修学旅行

プロローグ

 

 それは魔術で補正された、帝国北部の街道。

 濃霧に包まれた薄暗い道は昼間だというのに陰気そのもの。帝都エルソレイユから北部ノースレッドを繋ぐ平坦な道だが、辺りには生き物の息遣いはおろか、草木の一本も無い。

 立ち込める濃霧のせいで一寸先は白靄はくあい……そんな道を、二台の馬車がゆったりと進んでいる。一台を二頭の馬が引いているが、十数人が楽々乗れようかという車体の大きさから見て、その馬の馬力が凄まじい剛力であることは明白であった。

 奇妙な、馬車だった。艶消しの黒が馬車の至る所に塗装されており車輪は愚か幌に手綱、荷台、果ては馬の体毛や御者の服装まで漆黒。飾り気の一切を度外視した無骨なデザインは耐久性を意識したことが伺え、如何にも護送車、という風情だった。

 然し、この馬車において最も異常で特筆すべきは、そこではなく。この馬車を走らせる者……つまりは馬と御者そのものである。

 驚くべきことに、双方共に

 首から上が文字通り消失しており、頭部のあるべき場所からは不気味な炎が細く棚引いている。

 ——————。

 馬車を引く首無しの馬が立て続けに嘶いた。蹄の代わりに猛禽の脚に似た構造の爪が、鋭く大地に異様な痕跡を穿つ。隆々とした肉体は泰然と霧を割いていく。吹き抜ける木枯しのような空虚な嘶きは、この生物達特有の信号である。

 それに応えるように、同じく首の無い御者が手綱を振るう。煤で汚した包帯の様なもので包んだ体に、更に黒金で作られた鎖を巻きつけている。

 彼らの名は死者を導く者、タナトス。

 彼らは首無しの馬と人とで一体の生命体。 

 魔術帝国エルドラドでは、犯罪者を監獄へ運ぶ役割も担っている。


 ————そんな彼等の荷台の内側では。


「…………なんつーか、学園もひっどいハズレくじを用意したもんだよな」

「そもそも教育に悪すぎっスよね? 普通学生にあんなとこ行かせていいんスか!」

「ちょっと〜? 御者さん達に悪いでしょ〜? 折角の機会だし〜学ぶことも多いと思うわよ〜? それに〜ふつーに生きてたら〜一生行けない場所だもの〜」


 旅客用車にはとても見えない外装と打って変わって、内部は存外に悪くない。壁に沿って作られた座席には柔らかいクッションが敷かれ、幌の天井付近には魔術で浮遊するランタンまであった。殺風景にならぬ様、タナトス達が配慮してくれたのだろう。

 だが、一同のテンションは絶妙に低いままだった。


「とは言ってもだセントラス。少なくとも教育によくないと言うのは正論だと思うぞ。……まぁそもそもミステリスの修学旅行は遊びに行くための行事ではないからな、学ぶことが多いというのも正論だと思う。……ただ、なぁ」

「せんせーからすればどっちも無意味だし、わたしたちも結局乗り気じゃないってことだよね。そうだよね? にーさん」


 退屈ですと言わんばかりの表情をするハクレの言う通り、こちらの馬車に乗った者達は全くもって気乗りしていない。

 その中でも殊更に酷いのは、この二人だった。


「ぅおおおおおん……おおおおお……えほっ」

「うぷっ……ありがとなのですめぃ、あうう……」


 荷台の席に横たわり、血色の悪い顔で苦悶の呻きを上げるクルスとリリィ。

 然程強い揺れではないが、どうも二人の三半規管は貧弱だったらしい。


「先生、リリィ? 戻すなら、外に、ね? お願い」

「そんなよゆうないかもなのです…………」

「ぼくもうげんかいかもしらんよ」

「お願い! 外に、出して!?」


 レストレスは精神を宥める劣級魔術。本当に気休め程度の魔術であり、使われる場面なんて母親が子どもを慰めるとか、そんな限定的な場面だけだ。

 少なくともこの場合では焼け石に水であることに変わりない。


「仕方がない、こんなとこでされても不快だからね……《穏やかなるは睡魔の抱擁》」


 魔力の波動が悶える二人を包み、時を待たずして安らかな寝息が聞こえてきた。

 コーネリウスが放った催眠白魔術が二人を強制的に鎮静化したのだ。

 ようやく車内に平穏が戻り、ふと、誰かがコーネリウスの不満げな顔に気づいた。


「どうしたのコーネリウス? 掌なんて見つめて?」

「ん? あぁ、ちょっとな……もうすぐ学期末試験があると言うのに、どうも魔術行使がスムーズに行かなくてね」

「へぇ、コーネリウスが不調、なんて。珍しい、ね?」

「そう言う君は全然余裕そうじゃないかインターセプト。入学試験から今日に至るまで、君、ただの一度も主席から外れてないだろう? 強者の余裕とは……羨ましいことだが、今度こそ君を引き摺り下ろして僕が首位になるんだ。負けないからね」

「うん。あんまり、緊張しちゃ、ダメだよ?」

「……ふん。敵に塩を送るなんて、本当に余裕なんだな。…………ありがとう。覚えてはおくよ」

「素直じゃないっスねー! 結局お礼言うなら煽んなきゃいいのにー」

「……性分なんだから致し方無いだろう。それより君は大丈夫なのかラウド? 前回の抜き打ちテストの結果があまりよろしくなかったようだが」

「うぅっ!? だ、大丈夫っスよ、アハハ……この旅行が終わる頃にはバッチリ! …………の予定っスから」

「そういう意味じゃあ、オレとハクレもちょい厳しいかな。言い訳クセェが、編入した時期が時期だからなぁ」

「せんせ、孤児院のおしごと忙しそうだから、あんまりシツモンできないんだよね。そうだよね、にーさん」


 逆立つ頭をバリバリと掻いたクロンにハクレが補足する。

 頭に手をやったまま、気恥ずかしそうにクロンは続けた。今更悪いんだがな、と前置きを置いて。


「この修学旅行の目的地は……あー、その、どんなことを学べる場所なんだ? 学園でも説明は受けたが、簡単すぎてよ。もっと具体的に知りたいんだが」

「そんなことも知らないんスか! って言いたいっスけどぉ、オイラも実はあんま詳しくはないんスよね」


 カーティスのあっけらかんとした笑顔に釣られたのか、席の至る所から同調の声が上がる。


「んん……まぁとりあえず、結界魔術はあるだろ? 『輪廻の迷宮ナイトメア・ラビリンス』はお前さんらも知っての通り、有名だからな」

「空間を侵食する結界魔術か。確かに教材としては一級品か。他にあるとすればなんだ?……ああ、魔滅まほろの魔道具もあるか」

「警備用ゴーレムの魔術方陣もありそうじゃないっスか? それになんスから、看守とか監獄長の魔装とかも絶対凄いに決まってるっスよ!」

「それだけじゃないさ。今回のテストに頻出する魔物についても、並並ならぬ経験ができるハズだよ。なんなら今すぐにでも」

「うおお、そう考えたら以外と有意義なんじゃないっスか!? この旅行——————ん? 今のって」


 学生旅行にあるべき賑やかさが取り戻されようという時に、生徒以外の声が通る。

 抑揚も覇気も感情も———心なしか元気も———無い声の主は、何故かあっさりと覚醒したクルスだった。


「うわっ! なんで起きてんスか! いきなり喋られると驚くっスよ…………」

「本当になんで起きているんですか先生。できれば半日ほどは寝てもらわないと困るんですけど」

「あれ? なんか全然歓迎されてないね? まったく…………学生の白魔術『ナイトハグ』で完全に堕ちる程ヤワじゃないってことだよ。……子守唄としてなら満点くれてやるよ」

「くっ!! また今日も一杯食わされた!? 割と熟睡してたくせにっ、割と熟睡してたくせにっ!」

「あっはっは。……なんかここまで悔しがられると、あれだね。ふむ」


 棒読みの笑いで、歯軋りするコーネリウスると、口元に手を当てたクルス。

 そんなクルスにメィドールが小首を傾げた。


「悪い気が、する…………?」

「——————すっげえ気持ちいいです」

「そこに直ってもらおうじゃないですか……今度は二度と起きれない様にしますからッ!」

「のああ!? 落ち着けコーネリウスゥ! 大丈夫だって、ほら、リリィにはちゃんと効いてるじゃねえか? この菓子中毒がおかしいんだって!? いやなんか宥め方を間違えてる気がするぜえ!?」

「菓子だけにおいってわけか。上手いねぇクロン」

「……うし、やったれコーネリウス」

「《煉獄を泳ぐ影こそ剣》《爆熱する咆哮は森羅万象を焼く嵐——————」

「なんだってぇ…………?」


 煽り散らすクルスに、ゴミを見る目のコーネリウスが「業火剣嵐バハムート」を唱え始める。

 一人で起動できるわけがないとタカを括ろうとしたクルスだったが、悪ノリした生徒達が魔力回路を同調し始めたのに気づいて、無表情を冷や汗で濡らす。

 ————そんな熱くてデカくてヤベーやつ食らったら流石に死ぬな、財布が。

 自分よりも馬車の修理代を心配する辺りが呆れるところだ。

 そんなクルス処刑に待ったを掛けたのが、今までと調子の違うタナトスの嘶きだった。


「おっ? 目的地が見えたみたいだね? もうすぐ着くって。さあみんな、楽しい修学旅行の始まりだよ?」

「…………まぁ今回はこのくらいにしときます。……おいフロリス、そろそろ起きなよ」

「助かった。金の浪費なんてフリーダにしれたらエラい事になる」


 幼女の尻に敷かれているという、なんとも情けない事実を口の中で呟くクルスに、メィドールが浅葱色の髪を揺らして問うた。


「そういえば先生、なんで、この旅行に乗り気じゃ、ないんですか? ……お菓子関係じゃない、から?」

「菓子作りの上手い囚人、探せばワンチャン居そうだよね…………いや、知り合いがいるんだ」

「そう、なんですか? ……女の人、ですか?」

「え? いや男だよ」

「そう、ですか…………ほっ」


 不思議そうな顔から不安げな顔、安心した顔へと百面相するメィドールに首を捻るクルスだったが、思考はすぐに「知り合い」について切り替わる。

 その人物と会うことを考えると、どれくらい気乗りしないかと言われれば、エルクレウスとの合同授業並みに気乗りしないのだが……それほどまでにクルスが嫌がるのには理由があった。


「知り合いに会いたくないだけが理由なんスか?」

「……監獄って飲食禁止なんだよ? お菓子を持ち込めないって…………死ねと?」

「やっぱり、そこなんですね……」

「なんでトーニョービョーにならないのか不思議だよね。そうだよねーメィ?」

「うるさいやい」


 純白の髪を子犬の尻尾の様に揺らして、ハクレが楽しげな表情を見せ始める。ここまでの寸劇で大分機嫌は良くなったらしい。

 再び楽しげに勉学談義に花を咲かせ始めた生徒達を尻目に、クルスは霧の向こうにそびえているであろう、暗黒の大監獄を思い、憂鬱で湿る吐息を漏らした。

 彼らの向かう先。それは帝国の秩序の要塞にして、暗部へのエントランス。

 魔術大監獄、又の名を。


 ————鮮血画廊ディストピア。




















「…………ほお? 珍しい土産だな、クルス=ディバーツよ…………」


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