第5話 末の末まで拘う

 

 ————混沌という言葉の意味を知っているだろうか。平たく言えばゴチャ混ぜ。秩序と対極にあり、知性を持つ人間様が蔓延るこの時代に生きる大抵の人には馴染みのない言葉に違いない。無論僕もその一人、そう思っていたんだけれどね。

 魔術教師クルス=ディバーツは黒魔術「シール・チェイン」で厳重に束縛され、剰え自身の持つ魂をとある賭けにフルベットしているという己の現状を呪った。

 死に切った目で————まあいつも通りの面で————周りを見渡せばまず、はしたなく大はしゃぎで大会を観戦する、セレスティア王女の姿が。比喩ではない。見るも悍ましい暗緑色の枯れ木がセレスティアの華奢な左肩に根を下ろし、悪魔の片翼の様に天へと延ばされている。

 だが、それは悪魔の翼などではない。


 ————悪魔そのものである。


『アハハハハハハ! 稚拙な魔術だけど案外面白いじゃない? 眺めて楽しい、誘って楽しい、奪って楽しい! これだから人間は素晴らしいわ!!』


 枯れ木の翼、その小翼羽に三つの裂け目が生まれる。それは悪逆を宿した一対の眼と汚辱を垂れ流す凶悪な口。

 その声はセレスティアのそれであるが、下卑た響きと垣間見える残忍さがいたいけな王女の怜悧な気品の尽くを蹂躙し、妖魔の様な邪悪極まりない声音へと変貌させていた。

 同調して動く王女の唇と悪魔の醜口を観客や選手の誰もが気に掛けすらしないのは、その背後に立つ赤髪の巨漢アヴァドン=ナンバーアウトが使用した認識阻害結界で一帯を囲んでいるからだ。

 十魔公が一人、『断罪』のアヴァドン=ナンバーアウト。十魔公内で一、二を争う凶悪な固有魔術の使い手として恐れられる人物で冷酷にして無慈悲な処刑人。最近は全く動向が耳に入らなかったがその理由は、この悪魔の監視として王城内に貼り付けだったからだろう。


『アハハ! アンタもそう思うでしょアヴァドン?』

「…………」


 処刑人は語らない。同意を求める悪魔に視線すら合わせることなく虚空を睨むアヴァドン。然しその瞳には煮え滾る憎悪にも似た激情がこもっている様にも見える。

 悪魔の言葉につられて眼下を見やれば、そこにはやはり白熱する競技模様が展開されている。然しよく見れば様子がおかしい選手が混じっている。

 それはA組の生徒だった。必死の形相で魔術を唱える様には異様さを感じざるを得ない。


「動きが単調になった上に精彩を欠いているな、貴様のクラスは……」

「勝ち急いでる感は否めないよね。まぁ自分たちの手にこの場の人間全員の生死がかかってると考えれば当然だけど」

「貴様……他人事ではないのだぞ……奴らが死に物狂いで足搔く理由はそれだけではない、貴様が囚われていることも一因だ」

「前半戦で気が抜けてたみたいだったから、いい感じに緊張してくれると思ったんだけどね」

「緊張しすぎてロクに動けておらんではないか。忌々しい、私はこの様な競合を望んだわけではないぞッ……!」

「……すまない、エルクレウス」


 心底腹立たしそうに吐き捨てたのはエルクレウスだった。痛憤に震えるこの男教師もまた、悪魔の遊戯に巻き込まれた被害者だった。


「貴様にしおらしく謝られると寒疣が治らんわ馬鹿め。……ふん」


 試合を制した自身の教え子の姿に微妙な表情で鼻を鳴らすエルクレウス。それもそのはず、悪魔の提案した「賞品」は————


「この会場にいる全ての人間の魂。Aクラスが優勝すれば良し、敗北すれば惨劇が幕開けるか。数多くの外道を私は見てきたが貴様はその全ての上を行く『醜悪』だな」

『失礼しちゃうわね、アタシは唯美主義者なだけよ!』


 つまりは美術品以外はどうなってもいいというわけだ。この悪魔にとっては人間の営みや幸福、一生など知ったことではなく、むしろそんなことに魂を浪費するくらいならば自分に愛でられた方が有意義である、と。

 胸糞の悪い話だ。何がと言えば、これを邪推であると顧みることを放棄させるほどの悪魔の邪悪さが、である。

 再びはしゃぎ始めた悪魔を視線で呪い、クルスは待機席で切羽詰った表情をする浅葱色の髪の少女に切望した。


(お願いだ……優勝してくれ、さもなければ気付かれてしまうから。気付くのは君だけでいいんだ、メィドール)


 クルスは縛られた左手をきつく握りしめた。

 赤い雫が汗の様に滴った。









 ————それは濃霧中の白昼。幼き美姫へ死の宣告が告げられた過去である。


「王女殿下を……処刑? ざ、斬首って……」

「いったいどういう、ことですか……?」


 あまりの非常事態に顔を強張らせるメィドールと、茫然と呟くリリィ。

 セレスティアは二人に困ったような微笑みを向けた。


「……元々、私は今日この日に処分されることが決定していたんです。最期に友達というものが欲しくて、会場を抜け出して……すみません。巻き込んでしまいましたね。本当にごめんなさい」


 そして振り返ると、自身へ死刑宣告を下した隊長格の男————ロイジを氷の視線で睨みつけた。


「腑に落ちませんね? あくまでも秘密裏に私を処分しろという命が下されていたはずです。からの情報ですから間違いということはあり得ませんし、何よりも————彼の姿が見えませんが……それはどういうことか聞かせてもらえますね? ロイジ親衛隊長。まさかとは思いますが、貴方の独断先行ということは……ありませんよね?」

「咎人に言うべきことは何も無い。貴様は此処で死ね。そして————貴様らも。抵抗を我等が許すと思うな」


 冷徹な刃鳴りがメィドールとリリィ、クルスの首元に。親衛隊の言動には最早、セレスティアへの敬意など欠片も存在しない。高圧的に放たれたロイジの言葉は、暗に魔力探知による牽制が働いていることを告げていた。

 忠誠の牙が添えられ、生殺与奪がいとも容易く握られる。セレスティアが目を見開いて親衛隊の暴挙に驚愕した。


「何をしているのですか!? 彼女たちは何も罪を犯してはいないはずです! 」

「罪、というのであれば、それはこの者たちが息をしていることそのものに他ならない。貴様がその身に宿す悪魔は……無垢なる命を罪過へと堕とす」


 意味不明な言葉とともに、ロイジの冷酷な視線がベンチに座る三人を睨め付ける。

 その瞳に陽炎の如く揺らめく感情を感じ取ったらしく、リリィの肌が激しく粟立つ。

 ————這い上がる悪寒。

 それはリリィが身の内に魔剣を宿しているが故の、悪意を感じ取る力によるものだった。

 ロイジの胸中から溢れる殺意と敵意。それはリリィが生まれて初めて直に感じる最上の悪意。かつて学園を襲撃した黒衣の狂人のそれとは違う、リリィのみを見据えた、混じり気の無い純粋な悪意。

 容赦なく叩きつけられる強烈な威圧に書き消えぬよう、掠れる声を絞り出す。


「人の抱いていい感情なわけがないのですよ……こんな、こんな感情は……」

「……貴様のことは聞き及んでいる。かの魔剣に選ばれた憑代の少女である、と。はっ、やはり大罪人ではないか。貴様の命もまた害悪、魔剣に選ばれたことが何よりの証拠だ」

「————————っ!!」

「死ね、巨悪の娘よ。それが貴様に許された唯一つの善行だ」

「なっ!? リリィ————————ッ!!」


 リリィには捉えられないほどの迅速な挙動で白銀の殺意を抜き放ち、リリィの生命へと迫る。

 それはいとも容易く少女の首を刎ね飛ばす。メィドールの悲鳴を嘲笑するように、リリィの白磁の肌が残虐かつ流麗に斬り裂かれ、断頭。生首がベンチの遥か後方へと吹き飛ぶ。

 ————それが幻視だと理解出来たのは偏に、剣先を摘むように異常な硬度を以って受けとめる三枚の菓子の盾クッキーという異常な光景があったからこそ。そしてそれは、メィドールやリリィにとっては実に見慣れた光景だ。


「クルス先生!」

「なっ!? 菓子!? 何をしているのだ! 魔術士に反抗を許すなどッ!!」

「そ、それが…………」


 周囲の部下に怒号を飛ばしたロイジが焦燥も露わに視界を廻す。

 正面、左右、後方、そこに映る全てのレイピアの切っ先が焼き菓子で封じられている。

 ロイジは親衛隊の隊長として、それなりに数多く修羅場を潜ってきた。不足の事態など茶飯事に過ぎず、魔術を以って王家を守護し、魔力が尽きれば剣を振るい剣が折れれば己が肉体を盾にして、あらゆる事態を制してきた。

 そのロイジでさえ、この状況には狼狽を隠せない。

 この場の全員の認識外から、材質強化と浮遊の魔術をクッキーに使用して制圧。帝国内でも屈指の戦闘能力を誇る魔術士集団である王族親衛隊の魔術感知を透過してそれを行うのは、魔術士の域を超越した神業だ。

 ロイジの額に玉の脂汗が浮き、セレスティアは再び楽しそうに目を輝かせる。両者の視線の先————クルスは怨霊の如くその瞳でロイジを射抜き、溜息諸共、万物破壊の呪詛を吐き出した。


「……《口遊む我の怨嗟は破壊》《仇為す者よ逃げ惑え》《無情なる暴威》《不条理の権現》《有象無象を一歌にて絶やさん》」


 瞬刻、仄暗い瘴気が駆け抜ける。

 クルスを中心に、全方位へと一陣の破壊の風が吹き抜ける。

 そして、異変が起きた。


「なっ!? 剣がァ!?」


 まず剣が砕け散った。親衛隊の掲げる絶対忠誠の証が、枯れの葉の如く舞い落ちる。

 殺意に輝いていた面影は何処へか。鈍色の鉄屑と化した剣の残骸が地に堕ちるとともに、この大事を人目から隠していた濃霧にも変化が現れる。


「霧が……」

「晴れていくのです…………」


 結界魔術「鎛誅霧デイドリーム」による濃霧が吹き飛び、一行が元の晴天の下に晒される。

 白昼特有の平穏な陽射しが降り注ぐ中、クルスはゆらりと首を擡げた。


「お前たちが犯した罪を教えてあげるよ」

「つ、罪だと? ほざけ魔術教師! 我らに楯突いた貴様こそがたいざ————」

「僕の友人の名に汚泥を塗りたくったこと」

「…………友人だと? 何の話をしている?」


 ロイジの言葉を断ち切って、クルスの瞳が怒りで昏く曇っていく。

 その言葉が引っかかったのだろう、訝しむロイジの声を黙殺してクルスは続ける。


「お前たちのそのツラが気に食わない。アイツの......王の為だと、忠臣ヅラしてなんの罪も無い女の子をさも当然そうに糾弾するお前たちの......偽善者の面構えが鬱陶しい」

「なんだと貴様............帝王閣下を無礼に呼称するとは!? 剰え我等の純然たる正義を貶めるか!! 下臈ッ!?」


 血相を変えて激怒する親衛隊の言葉をクルスは、実に淡々と切り捨てた。

 まさに唾棄。汚物を蔑むも同然に言い放たれた言の刃が、彼らの良心を切り苛む。


「生まれてきた事を罪にしてしまう『正義』なんていらないよ」


 ————音が消えた。

 表情が二分される。即ち、苦痛に耐えるように奥歯を噛み締めたロイジたち親衛隊と、その反応に意表を突かれた他の者たちの、真っ二つ。

 ロイジの固く閉ざされた歯列が重々しく開いた。それは罪人の独白か、雄傑の慟哭か。


「............我等とて、真に貴様らに罪があるとは思っておらん。そも、元来それを背負うべきは誰かと問われれば、それは私自身をおいて他にはおらんだろう……王族親衛隊隊長の名に恥じることしか出来ぬ、私をおいて他にはな」


 ロイジが悔しそうに奥歯を噛み締めて唸る。

 それは忠誠と正義を掲げる親衛隊長の矜持。或いは、核心を突かれたことに対する悲哀。


 ————今この場に自分達という偽りの正義は必要ない。そんな、心の何処かで滲んでいた真意。


 ロイジは理解していた。今回の独断が善手などではないと。

 だからこそ、クルスの静謐な憤怒から出た言葉は、ロイジ達親衛隊の良心を痛烈に刺激した。

 必要ない正義。それは換言すれば「悪」も同然。

 ロイジたちはそれを突きつけられたのだ。

 そして同時に思い出す。これは最善手などではない、然し……これ以外に策など無い。

 、これしかない。


「魔術教師。貴様の実力が如何に隔絶したものであっても、我等全員を相手取ることは不可能だ」


 ロイジが魔術士の利き手たる左手の人差し指でクルスを捉え、一瞬遅れて親衛隊がそれぞれの捕縛対象へ指を突き付ける。


「消えよ、そして地獄で恨め。悪魔の囁きに屈した偽善の兵を」


 それは彼が唯一喉奥から絞り出すことの出来た、謝罪の一言だった。

 汚らわしいほどに純粋で、否定したくなるほど真っ当な、無様。

 クルスは防御の術を起動しなかった。それらしい動作も詠唱もしない、全ては沈黙の渦中へ捨て置いた。

 彼の胸中には驚愕があった。即ち脅威に身構える本能的、野生的反射。

 何故に疾るか、その畏怖恐怖。帝国最強の四導ルインズとして、その力を持って魔術を行使すれば何の苦もなく全ての障害を世界ごと書き換えられるはず。眼前にて攻勢魔術を起動する親衛隊長など気にかける必要すらなく、周囲を取り巻く親衛隊員たちは木偶の坊も甚だしい。己の教子二人はそもそも対象外、メィドールが突如発狂して襲い掛かってくることを危惧するのは余りにも馬鹿馬鹿しい。リリィにしてもそう、あの温厚な少女が伝説の魔剣を宿しているとはいえそれがなら予想の範疇だ。

 故に、消去法でただ一人。クルスをほんの一刹那とはいえ自失に追い込むほどに驚愕させる人物は————


『誰が殺していいなんて言ったのかしらぁ? 少なくともは言ってないわよ』


 それはクルスが振り向くよりも早く、彼の顳顬を掠めて飛ぶ。ロイジを破城槌のごとき勢いで宙に打ち上げたのは、死に際の老体を思わせる枯れ果てた暗緑色の呪木。陰鬱かつ退廃的な見た目からは想像も出来ないほど強かに豪傑の屈強な肉体を殴打し、暴風に舞う木の葉さながらに天空へと誘う。

 伸ばした枝はかの王女の触腕。ずるりと奇怪に縮んでいき、セレスティアの陶磁器の様に美しい艶やかな華奢肩より翼と化して控えると、王女の皮を被った悪魔が嗤う。


『アンタ達も同罪よねぇ? 火達磨氷像苗床感電……アンタ達の好み、追求してみた————』

「やめろ外道。私の部下を、虐めるな」


 どさり、と落下してきたロイジを受け止めたらしい何者かの若い声が響く。

 内臓がいくつか破裂しているロイジが、口角に一縷の血線を垂らして息も絶え絶えその名を呼んだ。


「あぁ……『断罪』の……あなた、でしたか————————かふっ……!」

「喋るな。死にたいのなら止めんがな。どうせ死ぬなら厄断やくだって死ね」


 無愛想で無慈悲、ぶっきらぼうだがどこか不器用な優しさを感じさせる……現れた赤髪の巨漢に、メィドールは既視感を覚えていた。


(あれ…………この感じ、何処か、で……)


 一体何処で? 疑義たる感覚と曖昧な記憶に翻弄されるメィドールの意識を現実へ引き戻したのは、微々たるものではあるが表情が引き攣っているクルスの抑揚無き混乱の声であった。


「どういうことか、説明してくれないか『断罪』のアヴァドン=ナンバーアウト? この状況に大して驚いていないということは、王女の監視役でもしていたんだろう?」

「《これよりは亡霊の密会》《能わざるは音盗人の悪行也》……そうだ。だが間違えるな。今此処に王女殿下はおられんぞ、魔術教師」


 認識阻害防音結界の魔術を唱えたアヴァドンの言葉を聞いて、クルスの表情に薄く戦慄が浮き出た気がした。


「まさか……王女サマは……………………悪魔に取り憑かれたと?」

『取り憑いたとは人聞きが悪いわね! ちゃんと契約した結果よ?』

「なんだと? それはどういう————」

『そんなことよりもっ! アタシはこの時をずぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと待ってたのよ!! 今日この日、今日この時! そして…………アンタに会えるこの時をね、リリィ=フロリス』

「リリィに、だって……?」

「わっ、私、なのですか? 一体何故なのです……?」


 この時、既にリリィに精神的余裕など微塵も残っていなかった。

 王女殿下が豹変して、悪魔が自分に用がある? 急変していく事態に脳が追いつかずパニックに陥っていく。

 グチャグチャとこんがらがっていく頭。それに伴い、心の中まで焦燥の火炎で灼かれていく。

 その炎を凍てつかせたのは悪魔の一言、欲望の詳細だった。


『アンタの魂と、この会場内の人間の魂頂く為に決まってるじゃない。魂は美術品。一つ残らず集めるの! 勿論……アンタの魂と融合してる、悪意の魔剣ビトレイヤル・ファングも一緒にねぇ? アッハハハハハ!!』


 その悍ましい願望に、己の「正義」が燃え上がるのを感じて、リリィは怒りに任せて吠えた。


「何を……何を言っているのですかッ!? そんな醜い欲望、許容されるわけがないのです! 確かに命は美しいものです————でもっ、手元に置いて悦に浸る為だけに抜き取るだなんて許されないのです!」

『ヒステリックねぇ。確かにアンタ達人間の感性ではそうなんでしょうね。でも、アタシは悪魔だからアンタ達とは物の見方と感じ方が違うのよ! 許しなんて要らないわよ、他者の価値観なんて知らないわ! そして醜くもないわ』

「どの口がそれを!!」

『アタシに言わせれば人間アンタの方が余程醜くて見苦しいわよ? さっきの言い草にしてもそう、アンタ自分のことについては何にも言わなかったけど……アレかしら、自己犠牲精神とヒロイズムの混濁とでも言えば良いかしら? 自分よりも他人、最悪自分はどうでもいい。そんな風に思ってたんじゃないの?』

「それは…………!」

『図星よね。アタシはまだ比較的に若い悪魔だけど、そのアタシの目から見てもわっかりやすいのよね。アンタのその思想。あーあ、くっだらない! そんなんじゃ正義の味方を気取れすらしないわよ? まぁそうでなきゃ魔剣に見初められたりしないか。それも含めて、くだらないけど。とにかくアンタは————』

「逃げて、リリィ!!」


 急激に膨れ上がった殺意紛いの気配に、メィドールが警告の叫びを上げる。

 再び身体を伸張させてリリィを襲撃する悪魔。だが、唐突に伸長の勢いが止まる。

 樹木の悪魔の目と鼻の先を黒魔術「ベルゼブルズ・サイト」の雷光が通り過ぎていった。

 少し感電したらしい悪魔が、闖入者の曇天色の眼を直視して怒鳴った。


『あうう!? ちょっと!? ピリピリするじゃない!』

「この術式にこめられた電流の威力ってそんな可愛らしいものじゃないはずだけど……」

『一応そこの王女と繋がってるの! 今のは全部アタシが押さえ込んだけど、下手すれば王女が死ぬんだからね!!』

「王女サマの顔で怒鳴られると、凄く新鮮だね」

「この状況で、何を言ってるんですか!?」


 メイドールのツッコミも致し方あるまい。相変わらず緊張感とかそういうものをかなぐり捨てている。

 全くこれだから最近の魔術士は! などと文句をたれつつも痺れが取れたらしい、悪魔がセレスティアの瞳を紅玉の如く赫色に輝かせた。


『これが見えるわよね? この瞳こそがアタシの異能、【執着の魔眼】よ』


 その瞳から不穏な紅線を迸らせて、悪魔がニタニタと微笑む。それは勝利を確信した者が見せる優越の表情。悪魔は高らかに叫んだ。その唯美主義に則った、彼女の存在理由レゾンデートル


『さあ、我が執着に慄きなさい! アタシは愛を以って魂を愛でる者。唯一の美にして唯一の真実を、彼方の果てまで求める者! 畏れるがいい、我が名は かかずらう者オブセット! アンタ達の魂、末の末まで手に入れてやるわ!!』


 それこそが、彼女が悪魔である理由。そのもの。



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