第3話 フンコツサイシンでがんばったよ

 

  魔術総合大会当日、いよいよ王女殿下の登場を目前に控え、会場である魔術演習場は静まり返っていた。

 魔術演習場はドーム状の円形闘技場のような構造をしており、外側になるに連れて高さを増す三層構造は盃の如く。天井付近に舞うスクリーン・クリスタルが本日は八つに分離して浮遊している。

 この演習場は多種多様な魔術ギミックを秘めた建造物であり、学園長バーソルミューの杖の一振りが、競技用フィールドを一瞬で変貌させる。或いは炎海、或いは凍土へ。

 変幻自在の演習場、そのバルコニー型貴賓席に、蒼龍が描かれた純白のコート姿————王族親衛隊が現れ、王女殿下の登場を絶叫した。


「王女殿下のォ〜!! 御成ィィ〜!!!」


 待機していた楽奏隊の楽曲が鳴り響き、生徒一同が盛大に拍手を打ち鳴らして歓声をあげた。

 歓迎の爆音が会場に満ちる。


「綺麗……宝石ラピスラズリみたい……!」


 貴賓席の奥から歩み出た王女の姿を見て、誰かが感嘆の声を上げた。

 紺と黒のグラデーションに、キラキラと星のように銀色の斑点が散りばめられたデザインのドレスを着用して登場した、王女セレスティアの姿に多くの目が奪われる。

 瑠璃色の長髪は結い上げられ、その妖艶な美を殊更に引き上げていた。

  仕草で手を振るセレスティアをクルスは当然のように、無表情で見つめていた。


「…………ッ……どういうこと、なのですか」


 一人驚愕に息を呑むリリィを、視界の端に捉えながら。







 このミステリス魔術学園のクラスは成績ごとに所属する生徒が分けられる。A組が学年最優秀のクラスであることは周知の事実だが、魔術総合大会は成績が良いクラスが勝つというわけでは断じてない。成績的には最下層に位置するクラスが優勝を勝ち取った事例すら存在するのだ。この大会に浮ついた心持ちで挑む者は誰一人としていない。慢心など、以ての外である。

 然し、今年は例外が存在した。

 クルス率いるA組について、練習期間中に散々囁かれた噂があった。

 ————曰く、A組は一ヶ月間授業をまともに受けられなかったという凄まじいブランクを抱えているのにも関わらず、出場選手を成績優秀者のみに限定しないという暴挙に及んでいる。

 ————曰く、クルスは勝ちを捨てた。

 などなど、多くの噂が囁かれた。

 最初こそ誰も信じてなどいなかったが、A組が練習しているところをどのクラスも一度として見ておらず、クルスを嫌う一部の教師がクルスを嘲笑すらしていた結果、クルスの腑抜けた一面しか見たことのない生徒たちの中にはとうとう噂を信じ、慢心する者が現れた。

 クルスとエルクレウスがガチで優勝を争う、という話も話題を沸騰させる一因となっていたが、今となっては誰もA組に期待などしていなかった。する余地すら無かった。

 そんなことよりも————王女殿下から勲章を授与されること、観客席にあふれかえる両親や学園の卒業生などに自分たちの魔術の矜持を見せること。その方が大切なのだ。

 なんせ今回優勝したクラスには、セレスティア王女殿下からの直接表彰という、至高の名誉があるのだから。

 やがて、勝負の時間がやってくる。熾烈で熱烈な、勝負の時間が。

 魔術士の正装として己の魔装を腰に吊り下げた生徒一同が演習場の競技用フィールドに集合し、恙無く開会式が進行する。開式の言葉に始まり、選手宣誓に終わり————王女の激励を引金に、魔術総合大会が幕を開けた。


 魔術総合大会一年次生の部。

 第一種目は広域制圧「クリナガイア」。

 円形の競技スペースが草木生い茂る森林に変化しており、観客はスクリーン・クリスタルを通してしか選手の様子を確認出来ない。

 クリナガイアは生徒の魔術精度や魔力、マナの操作を試す意味合いを持った競技だ。それ故にルールは単純明快である。

 競技場の森林をより広範囲に渡って破壊した者に得点が入り、他選手を制圧すれば、制圧分とその生徒の破壊した陣地分の得点が加算される。

 つまり、この競技は数多くある魔術競技の中でも指折りに苛烈な分類にカテゴライズされる。

 それ故に待機観客席では、花柄のティーセット一式を広げて色とりどりのマカロンを摘むクルスにリリィたちが不安げな声を上げていた。


「先生……流石にこの競技はハクレちゃんには荷が重いのでは?」


 スクリーンの中で笑うハクレはどうやら鼻唄を歌っているらしく、白雪の長髪を揺らしてリズムを刻んでいる。揺れる髪が子犬の尻尾を幻視させ、首についた鈴付きのチョーカーが更に幻視を助長させている。

 それを不安げに見つめるリリィ。よほど心配らしく、花のような髪型も心なしか萎れて見える。


「……この競技に出場する生徒は乱暴な魔術を扱う傾向にある。中級範囲殲滅魔術で他選手ごと焼き払ってくる生徒もいるでしょうし……フロリスの言う通りでは? 先生」

「そうっスよ! 然も他の連中は皆ゴツい野郎どもじゃないっスか!」

「んー? そんなに不安がる必要性有るかい?」


 クルスが首を傾げる。寧ろ何故不安に思うのか理解不能とでも言いたげである。


「んんん、ちょっと皆が不安な理由が分からないんだけども……まぁ見てなよ。あの娘ガチ編成筆頭だし————あんなに、楽しそうだしさ」


 暖かく見遣るクルスにつられて、スクリーンへ視線を戻すと、実況の生徒が試合開始を告げた。


『さぁいよいよ第一競技【クリナガイア】が始まります! 実況は私、魔術総合大会実行委員会のマイクがお送り致します!! それではカウントダウンと参りましょう!

 ————三、二、一……スタァァート!!』

 

 一斉に初期位置から動き出す選手野郎たち。その狙いは、捨て石に使われた憐れな少女。

 それぞれが魔力探知でハクレの位置をサーチし、我先にと魔術を行使して駆けて行く。茂みを焼き払い、枝を雷撃でへし折り、木の幹を蹴り砕きながら、猪突猛進の勢いで進撃する他選手。

 然し、ハクレはその場から動こうとしない。


『おぉっと! A組ハクレ=チャリオット、四方八方から迫る激震にも微動だにしないィ!? 避けた方がいいんじゃないか!? いや避けて! 全力で避けて避けてぇぇ!!』


 獲物を狩り殺す飢えた獣宛らに男どもがハクレへと迫る光景を見て、誰もがスクリーンから目を背けた。

 少女が悲惨に散る様から、目を背けた。

 故にその耳へはっきりと流れ込む、涼やかな歌声。


「《凍れよ命》《霞めや色彩》《三千世界は時の狭間に氷結す》」


 ————刹那、時が凍てついた。

 そう錯覚してしまうほどに、迅速かつ圧倒的な冷凍。

 スクリーンには飢餓の獣の姿は存在せず、朗らかな笑みを浮かべる少女に手を伸ばすいくつかの氷像が、銀世界の一部として佇んでいた。


『こっ、ごほっ!? これはァ——————ッ!? なんということでしょう、競技場の大部分が選手諸共一瞬にして凍結! これはまさか、高難度黒魔術【ベルフェゴルズ・ソング】ッ!? 一年次生の部でお目にかかれる魔術じゃないぞ————ッ!?』


 拡音の魔術で増幅されたマイクの声が会場に響き渡る。余りの驚愕に息が詰まってしまったらしく、マイクと同じく噎せ返る音がそこら中から聞こえてくる。


『A組以外の全選手の脱落により、勝者ッ! 紅一点、否! 純白一点のダークホース、ハクレ=チャリオット————!! 勝ちを捨てたと思われていたA組、まさかのぶっちぎり! どうやら他クラスは情報戦で敗北していたのかもしれません! 予想外の展開だァッ!!』


 雷鳴のような歓声と拍手が沸き起こった。

 儚く可憐な少女が、唯我の名の下に他を蹂躙したその光景に、誰もが興奮に任せて歓声を浴びせた。


「……なんてことだ。彼女にあんな力が有ったなんて……完全に実力を見誤っていた————いや侮っていた」


 逸早く立ち直ったコーネリウスが目を見開いて唸る。やがて瞠目は満面の笑みを浮かべるハクレから、美味そうに紅茶を啜るクルスへと移る。


「見たことのない魔装、当然のように決着した試合……先生は、知ってたんですか? 初めから————こうなることを」

「……あぁ、勿論」


 クルスは手元のバスケットからリーフパイを三枚抜き取りつつ、ティーカップをゆらゆらと揺らして頷いた。


「全ての練習を教会でやってた僕らは傍目から見れば練習をサボってるように見えただろうね。そんなこと有り得ないのにさ。然も他クラスの先生って皆僕のこと良く思ってないから、真っ先に潰しに来るだろうと思ったよ」


 実際のところ、クルスがハクレを指名したのには「一見弱そうに見える」という理由があった。

 クラス内でも一、二を争う低身長に華奢な体躯。儚さを纏った無邪気な性格と容姿。触れるだけで砕け散る雪結晶のような少女は、極上の獲物に見えたことだろう。更には使用する魔装がクルス特製のチョーカー型。武器を持っていないように見えるというのも、彼らの慢心を加速させた。


「けど、それだけじゃ騙されないヤツがいる。アイツだよ、あの高慢ちきの神経質野郎。僕の自堕落具合だけしか見てない他の連中と違って、アイツは僕が教師に拘ることを知ってるからね。油断なんて絶対しない。全力で対策してくるはずだ。————けど、僕らは全員参加だ。複数の競技に出場するB組の選手たちじゃあ、丸々一クラス分の対策なんてたかだか二週間で覚えられやしないからね」


 エルクレウスはクルスが今回の勝負から降りないことを理解している。故にクルスはエルクレウスを出し抜くことを諦め、早々に切り札の一つである転入生ハクレを切ったのである。


「情報戦で圧勝してるのは僕らだ。他クラスはもうこの時点で敗北必死さ。B組はヤツの采配がある以上食いついてくるだろうけど……まぁ、そこは『質の良い数』でゴリ押すだけ」


 クルスはそこまで言い切ると、リーフパイを三つ同時に噛み砕く。

 そして、B組の待機観客席のとある一点————神経質そうな男の方角を見つめた。

 その瞳に、勝利への渇望を滾らせて。


「勝つのは僕らだ」


 余裕綽々に菓子を貪るクルスに、生徒たちの畏怖と尊敬の視線が集まる。


「ガ、ガチだ……分かっちゃいたけど、今回のクルス先生ガチガチのガチだよ……」

「先生について行けば勝てる、優勝! 狙えるぞ!」

「もしかしたら……とかじゃないよ、本当に、私たち全員で……!」


 クルスの講釈を聞いて呆然としていたメィドールが、感服の表情でクルスに尋ねる。


「じゃあ先生は、広範囲に影響を及ぼす強大な術を、ハクレが使えること、知ってたんですね……!」

「いや? そんなこと知らないよ。ハクレが高等範囲殲滅魔術を使いこなせてるだなんて、今初めて聞いたけど」

『え?』


 クルスの言葉にメィドールのみならず、その場にいたA組生徒全員が素っ頓狂な声を上げた。


「ハクレは成績が良い生徒ではあるけど、広範囲殲滅魔術なんて使えないさ……ほら、見てごらんよ」


 クルスの指差した先————スクリーンでは、銀世界や氷像と化した選手たちが、いつのまにか元の姿に戻っていた。

 選手たちは状況を全く理解できておらず、狐に化かされたような顔で立ち竦んでおり、元の競技場へ戻っていく森林を見てようやく自分たちの敗北を悟ったようだ。


「なっ、なんですか、アレ?」

「初等白魔術での催眠と、広範囲を化かすように術式改変した中等魔術『ファントムスケイプ』の合わせ技。元々ああいう変身系魔術が得意だってのは知ってたからね、すぐに思いついたよ。この作戦を」

(とはいえ、ここまで完璧にハマっちゃうなんて思ってなかったけども)


 だが、この結末は必然だったとも言える。

 噂に踊らされハクレを容姿だけで侮ったことが他選手の敗因ではあるだろうが、そもそもこの競技に「ファントムスケイプ」系の魔術を使う発想が普通は出てこない。

「クリナガイア」は破壊することで得点を稼ぐ競技だ。事実、他選手は移動のついでに木々を破壊していた。男の選手ばかりだったのは、肉体と精神に干渉する白魔術の威力を上げるために地力が強い男子生徒を選抜したからだ。そして彼らは白魔術での肉体強化と黒魔術での三属攻勢魔術による破壊を行った。

 クルスがここでチョイスすべき魔術は、肉体を強化する白魔術とエネルギーを操る三属系黒魔術のはずだ。

 だが、クルスの作戦は違う。クルスは最善策を取り、得点を他選手に集めさせることにしたわけだ。あとは突っ込んできた他選手を搦め手で制圧すれば、A組だけが高得点を取得してぶっちぎり、という状況が生まれる。

 そもそも魔術行使の時点で他クラスよりも燃費の良い方法を教えている上に、単一の競技だけを練習してきたのだ。

 クルスの頭には、どうあっても敗北のビジョンは浮かばない。


「さて、幸先良く高得点を先取したわけだけど————一先ずは、ウチの小さなヒロインサマをお迎えしないとだね」

「おお! ハクレが帰ってきたっスよぉ!!」


 いつのまにか競技場から退出していたらしいハクレの姿を待機観客席入り口に認め、カーティスの興奮した声が通る。


「おかえりなのですよ! ハクレ! ……あれ?」

「勝手に君を侮っていたことを謝罪させてもらうよ。流石の健闘だった。ありがとう、チャリオット……何故ふらついているんだ、君は?」

「なんだか〜すっごく眠そうね〜? かなり難しい術式改変だったみたいだし〜疲れちゃったのかしら〜?」

「けど、それだけで? ここまで疲労するっスか?」


 首を傾げたカーティスの問いに、横合いからクルスが返答した。その無表情はどこか苦笑しているようにも見える。


「装飾品型の魔装は総じて射程補助性能がショボくなるからね……超広範囲の『ファントムスケイプ』はほぼ、ハクレの独力さ。詠唱は完全なブラフで、魔術行使の難度は実質、高等魔術並みだった。相当疲れたはずだよ。よく頑張ったね、ハクレ。兄貴にでも褒めてもらいなよ」

「その『兄貴』はどこに行ったのですか?」

「コーネリウス、知らない?」

「トイレに行くとかなんとか……妹の晴れ舞台くらい見届けてやるべきじゃないのか」


 やれやれと肩を竦めながらベンチに座るコーネリウス。恐らくクロンも、一瞬の幕切れになるとは思っても見なかったのだろうと腕を組んで予測する。

 そんな話をしている間に、ハクレの残り僅かな体力が底をつく。

 最後の力でベンチまでゆらゆらと歩いていくハクレ。一ミリスたりとも目が開いていない。


「あらあら〜眠そうだし〜寝かせてあげましょ〜コーネリウス、少し詰めてくれるかしら〜?」

「ああ、勿論だ——————なあッ?」


 いきなり奇声を上げて驚くコーネリウスに皆の視線が集まる。

 両腕を驚いたように持ち上げたまま、ハクレに膝を枕にされて身動きの取れないコーネリウスがそこにいた。

 ニヤリ、オモチャを見つけた悪鬼クラスメートが両の口角を吊り上げる。悪鬼の中心にいる無表情がボスに違いない。

 無表情のやつも含めてみーんな悪い顔だった。


「あまりの眠気に完全閉鎖された瞳では足元を確認することすら儘ならず、よろけた拍子にそのままいっちゃったーてとこスかね、クルス先生」

「見たまえ諸君。どんどんコーネリウス君の顔が真っ赤に熟していくではないか?」

「やっ————————」

「大声を、出しちゃダメ、コーネリウス」

「インターセプト……! 君はマトモだと思ってたのにィッ……!」

「煩いのですよコーネリウス」

「僕が悪いのかっ!?」

「うぅ、ん…………」

「…………! …………ッ!」


 味方だと思っていたメィドールに裏切られ、リリィには真顔で注意されるコーネリウス。

 両者への呪詛を吐き出そうとしても、自らの膝に子犬のように顔を埋めて眠るハクレを起こしてしまうのを恐れて口を閉ざしてしまう。

 ますます顔が真っ赤になるコーネリウスはもはや涙目である。


「ふいー、トイレから帰ってきたら第一種目が終わってるってどういうことだ? ええ? おーい、先公ー説明してくれ、よ……」

「はっ!? いや待てクロン! これは……違うぞッ!?」

「《力天使の加護あれ》ぇー」

「待て、落ち着け、話を聞けぇッ!?」

「…………むぅ、うるさい……」

「………」


 身体強化の詠唱をするクロンと顔を痙攣らせるコーネリウス。

 ハクレの寝言一つであっさり拳を納めるクロンとあからさまにホッとするコーネリウスに一同が笑いを堪え、A組は堂々たる一位にて、第一種目を制覇した。



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