第2話 魔改造教会の片鱗

 

 ミステリス魔術学園、魔術総合大会開催、二週間前。

 特別時間割ということで授業が二時限目で終了した生徒たちは各々の出場する競技を、担任教師監督の下に練習している。

 だがクルスのクラスはというと――――


「まったく、ウチの担任は最高だぜぇ!!」

「あぁ! 俺らのためにすげぇ作戦考えてきてくれた上に、秘密の練習場所まで提供してくれるなんて!」

『クルス先生最高かよォ!!!』


 煌びやかなシェードランプに、魔術処理を施されたオーク材の床。果ての無い壁と天井に、念じるだけで次々と現れる道具の数々。とてもオンボロな教会の地下部屋の一室とは思えないその空間は、クルスがA組のためだけに用意した、貸切の練習場所だった。





 生徒たちが鬨の声を上げたあの日の翌日、他クラスを叩き潰すための作戦を入念に練ったクルスは、中庭で練習しようとしていた生徒たちを慌てて(無表情)引き止め、学園長の許可を得てここ、通称『運動部屋』に招待した。A組はその構成メンバーの強力さ故に他クラスから最も念入りに偵察されるだろうと予測したクルスは、情報戦で打ち勝つために自身の生徒を隠し、自分は使い魔を送って他クラスを観察するという……なんとも下種極まりない一手を講じた。

 本人は多少批判されるだろうと屁理屈で武装して身構えていたのだが、何を勘違いしたのか。生徒たちはクルスが自分たちを鍛え上げるために近距離の特訓を行うためにこの場所を提供したと思っている。

 輝く瞳で自身の下種く濁った瞳を見つめる生徒たちに、違うなどと言えるわけもなく。

 クルスは現在、凄まじい罪悪感に胸を抉られながら作戦指導をしていた。


「いいかい、君たち。連結装填『チェインカノン』は今回初実装の種目だ。だから誰もが未経験だし、この競技のルールに潜む落とし穴に気付いちゃいない」


 クルスは成績の優劣関係なく編成された十人の生徒たちの顔を見渡しながら作戦を説明する。その誰もがクルスの無表情を期待と尊敬に満ちた表情で見つめている。その視線一本一本が的確にクルスの心を串刺していくが、おくびにも出さず語る。


「『チェインカノン』は時間の都合上、一つのチームとだけ対戦する。だから余力を残す必要はない」

『はいっ!!』 ――――グサッ。

「ルールには『魔術を使用してステージ中央から両端の【砲台】まで各チームの選手が一人ずつ競争し、全員が終結したチームから【魔術回路同調】にて空中へ魔術を放ち、その競争順位、魔術の難度と質を評価する』とあるけれど――――この『競争』という部分が落とし穴だ。この『競争』パートでは、転移魔術を使うんだ」

『はいっ!!』 ――――グサグサッ。

「ルールには『グラビティ・フライ』や『ゼルエルズ・ブレス』で飛んだり走ったりしろとは何処にも書かれていない。ブランクがある分、最初こそ多少は抜かされるだろうけど、後半に逆転すれば問題ない」

『はいっ!!』 ――――グサグサグサッ! 


 クルスの心が凄まじい勢いでハリネズミになっていく。なぜなら、クルスの発言は尽く口八丁のベールに覆われているからだ。競技に潜む落とし穴に気付く者が居ないわけなどないし、そもそも転移魔術を速さ比べで使えなどと言ってる時点でアウトだ。

 転移魔術は偉大だがトロい、それが魔術士の常識なのだから。

 然しクルスは、生徒たちが自分に絶大な信頼を寄せている現状を利用して疑問を抱かせなかった。

 なんというかここまで来たら教師じゃなくてペテン師じゃねとか言われかねない。

 そんなペテン師の言葉を疑うことなく信じる純情な生徒たちの目に輝くのは尊敬の二文字。

 ・・・・・・紛うことなきカス野郎である。

 生き恥を曝してなおクルスが真剣な熱血教師面(無表情)してられるのは、彼らを勝たせたいという思いが言動の根底にあったからである。それが、クルスが最高の教師呼ばわりされた理由。

 でもカス野郎には違いないのである。


「転移魔術には『対象の空間置換』、『視界内置換設定』、『空間座標自動設定』の三種類の術式が組み込まれていることは先日授業で教えた通り。そして、君たちに練習して欲しいのは、それらをショートカットするための中継トランスィト転移点ポイントの順次構築及び、それらの連続使用だ」


 中継トランスィト転移点ポイントとは、転移魔術を使用する際にあらかじめ空間座標に打ち込んでおく空間の歪みで、世界に修正されるまでの一定時間内なら転移魔術に必須の『視界内置換設定』、『空間座標自動設定』の術式を省略し、『対象の空間置換』のみを構築するだけで転移を可能にする技術が存在する。クルスが考えた作戦はこの中継トランスィト転移点ポイントを数人ごとに重ねがけて仕込むことで円滑な転移を可能にする、という物なのだが―――― 

 それを聞いた数人の生徒が自信無さげに表情を曇らせる。


中継トランスィト転移点ポイントの設置って……三魔士ギメルの昇格試験に採用されるような難易度の高い技術じゃないですか? 私たちにできるでしょうか……」

「僕たちじゃ先生の作戦を活かせないんじゃ……」


 不安そうな生徒たち。ネガティブに俯いた視界に、唐突にビスケットが映りこむ。

 顔を上げた生徒たちの目に映るのは、やはり無表情、やはり鈍色の瞳。そしてやはり、そこに宿る不器用な力強さと温かさ。


「心配してるのか、不安なのか、謙遜してるだけなのか……君たちは自分の優秀さに気付いていないらしいね? 傲慢に成るなとは言ったけど萎縮しろとは言ってないさ。安心してよ。君たちは慢心さえしなければ、この学園で指折りの猛者たちだ。別に僕の作戦を無理に活かさなくたっていい、最大の目標は君たちが楽しむことにこそあるからね」

「先生……!」

「言ったはずだよ? ガチガチのガチだと。なら楽しむのだってガチじゃなきゃ、ね」


 さくり、とクッキーを消滅させて、クルスはうっすらと微笑んだ。


「おぉ……! 先生が笑ったとこ初めて見た」

「勝てる! これは勝てるぞ! 負ける気がしない!」

「さ、作戦は分かっただろ。さっさと練習、ゴー」

『あぁっ!! 元の鉄面皮に戻った――――!!』


 鉄面皮って図々しいって意味だったような、と苦笑しながら、メィドールとリリィはクルスの姿を遠間から眺めていた。二人の手には低位の攻勢黒魔術や精神干渉系の白魔術の魔術書が開かれている。

『アインレジウス』で使用する魔術の研究をしていたのだ。


「クラス全員で参加できてよかったのです! 噂では、魔術総合大会の期間中はクラス内の空気が淀むと聞いていたのですが……杞憂でなによりなのです!」

「うん、本当によかった。クロンとハクレも楽しんでるみたいだし……」

「少し恰好良く見える気がするのです! 普段は……うん、なのですよ」

「酷い誤魔化しを、見たわ……」


 ほめているのか貶しているのか、複雑な表情で評価を下した親友に苦笑しつつ、メィドールは改めてクルスを眺めてみる。

 菓子を片手に指示を飛ばすクルスは、先ほどとは違い表情こそ笑ってはいないものの、何処か楽しんでいることが伺えた。普段からだらしなさが滲み出ているが一人の魔術士として情熱を、教師として愛情を以て生徒に接しているその様子は非常に好感の持てる姿であり、学園が『夢見の魔眼テレスコープス』に襲撃されたとき、殺戮の感覚に呑まれ怯えていた自分を抱きしめたクルスの優しい微笑みが、視界の中の無表情と重なった。


「――――――――――――ッ!」

「どうかしたのですか? メィ。顔が赤いのですよ? 少し休むのですよ!」

「……うん。少し休む、ね。リリィは、練習続けて……」

「そう、なのです? 分かったのですよ」


 魔術書を読み始めたリリィに背を向けるようにして、自身の魔術書を抱きかかえて顔を隠す。

 そうしないと、とくりと高鳴った鼓動と熱く溢れる感情に、言い訳できそうになかった。    


 魔術総合大会、練習期間。

 一年次生A組は他クラスに一切の情報を知らせることなく、最強の布陣とコンディションを築き、二週間が過ぎ去った。

 いよいよ明日は血沸き魔術炸裂する、ミステリス魔術学園魔術総合大会一年次生の部の開催である。








 曙の光が朝靄霞む街並みを照らす中、荘厳なるエルソレイユ城の一室にて、一人の少女が憂いに満ちた表情を窓から差し込む微かな陽光へと向けていた。闇夜すら超越する深淵の如く煌く瑠璃色の長髪に、寂寥を色に変えたようなペールブルーの双眼。幼さの残り香が漂う怜悧な細面はまさに絶世の美貌だが、触れられざる美を象徴するかのような雰囲気を醸し出している。あまり華美でなく、青を基調とした薄手のネグリジェに身を包んだその少女は自室をちらりと眺めた。輝かしく見事な調度品や、美しい幻風景を閉じ込めた絵画。華やかな文様の柔らかい絨毯、上質な白樺で作られた机と椅子に――――向かい合うようにして設置された古ぼけた丸椅子。気品が満ち溢れるこの部屋におよそ似つかわしくない異物だが。

 少女はふらりと立ち上がり、白樺の椅子に座る。まるで、お茶会に招待した客を待つ淑女のように。

 十二、三ほどの齢でありながら、少女の憂鬱そうな相貌には高貴な気品が感じられる。


「アヴァドン。いるのでしょ? 話し相手になってくださいな」


 少女が何処へともなく呼びかけた。氷結を想起させるような少女の声音に呼応するように、部屋の隅、薄暗がりから滲み出るように大男が現れた。

 少女の倍は有ろうかという巨体に、要所をプロテクターや守りの魔術刻印などで補強した藍色の外套を纏い、その背には長大な処刑人の剣エクスキューショナーズソードを背負っている。鍛え上げられたその身体は筋骨隆々というわけではないが、骨太で屈強。研ぎ澄まされた刃を思わせる男だ。ツーブロックスタイルの赤髪の下でぎらつく冷酷そうな眼光を、瞼を落とし礼を返すことで遮断した男は、存外に若い声をしていた。


「……仰せとあらば」


 忠誠心に溢れる声色で話す大男だが、少女の向かいの席に座ろうとはせず、少女の傍らに控えた。

 それは宛ら騎士のように。あるいは番犬のように。

 憂いに湿る吐息を漏らして、少女が嘆く。


「やっぱりこの部屋は牢獄みたいですね。物に溢れ、輝きに溢れ、何より不自由に塗れている。私の知る景色で最も醜いかもしれません」

「……また、閣下が悲しまれますな」


 目を閉じたまま、大男は少女の酷評に応えた。


「……そうでしょうか」

「……そうですとも。閣下は貴方様のことを深く愛していらっしゃる」

「そう……貴方にはそう見えるのね、アヴァドン。私にはただの仮面にしか見えませんが」

「……仮面、ですか」

「ええ。お父様は私の前で、心の底から笑うことはありませんから。先日、漸く確信を得ました……。あの笑顔はただの仮面。怪物たる私を封じ込めておくための、仮面」

「……また、閣下が悲しまれますな……先日というと、閣下と友好関係にあるという、件の魔術士が王城へ殴り込みに来た――――あの日ですか」

「……? えぇ。そうですけど……どうかしましたか、アヴァドン」


 口数の少ない、自身の唯一無二の忠臣が珍しく会話を繋げたことを不思議に思い、少女は大男――――アヴァドンの表情を覗いて、ほんの僅かに驚愕した。

 笑っている。瞳を閉ざしたまま笑う藍黒の偉丈夫は、少女が瞬きする間に表情を引き締めてしまったが、少女は満足そうに微笑んだ。


「貴方が笑うなんて、あの方がよほど気に入ったのね」

「……気に入るなど、滅相もない」

「そう。……やっぱり、貴方は笑っていた方が凛凛しくて素敵よ?」


 憂鬱の消え去った微笑みを向けられ、アヴァドンは瞼をを持ち上げてすげなく言い捨てた。


「……そろそろ時間です。本日はミステリス魔術学園の魔術総合大会を観戦されるのでしょう? お召し物を用意致します。早々に支度をなさってください」


 踵を返して退室したアヴァドンの気配が遠ざかっていくのを感じながら、少女は丸椅子へ視線を落とす。


「貴方なら、私を殺せるのでしょうか? 確殺アナイアレイター様。悪魔に取りつかれた、私を」


 かつては艶やかに白く輝いていた、美麗な装飾があしらわれたその椅子にかつて座った男を思い出し、少女――――魔導帝国エルドラド第一王女、セレスティア=レイン=エルソレイユは空に問うた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る