第1話 お菓子な教師の初授業

 

 ——————エルソレイユ城下町。


 それはこの国、魔導帝国エルドラドの中で最も繁栄している町の名だ。

 至る所に噴水や花壇、魔術の始祖神マギレジウスの石像が建ち並ぶ荘厳かつ美麗なる町であり、その最もたる特徴はミステリス魔術学園が設置されている、帝国内最高の学級都市であることだ。人呼んで『宝石箱』、そう異名を取るこの町はやはりというべきか、宝石や金銀などの魔術媒体となる貴重品の類を多く産出している。

 城下町でありながら、度を超えた華美、即ち成金染みた街並みではない理由は、宝石を装飾よりも魔術に費やそうと考える人間ばかりが集うエルソレイユならではの風潮である。

 古典的な角張ったデザインの街並みは歴史を感じさせ、宝石類を掘り出す際に副次的に大量産出された粘土を使用した煉瓦で作られた暖色の街並みは、むせ返るほどの陽気を生み出している。

 それは微かな朝靄の残滓を匂わせる、早朝のワンシーンでも変わらない。

 この町は学究都市であり、それ故に数多くの学生達がこぞって学園へと向かうのは必然である。そして朝早くから学園へと足を運ぶ少年少女をターゲットに、朝食を販売する屋台が多く出店するのもまた必然である。

 少女が一人、サンドウィッチを購入して歩き出す。

 学園の制服である紺色のプリーツスカートに純白のベスト、首元には一年次生の証たる黄色のネクタイ。手袋を付けた両手でサンドウィッチを食むその姿は、この町では見慣れた学生の姿に相違無い。

 しかし、その美貌は幾度見ようとも褪せることの無いような、幻想的な美しさを湛えていた。

 艶やかな浅葱色の長髪にルビーを思わせる紅蓮の瞳が印象的なその少女は、淡雪の如く白く滑らかな肌も相まって、一枚の絵画のようである。

 にもかかわらず、その紅蓮の瞳は暗く曇った暗紅蓮。アンニュイな儚さを放つ、実に独特な雰囲気の少女でもあった。

 そんな彼女の耳に、快活な足音が届く。

 彼女としては、その足音の主に心当たりしか無かったのだが、振り向くのも面倒であるし、と歩き続けた————ばふっ。

 何が派手に音を立てて彼女へ抱きついた。それに慌てるでも無く、彼女は挨拶を返した。


「おはようリリィ。大通りの真ん中で抱きつくのはヤメテ、目立ってしょうがない」

「おはようですよ! メィ!」


 メィ————メィドール=インターセプトに抱きついたのは、リリィ=フロリスという、メィドールと同じ制服を纏った無邪気な笑顔が特徴的な少女だった。

 若草色の瞳はまさに、生え出でたばかりの新芽の如く明朗で、後頭部にバレッタで留めた桃色の髪は咲き誇った一輪の花のようである————磨耗した美を放つメィドールに対して、リリィは快活な生命の美を思わせる可憐さを持つ少女であった。

 最初こそ迷惑そうな顔をしていたメィドールだったが、リリィの無邪気な笑顔に絆され、やがて二人揃って学園へと歩き出した。

 

「今日からマトモな授業が始まるのですね、メィ!」

「ん……新しい先生が来るんだったっけ……そうね、例え優秀じゃなくっても、前任よりはマシな|先生(ヒト)ならいいね」


 楽しそうに革製の通学用鞄を揺らして笑うリリィに対して、メィドールの返事は失望の色を隠そうともしていなかった。


「確かに、バーディ先生は色んな意味で凄かったのです……授業中に葉巻を吸うって教師としてどうなのです? かなりのヘビースモーカーでしたよね?」

「言うまでも無く最悪、ね————はぁ、まったくあんな人を雇用するなんて、学園長は何を考えてたのか」

 

 リリィが苦笑を浮かべ、メィドールが忌ま忌ましそうに溜息を吐くその様から理解出来るように、彼女達の前任は碌でなしであった。

 授業の質は最底辺、板書は眉間に縦皺を刻む程に醜悪、更に唾棄すべきは授業中の喫煙。あまりの煙たさと悪臭に何度も苦情を寄せたものの、多少回数が減るだけで大した改善が無く、生徒達の間では劣級魔術『スロッピーゲイル』で鼻と口周りに風のマスクを作るのが暗黙の了解となっていた。


「あんな授業でも出席しなければ評定を下げられるんだから、理不尽極まりない」

「あはは……でも一度だけマトモな授業をしてくれたことがありましたよね? 渋々って感じでしたが……」

「そうね、確か、精神干渉術インターフィアー屍術ネクロマンスについてだった……あの時の授業だけはマトモだったわね、過激な発言が多くて集中しづらかったけど」

「普段からあれなら良かったのです……」

「えっ? リリィ、貴女あんな過激な授業を常々受けたいの……? 趣味を疑うよ?」

「ふぇっ? イヤ違うのですよぅ!? 普段からあれぐらいマトモならって意味でして、決して過激なのが良いというわけではっ」

「分かってるよ、落ち着いて。周囲の目が痛いでしょ」

「私が悪いのですかっ?」


 その会話を眺める人々の目はどう見ても侮蔑のものではなく、微笑ましいモノを見るそれなのだが、慌てているリリィには知る由も無い。

 会話に花を咲かせつつ、学生服の美少女二人が朝の雑踏に溶けていった。










 ミステリス魔術学園は帝国内最大と謳うだけあって、膨大な数の学生達が在校しているために、数々の学生の助けになる施設が存在する。

 大図書館、学生寮、決闘場に魔術演習場、果ては召喚術演習場など、その種類は多岐に渡る。

 校舎本館そのものも巨大かつ荘厳であり、敷地だけなら王城とどっこいとは、有名な話である。

 何もかもが壮大なこの学園は中庭ですら、かなりの広さを誇る。

 そう、中庭ですら相当に広いのである。

 リリィとメィドールのいる正門から程近いとはいえ、中庭である以上建物の向こう、つまりは校舎の奥にあるわけだ。

 だと言うのに正門まで轟いているこの罵声は、いったいどれ程の激情を内包しているのだろうか。

 

「朝から何の騒ぎ?」

「分からないのですが……この声、エルクレウス先生なのでは?」

「……あの冷静沈着なエルクレウス先生がこんな罵倒を吐き散らすなんて、中庭で何が?」

「行ってみるのです!」

 

 そうして中庭まで進んだ二人の目の前には、何やら揉めているらしい二人の男を囲む人集りがあった。


「そもそもキサマッ!! 崇高なる魔術を学ぶ場で下品にも食べ歩きとはいったいどういう了見だ!? そして何なんだその菓子の山ァ!?」

 

 烈火もかくや、という勢いで口角泡を飛ばして罵倒する、生真面目を具現化したような顔付きの男。歳の頃は二十代後半といったところか。この男こそが件のエルクレウス=メティアルである。

 僅か十六歳という若さで彗星の如くその名を帝国中に広めた天才魔術士であり、王家直属の魔術士部隊にして生徒一同の憧れでもある『十魔公』の一員として「流星」の二つ名で活躍している大人気講師なのだが、今は忿怒で表情を歪ませ、普段の冷静さは見る影もない。

 

「僕にとって甘味を食すことは呼吸すると同義、つまりこれは僕の命を繋ぐ大事な魔力源なんだよ、うん。そういう事なら文句は無いよね」


 対して、もう一人の男は奇妙そのものだった。

 見様によっては背の高い少年にも見えなくは無い。それ程までに若い青年だった。

 くすんだ鉄色の髪に曇天の空も裸足で逃げ出す程暗いダークグレーの瞳がどんよりと仄めき、教師の証たる紅の龍が刺繍された新品の白手袋とくたびれた漆黒の神父服が対極的なその青年は、左手で山積みの菓子類を抱えていた。

 その量たるや、エルクレウスの罵声混じりの驚愕もうなづける無尽蔵具合である。少なくとも人間が朝から食べる量ではなく、何人かの生徒が口を押さえていた。

 惚けた態度の菓子神父に、エルクレウスの怒りの火が油を得て爆熱する。


「そんなワケがあるかァ!? むしろ文句しかないわ馬鹿が!! 菓子の持ち込みは百歩、いや万歩譲って良しとしよう、だがそれを食いながら練り歩くのは下品である上に他者へ迷惑をかけるだろうが!? 事実それで私にぶつかってるワケだしな?!」

「成る程、確かにこんなにお菓子を山と積み上げていたら前方不注意に陥っても不思議は無い。猛省しよう」

「フンッ、やっと理解したか」

「次からは魔術で浮遊させておくとしよう」

「食べ歩いている事を咎めているのだ馬ァ鹿ッッ!!!」


 ふわりと菓子の山を浮遊させて心なしか納得したように見える菓子神父にエルクレウスがキレる。

 今朝サンドウィッチを「下品にも」食べ歩いていたメィドールには耳が痛い。

 次から気を付けようとメィドールが密かに決意したその瞬間、予鈴の鐘が高らかに幕引きを宣言した。

 それを聞いて生徒達も解散していく。今朝は全校朝礼があるので、意識の高いミステリス魔術学園の生徒達は瞬時にスイッチを切り替えて、召喚術演習場————講堂へと向かった。


「チッ……なんと間の悪い……おいキサマ、名は何だ。この屈辱、いずれ必ず果たさねばならん」


 怒り冷めやらぬエルクレウスの問いに、菓子神父は。


「さて、名乗る程の者では無いし、朝礼の時間も迫っているようだから、それはまた今度にしよう。失礼するよ」


 ペキッと齧りとった板状のチョコレートをひらひらと振りながら、のらりくらりと去って行った。

 怒り心頭のエルクレウスが憎々し気に盛大な舌打ちを一つ残し、学園に平穏が戻った————




 ——————のも束の間。


 全校朝礼にて菓子神父は驚愕の事実と共に再登場したのである。

 菓子神父は、抑揚の少ない声を魔術で拡音してこう言った。


『クルス=ディバーツ。一年次生A組の全教科を担当するよ。まぁ、よろしく頼むよ』


 壇上でクッキーを齧りながらの挨拶に全校中が唖然とする中、ふわふわと宙を漂う菓子の山を従えて菓子神父は舞台の袖へ消えた。



 一年次生A組の生徒一同は非道く憤慨していた。

 前任は碌でなし、そして信任は菓子を貪る似非神父。いくら学年最優秀の名を欲しいままにするA組と言えど、自主勉強でどうにかできる範疇などたかが知れているのだ。事実、昨年の一年次生、つまり今の二年次生より授業の進行速度は遥かに遅れている。


 魔術を学び、その努力によって帝国へ貢献しようと考える若人達は、こんな理不尽かつ下らない問題でつまづいてなどいられないのだ。

「もっとマトモな教師を寄越せ」、それが生徒一同の心からの訴えにして、憤怒の叫びであった。


「……このクラス、これからどうなるんだろう」

「正直、前回に引き続いてのこの仕打ち、いくら何でもひどすぎるのです」

「学園長に抗議しようかなぁ」

「でも聞いてくれるでしょうか……前はダメでしたよ?」

「今回は私も|七光り(切り札)を使う事にする……これなら流石に突っ撥ねるのは無理…………なはず」


 メィドール=インターセプトは貴族家の一人娘である。ミステリス魔術学園の設立にも多分に関わっており、それを抜きにしてもインターセプト家は王家との関わりを持つ家なので、学園側も無視することは出来ない。


「はぁ……何故帝国最高峰の学校でこんな目に遭わなくちゃいけないのか……」

「もっ、もしかしたら案外マトモな人かも知れませんし、希望を捨てるのは早いのですよっ?」


 溜息を吐いて落ち込むメィドールを慰めるリリィだが、彼女の胸中もまた穏やかでは無かった。

 これからどんな授業が始まるのか。本来期待と楽しみでいっぱいの筈の時間が、不安一色で塗り潰されているのを生徒達は感じていた。


「……? 何か聞こえるのです」

「気の所為かな、この罵声今朝も聞いた様な気が……」


 沈んだ重い空気の中、その声は不思議と響いた。

 そして足音と共に言い合う様な声が大きくなり、教室前方のドアが極めて無造作に開かれた。

 入室したのは、古鉄髪の神父だった。今朝と比べて少し痩せた菓子の山を従えて、エルクレウスの罵声を背景に悠々と教室へ踏み入る。


「私はキサマを認めん! 一ヶ月後の魔術総合大会でキサマのクラスを打ち破って————」


 ピシャリ、とドアを閉め丁寧に封印の魔術をドアに掛けてから、神父は生徒達に向き直った。

 しかし。


「…………………」


 何も言わない。言の葉を紡ぐこと無く口元を引き結び、生徒一人一人を睨め付ける様に見回していく。

 喋らないだけならまだしも、その口に背後の菓子を咥えようともしないクルスに生徒達も動揺する。

 それでも、クルスは何も語らない。不気味な程真剣に、その灰色の瞳から穿つ様な視線を放ち続けている。

 息が詰まりそうな空気の中、沈黙を破ったのはリリィだった。


「えっと、クルス……先生? 授業をお願いしたいです。いいでしょうか?」

「…………君は?」

「あ、はい! リリィ=フロリスといいます! 」


 クルスの雰囲気に呑まれ、ぎこちない笑みを浮かべて自己紹介するリリィを、クルスはやはりじっと見つめた後。


「…………クッキー、食べる?」


 背後の菓子山からクッキーを一枚抜き出して差し出した。

 同時にクラス内の緊張が解ける。張り詰めていた糸が切れた、という表現があるが当にそれだ。教室の至る所で息を吐く音がする。


「あ、ありがとうございます……です?」

「……うん。お菓子が好きな人に悪い人間はいないからね、君はそれをあげるに相応しいと判断したよ。フロリス」

「あの、先生、授業、は……」


 困惑するリリィを尻目に、メィドールがクルスに固い声で問い掛ける。教室に緊張が再燃した。

 生徒達は思い出す。そうだ、自分達がマトモな授業を受けられるか否かが重要なのだ、それを知らずにどうするよ、と。

 ミステリス魔術学園では評価項目がそれぞれ年度ごとに違う。

 三年次生では実技総合、二年次生では魔術行使、そして一年次生では魔術教養である。


 魔術教養とは、魔術士として最低限必要な基礎知識と思考・能力のことで、魔術が関係する職に就きたければ必須である。そして、一年次生で優秀な者は将来的に有利な評価を貰える。故にこの学園の生徒達は皆一様に一年次生では死に物狂いで授業を受ける。

  何故そこまでするのか? その答えは簡単。


 魔術が好きだから、である。

 好きな事に命を懸けられるのが人間であり、魔術士とはその究極形と言える。ならば、魔術士を目指す生徒達が授業を熱望するのは必然であった。

 大好きな魔術にこれからも関わりたい。

 そんな少年少女の熱意と懇願の総意に、クルスは至極あっさりと救いの手を差し伸べた。


「あぁ、するよ」

「! ……………本当に?」

「しなくていいならしないけど」

『イヤして下さい!! 是が非でもっ!!』

「んーオッケー」

『————やったぁぁぁァァァッッッ!!!』


 教室が歓喜の咆哮に満ちた。

 一年次生A組の生徒達にとって、クルスの羽毛よりも軽いその返事がどれほどの救いとなったか、当の本人には知る由も無い。

 ただ、何となく。

 近頃の子供達は随分勉強熱心だなぁと、実に学究都市民として異質な感想を抱くのだった。



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