる』ことだ。宿主のセレスティアが死ぬ寸前に願った純粋な生への執着に引き寄せられて、お前は召喚されたんだろう。————まぁ僕から言わせれば、素直じゃないの一言に尽きるけど」


 地に伏せ、痛みに歯を食い縛るオブセット————セレスティアの根底にある願いを、クルスは見抜いていた。

 生存願望には理由が付き物。ただただ純粋に生きることを願う人間などいない。生き甲斐という言葉は生存を二の次にしている証拠だろう。

 オブセットの場合は……否。最早この悪魔にはオブセットの存在が殆ど残っていない。

 の場合は。至極単純な話、渇愛だ。

 母親に早々に先立たれ、残る父親にさえまともに愛情を注いでもらっていないこの憐れな王女は、悪魔の精神を知らず知らずのうちに塗り潰していた。

 ————愛されたい、ただその一心で。

 にもかかわらず未だにオブセットが悪魔の体を保っていられるのは、セレスティアが己の真意を諦念で覆い隠しているからだ。必要なき罪悪感に苛まれ、素直に愛して欲しいと言えないのだ。

 クルスがそれを指摘すると、彼女に異変が現れる。


『消えたくないぃ……! アタシはこの世界で生きるのよ……!』


 手負いの獣、といったところか。口角に血反吐を流し、翼は根元から千切れかけている。まだ幼い肢体は落下の衝撃で傷だらけ。誰の目にも明らかに、死がすぐそばで手招きしていた。


『こんなやつに、自分の望みと向き合うことも出来ない小娘にッ!』


 全身から流れる、赫い雨。

 翼から滲み出る、蒼い雨。

 鮮血と樹液が混ざり合い、二つの人格が一つの器の内に溶け合い————一方の色に染まる。


『嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ! いや……あ……ぁぁ—————アイ、シテ……?』


 荊が灰と散る。翼が塵と消える。赫き瞳が青白く色褪せ、肉体の主が眼を覚ます。

 その瞳は、炎の様に揺れていた。





「メィ! コーネリウス! クロンさん! 無事で何よりなのですよ!」

「リリィの言う通り。せんせたちのおかげで黒いのも減ってきたし、安心ってやつだよね? にーさん!」

「油断はできねぇがな。だがまぁ、流石は伝家の宝物ってとこか? メィドールのタクトがありゃ、大分籠城にも余裕ができるわけで……曲がりなりにも固有魔術の影どもを操るなんて、とんでもないシロモンだなオイ?」

「…………いや、おかしい」

「んん? 何がだ?」


 B組の選手たちと共に待機席へ避難してきたメィドールたち。影の獣をタクトの特殊付呪で操っていたメィドールは怪訝そうにタクトを見つめた。


「いくらなんでも、簡単すぎる……? あの時より、弱い?」

「……あのクズ野郎、何か企んでいやがるな……? —————まさか」


 瞠目したクロンが、弾かれたように状況を確認した。

 影の大群と剣の星雲。必死に防御結界を張って観客の安全を確保している教師陣。爆音、雷光、吹雪の止まない十魔公と狂人の戦闘。悪魔と戦う恩師。そして—————客席階下に、環形に集結し体表を泡立たせる異形の影。

 望んだわけでないとはいえ、元々は同じ景色を見ていたクロン。故に、この光景の意味が分かる。

 誰にも気付かれぬよう、隠密に、死角に設置されたはちきれんばかりの怪物共。


「—————身を守れええええええええええええッテメらああああああああああああああ!!」


 呆然と階下の闇を見つめたクロンが全霊を賭して発した警告も虚しく。

 会場二階、閲覧可能席全てが魔力爆発により崩落した。





 砂煙が黙々と立ち込める。

 朦朧とするメィドールの耳に聞こえて来たのは、誰かの怒声。男性、だろうか。嗄れ声が何事かを吠えている。


 —————! —————が!? —————なよ!? こいつは—————だ!


 崩落のせいで耳がおかしくなってしまっている。途切れ途切れに聞こえた絶叫には、どこか懇願の響きがあった。


 —————死んでも—————だろう? —————お終いに—————だよ。


(あ……この声、少し、高めの男声—————クルス、先生?)


 久方振りに聞いた気がする、担任の声。懐かしさすら感じているのに、安心できるはずなのに。

 いつも以上に淡々、のっぺりした声音は寧ろ……怖い。

 不穏を纏ったクルスの声は次の瞬間、メィドールの意識に凍てついた。



 —————セレスティアを、殺す。


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