第2話 破壊された常識

 


「さて、それじゃあ授業を始めるとしようか。魔術基礎I、か……どれどれ…………」


 教科書をペラペラとめくりはじめたクルスを前に、教室の空気がガラリと変わる。

 教科書とノートを開いてペンを持ち、クルスが黒板に文字を書くのを今か今かと待ちわびるその集団に例外はいない。一年次生A組というクラスそのものが、学習欲に統率されていた。


「…………なるほど」


 クルスがぼそりと呟く。ようやく待ちわびたその時が来たのかと、生徒の注目が一点に集中する。

 クルスの左手————チョークを持つべき、その手のみに。

 そしてクルスは視線を一点に集めた左手を持ち上げ、チョークへと向かわせる——————ことなく。


「《灯火よ》《白き灰を産め》」


 教科書に左手を翳し、劣級魔術『フラム・ドロップ』で灯火を落とした。


「………………え」


 誰が呟いたのか。その一音で教室の中に満ちる思いが代弁された。

 刻々と白い灰に変わって逝く教科書を誰もが唖然と見つめる。

 その中で、メィドールは違和感を感じた。


(あまりに動作が自然で、何が、おかしかったのかは、分からないけど……何かが、おかしい)


 しかし、違和感すらも吹き飛ばすようなおかしな事をクルスは言った。


「全員教科書を閉じて。何なら焼いていい」

「そんなわけにはいきませんよぅ!?」


 思わず叫び返すリリィに、クルスは淡々と言った。


「もう二度と使わないし、かさばるからそれでいいと思うけど……」


「でっ、でも授業をするって……」

「授業はするよ、勿論。仕事だからね……それじゃあ手始めに問題を出そう。君、名前は?」

「リリィ=フロリス、です……マトモにお願いしますよ?」

「はいはい……じゃあ復習も兼ねて。魔術行使のプロセスを言ってみて」

「えっと、魔術式選択→魔術式装填→魔術式起動→魔術発動、です」


 魔術には術式という、いわば設計図のようなものが存在する。それを記憶領域の中から選択し、自身の魔装へ装填、そして魔装が術式を読み込み、それに対応した内容に現実を改変する。


「ん、正解。魔術士になりたいとか言うんならまぁ、常識だよね——————で、本題なんだけどさ」


 クルスが菓子を食らう。ストレンジムーンと呼ばれる、齧るたびに味が変わる帝国伝統のお菓子だ。

 月の名を冠するだけあって白いそれを、満月から三日月へ変えてクルスは言った。


「魔装が干渉してるのって、そのプロセスのどの部分か分かってるかい?」

「馬鹿にしないでくださいよ、先生。そんなの決まってます、魔術式起動の時でしょう? まったく、授業を受けていなかったとは言え、僕らは狭き門を潜り抜けた猛者の中の選りすぐりなんですよ? それくらい分かるに決まっているじゃないですか」


 眼鏡をかけた男子生徒が呆れたように肩を竦める。

 彼の言葉に同調する生徒も多いようで、クラスの半数が首を縦に振っていた。

 だが、返ってきたのは蔑むような視線と呆れ声だった。


「やっぱりいつの時代も優等生ってのは傲慢なものなのかなぁ? そういう風潮でもあるのかい? やれやれ————不正解だよ。魔装の干渉は装填の時点で始まっている」

「な——————」


「そもそも魔装ってものは、人が簡単に魔術を扱えるようにするために発明したものだ……それは皆も知ってる通りだよね。魔装が普及した結果、この国は裕福となり、更なる裕福を求めるために人々は魔術を探求し始めた……で、どうなったのかな? 魔術が発見された当時と比べてどうなった? 魔装が必要以上に魔術を簡易化してしまったが故に、魔術士という生物は退化し、誰でもできた過去の技術が今や高等技術扱いだ————例えば」


 クルスは食べかけの月を頭上へ放り投げ、呪文を唱えた。

  魔装無し・・・・で。


「《我が五指は紅蓮の牙》」


 魔力を込めた言語——魔術語スペルで、毒突くように呪文を唱える。

 瞬きする間にクルスの右手が燃え盛る爆炎の巨腕と化し、その凶悪な爪がグバリと牙を剥くように開かれる。

 魔神の如きその巨碗を振るい、クルスは落下する憐れな菓子を塵さえ残さず消し去った。


「魔装を必要としないこの技術を高等技術だなんだと言ってる|高位魔術士(アホ)がいるみたいだけど、コレ魔術創成期には誰でも出来た技術だからね」


 魔装無しでの魔術行使。超越者の御手ニードレスと呼ばれるその技術は、帝国内でも扱える者が極めて少ないことで知られている代物だ。

 それを扱えるということは、この男は極少数の一員であるということ。

 先程教科書を焼いたフラム・ドロップで感じた違和感にメィドールは気づく。

 魔装無しでの魔術行使。それをあまりに違和感なく使用していたが為に、魔装を使用していないという事実に気づくのが遅れたのだ、ということに。

 同じくそれに気付いたらしい数人の生徒達の、クルスを見る目が変わる。


「誰にでも出来たなら、君達にも出来る」


 クルスは熱を冷ますように右手を振り払い、魔術を解除した。


「僕の授業では君達の知る魔術は教えない。僕が教えるのは『新世代』の魔術だ————証明して見せてよ。君達が傲慢な愚者ではなく、選りすぐりの猛者だってことをさ」


 振り払われた熱風が、生徒達の向上心、探究心、そして何より好奇心に火を点け、追い風となった。






 









『新世代』。その言葉はその日の内に学園中へ拡散し、多くの者の心を鷲掴んだ。

 最初こそ教師陣も学習範囲を逸脱しているのではと反発する者がいたのだが、一人の熱心な若い教師がクルスの授業を見て学ぼうとしたところ、その授業の有用性に目を剥いた。学習範囲の逸脱どころか以前よりも質の良い授業に文句など言える筈もなく、一週間たった今では教師陣の熱心な連中もクルスの授業を参考にしたり、学んだりしようとしているのだった。


 当然、エルクレウスを筆頭としたクルスの授業を批判している者達は歯軋りしてクルスを呪うのだが、当の本人はそんなことは露知らず相も変わらず菓子を山と積み、食いながら授業をしている。


「魔術とは肉体的魔力炉たる心臓で作られたマナと精神的魔力炉たる魂で作られた魔力を用いて行使する技術だ。魔力で術式を構築し、マナで構築した術式を現実に投影して何かしらの現象を引き起こす。ここで重要なのは『どんなに小規模でも世界を変えている』という点だよ。既にあるべき形で完成している世界を書き換えている・・・・・・・わけだ。すると世界はそれを攻撃だと見做して反撃してくる。生命力の根源であるマナを削り取るっていう形でね。これが一般的に言う『魔力消費』ってやつさ」


 魔術士という存在になる以上、それに全てを賭す覚悟でなければこの学園には入学出来ない。今更命を削られていると言われて怖気付く者は誰一人いない。


「マナの役割は術式を現実に投影することだ。込めるマナが多ければ多いほど術の威力は跳ね上がる。まぁ今更言うまでもないよね……問題はマナを一度に大量に込めると、寿命を著しく縮めるってことだ。君らは魔術の発展の為なら命すらも惜しくないとか思ってるみたいだけど、考えてご覧よ? あっさり逝っちゃったら魔術発展に大して貢献出来ずに無駄死にしちゃうワケなんだけど、そこの所どう考えてる?」


 授業の初め、魔術の礎になる事こそが至高にして本望だと豪語していた者達が苦い顔で俯く。


「今僕の視界に入っただけでも七割くらいの人が顔逸らしたよねぇ……やれやれ、君ら魔術以外に生き甲斐無いのかよ? 僕みたいに菓子食ってほんのり和やかに生きようと思わないのかな。ん? 僕みたいに生きてたら胸焼けが治らない? ははは、バカなことを、菓子食えば治るって。

 …………まぁ僕が言いたいことはさ、魔術を研究するにしてもわざわざ死の近道を疾走する必要は無いってことだよ。本気で魔術に打ち込むにしても、長生きはしたいだろ?」


 生命第一。全てを、自身すら贄として魔術に向き合う魔術士らしからぬこの考えもまた、人気の理由である。

 表情は常に無表情。愛想何てものはカケラも無し。その声に若干の抑揚はあれど、覇気が有った試しは一度も無い。けれど。

 言動の端々に滲み出る捻くれた優しさが、どこか安心感を与えるのだ。

 ぶっきらぼうな暖かさを持つクルスを支持する生徒は多い。


「だから、この後の魔装演習では世界からのカウンターを最低限に受け流す方法を教えるよ。これが出来れば死神の迎えをある程度はドタキャンできるから、頑張って覚えてね…………じゃ、また次の授業で」


 狂ったように板書をノートに書き写す生徒たちを尻目に、菓子の山を従えてクルスは教室を後にした。








 クルスも教師である以上、学園内に研究室を借りる事を許される。

 しかし彼がそこで研究を行う事などない。そもそも彼は現在、魔術を研究していない。

 既に完成している・・・・・・・・からだ。

 従って、彼が研究室兼自室へ向かって行う事は依頼主への定期報告だけに絞られる。


 ドアノブを握り、掛けられた魔術錠へ魔力を流す。ドアノブに記録された封印の魔術が効力を失い、アンロックされる。

 魔装の技術を応用したこのドアノブのような物を魔道具というが、世界からのカウンターが術者ではなく魔道具本体に直接入るためいつかは壊れてしまう、というのが魔装との違いだ。更に、魔装はこの世全ての魔術に対する半永久的魔術媒体となり得るが、魔道具は多くて二種類程度の魔術媒体にしかなり得ない、というのも決定的な違いである。


 菓子の山を従えて部屋に入るクルス。後ろ手にドアを閉め、魔術錠をロック。

 簡素な本棚に簡素な椅子と机、魔術でコーティングされた木製の壁に床という実に普遍的かつ生活臭を感じさせない部屋の中で、クルスを見つめる瞳が二つ。

 机の上には黒い猫が居た。金眼の奥に王家の紋章————蒼い龍を囲む魔法陣が透けて見える、王家御用達の通信用魔術人形。いつぞやの鳩と同類である。

 クルスが猫を撫でると紋章が煌めき、猫の口が人語を紡ぎ出した。


『よぉ生徒思いの人気講師サマ! 見てたぜ? また派手にやったもんだなオイ! 基本人間嫌いなお前にしちゃ頑張ったと褒めてやるぞぉ、アッハッハッハッハッ』

「前から思ってたけどさ、ここまで忠実に通信相手の表情再現する必要性ないよね? なんなの王家お前の御用達。クオリティ高すぎるよね? 今ブン殴りたくなるくらい腹立つ顔してるよこの猫。口どころか目まで三日月型になってんだけど。どうなってんのこれ? この顔を見せるためだけに僕に定期報告やらせたんじゃないだろうね、アイザック」

『そうだと言ったら?』

「××××××××××××××」

『はっ!? 何て!? 何て事言いやがったのお前!? メッチャ不穏な事言わなかった!? 耳がその言葉を拒否したんだけど!?? 本能的に拒否しちゃってんだけどォ!?』

「想像以上に反応が希薄で誰が例の魔装を持ってるのかまるで分からないんだよね。これから魔装演習の授業だから、その時に見つかるんじゃないかな。自分の魔装を持ってるって事は、それを学園側に許可された成績優秀者だけだからね」

『………………話変えるの強引だな……。そうだな、そうなるだろうよ。だが、向こうさんがお前を怪しんでいないとも限らないからな。ミステリス魔術学園そこには多くの貴族関係者がいる。テロリストとかが意図的に例の魔装を持ち込んでるってのも十分ありそうなセンなんだ。後、追加の情報な。どうやら下手人はお前の担当クラスにいるらしい。心当たりがあるなら、それも配慮してくれ』


 貴族、と聞けば数人の生徒の顔が頭に浮かぶ。どの生徒も勉強熱心で、個性豊かだ。

 その中でも特に、メィドール=インターセプト。あの少女はかなり怪しいとクルスは思っている。

 常に疲れた顔をしているあの少女は何を考えているか分からない。磨耗した、という表現があれほど似合う人物もそうはいないだろう。

 齢十四、五の少女がどうすればあの様になるのだろうか、そう考えればクルスに思いつくのは物騒な想像ばかりだ。

 まぁ彼女がテロリストだとは本気で思ってはいないが、もしそうならば。


「了解。まぁサーチアンドデストロイでいくから問題ない」

『心配だなぁ、おうさますごく心配だなぁ……。あんまし問題起こすなよ? 俺の懐的にも、あの娘的にもさ』

「…………」

『あの娘の所有権を盾にしてこんなことさせてる俺が言うのも何だが、お前が傷ついて一番悲しむのはあの娘と教会の子供達なんだからよ。あまり心配かけてやるなよ』


 クルスに魔装捜索の任務を依頼した際、帝王アイザックはある少女の所有権・・・を報酬に提示し、クルスから拒否権を強奪した。

 クルスからすれば、それは人質を取られたに等しい。

 罪悪感を帯びたアイザックの声は限りなく純粋な善意で出来ていた。


「……わかっているさ。分かっているよ」

『……そうか? なら、王様すごく安心だぜ』

「…………あっ、最後に一つだけ」

『ん? 何だよ?』

「僕の魔力感知能力は魔術特性の都合上、半径三十センチくらいまでしかサーチできまセン」

『——————心配だなぁッッ!!?』

「じゃあね、王様。さも自分は悪くない風に良い話を聞かせてくれてありがとう。今度会った時は【業火剣嵐バハムート】を奢らせておくれよ」

『最強の黒魔術じゃねぇかそれ!? やめて死ぬ! 恐怖でハゲ散らかっ————』

「通話終了っと……お疲れ様、にゃんこ。行っていいよ」

 にゃおう、と一声鳴いた人形が窓から抜け出ていくのを見送りながら、静かに、想いを込めて、クルスは呟いた。

 

「この世で一番君を悲しませたのが、恐らく僕だ。だから、これ以上はもう無い。君を笑顔以外にさせるものか。

 ————すまないが、もう少し待っていてくれるかい? カフィーネ」


 踵を返すクルスの耳に届いたのは儚げな返事か、授業の予鈴か。

 どっちにしろ彼は急がねばならない。

 演習場はクルスの自室がある本校舎東館二階の真逆にあるのだから。

 丁寧に自室の魔術錠を再度ロックし、彼は自己強化の魔術を使用して全力疾走した。

 ————次の授業まで、後四分。



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