第1話 必勝の魔術式

 

「もう一度言って欲しいのですよ、コーネリウス」

「何度でも言ってあげよう、フロリス。今回ばかりは友情だのなんだのと言ってる余裕は無い」


 放課後。ミステリス魔術学園の本校舎の一室にて、真っ二つに割れた空気が険悪の温床と化していた。

 ここはAクラス。入学試験にて学年最高成績を取った猛者たちが魔術の研鑽を受ける場。

 その教卓の前で鋭い視線を交わし合っているのは、普段は花のように笑うことで知られているリリィ=フロリスと学年成績次席の少年、コーネリウス=ターナー。

 別段、仲が悪いというわけでもない両者が言い争っている原因は魔術総合大会の選手選出についての意見の相違だ。


「この大会が例年通りの代物なら、僕も君の意見に口出しをすることはなかった……が、今回は王女殿下がいらっしゃるそうじゃないか。となれば当然、その護衛として帝国軍の実力者や十魔公もやって来るだろう。そうでなくとも、元々この学園の行事には魔術士界隈の御偉方がやってくるわけだしね」


 コーネリウスは眼鏡の奥にある、元々鋭いその目付きを更に鋭利に研ぎ澄ませてリリィを穿つ。

 口元の冷笑が深く刻まれる。


「分かるか、フロリス。この大会は僕たちが魔術士としての優劣を決める数少ない機会の上に、将来にも影響する一件なんだ……お祭り気分で脆弱な編成を組んで仲良しこよしをしてるクラスはどこにもないぞ? 無様に負けて王女様の御前で恥を晒したい人間は、ここにはいないんだよ」

「……では、コーネリウスは皆で楽しく大会へ参加することを間違いだというのですか!」

「当然さ。楽しくというのも悪いとは言わないが……多大な努力の末に上位の成績を獲得した僕らの絶好のアピールチャンスが、努力の足りてない成績下位者に貪られるというのはいただけない。それだけだ」


 コーネリウスは眼鏡の位置を直しながらニヒルに言い放った。

 歯に衣を着せない物言いだが、そこに侮蔑の感情は感じ取れないが、癪に触る言い方ではあった。


「遊びもお巫山戯も無しだ。さあ、選手編成を僕や君、インターセプトのような成績優秀者で固めるんだ。さもなくば、このクラスそのものが嘲笑われる結末が待ってるぞ」

「おーいおい、コーネリウスよ? 本当にそんなんでいいのか? メィドールから聞いたが、この大会は勉学に励む連中の息抜きを兼ねた競い合いらしいじゃねぇか。本来の意味合いを無視して競技に臨めば、それこそ女王様に対して失礼……と、俺は思うんだがね」

「私もそう思う、かな? 皆との初めての学園行事だから、私は皆でワイワイ楽しくした方がいいのかなって、思うよ?」


 着崩した制服に獣然とした逆立つ頭髪に金眼。荒削りの口調で異を唱えたのは、クロンだった。

 その前の席に座るハクレも、苦笑しながら兄の意見に同調する。


「クロン……そうは言うが、王女様の勲章がどれほどの価値を持つかは分かるだろう? 」

「それで、つまらない大会になっちゃったら、不敬なんじゃない? ハクレたちのことも、考えましょう?コーネリウス」

「ぐっ……だがそれでは、他のクラスの連中には勝てないぞ? 特にエルクレウス先生のB組は粒揃い、それに比べて僕らは一ヶ月の足枷が嵌ったままだ。 それに加えてナイトライトがいるんだぞ? この大会は単純に魔術が強い人間が勝つ。勝たなければ……何の意味も無いぞ」


 メィドールの意見に反論するコーネリウスの言い分は正しい。教師として優秀なエルクレウスは、実戦経験を交えた魔術講義を行う。血生臭さの無い、実用性に満ちた指導は生徒のみにあらず、教師陣からも高い人気を獲得している。

 そんな人間が率いるクラスに、一月分のブランクを背負って戦うなど、いくら最優のA組といえど木の葉のように散らされるのがオチだろう。

 王女の前で無様を晒したくない他の生徒たちが目を背ける気持ちも汲むべきなのかもしれない。

 教室内の空気がどんどん落ち込んでいく。あれほど険悪だった雰囲気がまるで葬式のように、沈鬱にのしかかっていた。

 その時だ。教室の外、廊下の最奥から怒鳴り声と乱打のような足音が聞こえてきた。

 互いを罵りあう声は教室前方の扉の前で「ふざけろぉ!」という声で打ち切られ————


「君ら、せっかくの相談中申し訳ないけれど僕の意見に従ってくれるかい」


 すっぱぁん!! と派手にドアを開けて、クルスが珍しく眉間に皺を寄せて強めの語気を発した。

 追従する菓子山も心なしか刺々しい形に崩れている気がしなくもない。

 滅多に表情も感情も表に出さないクルスが怒りを露わにしているのを見て、何人かの生徒が慄いたように姿勢を正した。


「えー、今回の大会にはなんか王女サマが来るらしいんでガチガチのガチ編成で他クラスをシバキ倒して優勝することになりました。というわけで……メィドール、編成表貸して」

「はっ、はい!」

「……ふむ、僕の学生時代と一つだけ違う競技があるけど、まぁ何の問題もないね」


 そう呟くとクルスは色鮮やかなマカロンを三つ一気に口へ放り込み、さくさくと咀嚼しながらしばしの間沈黙した。

 やがてクルスがマカロンを飲み込むと、幾分か険しさのへった無表情で編成を考案する。

 クルス=ディバーツという人間は、お菓子大好き表情壊滅似非神父。未知の魔術と過去の魔術のハイブリッド……すなわち新世代の魔術を良質の授業にて取り扱うが、魔術に崇高のすの字すら感じていないらしく、意図しているのかいないのか、他者の気性を逆撫でする言動を繰り返す鉄面皮。生徒たちの共通認識としてそれは間違っていない。

 同時に、命という、魔術士からすればただの消耗品に過ぎないものを敬愛する優しさを持ち合わせているということも、周知の事実である。

 メィドールからしてみれば、そこに「命を賭して生徒を救う情熱を持つ」が追加されるわけで、個人的な評価は低くない。むしろ好ましく思っている節すらあるが————要はクルスの様々な一面を知っているのである。

 それを抜きにしても、クラス全体からの評価も決して悪くはない。どれだけ神経を逆撫でられても、垣間見える優しさを鑑みれば愛想を尽かす気にもなれず、結局この鉄面皮の不可思議な魅力に絆されるのだ。

 故に皆が、クルスの怒りの原因を悟った。

 エルクレウス先生と揉めたんだな、と。

 この男、何故かエルクレウス相手には挑発を事欠かない。エルクレウスもエルクレウスで煽り返していたりするので一概にどちらかが悪いと言えはしないものの————まぁ入室時の状況からである。また喧嘩して、恐らくは大会で優勝して打ち負かしてやりたいという魂胆なのであろう。

 やる気に目覚めてくれたこと自体はありがたい、が。


(この調子だと、楽しい大会には、ならなさそう……)


 クルスはガチにガチを重ねてダメ押しのガチを加えて編成すると宣言した。それが意味するところとは、コーネリウスの編成の実現だ。

 平凡な成績の生徒の出番は、今後の大会では一切無くなることが決定されるわけで。

 それに該当する生徒たちが寂しそうに顔を伏せた。 


「よし、これならいける。優勝待ったなしのガチ編成の完成だ」


 クルスが教室を視線で嘗め回す。希望の費える時が来たのだ。


「さて、それじゃまず……広域制圧【クリナガイア】、これに出場してもらう人だけど。まあ、一択だよね。迷うことなんて有り得ない、君が出るんだ————————ハクレ」

「はーい! フンコツサイシンでがんばるね! これでいいんだよね? せんせ」

「全力を尽くしてほしいのは事実だけども……骨が砕けるような事態になったら戻ってきなさい」


 波紋の如く教室中に困惑が広がった。誰もが己の耳を疑い、楽しそうに兄へ話しかけるハクレを見ては困惑する。然しクルスは何処までもマイペースに編成を発表していく。


「はいじゃ次。言語解読【メルライン】は君だディック。それから召喚競走【サモン・レース】はアラン、精神干渉【マインディア】はガラーザノ、それから————で、————は————、は————」


 次々と成績の優劣関係なしに選手を決めていくクルス。

 だが選抜が大会のトリ、三位一体【アインレジウス】に差し掛かると、そのメンバーを聞いたコーネリウスが席を蹴飛ばして立ち上がった。


「【アインレジウス】は三対三のチーム戦だ。最も得点の配分が多いこの競技には……メィドール、コーネリウス、そしてクロン。この三人で出場するんだ」

「待ってください!? 正気ですか先生! まだ転入して三週間しか授業を受けていないクロンを採用するだなんて!?」


 そう。全クラスが最強の布陣を揃えてくるこの競技に関しては、このA組もトップスリーを出さなければならないのだ。上からメィドール、コーネリウス、そしてカーティス=ラウド。

 クロンの位置には本来ならばカーティスが居なければならないはず。

 誰もがコーネリウスの意見に首肯する。

 すると、選抜されなかったカーティスが不思議そうに質問した。


「オイラは『仲良く』派なんで、別に選ばれなかったことに異議を唱えるワケじゃないっスけど……なんでクロンなんスか?」

「君ではなくクロンを選んだのは勿論、クロンが最強の前衛役であり、君が【アインレジウス】以上に輝ける種目があるからさ。君の魔装は長杖型、範囲ではなく射程距離に重きを置く狙撃向きの魔装だ。カーティス。君には魔術狙撃【ハイパーレンジ】に出場してほしい。君の眼が常人のそれを遥かに凌駕していることは知っている。視界の端に映った落下物を咄嗟に浮遊魔術でキャッチするというのは、並大抵ではない。存分に君の目に映る的という的を撃ち落としておくれよ」


 意外なほどすらすらとあふれ出てきた説明に、指名されたことに疑問を抱いた生徒たちが次々とクルスに己が選抜された理由を問いかける。


「ディック。先日の魔術言語学の小テスト最終問題、完全正答できたのは君だけだったよ。正直ただの意地悪だったんだけど……よく答えられたものだよ。僕が断言するね? 【メルライン】において君に勝ち目がある生徒は誰一人いない」


「この歳で亜竜の子供を使い魔にできるやつを何故出場させないと思ったのか教えておくれよアラン。君は召喚術との相性が抜群だ。優勝だってそう難しいことじゃない」


「君が深夜に『スリープ・マリオネット』で魔術書の写本を行っていることを僕は知ってる。文字通り寝る間を惜しんで勉学に励む努力家な君にこそ、勝利の女神は微笑むだろう。ただし『スリープ・マリオネット』は精神に負担を掛ける精神干渉魔術なので、ちゃんと寝なさい」


 淀みなく理由を答え、返し続けるクルスの意図を誰もが測りかねた。

 ガチガチのガチ編成はどうした? 優勝するのではなかったのか?

 困惑ばかりが募っていく生徒たちの心を読んだかのように、クロンがけらけらと笑いながらクルスの意図を代弁した。


「ふははっ……! つまり、つまりアンタは……をそれぞれの得意分野にあてがうことで兼任の負担を抹消し、各々の種目に専念させることにしたわけか! なんつーえげつない編成してんだ! このクラスの連中でなきゃできない芸当な上に、そもそも全員の地力が高ぇことを利用してあるじゃねぇか————————一つの分野なら上位陣にすら引けを取らない、紛れもない猛者の底力をよ! くはははッ!!」


 いきなり爆笑したクロンに驚いていたようだったが、メィドールによって黒板に書き連ねられた己の名を見て誰もが理解した。

 これはクルスの編み出した、必勝の魔術式であると。

 生徒一人一人をよく観察し、熟知していなければこんな編成は考えることもできない。得手不得手、メンバー同士の相性、魔装や得意魔術。常日頃に多様な菓子を貪食する傍ら、その曇天色の瞳はしっかりと生徒たちを見据えていたのだろう。


(……うちの先生は、こういうとこ、あるのよね……まったく、まったくよ)


 寂しそうに濁ったクラスメートたちと親友リリィの目がキラキラと覚醒するのを見つめ、メィドールは雀躍する心境を少しだけ覗かせて微笑んだ。








 教室のムードが少し落ち着いた頃、クルスがスイートポテトを頬張った。


「……さてと。質問とか、もうないよね? そろそろお家に帰りたいんだけど」


 その表情は平静を装った無表情だが、内心はエルクレウスを叩き潰す算段と、思考の流れに冷却され怒りが鎮火したことによって顔を出した、報酬への欲望が滾っていた。

 高級菓子店「甘味の楽園シュガー・エデン」の無料パス。それは菓子中毒患者にして甘味の探究者でもあるクルスにとって、喉から手が出るほど渇望する逸品である。


(これが手に入るなら菓子作りを三日禁止にされても寛容になれるよ僕は……)


 なんだかんだ狭量なクルスがそんなことを考えるほどの魅力を誇る無料パス。無論、回数にも上限ははあるだろうが、二、三品かっ喰らえば、あとは自分で模倣するので何の問題もない。

 さぁ早く帰ってあのアホルーキーを完膚無きまでに潰す策を練ろう、だからそろそろお開きにしませんか生徒諸君。然しクルスの願いに反して一人の生徒が手を挙げる。

 頭痛を堪えるように額を押さえる、コーネリウスだった。


「先生の考えは理解しました……渋々ながら納得もできました……然し、最後に一つだけ。

 …………本当に、クロンで大丈夫なんでしょうか」


 非道く懐疑的な視線をクロンに向けるコーネリウス。仲が良い者同士だからこそ、遠慮無く言える発言だ。

 視線を受けたクロンはニヤリと獰猛に笑うと、教卓の前へ移動するとクルスに手招きをした。

 まるで、かかって来いと言わんばかりに。


「はぁ……………」

「……? 二人とも何を————」

「《悪戯なる雷よ》《愚者に制裁を》」

「なぁッ——————!?」


 なんとクルスはクロンの挑発に対して多重起動マルチ・インヴォークを四重に重ねて、黒魔術「スタン・ブライト」を放った。

「スタン・ブライト」は学生が最初期に手習う魔術で、当たった対象を気絶手前に感電させる低威力の術だ。つまりは護身用。当たっても死ぬことは決して無い。

 今回の大会でも多用されることが予想される術が、完全に不意打ちで放たれた。

 だがクロンは冷静に身体を捌き、余裕を持った身のこなしで弱小な雷撃を回避する。

 弱小ではあるがその速度は大人が本気で物を投げるそれと同等であり、他の生徒たちではこの至近距離で避けることは不可能だ。

 一発目を半身になって避け、それを読んで飛んできた二発目をしゃがんで回避。三発目を身体強化の魔術で底上げした全身のバネで跳躍して躱し、最後の一発は黒魔術「フォース・ダイング」で搔き消し、そのまま落下しつつ身を捻り、その勢いを乗せて————


「ぜええあああああッッ!!」

「ぐおっ…………君ィ……反撃するなら言ってよ」


 裂帛の気合いを込めた踵落としが、交差させたクルスの手首に激突し、唐突なデモンストレーションが終了した。


「ヘヘヘッ、悪ィな先公。ついつい、スイッチ入っちまったんだ。次からは自重するぜ」


 全く悪びれずに笑いかけるクロンにクルスは心底呆れたという風に溜息を漏らし、コーネリウスを含めた一同を見回した。


「さて、クロンの実力に関してはもう聞くことも心配することもないと思うから、その他で質問はないかい? ……一応言っておくけれど、この編成は全て理由があってのものだからね? 詳しいことは本番になれば分かるし、今日のとこはこれでいいよね」


 早く帰りたいその一心でおざなりな説明をかますした、クルスが背を向けてドアへ向かおうとすると、その背に声を掛けた者がいた。

 リリィだった。何やら声が上ずっているような気がするが、気の所為だろう。


「先生。先生は私たちに最高の思い出を作らせる為に、最高のお膳立てをしてくれたのですね……!」

「………………ん?」


(なんだそれ。いやいやお菓子が欲しいだけなんですけど?)


 クルスの胸中に悪寒が馳しる。なんかすっごい勘違いが生まれてる気がしてならない。


「……………いやあの————」

「まさか、貴方がそこまで僕たちのことを考えてくれていたとは……数々の非礼、お詫びさせていただきます」


(おいコーネリウスなんだその掌サイクロンは。めっちゃ返しまくってんじゃんか、おいおいおい)


 背を向けている為分からないが、なんか涙ぐんでる気がするコーネリウスの声。

 同調するように固有魔装持ちのカーティスとナティアが立ち上がる音が聞こえた。


「オイラ……オイラ感激したっス! クルス先生はやっぱりオイラたちの最高の先生っスよぉ!!」

「お菓子ばっかり食べてるけど〜、ちゃんと良いところもありましたね〜」


(ごめんな、お二人さん。僕、お菓子食べたいだけなんだ、うん)


 そして極め付けが、緋色の疲れ目少女の聞いたことが無い、やる気に満ち満ちた一声だった。


「————先生。心配しないで下さい、どうか、私たちに期待して下さい……! 必ずや、優勝して、みせますから!」


(やめて……心が痛いから……君たちに背を向けていやがる男は君たちの青春の先にある生クリームを目指してるだけなんだよぉ……)


 然し、ここでそんなこと言えるわけがない。

 言うくらいなら舌を根本から噛みちぎって死に晒す。

 だからクルスは、冷や汗を幻覚しながら、背中で語るしかなかった。


「————ふっ、心配だなんて……最初から期待しかしてないさ。僕がすべきことは、打ち上げの用意をして、優勝杯を待つことだけさ」


 扉に手を掛けて語った言葉は、吐き気がするほど清々しく熱気溢れる教室に木霊した。


 カラカラカラ————パタム。


 いつになく、熱く静まり返った教室に、閉ざされた扉の音と逃げ去るクルスの足音が届く。

 平静を装った顔の裏側でクルスは、焦燥に身悶えていた。

 煽るように沸き起こった、鬨の声をバックに。




 熱気とやる気、歓声と雄叫びの響く教室の中、ハクレがぼそりと呟いた。


「せんせ、絶対なんか違うこと考えてるよ。そうだよね?」

「そいつは言わないお約束さ……問い詰めることには、ノー問題だがなぁ? くははは」


 兄が愉しそうに八重歯を剥いた。




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