第14話 エピローグ

 ミステリス魔術学園を襲った第二の事件が終結した。

 全壊した会場内は見るも無惨な有様だったが、教師陣の奮闘により観客には傷一つなかった。それは学園側の行いとして最善であり、数々の賞賛を浴びることとなる。

 更に、仮面を取り払った帝王アイザック=レイン=エルソレイユの巧みな話術により一般市民を始め何も知らない生徒といった民衆の多くは、物の見事に言いくるめられていった。

 大魔術帝国エルドラドを統べる者としての世界と争える舌が回りに回り、活躍した者達への賞賛と元凶たるリグル=アーチャーへの非難……即ち、事件を手っ取り早く終結させるための真偽入り混じった話術が、国難や王族に関わる危険部を見事に回避してその場を収めたのだった。

 この件に関して大きかったのはクルスの大結界魔術とエルクレウスの大立ち回りだ。彼らの活躍は実に分かりやすく「英雄」じみた働きだったためにアイザックの演説に真実味を帯させ、観客間に蔓延していた不安や恐怖を速かに払拭。普段の砕けた態度とは似ても似つかない王者の風格を声に乗せる帝王アイザックの演説を背景に、クルスはの考えを読み解こうと、無表情な貌に曇天色を濁らせるのだった————————






 そして事件終了から三日後の夜。

 夕闇が残る紺色の夜空の下、黄昏退き行く城下町の片隅で。

 蔦這う寂れた教会に、不自然な沈黙が帳を降ろしていた————無論、「教会」での話であって「孤児院」での話ではないのだが。

 地下に広がる広大な居住空間の一室……大会前、情報戦を制するために秘密特訓を行ったあの「運動部屋」にて、クルスはジョッキの内で囀るアイスティーの氷をカランと鳴らして口を開いた。


「菓子の殿堂行きたかったなぁぁぁぁあ」

「クロンにいー! だっこしてー!!」

「うわわっ? 泣き出しちゃったっス!? ええ、ちょっ、待って!? ごめんねぇ!? およよーっス!?」

「きょうから『あねご』とよばせてもらうしだいであります、よしなに」

「あらあら〜? うふふ〜? 何故か弟、出来ちゃった〜?』

「うぉいこらぁ先公ぉ! いつまで菓子の未練引きずってんだ収拾つかねぇぞー!」

「はわっ! 子供って意外と重いのですね……ええっと、なんで撫でられてるのです?」

「おねーちゃんちっこくてかわいーね! そゆとこすきよ!」

「子供にまでからかわれたのです!? ちっこいって……失礼しちゃうのですよ、もう!」

『先生————————————!』


 長大な食卓の上にズラリ並ぶは食欲そそる宝の山フルコース。大皿に盛られた料理の合間合間に飲み物の入ったガラス製ピッチャーの魔道具が、大玉の氷を内部に浮かせて煌めいている。部屋中に取り付けられたシェードランプの照明を浴びて居並ぶ様は、まさに食卓の摩天楼、と言った風情だ。

 食いに食い、飲みに飲めば騒ぐも道理。

 周囲に座る生徒たちには孤児の子供達が群がっている。普段滅多にない客人の登場に大興奮の子供達。圧倒される生徒達をフォローせんがために唯一の年長者フリーダがちょこまかと走り回っては甲斐甲斐しく子供達の世話を焼いており、全くもって健気である。 だというのに。

 クルスの怠け具合は保護者面に土足の蹴りを入れるような、まったくひどい有様だった。


「不測の事態につき大会は急遽中止、それはまぁ分かるさ。仕方がないことだもの。……あわよくば優勝賞金でお菓子買い漁ろうとか考えてたけどまぁ仕方がないさ? 大会そのものが中止になってしまったんだから、特別賞与もお預けになるだろうさ? …………でもさぁ」


 クルスはまるで呑んだくれの様に大袈裟な動作でジョッキを煽ると、それを卓に叩きつけて無感動に呟いた。


「なんで無料引換券まで消えるのかなぁぁ? おかしくないぃ? あの怒涛の一日をさぁ?あれだけ苦労して報酬が何もないとかさぁ? 嘘でしょ。笑えんわあ」

「あの、神父さん? ほんとになの? もーしもし? クルス?大丈夫かな」


 そう。クルスお冠の理由はそれだった。というのも、クルスが大会にまともに取り組む姿勢を見せるキッカケがそれだったのである。

 帝国一の人気と甘味を誇る銘菓店、甘味の楽園シュガー・エデン。一見様お断りの店が一度開かれる度に、貴族連中が殺到するほどの人気っぷりは帝国でも一二を争う魔術士のクルスさえ魅了してやまない。

 ……とは言うが、貴族と札束叩きつけあって即興オークションなんて死んでもごめんなので、それが今回クルスが未練タラタラな理由でもあるのだが。

 そんな理由かよと呆れたくなってしまう年長幼女の今日この頃である。


「でもそれに関しては先生にも責任ありますよ……あの指示を出したのは、他でもない貴方なんですから」

「あはは! ジブンでマいたタネって言うんだよね、そうだよね? コーネリウス。紅茶いるー?」

「可愛い顔でトドメ刺していったなハクレ…………貰おうかな」

「くそうイチャコラしやがって……僕だってまさか君達があそこまでなんて思ってなかったんだ…………。ちくしょう、優秀すぎるぜ教え子一同さんよー」

「お褒めにあずかり恐悦至極、ですよ。クックックッ」

「にくたらしいぞッ、コーネリウスッ」

「珍しく、覇気のある台詞が、それ、なんですか? ふふふ」


 子供達の矛先から逃れた僅かな面々が、朗らかに笑い合う。……若干一名は無表情で、心無しかブスくれて見える気もするが。

 ぐちぐちと泣き言を垂れるクルスに微笑みつつも酌をするメィドールは、暗紅蓮の瞳を楽しげに細めて、チケット消失ならぬの理由を思い出していた。


「まさか、『業火剣嵐バハムート』に巻き込まれて、チリになってたなんて。……あはは、えーと、先生? 元気出してください、ね」

「でもあの指示を出したのって、せんせだし、私達の実力を見誤ったせんせの落ち度だよねー? ふふん、ちゃぁんと勉強してたんだよー?」

「とはいえ、本当にあんな大魔術が成り立つなんて思っても見なかったのも確かだろ? クルス先生も、僕たちも。…………まぁそれを含めてもチャリオットの言い分には賛成ですがね……おっ、この料理も絶品だ……! なんで教師やってるんです? 料理人やってないのが不思議ですよ」

「ねぇねぇクルス先生泣きそうよ? 無邪気な教え子に泣かされかかってるよ?————まったく」


 容赦も無いが邪気も無い子供達の言葉から、卓に突っ伏して避難する。

 やれやれと呆れる心境の傍ら、その実、クルスとしては彼等のきさくな態度に救われていた。


(……過去の姿を見せても僕を嫌わないでいてくれるんだね……君達は)


 あの時。過去の自分……確殺アナイアレイターとしての姿を見せた時点で、クルスは拒絶を覚悟していた。

 アナイアレイター、殲滅者。仇成す者を一人残さず鏖殺することを生業とした、悍ましき過去。事実クルスは人を殺すところだった。経験した過去の通りに、惨殺しようとした。

 それでも生徒達は自分を恐れようとはしない。一体何故なのだろうか。

 正しく理解出来ていない? ————彼等に限ってそれは無い。

 幼さ故の無知? ————それは残虐を目の当たりにして尚恐怖しない理由にはならない。

 謎が思考を覆う。より深く、深く、疑問の海に沈んでいこうとした時だった。


「はうぅ、さすがに疲れますね……おなかすいたけど、もう少しがんばらなきゃ」

 

 小さな額に汗を滲ませて子供達の間を忙しく走っていたフリーダの小さな呟きが、偶然クルスの耳に入った。


「あの……フリーダ、ちゃん? 私達と、ご飯食べない? クロンやリリィもいるし、大丈夫、じゃないかな」

「貴女は……メィドールさん、でしたね? ありがとうございます! おきもちは嬉しいんですけど、そのぉ……」


 ちらりと逸れた視線の先には、揉みくちゃの生徒と子供達。然も生徒側が疲れ果てているのに子供達には疲れが見えない。

 視線につられたメィドールもこれには苦笑いだ。


「…………メィドールさんはお客様ですから、ここはわたしに任せてください!」

「でも、フリーダちゃんも、お腹空いた、でしょ? 私が頑張るから、休んでて?」

「でも……。————ぅわぁっ?」


 互いの遠慮と気遣いが泥沼を作りつつあったが、それはフリーダの身体が宙に浮いたことで終わりを告げた。


「それじゃ、メィドールには頑張ってもらおうかな。フリーダとご飯食べててよ。……好き嫌いはご法度だよ」

「……はい! 残さずいただきますよ、クルス」


 浮遊魔術でフリーダを自分が座っていた席に座らせると、クルスは子供達を諌めていく。


「ちょっとはしゃぎ過ぎだよガキンチョども。行儀良く出来ないヤツはハクレと一緒に寝かすぞ」

『ひいっ!? ハクレ姉ねぞー寝相わるいからやだぁー!!』

「ひどーい! そんなに怯えることないでしょ! そうだよね? にいさん!」

「……ぷすー、ぴーひょろひょろ」


 クルスの脅し文句に蜘蛛の子を散らすように逃げる子供達。下手くそな口笛でハクレの追及から逃げる(逃げきれていない)クロンを尻目に、クルスは疲労困憊の生徒達を介護していく。


「ぷはっ! 生き返るのですよー……」

「君が一番絡まれてたもんねぇ。子供受けが良くて先生助かるよ」

「打ち上げを建前にお守りをさせるなんて……可愛かったし、いいのです」

「お疲れ様だよ、リリィ」


 手渡されたアイスティーを勢いよく飲み干して、頰を膨らませてむくれるリリィ。

 しばらく責めるような目を向けていたが、真っ向から真顔で受け止めるクルスには通じないと分かったらしい。

 両者が沈黙し、宴の喧騒だけが二人を包む。

 時折澄んだ音を鳴らすジョッキの氷が何度目かの音色を奏でた時、クルスが口を開いた。


「ちっこいって言われたの気にしてる?」

「流石に怒るのですよ!?」

「ごめん間違えた…………。ねぇ、君達はさ、なんで僕を恐れないの?」

「? なんで先生を怖がるのです?」

「え? いや……だって、ほら。あんな姿見せたワケだし、恐がられても仕方ないかな、って思ったんだけど」

「なるほど……実を言うと、ですね。私は少し怖かったのです」

「…………そっか」

「でも、それで先生を嫌いになったかと言われたら、そうじゃないのです」

「……へえ。それはまた、どうして?」

「そうですね……先生は、何故私を恐がらないのです? 私にはとても凶悪な魔剣が宿っているそうなのですが」


 唐突に切り替わった話題に付いて行けず、クルスは咄嗟に浮かんだ理由を答えた。


「君が優しいから、かな?」

「ふふふ、ありがとうございます、なのですよ。つまりそういうことなのです。私は先生をちょっぴり怖いと思いましたし、皆もそうだと思うのです。……普段の先生とは全然様子が違ったのですし」


 でも、とリリィは花のような笑顔を咲かせた。


「先生は優しいのですから、Aクラスのだーれも! 先生を嫌いになったりしないのです!」

「…………例え、僕が人を殺めていたとしても?」

「はい。きっと理由があったのですよね。『全ての物事には理由がある』のですから、ね」

「………………」

 

 リリィの笑顔を凝視したまま、クルスの無表情が完全に停止した。

 数秒の後にようやく動き出したクルスはノロノロと、懐から飴玉を取り出して、ガリゴリと噛み砕いた。


「………そうか、そうなのか」

「そう、そうなのです。さっきだってフリーダちゃんと代わってあげてたのです、ハクレちゃんやクロンさんも先生が助けたのですよね? ————皆もメィも私も、皆貴方に助けられたのです。ここまでお人好しの人が優しくないわけがないのですよー!」

「……やさ、しい。……僕が。『優しい』のか。ふむ。…………そうか」

「……? 先生?」

「ん。ああ。うん、大丈夫さ。……ふぅ。安心したら疲れがドッと出てきた……うぐっ、うぐっ」


 コキコキと小気味良く首を鳴らしたクルスは、食卓の上から行儀悪く料理を一つ摘むと口の中に放り込んで立ち上がった。


「夜風に当たりたいな。ちょっと上で涼んでくるよ」

「大丈夫なのです?」

「うん、大丈夫。料理、食べてしまってね? 余らせても困るし……いっぱい食べて大きくならないと、ねぇ?」

「余計なお世話なのですよ!? 言うほど小さくないのです!」


 後ろ手に手を振って、クルスは上階へと上がっていく。


「これが、本当の『優しさ』……なのか?」


 喧騒を置き去りにして、彼は約束を想っていた。

 忘れもしない、約束を。






 夕闇はとうに身を潜め、冷たい夜の闇がエルソレイユの街並みを包む。

 夜の帳を割いて輝く月光が教会の汚れた窓から差し込み、ステンドグラスが鈍く煌めいた。

 その前に佇むのは一人の神父。たったの一日ですっかり草臥れた黒の神父服を揺らして、彼は然程広くないネイブに並ぶ、会衆席の一つに振り向いた。


「今晩は。時間ぴったりだね」

「おうよ! ……もっと深夜にやるべきだったかな」

「《これよりは亡霊の密会》《能わざるは音盗人の悪行也》……これで近所迷惑にはならないね」

「遮音の術、『沈黙なる歌唱スリーピーセイレーン』ね……ありがてぇけど心配してんのはそこじゃねえんだよね! あれだよ、学生諸君の宴会を邪魔しちまって悪いと思ってんのさ」


 薄暗い教会の闇に紛れるように、黒いローブを纏ったアイザックが最前列の会衆席に座っていた。

 顔をフードで隠し声を魔術でぼかした様は一見すると亡霊のようで、明朗な声音だけが彼が生者であることを主張していた。


「先ずは礼を言わせてもらおうかね。……本当にありがとう。国民を、セレスティアを救ってくれてありがとう」

「ん。それで、王女サマとの仲はどうなの? わだかまりは解消できてる?」

「んお……お前がそんなことを気にしてくるとは…………見事なまでにノーだ。後始末に追われて時間が作れなかったし、そもそも演技とはいえ愛娘を殺す指示を流したヤツと仲良くしたいなんて思われないんだよなぁ。へっ、みっともねぇ言い訳さ」

「そういえば王女サマも言ってたね。多分アヴァドンを通じて聞いたのかな」

「だろうな……。セレスの側に居ることを許されたのは、監視役のアイツだけだったし。そういや、メイド長曰くセレスがよく笑うようになったらしい。…………アヴァドンが隣にいる時だけ」

「これは近いうちに呼ばれるかもね。お じ い ち ゃ ん?」

「ヤメロヨォ! オレはまだそんな歳じゃねぇんだぁ!」

「アヴァドンとくっつくのはいいんだ」

「目つきが悪いこと以外は基本的に高スペックだからなアイツ。十魔公だから色々都合が良いし、まぁ罪滅ぼしってわけじゃねえけど、生涯を添い遂げる伴侶くらいは選ばせてやりたいんだ」

「……なるほど。……まぁ頑張ってね。応援してるからさ」

「おう」


 長年の友情を育んだ二人の会話。実に気安く、心地の良い会話が和やかに終わり、再び夜の冷たい空気が二人を包んだ。


「————地下牢に捕縛したリグル=アーチャーが死亡した」


 静寂を揺らしたのは、異常すぎる報告だった。


「………なんだって? 毒でも盛られたのかい」

「いや、あの地下牢に投獄されてそれは有り得ない。しかも自決というわけでもなかった。……恐らく、んだろうな」

「不可解だとは思っていたけど、やっぱりそういうことなのかな。つまり、リグル=アーチャーは————」


 唐突にクルスが教会の入り口へ弾かれたように振り返る。振り返ると同時に構えられた人差し指は油断無く、張られた結界の向こうへと突きつけられていた。

 同じく戦闘態勢に入ったアイザックが低く重い声で警告する。


「何者だ? その禍々しい気配……堅気の者では断じてなかろう!」

「————そうですな」


 結界に大穴が穿たれる。人一人分の大きさの裂け目から現れたのは、意外な人物だった。


「……僕があの日感じた不可解は二つ」


 クルスの無機質な語りが不穏に響く。


「一つ、僕の生徒達が『業火剣嵐バハムート』を完璧に再現こと」

「………………ふっ……」


 闖入者が唇を歪めた。それはリグルの狂笑など足元にも及ばない、凄絶で酷薄な嗤いだ。


「二つ。真っ先に学園を守るべき人物が、あの場にはいなかったことだよ。誰に気づかれることも無くあの場から姿を消して……お前は何がしたかったんだ? ねぇ————学園長?」

「ふむ、おーけー。任せ給え。お答えしようじゃないかクルス君」

「学園長バーソロミュー=グラ……ッ!?」


 現れたのは、ミステリス魔術学園の長バーソロミューだった。好々爺然とした外見はそのままに、その笑みだけが見事に変異している。

 予想だにしない人物の登場に驚きを隠せないアイザックに、酷薄な老翁は悪戯のタネを明かすように口角を吊った。


「否。私はバーソロミュー本人ではない……あくまでガワだけ。この肉体だけがバーソロミューなのだよ」

「……屍術ネクロマンス。死人の冒涜はお手の物かネクロマンサー墓荒らしが……!」

「ふぉっふぉっ、まぁ否定はしないがね。ただ、肯定もしませんぞぉ?」

「なんだと? どういう意味だ」

「さてさて、どういう意味でしょうなぁ。老い先短いこの翁ではお答え出来ませんなぁ」


 まるで役者のようなワザとらしい口振り身振りは飄々とアイザックの追及を煙に巻く。

 薄っぺらな冷笑を貼り付けたまま、老翁の皮を被った凶悪が口を開く。


「わしの目的というものは、まぁなんということはないんじゃ。不安の種を潰しに来たというだけのことなのだから。あの悪魔然り……諸君らが目の敵にしている『影狼』リグルにしても、ですな」

「…………生徒達の『業火剣嵐』に加担したのはお前だったんだね。あわよくば狂人もセットで執着の悪魔オブセットを処理するために……でも分からないな? 王族に取り付いていた悪魔を態々処理するなんて、正直あまり賢い方法とは思えないけど。それにあの狂人を排除する意味も分からない」

「これこれ、あまり根掘り葉掘り問い質すものではありませんぞ? ただ一つ言うならば————」


 好々爺然とした態度を演じて茶化すバーソロミュー。

 言葉が切れ、生まれた間隙でバーソロミューは冷たく嗤った。


「あの悪魔は全くもって図々しかった。自力でこちらへ来ることも叶わぬ分際で……まさか我等から彼の魔剣を掠め取ろうとは。それこそ王族の一人を駒に出来たという絶大な優位性を、灰に変えねばならぬ有様。全く手癖の悪い雑草もいたものですなぁ? ふぉっふぉっ」


 バーソロミューの言は、嘲りが多分に含まれた冷笑で締め括られた。

 執着の悪魔はその本質に従って、己の欲したものに執着しすぎてしまった。彼の魔剣とは……恐らく悪意と反逆の魔剣ビトレイヤル・ファングのことだろう。

 己が欲望を曲げようとしないあの悪魔は、バーソロミューの背後にいる組織にとっては盛大な不穏分子だったのだ。

 そしてその組織とは——————。


「さて、さっさと用件を済ませてしまおうじゃないか? のう、クルス=ディバーツ」

「用件……だって?」

「そうじゃとも。我等が希望、我等が導きの星たる至高の『夢見者ドリーマー』からの言伝……聞き逃すでないぞ? ————『優しくなれたのか』とのことだ」

「————————なんだと」

「ふぉっふぉっ……。————確と伝えたぞ、我等が怨敵……次に相見える時が、貴様等を墓穴にうずめる時だ。死を想え、その命に価値を思うな」

「っ!? 肉体が……? それが貴様の本性か……!!」


 唐突に柔和な笑顔を浮かべたバーソロミューの口から滴り落ちた、罅割れた声が濃密な殺意を纏って夜闇を揺らす。

 同時に老人の皮膚が腐臭を撒き散らして削げ落ちていく。ドロドロと溶けるように皮膚が崩れ、肉が流れ出す。

 

「忘れる勿れ。我等が求むるは混沌にあらず」


 眼球が萎みだす。血肉の名残が教会の床を穢す。


「我等は遠き『夢』をくに飽きた者。歩み寄り、鷲掴み、夢をその手に握る者」


 鼻が熟れ過ぎた果実のように落ちる。教師印の手袋が、腐肉を詰めてその手を去る。


「我等『夢見の魔眼テレスコープ』は世界を望む。欺瞞に微睡む世界を捨てて、新世界に醒めるのだ」


 毛髪が付いたままの頭皮が剥がれ、ぬめりのある頭蓋が露わになる。

 人の身体を構成する全てが骨格から腐り落ち、悪臭と共に内臓がどす黒い血池を型作る。

 それは影か。或いは鏡面か。血腥い不浄の水面に写るのは、血脂で不快な光沢を帯びた人体骨格だ。


「死を想え。我が名は『憎悪ドゥーマー』、泡沫に滅びを刻む者。そして……クルス=ディバーツ。お前の罪の象徴だ」

「お前は……お前達は何を考えているんだ……? 僕の、なんだ? 何を何故知っている? お前は、お前は、お前は——————」


 ——————ふっ。


 まるで灯火が消える様に、服を纏った骸骨から気配が消える。

 ぐしゃりと崩折れた無惨な亡骸へ、アイザックは無言で人差し指を向けると、静かに魔術言語スペルを唱えた。


「《灯火よ》《白き灰を産め》」


 刻々と、緩やかに、穏やかに、労わる様に火がバーソロミューの死を悼む。


「……ごめんなさい。遺体に何が仕掛けてあるか分からない以上、こうせざるを得なかった。……安らかに眠ってくれ…………」

「………………残念だよ」

「ああ。惜しい人だった。こんな……こんな惨たらしく殺されていい人じゃねぇのに————」


 今にも歯を噛み砕きそうな表情で、アイザックが唸る。

 だが。



 ——————。



「……………お前、今————?」

「……アイザック。僕は今、人殺しをしたい気分さ」


 送り火の見せる陽炎に、クルスの無抑揚な殺意が透ける。


「同じ菓子を齧った人の仇を取る。僕はそれを『優しさ』だと思う。……思いたい。学園長にはお世話になったから、尚更ね」

「仇を取って恩を返すってのか? バーソロミュー学園長はそんなこと————」

「望まないかもね。でも、それが結果として生徒や学園を守ることに繋がるなら……きっと喜んでくれるよ」

「………………そうか」


 それきり、言葉は姿を消した。

 血肉が煤に、白骨が灰に変わっていく様を、彼等は静かに見つめていた。

 だが、アイザックの胸には先程聞いた言葉が残響を残していた。


「なぁクルスお前さっき…………」

「なに? ……何だい?」

「…………いや、気の所為だ、と思うわ」


 なぁ、お前さっき。


 ————「役立たず」、って言わなかったか?


 呑み込んだ言葉の代わりに向けた視線の先で佇む、己と神父を見る。

 彼がどんな顔をしているのか、アイザックには見えなかった。

 それが、彼が無表情だったせいなのか、火葬の逆光のせいなのか。

 アイザック=レイン=エルソレイユには、クルス=ディバーツの顔が見えなかった。



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