第4話 蠢きだす獄門

 

『————【影狼シリウス】より【憎悪ドゥーマー】へ報告致します。我が敬虔なる徒より、遂に『鍵』を見つけたとの情報が。早速と準備を進めたは良いものの……【鍵】は帝王の目下エルソレイユに居る上、近くに【流星】がうろついているようなのです』

「ほう、漸く『鍵』が見つかったか……何としてでも手に入れねば。それさえ手に入れば、我等の真理、我等の星たる『夢見者ドリーマー』が目的を達成出来るのだからな」

『ええ。崇高なる『夢見者』の願いは我等の総意。それを高が星屑風情に邪魔されてはなりません、そこで貴方に助力を要請したいのです【憎悪】』

「ふむ、助力か。それ自体惜しみはしないが……具体的には何を望むのか、『影狼』?」

『————黒犬と白犬ストレイドッグスを借り受けようかと』

「成る程、流石の貴様も此度は一匹狼では骨が折れると見たようだな……しかし、あの二匹で事足りるのか?」

『……それは私への侮辱ですか【憎悪】?』

「まさか。寧ろあの二匹は貴様の足を引っ張ること請け負いなのでな、そちらの心配だ」

『そうなれば私が二匹の首を喰い千切りますから心配御無用です』

「そうか、ならば存分に喰い殺して来るが良い、狼よ。我等『夢見の魔眼テレスコープ』の名の下に、汝の作戦実行を許可する」

『どうも。それでは明日、実行します。土産に将来有望な若者を持ってきますので、魔術研究の材料にでもどうぞ』

「それはそれは……首を長くして待つとしよう。……貴様にその情報を知らせた輩とやら、早急に始末しておくが良い」

『そうですね。用済みですし、アシがついても困りますからね。片付けておきます』

「その者も、良き夢を見られて幸せであろう』

『全くですね…………では』


 哀れな命を終止符として、邪悪な密談は終わりを告げた。











 クルスは古い教会を一棟所有している。華々しい城下町の外れにある蔦に覆われたオンボロ教会はその不気味さから何人をも寄せ付けない。

 基本的に他者に対して薄情なクルスは、誰とも出会わないこの教会を改造し、住居としている。しかし、そんな彼に孤児院を経営するよう命令した者がいた。

 誰あろう、アイザックである。

 クルスの心底にある、とある約束を破れないクルスにつけ込む形でアイザックはクルスに戦争孤児の面倒を無償で見させたのである。

 当然、クルスが何も反論出来ないのを承知した上である。

 結果、今の彼の生活はどうなったのかというと。


「あにじゃー! はらへったぞー!!」

「クルス、皿の用意はできていますよ」

「くるすー! おかしつくってー?」

「魔術みせろー!!」

「君達ね、もうちょい大人しくしてられないのかい? あとお菓子作れって言ったヤツ、死ぬ寸前まで食わせてやるから覚悟しなよ? カスタードと生クリームの沼に溺れてしまえ」

『わ——————い!!!』


 大分騒がしくなっていた。

 子供達の世話に明け暮れるクルスの一日は、彼らの朝食を作る為にフライパンを振るうところから始まる。

総勢十五人。クルスが魔術六割、労働五割で改造したボロ教会の地下は、地上の見た目からは想像もつかないほど豪奢かつ快適に造られている。

 魔術で空間を歪めて確保された広大なスペースに作られた貴族屋敷並みの居住域。居間に子供部屋、書斎、果ては『運動用』の部屋まで有る始末。子供部屋は庶民的な作りにしてあり、子供達への負担を減らす工夫が凝らされたこの魔改造教会を見たアイザックは呆然と呟いたものだ。

 ホントにお前どんな約束したの、と。

 クルスがそれに応えることはない。その約束は唯一無二。クルスの魂を救った少女との永遠の約束呪いだからだ。

 

「じゃあ、後は頼むよフリーダ。僕は学園に行ってくるから…………三時のおやつは菓子王ベルゼビュートのお気に入り、『滅殺紅蓮の太陽アップルパイ』だから、皆で分けて食べてね」

「何ですかその物騒なパイっ!?」


 大皿に出来上がった料理を盛り付けフライパンを流しへ放り込むと、フリーダと言う孤児の中で最年長の少女に出勤の旨を伝え、クルスは教会を後にした。

 当然、背後には前日に作った菓子が山と重なり追従していた。


 ————のが五分前の出来事。

 クルスは街の雰囲気が異様な事に気付き、大通りの途中で立ち止まった。周囲を見渡す。

 

(普段なら学生や屋台の連中で賑わってるはずだけど……おかしなこともあるものだね、人っ子一人見当たらない。恐らくこれは人払いの魔術結界か何かだろう。こういう時、魔力探知がポンコツなのが悔やまれるね)

 

 しかし、クルスはそれを補う為に世間一般での魔術士には有り得ない術を身に付けている。

 例えばそれは、体術による呼吸操作。


暗殺者アサシンなんて今時珍しいね、魔術に駆逐されて絶滅したものだと思ってたよ」

 

 クルスはさも珍獣を見つけたかのような気楽さで背後の影へ振り向き、語りかけた。

 その言葉に含まれた意味は牽制。

 

「あらぁ? アナタ、普通の魔術士じゃないのね? 大抵の魔術士ならまず術者ワタシを探そうとしてぇ、棒立ちになるから凄く殺し易いのにぃ」

 

 絡みつくような、粘質の殺意が粘つく甲高い声の女だった。

 右手には大振りのナイフ。左手には方陣を刻んだ手袋が嵌められている。


「呼吸を合わせて近づいたのに……まさかズラされるとは思わなかったわ……貴方、何かしら、ソレ?」

「ん? アイスクッキー。ちょっと硬過ぎるかな、これは」

「余裕ねぇ…………」


  呆れ声で毒気を抜かれたような表情になる女。

この状況で菓子など食われれば当然である。

 しかし、クルスの胸中はそれほど穏やかでは無かった。

 クルスは『四導ルインズ』と呼ばれる怪物の一人である。そのクルスが、魔術特性の事情を含めても実際に結界内に入るまで気づけない程の隠密性。暗殺者としての肉体技能での話ならばその隠密性にクルスは特に驚愕はしなかっただろう。

 しかし、この女は魔術にすら凄まじいまでの隠密性を有している。

 それは最早ただの技術ではない、絶技だ。

 もう少し気づくのが遅れていたら、と考え、クルスは顔には出さず警戒を最大限まで引き上げる。

 

「で、何か用かな? 君とは初対面のはずなんだけど? いきなり殺しに来るなんて穏やかじゃないね。それでも淑女かい?」

「うふふ、れっきとした淑女よぉ? それに暗殺者の用事なんてただ一つ、そう思わない?」

「そうだね、取り敢えずお菓子でもつまみながらティータイム、てとこかな」

「んー、なぁかなか面白い解答だけどぉ————点で的外れよ、木偶」


 完全に虚を突いた必殺の一撃。手練れの暗殺者だけが繰り出せるその刺突は、新しいアイスクッキーを背後の菓子山から抜き取って無防備なクルスの首に、吸い込まれるように突き刺さ————らない。


「っ? 一体何で出来てるのかしらそのクッキーはぁ!?」

「言ったはずだよ、ちょっと硬すぎるって」


 人差し指と親指で挟んだアイスクッキーが暗殺者の刃を受け止め、ギチギチと拮抗していた。

 クルスの十八番たる魔装無使用の魔術行使。それをクルスは詠唱破棄ゼロリピートと呼ばれる技術と併合して使っていた。

 しかしこの女も紛れも無い強者。女はナイフが止められたのを確認するや否や、即座に左手を突き出しながら術式を詠唱した。

 それは限界を超えて切り詰められ、最速化された呪文。方陣を予め用意する事で超即効性を発揮した魔術が、クルスへ地獄へのいざないを突きつけた。


「《墜ちよ》《其は後悔の奔流なり》!!」










 

 

  同時刻、とある暗黒の中にて。

 そこには三つの人影が在った。

 

「さて、準備はよろしいですか。これから作戦を……まぁ、作戦といっても『鍵』を奪い取ってくるだけなので、貴方達はお土産を調達して頂ければそれで構いませんよ。『流星』は私が狩ります」


 穏やかな声音の男が朗らかに笑った。

 所々に癖っ毛が目立つダークグレーの髪の、黒づくめの男だった。両手には魔術士らしく魔術方陣を描いた手袋を嵌めており、人の良さそうな笑顔を浮かべているが、それが更に男の不気味さを増長させていた。

 

「……オマエには地獄すら生温いだろうよ、狂人」


荒々しい言葉遣いの青年が唸った。

逆立った漆黒の髪に金色の瞳、口から飛び出した八重歯が獣然とした雰囲気を漂わせている。

 紺色のコートを袖を通さずに羽織り着崩したその様は、青年の荒々しさに磨きをかけていた。


「…………」

 

 物言わぬ少女が、沈黙を湛えた。

腰まである雪の様な白髪、アメジスト色の瞳。

整った顔立ちであるが故に、憂いを帯びた表情が美しく、幻想的に映るが、細い首に刻まれた鎖の文様がそれらを尽く凌駕する凄惨さで怪しく蠢いていた。


「では行きましょうか……失敗は許されませんから、気を引き締めなさい」


 金属音が響く。三人の足元、輝く転移魔術方陣が作動していた。

 互い違いに回転する三つの円陣が極光を撒き散らし、闇を喰い尽くす。色彩が白に奪われ————


「初めまして、ミステリス魔術学園の生徒さん。突然で申し訳ありませんが私の理想の為、真理の為、何より皆さん自身の為、早急に死んで頂きます」


 世界に色彩が戻った時彼等の目に映ったのは、唖然とした表情で先の言葉に耳を疑う、ミステリス魔術学園一年次生A組の生徒達だった。

 男の言葉を遅れて理解し、次の瞬間、教室が混乱の極みに到達した。


「どういうことだよ? これ? クルス先生の差し金か?」

「殺すとか言ってるけど……まさか本当に殺人鬼だったりしないよね?」


 困惑に教室が満たされた瞬間、男は一番手前の席に座っていた男子生徒————カーティスの左腕を指差した。


「《射殺すべし》」


 パシュッ、という軽い音を立てて何かがカーティスの腕を貫通した。

 それは彼らにとって未知の魔術。どんな魔術書にも載っていない、狩人の牙。


「…………あっ?」


 何が起きたのか分からず、己の腕を茫然と見るカーティス。

 その腕を、親指程の太さのシャフトを持つ漆黒の矢が椅子に縫い付けていた。

 恐怖と激痛、絶叫と鮮血が暴れ出す。


「ぎぃああああァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

「いやぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」

「うわぁぁぁぁぁぁあ!!?」


 カーティスの咆哮の様な絶叫に、教室中が黒い男に恐怖し、叫びを上げる。

 しかし、恐怖を上回る絶望が彼らの精神を蝕んだ。


「五月蝿いですね。——————殺しますよ? 今、此処で」


 解き放たれた猛烈な殺意が生徒達を本能的な恐怖に陥れ、叫ぶことすら許さない、氷獄の檻へ投獄した。

 誰もが理解する。この男は本気だ。


 ————本気で、殺意を実行に移せる人間だ。


 震え上がる生徒達を満足そうに見渡した後、男は背後の黒い青年と白い少女に向き直った。


「それでは手筈通りに。私は流れ星を文字通りお星様に変えてくるとしましょう」

 

 青年と少女は何も言わないが、男はそれを肯定と見たらしい。そのまま教室から出て行った。


「……ハァ、さて。派手にやりやがったな、どうする? ハクレ」

「……………」

「……自己紹介ついでに治療するか。あの世で怨めるように名前ぐらい、教えてもいいだろ」


 何も言わない少女。青年へ視線を向けはするが、その口を開くことは無い。

 全く会話の噛み合っていない二人。それが更に得体の知れない恐怖を発生させる。

 青年は怯えるカーティス達へ向き直ると、彼の腕に突き刺さった黒矢へ魔術消去の術をかけて矢を消し、白魔術で治療を始めた。


「《傲慢なる力よ》《我がめいの下に消え失せよ》、《癒したまえ》《生命いのち御使みつかいよ》」


 漆黒の矢が鏃の先から、砂の様に綻び、魔力の塵となって消えていく。

 完全に矢が消え去ったのを確認し、青年はカーティスの腕に手を翳して術を唱える。

 優しい陽だまりの様な光が青年の掌から溢れ出し、カーティスの傷を瞬く間に癒していく。

 それは宛ら神話の再現であり、青年が先程の黒づくめの仲間であることを不審にすら思わせた。


「……オレの名はクロン。コイツは妹のハクレだ……なんか質問あるか?」

「…………上級黒魔術『フォース・ダイング』に白魔術『エンジェルズ・ハンド』……貴方達、何者?」


 メィドールが普段と変わらない、疲れの滲む表情で問い掛ける。その顔には恐怖が無い。

 まさか本当に質問されるとは思ってなかったらしく、青年が驚きを露わにする。


「度胸あんのな、オマエさん? オレらは……まぁなんて言ったらいいかね? 簡単に言うと、さっきの狂人に使い潰される予定の犬っころだ」

「さっきの人、仲間じゃ、ないの? 随分悪く言ってるけど……」

「アレが仲間とか、マジで吐きたくなるな……オレらはアイツに、イヤ、アイツら・・・・に無理矢理従わされてるだけの体の良い駒なんだよ。離反出来るなら離反してぇが……」

 

 クロンは苦虫を噛み潰した様な顔で、心底胸糞悪そうに、吐き捨てる様に言った。


「……まぁ事情があってな、そいつは出来ねぇ。オレらはアイツの言いなりになるしかねぇんだ。で、アイツに任されたオレらの役割は、オマエらの中から優秀なやつを五、六人選んで魔術実験の材料に出来るようにしとくことだ」

「なっ…………!?」

「どうかオレを恨んでくれ、何なら今ここで刃向かってくれてもいいぜ。その方が、色々と楽だ」

「何故、そんなことを?」


 幾分か敵意の増したメィドールの穿つ様な視線を真っ向から受け止めて、クロンは少し傷ついた顔で告白した。


「それはな、オレ達が史上最凶の 気狂い魔術士集団だからさ……」


 その声には深い自嘲と悲しみ、そして疲れと諦観が現れていた。


「それって————」


 爆音。

 メィドールの言葉を遮って、強大な魔力の気配と暴力的な戦闘の息吹が教室に流れ込んでくる。


「遂に始めやがったか、あのクズめ……多分相手は『流星』エルクレウス=メティアルだろうな」

 

 クロンの言葉を聞いて、生徒達が幾分か安堵する。帝国でも屈指の実力者であるエルクレウスにわざわざ喧嘩を売りに行ったというのだ。早急にエルクレウスが黒づくめの男を制圧し、この物騒な事件を解決してくれるだろう。

 だが、そんな生徒達の甘い考えは粉微塵に打ち砕かれた。


「確か『流星』の前任者を殺したのは、アイツだったな。因縁の対決ってやつか?」


 クロンの発した、王家直属魔術士の殺害経験有りという事実が再び、生徒達の不安という名の暗雲となって立ち込め始めた。






 人払いの魔術結界が消え去った大通り。

 いつもの様に人々が集まり、騒がしく通りを彩り、埋め尽くしている。

 ただ、いつもと違うのは、オカシな人物の姿があり、それを見て各々の心境を述べているということである。主に、女性が。


「有り得ない……! こんな、こんな事って……!!」

「なんてことッ…………酷いわ、こんなの惨すぎる!」

「一つでも女の敵だってのに……五つもだなんて!」


 彼らの目線の先には、一個辺り大樽一つ分のバターを使って作られる『デーブノゥモト』と言う、女性からすれば悪魔の菓子としか言い様の無い物体を口に五つも詰め込まれ、右頬に「出荷予定」、左頬に「アブラギッシュフューチャー」、最後に額に「約束された肥満」と書かれて両手両足を縛られたの姿があった。

 ご丁寧に錬金系統の魔術で煉瓦床から生み出された暖色の十字架に括り付けられたその女は、絶望の表情を浮かべて気絶しているらしい。

 その口いっぱいに、ひんやり冷たいアイスクッキーデーブノゥモトを詰め込んで。

 なんともオカシお菓子な事件である。



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