第8話 僕が先生で在りたい理由

 

 ——————荒野が広がった。


 ——————怨嗟が立ち込めた。


 そして始めて、命の重みとその脆さを知った。

 終焉を迎えた大地で、英雄は決して破れない約束をした。あるいは呪い。永遠に蝕む、時に錆びつかぬ誓約。

 決意した。殺戮の償いを。命に報いることを。

 それこそが、己の越えるべき試練と信じて。

 青年は、魂の試練を己に課した。



 

「何故魔装をお使いにならないのですかぁ? クルス先生」

「別にいいだろう? 偶には素手で殴りたい時もあるさ」


 リグルの問い掛けは、クルスにとって致命の一撃だった。

 リグルはクルスが手を抜いているとでも思っているのだろうが、そんなことは断じて無い。寧ろクルスはようやくリグルに追い縋っているようなものだ。

 クルスは現在、魔装を所持していない。そして、魔装の有無とは見ただけではなかなか判別がつかない。 

 武器の形をとる魔装ならばわかりやすいが、メィドールのタクトや教室の男の指輪のような魔装だと、ただの装飾品との違いが見分けづらい。リグルの問い掛けはカマ掛けでもあるのだ。

 そして、クルスがはぐらかした時点で、リグルはクルスが魔装を所持していないことを看破していた。


「そうですか……お持ちでないなら仕方がありませんが、それでも貴方との『狩り』は実に有意義ですからねぇ。楽しませてもらいますよぉ!」


 圧倒的不利。しかしクルスもさる者だ。リグルの弓矢、その弱点と本質を理解していた。

 リグルの弓矢————おそらくあの黒獣も————は、何らかの魔術によって影から生み出された存在だ。その術が何かは分からないが、影である以上——————


「光に弱いだろ? お前。陰険そうな見た目にベストマッチじゃないか。《せめてもの慰めに》食らっとけ」

「なんですその術は……まさかッ!?」


 閃光。

 迸る白閃が教室中を塗り潰し、一瞬、全ての影が消滅する。

 するとクルスの読み通りリグルの弓矢が崩れ去る。

 当然その隙をみすみす逃すクルスではない。詠唱破棄ゼロ・リピートで『デビルズトレイド』を最速起動。壊れ行く身体に渾身の力を込めて、猛進。

 ——————クルスの欠陥魔力探知に、狂人が映る。即ち、射程範囲内。


(——————ここだ)


 引き絞られた拳が唸りを上げる————瞬間、クルスはその場から全力で退避した。

 光が治った時、リグルは何かを掴もうとした・・・・・・ように、両手を伸ばしていた。


「フフフフフ……流石は我が獲物、中々の直感ですねぇ? 」

「……よくよく考えたら、閃光で満たされた部屋の中でも袖の内側は影になってるワケだし……あのまま近づいてたらどうなってたことやら」

「手首を捻じ切るッ! これに限りますよ!!」

「死ねよ変態め」

「…………ところで、貴方の教え子さんが悶え苦しんでますけど」

「目が焼けるのです〜っ!」

「………………閃光、直視しちゃったのかな、ドンマイ」


 軽口を叩きつつ、クルスは次の手を実行する。

 クルスはこの教室に入る際、わざわざ扉を破壊して侵入した。

 その理由は、隠し球を即席で作り上げる為だ。


「《影よ僕に》《蠢く奇怪に》! さぁ、私の固有魔術の味をたっぷり楽しみなさいいい!!」


 リグルが足元の影を踏み付ける。固有魔術らしいその術は漆黒の影に波紋を生じさせると、異形の怪物を象った黒影を召喚した。内部で何かが蠢いているのか、グネグネと気色の悪い挙動を繰り返して向かってくる怪物を、クルスは冷静に閃光で排除することを選んだ。


「目潰し注意だ《奔れ閃光》」


 慌てて目を瞑るリリィを視界の端に映しつつ、怪物を光で消滅させる。

 同時に目を瞑って魔力探知————前方から射撃。

 閃光と同時に速攻で矢を射かけるという実に容赦無い攻撃。それを読んでいたクルスはその場にしゃがみつつ矢を掴み、そこにあって当然・・・・・・・・と言わんばかりに落ちていたそれを握り込む。

 更に連続で飛来する多数の黒閃を見切り、矢を振り回して迎撃を試みるが————


「流石に学習するよねぇ……《力天使の加護あれ》」


 リグルが魔力を操作したらしい。塵と化して消え去った矢に一瞥すらくれずに《ゼルエルズ・ブレス』で身体強化。そのまま手刀で矢を叩き落とす。

 状況が振り出しに戻る。


「ふむ、最初と同じような展開ですねぇ。ここは一つ、広範囲殲滅魔術などをお使いになられては?」

「それでぶっ壊れた魔術方陣がどんな影響をリリィに齎すか分からないから、却下」

「残念ですねぇ……ならば私が使いましょうかね」

「それで困るのはお前もだろ? 寝言言うな」

「辛辣ですねぇ……確かに困りますが、方陣が消え、彼女がどうこうなっても私としては構わないんですよ」


 何か、聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「……何を言ってる?」

「私の目的と貴方の目的は同じです。彼女の中にある『鍵』。それを狙って私は今日この学園に現れました……問題の鍵ですがね、どうやら彼女の魂と癒着しているようなのですよ」

「私の……魂と……?」

「まさかお前————」


 クルスが言葉を発するより早く、リグルが矢を放つ。

 叩き落とした矢に篭った殺意が語っていた。

 知りたくば倒せ、と。

 狂笑を深く刻み、凶悪な想いが込められた言葉を猛毒の如く垂れ流す。


「《其は顎門》《其は獄門————」


 それは破滅の音色。


「 《輝く命を其の手で射抜く————」


 漆黒の弓矢に、禍々しい魔力が蠢き、纏わり付いていく。

 それは蟲のように、あるいは蛇のように。


「《我は闇にて嗤う者》《我は光に潜む者————」


 先程の会話でクルスは魔術方陣のことをより強く意識している状態だ。

 故に、リグルはクルスが術を止めに来るとは思わなかった。そんな迂闊な真似をこの強かな獲物がする筈も無いと信じたのだ。

 最初から最後まで、この男の計画は稚拙だったのではなく、狩人という、獣を殺す為に獣と化す者の、超越的な直感に従って進行していたのである。


「《故に我が名は————」


 この時も、リグルの直感は的中した。

 そして狩人が矢をつがえる。必殺の影が命を喰らう。


「《獄門の如く喰らう者リグル・アーチャー》」


 矢が放たれた。

 紫黒の魔力が火炎宛らに迸る、凶悪無比な一撃が教室を二つに分断する勢いを以って駆け抜ける。

 その行く手を阻む者は誰であろうとも死するのみ。

 狂気に燃え上がる紫黒の流星は、クルスどころか余波だけでリリィとハクレを容易く殺すことが容易に知れた。

 まさに凶兆の星。

 誰もが悟る。この一撃こそ、『流星』エルクレウスを射抜いた一矢であると。

 一瞬先の未来に来たる、死を齎し、命を噛み砕く星だと。


(ここで、終わるのですか? 嫌だ、それは嫌だ、まだ死にたくない!)


 それは刹那よりも短い、筆舌の叶わぬ時の間の思考だった。

 リリィが死を自覚するには十分過ぎるほどの猶予が、あった。

 然し現実は無情。幸福な時を走馬燈に照らせるほどの時間は与えられなかった。

 そんなリリィが最後に見た景色は如何なものだったか。

 それは漆黒の神父服に包まれた、無気力で、無表情で、誰よりも生徒を愛する、教師の背中に他ならない。

 然し、その名を呼ぶことは叶わない。

 時は残酷に残忍に、少女の叫びを抑圧した。

 だが。


「《————————》」


 神父……否。教師は許された。

 生徒の命を救う、守りの聖句を紡ぐことを。


 激震、そして魔力が炸裂する。内包された脅威が、生命を食い散らそうと暴れ狂う。

 黒紫の煉獄。そう例えるに相応しい地獄が、モノクロの教室内の全てを焼却していた。

 ————ただ二つの命を除いて。


「…………やはり、貴方は私の最高の獲物です。『セイント・フラグマ』を選択したのは良い判断でしたが、最善策とは到底言えません。

 ————真の最善策を取るならば、貴方は『鍵』を見捨てるべきだったのです。だというのに……」


 リグルは肩を竦め、多分に呆れを含んだ視線で敵手の有様を眺めた。


「教師という肩書きに拘り過ぎたのですよ貴方。でなければ、そのような寿命を削るような無茶を他者生徒の為にするハズがありません」


 クルスの有様は酷いものだった。消耗症ロストシンドロームを発症した蒼白の体表に真っ赤な鮮血が幾筋も止め処なく流れていた。

 背後のリリィを守る為に残る魔力とマナの大半を注ぎ込み、結果手薄になった自身の被害が増大したのだろう。


「やれやれ、貴方の実力は評価しましょう。その異質なまでに高い魔力量と戦闘能力は私に最後の切り札を切らせるほどのモノでした……然し、貴方のその、教師であることに固執する無様さは頂けませんね」


 歓喜と失望が入り混じった————実に微妙な表情でクルスを評したリグルを、リリィが静かに、苛烈な憤怒を以って吼えた。


「貴方に……そんな風にクルス先生を扱き下ろす権利は無いのです……ッ! 『狩り』と称して人殺しを愉しむ、貴方のような外道にはッ!!」

「喧しいですねぇ……。では貴方にはそういう権利が有るとでも? 無様に捕まり、守られ続けてお荷物以外の何者にもなり得ない貴方に? ————ご冗談を。冗談は貴方の意味不明な正義論だけにしてくださいよ」

「なっ……」


 絶句するリリィに、冷酷な瞳を向けてリグルが語る。


「私に捕まった後、何故気絶していたのか、気絶のか……それは、貴方達からクルス先生の情報を集める為に読心の魔術をかけていたからなのですよ。すると、貴方からはクルス先生に関連する情報として貴方独自の正義論が出てきましてね。吐き気を我慢しながら拝聴させていただきましたが————いやはや、酷いものですね、正義のなんたるかをまるで理解していない」


 最早呆れを隠そうともせずに頭を振ると、狂人はリリィを見下し、侮蔑した。


「正義とは所謂エゴイズムに過ぎません。それが世界や他者を救う? 馬鹿も大概になさい。正義とは悪の対義ではなく同類————イコールなんですよ」

「そんなわけがないのです!!」


 リリィが口角から泡を飛ばす勢いで叫ぶ。

 自身が信じていたものを否定された。嘲笑われた。だというのに。

 それが正しいことを、否定できない自分がいる。その事実が焦燥感と、信じていたものに裏切られる恐怖を根差す。

 だが、それは世界が認めた真実である。狂人がリリィ愚者をせせら笑う。

 悍ましい事実とともに。


「貴方は何も分かっていませんねぇ。この国で英雄呼ばわりされている正義の味方が他国ではどう呼ばれているか考えたことはありますか? ないでしょう? 正義の味方が『悪の怨敵』などと呼ばれていることなど、想像もしなかったのでしょう」

「それ、は……」

「私の正義が貴方にとっての悪意であるように、貴方の正義は誰かにとっての悪意足り得る。それを理解せずに誰かを救い希望となる? 烏滸がましいどころの話ではありませんよ、片腹痛い。そもそも————」


 リグルはそこで言葉を切ると、冷酷な笑みを狂笑に変えた。


「悪の権化たる貴方が正義を志す。それがもっとも悍ましく、矛盾したものであると知りなさい」

「それはどういう意味です!」


 ニヤリと、顎門が裂ける。


「貴方の魂と一体化したソレは悪意を司る! 有名ですからねぇ……貴方もきっとご存知でしょう……『叛逆の魔剣ビトレイヤル・ファング』。悪意の魔剣とも呼ばれお伽話にすら登場するこの巨悪の象徴を、知らないとは言わせませんよ? そして誇りなさい、貴方は『魔剣』に選ばれたのです!

 ————その証拠に……貴方が随分と信頼しているご様子のクルス先生は……貴方を殺してでも、魔剣を回収しようとなさってたようですが、ねぇ」


 リリィにとって最もショックだったのは、巨悪たる自身を糾弾されたことではなく、信じた正義を狂悪人に否定されたことでもなく、他ならぬクルスが自分を殺そうとしていたことである。

 リリィの瞳が不安に、絶望に揺れる。悪辣な笑みから語られた言葉を信じたわけではない。今は考えを改めているかもしれない。然し。


「嘘……ですよね! クルス先生……? あはは、そんな、まさか………………………嘘、だ」


 曇天色の瞳を瞑し、その口を固く閉ざした恩師の姿を見てしまえば、信じざるを得ない。

 クルス=ディバーツがリリィ=フロリスを殺そうとしていた事実は、確かにあったのである。

 希望の光を失った瞳で、リリィは虚空を見つめた。その耳に聞こえてくるのは狂人の下卑た高笑いか、自らの心の壊れる音か。

 それとも。


「————ごめん、集中してたからよく聞こえなかったよ……何か言ったかい? リリィ?」

「せん、せい…………?」

「はいはい、先生だよ? …………なんか爆笑してるけどアイツどうしたの? 馬鹿なの? どっちかというとアホか」


 飄々とした態度のクルスに、流石のリリィも堪忍袋の尾がキレる。


「先生はッ!! 私を殺そうとしていたんでしょう!? それはっ! ………それは、私が巨悪を宿した邪悪だからですか? ……答えてください、です」

「うん、そうだよ」

「……あはは、そうですか————」

「でも、無理難題だと思うんだよね。君、お菓子好きだろ? 甘い物とか大好物だろう? 然も成績はそこそこ優秀で正義の魔術士に憧れてるとかさ、もう、ねぇ? ぶっちゃけ殺す理由探す方が大変だし寧ろ殺したら人類の損害案件だよ?」

「……………ほぇ?」


 立て板に水。怒涛の褒め文句に反応が追いつかないリリィを、クルスはいつぞやの授業の時と同じようにぽふぽふと撫でながら、微笑む。

 ぎこちなく、明らかに笑い慣れていないことが見て取れるような、優しい満面の微笑。

 

「まぁつまりだよ。数日前の僕は目ん玉腐ってたってわけさ。今の僕の目はチョコレートで洗浄してきた上に飴細工でコーティング済みだからね、僕には君が一年次生の人気者で僕の薫陶を受ける教え子の————リリィにしか見えないさ」

「先生……」

「それで納得してくれないんなら、そうだね——————僕が君を殺さないのは『全ての物事には理由が有』って、『僕が生徒君らの先生だから』。それで我慢しておくれよ」


 クルスは最後にくしゃりとリリィを撫でると、何時の間にか仏頂面になっている「狂悪」に向き直った。


「さて、よくもウチの教え子をまことしやかにそそのかしてくれたね? 重罪だよ、これは。その命で贖うがいいさ。一先ずは何故か不機嫌そうなそのツラに一発食らわせてやる」

「…………興醒めです。醒めた覚めた、冴え切りましたよ。今の貴方の目には、あの素敵な、冷酷な殺意が微塵も篭っていません……篭っているのは、虫酸が馳しるような熱意だけ。私怨で人を殺すのは私が一番嫌う殺しですが、仕方ない。最後まで獲物の責を果たさなかった貴方に悪夢を見せましょう」

「馬鹿言うな、これから覚めるんだよ? お前の興も、このクソッタレな悪夢も」


 クルスはズタボロの神父服を破り棄て純白のホワイトシャツ姿になると、半身の姿勢で構え、宣告した。


「お前に試練を与えよう」


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