第8話 反撃の狼煙と悲哀の遺骨

 

「なるほどねぇ……僕がぶつけたクッキーから逃げてる途中で動く死体リビングデッドと化した親衛隊と鉢合せ、そこに割って入ったコイツに助けられ、他の連中が巻き込まれるのを避けてここに来た……。こんな怪しいやつによく連いて行こうと思ったねメィドール?」

「有無を言わせず、転移魔術で連れてこられたというか、そうせざるを、えなかったというか」

「————ロリコン、申し開きは無いね?」


 ハイライトの消えた真っ暗な瞳で自身を処刑しようと息巻くクルスに指をさチェックメイトされ、仮面の男は魔術で加工した嗄れ声で即答した。


「————出来心で、つい」

「死ねや」


 軍用攻勢黒魔術「ボロス・ブラスト」が教会の閑散とした空気を粉微塵に吹き飛ばした。

 薄汚い鼠色の仮面越しからでも分かる様な殴りたくなる笑顔を浮かべ、親指までバッチリ立てていたのだから仕方ない。

 遺骸を片付けに外へ出たアヴァドンを余所に、なんでこの二人はこんなに仲が良いのだろうと不思議に思うしかないエルクレウスとメィドールだった。




 煤汚れ一つ付けずに爆炎の中から再登場した仮面の男はケラケラと無邪気に笑う。全く緊張感を感じられないが、明かされた正体はメィドールの頬を引き攣らせるには充分であった。

 十魔公統率者「魔帝」。本名は不明だが、それは魔術士としては珍しくもない秘匿に過ぎない。重大なのはその肩書を上回る実力である。

 曰く、四導と同格の魔術士。同じ十魔公さえも追随を許さない圧倒的な実力に加え、司令塔として極めて優れた能力。表立って活動することのない謎の魔術士として知られる彼の情報をメィドールが知っている理由は、彼女がインターセプト家として王城へ赴いたことがあったから————などということでは無くて、本人がペラペラと聞いてもいないのに語り出したからである。偉大な魔術士は何故こうも変人揃いなのかと思わず頬が引き攣ってしまったというわけだ。


「さて……悪ふざけはこの辺にしておこう。お互いに聞きたいことがたくさんあるはずだし、時間に余裕なんて全くねぇんだからな」

「全くだよ。それじゃあ早速一ついくよ。ここに至るまでの顛末は全部、君の掌の上かい?」

「勿論。エルクレウスには会場へ残って貰う予定だったから、伝えてはいなかったが……この娘がいるなら、作戦に支障は無い。掌の上を多少転がっただけだ」

「僕の生徒を勝手に巻き込むとは、どんな了見だ……とは、言えた義理じゃないね」


 それは恐らく、テロリスト襲撃の際にメィドールの力を借りた時の後悔から出た言葉だろう。

 生徒思いのクルスからすれば、生徒であるメィドールを巻き込むのは苦渋の決断だったに違いない。


「……話を戻すぞ。この作戦の目標は王女の救出と悪魔及び召喚者の排除。それが出来ないのは先手を打たれちまったからだ。……そうだよ、お前との『悪魔の契約』で俺たちは人質を取られちまったわけだ。まさかお前がそこまで熱心に教師やってるなんて予想外だったぜ? ————ま、ともかくだ。作戦の最終調整を行う。エルクレウス、契約の内容を詳細に教えてくれ。クルスは————そっちで特別授業してろ。最悪その娘が命綱になるんだからな」

「私が、ですか…………?」


 仮面の向こうから注がれた視線に戸惑うメィドールを代弁する様に、氷結した様に沈黙不動の体勢を崩さなかったエルクレウスが真剣な眼差しを送る。その声音は凍てついていて、「十魔公」に切り替わったことが窺い知れた。


「学園生徒の安全を絶対保証、異能はやはり契約の対象外の模様。代償として奴が考案した賭けに強制参加。その内容は————もうご存知でしょう。————————命綱とは、随分と責任重大な言葉を使いますね? 何をさせるおつもりですか」


 まるで銃口。魔術によってその存在意義を破却された武器に、非常によく似た、エルクレウスの追及。

 それに仮面の男は————————————


「『正義』の味方って、やつだな」


 至極淡々と呟いた。至極平静に呟いた。嗄れ声で呟いた。

 その裏に隠された真意————彼の本懐に気づいていたのは。


 やはり、同じくして、魂の冒涜をこそ己の正義とする神父だけだった。











 競技場の熱は再び燃え上がっていた。理由はただ一つ、A組の復活である。

 優勝候補とされていたB組と得点を巡り勝利を巡り優劣を巡り。他クラスとの不和など、この大会では最早塵芥。

 殴り合うように点を競い合う様は「イベント」としての側面を全面に引き出し、観客を含め全員が笑顔を爆発させて熱狂している。例年までと違い、新競技が追加されているというのもあるだろうが。


「いいぞ、その調子だクロン! 焦るんじゃない————良しッ、それでこそだ……なんだ今は観戦に集中して……ってチャリオット?」

「そーいえば、メィとせんせ、いないね? コーネリウス。さすがに心配ってものだよね?」


 くいくいとコーネリウスの袖を引いたハクレの表情は不安げに曇っており、そんな姿を見てしまった以上は紳士のコーネリウスは無下には扱えない。…………それだけが理由かどうかはさておいて。


「……ふむ。熱中して忘れていたが、先生とインターセプトの姿を全く見ないな。菓子の対処に手間取るわけもないし、もうすぐ【アインレジウス】が始まってしまう。なにより忘れていたが勝たなければ………………くっ」


 折角の高い士気をわざわざ地に落とし必要もあるまいと唇を噛んで言葉を噤む。

 脳裏に浮かぶのは絶望に青ざめるメィドールと、王女に根差した悪魔。

 コーネリウスがまた焦りと不安に巻かれそうになった、その時だった。

 明朗な小動物系クラスメイトの声につられて、待機席へと走り寄ってきた男女へと振り返り、「なんだなんだ?」と他のクラスメイト達も集合する。


「メィ!! 遅いのですよー! 事情があるとはいえ先生も……え? エルクレウス先生?」


 そこに居たのは浅葱色の髪を乱して息を荒らすメィドールと仏頂面のエルクレウス。

 そこにクルス担任の姿がないことに、誰もが首を傾げた。

 

「エルクレウス先生、クルス先生は何処ですか? 貴賓席にもいないようですし、貴方がここにいらっしゃるということは、クルス先生も無事脱出出来たのでしょう?」

「無論だ。そして奴は此処にはいないが、安心しろ……などと言っても、お前達が心から安心しないことは理解出来るとも。目の前に『流星』がいてもお前達が真に頼りたいのは、忌々しい事に……あの菓子中毒似非神父だけなのだろう?」


 やれやれと言わんばかりに片目を瞑って見せたエルクレウスの言葉は、唐突ではあったが、その場の誰もが揃って首を縦に振る分にはなんの不足も異常もない。

 クルス=ディバーツという男の前代未聞な教育の、輝かしい副産物。それは信頼か絆か、ある種の愛か。

 眩しそうに両の目を閉ざして、エルクレウスは踵を返した。

 己の戦場へ向かうために。


「ならばお前達は愚直にもあの男を信じ、崇高なる魔術を学ぶ者として、この大会で成果を挙げてみせろ。……アインレジウスは魔術祖マギレジウスへ捧げる決闘だ。激励のつもりなのかもしれんが、奴から言伝を預かっている————『悪魔を倒そう』だそうだ」

「それって————————!」

「勝て、ということだな。それをこの私に言わせるとは奴こそ悪魔ではないのか! 対戦相手は私のクラスだというのに…………。まぁいい、後のことはインターセプトに聞け。全ての指示を預けてある」


 足早に立ち去っていくエルクレウスの背中を、誰もが感謝とともに見送った。

 この異常事態でも変わらない、頼もしさ。クルスには無い暖かさが、今のA組にはありがたかった。


「————よっしゃ、やる気出てきたっスよ〜! あそこまで言われたんスからもう優勝するしか無いっス!!」

「そうね〜、すっごく複雑な顔してたけど〜、ちゃんと激励もしてくれる辺りはやっぱり生真面目ね〜。それでメィ? 私たちは〜何をすべきなのかしら〜?」

「…………え、えっと、その。いいのかなぁ……?」


 何故か躊躇うメィドール。泳ぐ視線にハの字に落ちた眉は、メィドールにしては珍しい表情だった。


「いいに決まっているだろ? この事態を治められるなら多少の無茶振りでも構いはしないさ」

「そうなのですよ? というか悪魔と菓子を取り合って殴り合う担任とか見ちゃってるせいでもう驚き方が分からないのです! あははは」

「それは笑いごとじゃないんだよね。そうだよね?」


 ……異常事態のせいなのか、それとも担任に毒されたのか。おかしなテンションでケラケラと可憐に笑うリリィにジト目でツッコミを入れるハクレ。

 心優しいリリィのこと、きっと私を安心させるために笑い飛ばしてくれているに違いない、そうだそうだ……。と自分に言い聞かせながら、メィドールは意を決して作戦を伝達した。


「じゃあ————王女殿下を、丸焼きにする人、この指とーまれっ……。なんちゃって」


 クルスに言われた通り、場を緊張させない様にお茶目なウィンクとともに人差し指を立てたメィドール。その仕草奇行自体は新鮮で、美麗なメィドールがやると不思議と様にはなる。

 クルスの思惑通り空気が張り詰めはしなかったが————


『…………んんんんん?』

(恥ずかしい! 恥ずかしいぃ! 私の、キャラじゃ、ないぃ……!)


 その作戦————もとい提案は、国家反逆罪の片棒担ぎ要請であり。

 羞恥と唖然、異なる理由で沈黙する両者の顔は、色は違えど笑顔であった。

 理解不能に固まった笑顔と林檎の様な羞恥の笑顔。どちらも幸せになれなかったこの一連の流れを忘却の彼方へ葬り去り、彼等は真顔で話し合い始めた。









「固有魔術方陣設置完了。中継転移点トランスィトポイント遠隔穿置せんち————術式起動。『進撃の楔:破壊式』。————さて、準備はいいかお前ら……これから会場に無理矢理な転移を開始する。学園の侵入防止システムはいつも以上に強固なはずだ。かと言って学園前に転移してから入場許可証を使って入るのは悪魔ヤツに攻撃のタイミングを教える様なもんだからな、『破壊転移』の術で防衛結界を食い破って侵入する。その後はお前らの出番だ」

「……やつがれが召喚者を襲撃、『流星』が。そして————」

「僕が王女サマに取り憑いた悪魔を殺す。転移開始の合図は会場から……」


 ちらりとクルスが学園の方角を見据えて呟いた。「火柱が上がったら」。

 一抹の不安がよぎった様に見えた。その色の無い表情に。

 それは、この二人だから気づけたことだ。


「……徒労だぞ。

「お前が育てた生徒たちを心配するだけな。ほら、アヴァドンとかいうとんでもない前例が目の前にいるわけだしよ。誇っていいと思うぜ? お前の人を育てる能力は」

「別に心配はしてないさ、そのことにはね。心配なのは……あの子達が悪魔の真実を知った時のことだよ。本来授業では一切教わらない、この次元に生きる魔術士の犯した大罪の一つを……彼らは目の当たりにすることになる」

「…………やつがれには教えたことをインターセプト嬢らに教えていないとは……優しさの意味を見つけたのか? いつも仰っていただろ、『本当の優しさを探さなくては』と」

「まさか。未だ暗中模索さ。優しさが如何の斯うのの問題じゃないんだ、教えられるはずもない————悪魔が別次元の人間だ、なんて」


 曇天色の双眼をアヴァドン《弟子》は不意に降りた静謐の向こうに透かし見た。かつて路地裏で、襤褸を纏った矮小な己に菓子を差し出し居場所をくれた……全てを与えてくれた恩師の目。

 まるで変わらない曇天は晴れず、鈍色を昏く湛えるだけだ。


「加えて、あの場にはリリィが居る————知ってるだろ、魔剣に見初められてしまった哀れな娘さ————だから、もし自分達が人殺しを成し遂げてしまったことに気づけば、伝説の魔剣が見逃すわけもない。沸き起こる嵐宛らの悪感情を」

「四導のお前なら叛逆の魔剣ビトレイヤル・ファングの暴走を止めることは容易、それでもわざわざあんな遠回った作戦でとどめを刺しに行くのは……教え子にこの世界の闇を見せたくねえからか? ————それは姑息に過ぎんぞ」

「分かっているさ、だから今回は『確殺アナイアレイター』に退化もどる。丁度良い、卒業試験ってことにしようか。『確殺』は今日蘇り、そして永久に陽を拝むことはない」


 クルスは魔帝へ向き合う。過去のクルスを写し出した格好に、仮面。それはまさに亡霊と呼ぶに相応しい。

 彼はクルスを呼ぶためだけにこの変装をしているわけではない。それは、寧ろブラフ。変装にも目的はあるが、真の目的を達成する上ではブラフと呼べよう。

 帝国民の救助。そのためだけに、一人の少女の死を冒涜してこの遺骨を彼は持ってきたのである。


「魔剣所持者調査の報酬をまだ受け取っていなかったね。今ここで受け取るとしようか、僕の唯一の友達」

「…………まぁ気づいちまうよな。お前なら必ず気づくはずだ、あんなな伝言でカフィーネの名を出されたら……な。————殴るなら」

「全部終わってからだ。カフィーネだって、そうしてほしいに決まってるさ。『自分よりも他人に笑顔になってほしい』お人好しが……自分の為に争ってほしいわけがないもの」

「……先生。カフィーネ、とはあのカフィーネ=アルカトラズのことか? 四導の中で唯一帝国へ協力的だったという————『飽界アウトゲイザー』のことを言っているのか」

「そうだよ? そして彼女は今。ずうっと気にしていただろう? その脊柱の剣を」


 魔帝の左手に握られた奇妙な魔装。魔装として精錬された際に余程強烈な魔力負荷が加かったのだろう、本来の緩やかな歪曲はすらりと伸ばされ、緻密質な骨表面は黒褐色に変色し、禍々しくも神々しい————奇怪な艶を放っていた。

 その外見は骨としか呼べない。否、正しくは人骨だ。脊柱とは、つまりは頭蓋骨後方から尾椎に至る肉体の中核。明らかに大人のモノではないそれは、細身で儚い、抱き締めれば折れてしまう様な————そう。


 ————————少女のそれだ。



「彼女は優し過ぎる人間だった。だから、僕みたいな罪深いやつはあの娘のお願いを断れなかったのさ……。僕が人を殺すたびに泣いてたっけ。やれやれ、これだから優しい人って度し難いよ。メィドールといいリリィといい……カフィーネといい。

 ————人間僕等は咎人だ、生まれ落ちたその日から。産声とは罪の告白、そしてその先の人生で積み重ねる罪業の予告。死を嫌い悪を憎み、命を貴ぶ自分達は何者よりも清く美しいと宣ってみせる……其の実、本当に悍ましいのは自分達だって気づいちゃいない」


 クルスが左手に魔力を集中させる。その大半が肉体的魔力————マナだ。

 鳴り響いた共鳴音が、閑教会の塵芥を撫ぜるが早いか。魔帝の手から遺骨が弾けるように離脱する。

 余りの勢いに魔帝をよろめかせた魔装はクルスの掌へと。一目散に回転しつつ飛んでいった様は、兄の元へ向かう幼い妹を幻視させる。


「おかえり、カフィーネ。これまでずっと、帝国の切り札として封印されてたんだろう? ご苦労様。でも……もう一度だけ、いてくれるかい」


 ————それは誰のため? あなたが悍ましいと忌み嫌った、人々のため?


「かもしれない。でも、やっぱり僕はさ。腐っても君の兄貴分だったから……」


 人は生きるために血を流す。魂を幾度と砕き、何度でも彼らは、優しさが報われない世界へと塗り変える。

 リリィの言う正義はきっとこの世のどこにも在りはしない。人が人である限り、あの少女の願う善なる正義は、悪意と一緒くたに排斥されるのが関の山だ。

 腐った世界。理不尽な運命。カフィーネがそうだったように、リリィも報われないかもしれない。

 だから。


「君は、君のために泣き疲れてほしいかな」


 亡き少女の遺骨。教師印の手袋の下、その掌で事あるごとに撫でた可愛らしい頭蓋があった場所は、無骨な柄でしかない。

 決別と追悼を抱いて見上げた空は、紅蓮の焔に濡れていた。

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