第4話 不穏の幕開け

 

 渦巻く熱気と大歓声。その中心にいるのは、第一種目「クリナガイア」を予想外の作戦で制した一年次生A組だ。

 学園全体に蔓延していたA組を眼下に見るムードを瞬く間に覆し、快進撃を開始する。

 幸先の良いスタートを切り、尚且つ様々な要因が重なった結果、彼らの士気は最高潮にまで達して一ヶ月のブランクという枷を破壊した。解き放たれたA組は止まらない。観客を熱狂の荒波に呑み込んで、生き生きと競技の上位を勝ち取っていく。


『召喚競争【サモンレース】、屈強な召喚獣が召喚され、闘気に満ちた相貌を揃えてゴールを睨んでいます!! 彼らが狙うは最速の座! それではいざ、尋常にィ————ッ、スタァートッ!!

 ————なんだぁッ!? 召喚獣の集団から、猛速度で飛び出して来たのは……亜竜!? A組アラン=ジェスティフと亜竜のブレイズのコンビだァァァァ! 天を切り裂く黒翼一閃! 熱気に満ちる空を、疾風の如く翔けていくッ!! 気性の荒い亜竜の子を完全に手なづけているぞA組アラン! 』


 クルスの作戦と特訓により他選手に対して凄まじいアドバンテージを得た生徒たちは、ブランクなど知ったことではないと言わんばかりに高得点を勝ち取ってくる。

 些かネックかと思われていた、本来なら選抜落ちしていたはずの生徒さえもが奮戦、ドラマチックな勝利を収めていく。無論全員が首位を取ったわけではないが、観客が最も盛り上がるのはA組が参加する競技だ。

 監督しているのが、色んな意味で有名な新人教師というのも理由としてはあるだろう。


(僕とエルクレウスのガチ勝負が真実味を帯びたってのも大きいか……やれやれ)


 そう、クルスとエルクレウスの教師対決が事実であることを貴賓席の足元に設置された得点板が示していた。現在A組は一位。そして二位はB組。逃げるA組と追うB組という構図が、事実を鮮やかに彩っていた。

 メィドールたちはこの状況を喜んでいるようだが、クルスからすればこの現状は喜ばしいものではない。ハクレを初手で繰り出した意味がなくなったからだ。クルスはクリナガイアで大差をつけたまま優勝まで突っ走るつもりだったのだが、B組が予想を遥かに上回る習熟度を誇っているという盛大な誤算があったためにあっさり差を詰められてしまった。

 チームの構成上、クルスのチームの方が有利であるにもかかわらず、である。

 正直クルスがエルクレウスをナメていたというところはある。だが教師としての経験の差がここまで雄弁に実力差を語るとは思わなかった。それは完全にクルスの落ち度だ。


(……やれやれ。分かっちゃいたけれど、一筋縄ではいかないな)


 クルスは眼下の席で声を張り上げる生徒たちの姿を眺めた。視界を埋め尽くす、笑顔、笑顔、笑顔。

 それはクルスが思い描いていた理想の風景。最初こそ勝てればタダ菓子と思っていたが、生徒たちの練習に付き合ううちに彼らが本気で魔術を愛し、大会で優勝したいと思っているのを理解して、気づけば————菓子のことを忘れるほどに、勝たせてあげたいと思うようになっていた。


(素晴らしい。ホントに素晴らしいよ、君ら。僕が菓子食ってる間もずっと練習していたもんね……担任として、誇らしくて仕方ないよ)


 クルスは元々、彼らが勝とうが負けようが、楽しければそれでいいと思っていた。然し、彼らは本気で勝ちにいった。「生徒」として、クルスを信じたが故に。

 クルスには嫌いな言葉がある。「裏切り」だ。

 生徒が自らを信じたのだ————どうして、教師たる自分が彼らを裏切れるだろうか?


『【サモン・レース】はA組アラン君の圧勝でした! いやはや、見ている私たちが痛快な気分になれるレースでした。……さぁ、次の競技はある意味魔術士の伝統! 魔術士流我慢比べ、精神干渉【マインディア】のお時間です!! 注目しがちなのはA組、ガラーザノ選手ですが、この男を忘れてはいけません。B組筆頭、A組の優勝を阻む最強の砦! 最優の公爵家の次期当主、ゼル=ナイトライト選手——————!!

 彼を越えられなければA組に優勝は見えてきませんが、この勝負の行方やいかにッ!!』

「あぁ……ナイトライトが出張ってきやがった!?」

「帝王閣下の懐刀、英雄ヘラクレス=ナイトライトの息子か……ガラーザノには悪いが、手も足も出ないぞ、これは……」


 ナイトライト公爵家。かつて数々の魔術戦争において付呪エンチャントと剣術だけで多くの功績を打ち立てた英雄を輩出した名門貴族。クルスの目から見ても怪物極まりない実力を誇る男に剣を教わった少年が、果たして学生レベルの精神干渉術にどうこうされるほどヤワな精神をしているだろうか。

 控えめに見ても勝ち目はゼロだ。だが、クルスは勝利を疑いはしない。

 信じると決めたのだから。



 貴賓席、セレスティアの楽しげな声が弾む。

 石造りの競技場に立つ十人の少年少女の姿を見つめて、セレスティアは冷徹な雰囲気を和らかく溶かした、年相応の笑顔をアヴァドンに向けた。


「ねぇアヴァドン! ミステリス魔術学園の魔術総合大会は素晴らしく愉快だと聞いていたけれど、こんなにも面白いものなのね!」

「……ええ。今年は殿下が御尊来ですから、尚のこと盛況です。————あのA組担任の教師も、この熱狂の火種のようですが」


 眉一つ動かさずに応じたアヴァドンは、一年次生A組の待機観客席————ちょうど貴賓席の正面に位置する一画を、数多の菓子類とティーセットで彩る青年を見下ろした。


「そうみたいですね……あの方、魔術講師の方だったのですか。お父様の御友人とお聞きしましたが……それにしては随分とその、お若いようですね……?」

「……あの方は昔から変わらない」

「そうなのですか?」

「…………閣下が、そう仰っていました。御学友だったとのことですから、よくよくご存知でしょう」


 不意にセレスティアの表情が曇る。

 暫し流れた沈黙。歓声だけが虚しく轟く。

 沈黙を先に破ったのは、アヴァドンだった。


「……閣下を恨んでおられますか。貴女をこの学園へ入学させなかった、閣下を」

「…………いいえ」


 無理やり晴らした表情で、セレスティアは痛々しくおどけてみせた。


「恨んではいませんよ? 悪魔の憑代である私が生徒たち彼らと同じ学び舎で学べることなんて……きっと絶望だけですし、ね?」

「…………殿下」

「今日ここに観戦しに来た理由も、貴方なら察しているのでしょう? 最期に一度だけ、学校の雰囲気を味わいたかっただけです」

「…………殿下」

「思えば、これはお父様の最初で最後のなのかもしれませんね? 貴方という最高の処刑人に、私の理想という名の処刑台。醜悪な生涯の終幕に見る景色はきっと美しいでしょう————」

「————殿下」


 セレスティアの悲痛なアイロニーを打ち切った声は、純粋で紅く燃え上がる感情に塗り潰されていた。

 赤髪の隙間から覗く眼に爛々と揺らめくそれは烈火の如く。


「それ以上は……許せませんな。やつがれに下された勅命をそのように語られるのは、いかに殿下のお言葉といえど————容赦出来ません」

「…………近頃は、随分と感情豊かになりましたね。嬉しいですよ、我が唯一無二の理解者様」


 振り向くことなく告げたその言葉に、アヴァドンはどんな表情かおをしていただろうか。


「…………首を洗って待っていろ。その首筋に鮮血が映えるように、な」


 なんとなく、セレスティアには分かる気がした。





「マインディア」はガラーザノの伝説的惜敗という結末で終了した。

 マインディアは白魔術による精神干渉で他選手を攻撃し、試合続行が叶わない状態にする、若しくは相手が降参すれば勝ちのバトルロワイヤル。

 ガラーザノは、ゼルに勝てないと判断した他選手が自分を一点狙いで潰しに来ることを予測して、「感覚同調」の白魔術で他選手全員に自身の精神状況を投射。またも予想外の作戦に虚を突かれた他選手たちはもろに痛み分けを食らい、結果、競技場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 最終的に残ったのはゼルとガラーザノ。痛み分け作戦が互いに割れている以上、迂闊に白魔術を使うわけにもいかず、膠着。

 精神的に重傷なガラーザノと脂汗を垂らすゼルは暫くの間睨み合い、最後はゼルが不屈の精神を見せつけガラーザノは辛くも敗れ去った。

 然し、ナイトライト家の人間に一死報いたことが観客にとっては重大な事実だったようで。

 何故か負けたガラーザノに賞賛が浴びせられる事態に発展して、ミステリス魔術学園魔術総合大会前半の部は幕を閉じた。

 そして現在、昼休みである。

 会場や学園が昼食スペースとして解放されているので、多くの生徒が家族と、或いは友人と弁当箱を開いていた。

 ただ、教師陣はその限りではない。生徒とフレンドリーに昼食を食べる者もいれば、先生同士で集まって食べる者もいる。

 そして、独り薄暗がりの中でもそもそと食を進める者もまた存在する。

 普段の学園ならば誰かしらの人影で賑わう、通称「菓子食い問答の中庭」のど真ん中に設置された、エルソレイユならではの暖色煉瓦のベンチ。

 生徒四人が余裕で座れるスペースをがっつり占領して、クルスは菓子を広げてボッチ飯をかっ喰らっていた。

 そもそも貪ってるのが菓子なので昼食なのかどうか。


「ふむ、蜂蜜入りマドレーヌ……中々良いけど、少し甘さがくどいな。チョコミントクッキー……悪くはないけど、たまにでいいや。

 フルーツ生地クレープは————、山羊の脳味噌フレーバーチョコは————」


 第三者から見たら胸焼け必至の光景を展開しつつも、自作の菓子を批評するクルス。

 そんなクルスの耳に心底呆れたような声が響いた。

 クルスが視線を向けると、大きめのバスケットを持った浅葱色の髪と桃色の髪が視界を彩る。


「うわぁ……見るだけで胸焼けがするのですよ」

「あの、先生? もしかして、それがお昼ご飯とか、言いませんよね?」

「おや、メィドールにリリィじゃないか。こんなとこに何用だい? 生憎、ここには僕しか昼飯食ってる奴はいないよ?」

「やっぱり、それお昼ご飯なんですね……あり得ない」


 当然じゃないか、とでも言いたそうな無表情でドーナツを頬張るクルスに口角を引攣らせてドン引くメィドールとリリィ。そんな二人の少女に、極めて心外そうな無表情でクルスが聞き返す。


「君たちは何をしに来たんだい? 僕の幸せなお昼を邪魔するなら君らの口にカスタードシュークリームを一つずつ叩き込むのも吝かじゃないけど……?」

「それはデザートに回していただけると助かるのですよ! 実は、メィがですね?」


 メィドールが持っていた大きめのバスケットを持ち上げる。


「お弁当を、作ったので、その……一緒に食べませんか? 先生」


 妙ににこやかなリリィに、目が泳いでいるメィドール。メィドールに至っては顔が少し紅潮している。

 その様子を見て押し黙るクルス。


(……何かを期待しているような顔のリリィに、興奮しているのか顔が赤いメィドール。リリィは小悪魔スマイルを浮かべていて、メィドールは目を合わせようとしない……ふむ)

「毒でも入ってるのかい?」

「どういう思考回路なのですか!?」

「……先生の中で私は料理下手のイメージがある、という意思表示、ですか……? それともお邪魔、でしょうか」

「いや、そういうわけじゃないけどもね」


 ぶっちゃけ、クルスは甘い物を食べる方が好きで、なんなら一日三食を全て甘味で埋め尽くしてやりたいくらいだ。普段は教会のちびっ子たちに影響が出るため自重しているが、ここは学園。心置き無くスイーツパラダイスに勤しむつもりだったのだが……折角教え子が誘ってくれているわけだ、無下にするのも忍びない。

 クルスは菓子を宙に浮かせ、ベンチの端に寄った。


「じゃあ御相伴に預かるとしようかな? 少し塩気が欲しかったとこだからね」

「は、はい!」


 少ししょんぼりしていた表情が一気に明るくなる。それは基本的に疲労感の滲んだ顔のメィドールにしては珍しい、 晴れ渡るような清々しい笑顔だった。

 そんなメィドールをほんの少し、可愛いらしいと感じるクルス。

 味覚的甘味とはまた一味違うに、心で舌鼓を打ち鳴らす。


「……? 先生? どうか、しました?」

「どうもしないけど……いい笑顔だと思って」

「………………へっ?」

「ふわっ!? メィが茹だったのです!?」

「えぇ……なにゆえ……」


 何故か照れがキャパオーバーしたらしく、動かなくなったメィドールにさしものクルスも無表情ながら困惑する。


「さ、さーて、ではいただこうか。メィドール自作の弁当を摘めるとは……男子連中が殴りかかってきそうだなぁ」

「メィは男子にも女子にも人気ですから、有り得なくはないのですよ……はむっ」

「君も大概人気者だけどね、リリィ…………で、君は何者なのかな。楽しそうなのは結構だけど、盗み聞きは感心しないね?」

「はい? 誰かいるのですか?」


 唐突に何処へともなく言い放たれた言葉に、リリィが困惑する。メィドールはフリーズしたままだ。


「————よく分かりましたね? 流石、A組の担任さんです。認識阻害は得意だと自負しているのですが……あっさり見破られてしまいました」


 クルスの言う通り楽しそうな声が、虚空から明朗に流れ出す。

 空間が解れていく。ベンチに座る三人の眼前の空間が足元から、包み込んでいた声の主の姿を露わにしていく。

 リボンが一つ甲にあしらわれただけのシンプルな藍色のシューズに、宝石ラピスラズリのように煌めく夜空で織られたドレス。きめ細やかな肌に瑠璃色に輝く長髪、幼さの残る顔立ちにペールブルーの瞳を持つその人物の登場に、復活したメィドールが唖然と呟く。


「セレスティア、王女殿下……?」

「はい、こんにちは。メィドールさん、ですよね? 失礼なことをしてしまい、本当にごめんなさい……あまりに楽しい会話だったので、つい」


 全く悪びれる様子もなく微笑むセレスティア。反省の色が見えない、などとは口が裂けても言えない。

 この男を除けば、誰一人。


「開き直るあたり、アイザックの娘だね。あいつよりは利口なんじゃないかと感じたのは錯覚に違いないや」

「せっ、先生ッ!?」


 あまりにも無礼なクルス物言いに、メィドールが絶叫する。セレスティアに対して砕けた口調で話しかけている時点で不敬罪だというのに、帝王アイザックのことさえ呼び捨てにするなど、無礼千万どころの話ではない。

 然し、セレスティアの反応は随分と不思議な反応だった。

 きらきらと瞳を輝かせたのだ。


「貴方は……本当にお父様の御友人なのですね!」

「まぁ確かに友人なんだろうけどさ、なんで嬉しそうなの君? ここ怒るとこじゃない? なんならさ、なんで一人なの? 」

「くすくすくす……本当に、王族が相手でも物怖じしないのですね! 素敵です!」

「……で、王女サマが何の用で来たのかな? 一緒にお昼を食べたいとかなら、歓迎するよ」

「まぁ……! とても嬉しいお誘いです! 是非ご一緒させてくださいませ!」


 本来ならば有り得ない、有り得てはならない気安い会話が交わされるのを見て、貴族家出身のメィドールはともかく平民のリリィは卒倒しそうであった。

 何故に王女殿下がいらっしゃるのか。我らが担任の菓子中毒は何を思って王族にあのような口聞きをしたのか。というか王女殿下も何故楽しそうなのか。

 そんなリリィへと視線を移したセレスティアは困惑を感じ取ったらしく、ゆるゆると苦笑いを浮かべた。


「すみません、少し性急すぎたかもしれません……色々と。実は私がここへ来たのには理由がありまして」


 言葉を切ったセレスティアは、冷徹な印象を抱かせる細面に満面の笑みを咲かせて、リリィとメィドールの手を握った。


「私とお友達になっていただきたいのです!」


 ————刹那、中庭に濃霧が満ちる。


 黙々と、朦朦と、浪浪と。

 一寸先が白霧に遮られ、状況把握もままならない。


「…………落ち着きなよ」


 クルスの無感動な声音が濃霧に木霊する。

 その声に縋るようにリリィが怯えの混じった悲鳴を上げた。


「クルス先生……これはッ? 何が起こっているのです?」

「高等結界魔術『鎛誅霧デイドリーム』……まさか、また————」


 第三者の襲撃か? そう問おうとしたメィドールの鼓膜を、再びクルスの声が揺らす。


「落ち着きなよ、そんなピリピリしないでさ」


 言葉に含まれた奇妙な表現に、ようやく二人は、言葉の受動者が自分たちでないことに気づいた。


「その剣をしまいなよ————王族親衛隊。その剣に誓った誇りを叛逆で汚す前に、さ」


 無感動ながら、どこか威圧感の漂うクルスの一言。それは、セレスティアを中心にクルスたちのベンチを円形の陣で包囲した、背面部に蒼龍が描かれた白コートを纏う軽鎧の男たちへ向けられたものだった。


「その発言、このような非常時でなければ帝王閣下より勅命を下された我等へ対する不敬と見做し、即刻首を刎ねていたぞ、魔術教師。

 ————セレスティア=レイン=エルソレイユ王女殿下。我等が帝王閣下、アイザック=レイン=エルソレイユの名の下に、断罪を誅す旨を通達し、直ちに斬首刑を執行する」


 隊長格らしい男が厳かな声で宣告する。

 セレスティアの首元に突き付けられた幾本の銀刃が、殺意を宿してぎらついた。






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