第12話 白樺の誓い
————わたくしがわるいこになっちゃったら、あなたがしかってくださるの?
————もちろん。この白樺にちかおう。君の母親が愛した、白樺に。君がまちがえた時は。
諸悪の根源が消え去った今、残る脅威は一つだけ。
だが、目下最大の問題が残っている、ように見える。
少なくとも生徒からすれば。
「…………」
「…………」
睨み合う両雄。再燃した敵対が幻視出来るほどに殺伐とした光景だ。これもまた、生徒からすれば。
数瞬の沈黙を破り、どちらともなく口を開いた……と同時だった。
「———— ダメ、です。先生」
「……ん? メィドール? それに——全員かい? そんなに傷だらけなのに、何故……」
「お願いです、クルス、先生」
「私からもお願いするのです!」
俺も、私も、と口々に声を上げる生徒たち。砂埃と擦り傷に汚れた顔は一様に真剣で。
————もう、殺さないで。
そんな言葉が告げられてしまっては、硬直せざるを得ない。
「私たちを〜守るために〜ってことは分かってるのよ〜?」
「でも、それは正しいことだとは思えないっスよ」
「貴方は常々僕達に言ってたじゃないか? 命を大事にって。……貴方が教えてくれなきゃ、ダメじゃないか」
「せんせ、私とにーさんは見捨てなかったのに。お姫様は見捨てるの?
「おいおい、おっそろしく分かり切った質問だな妹よ? 死にかけのホムンクルスを不眠不休で救うような男が、
「先生。『全ての物事に理由がある』以上、先生が王女殿下を斬り捨てようとするのは、
「その、優しさに。私達は救われ、ました。だから、殺さないで下さい。————教えて欲しいんです」
人を救う、正義を。
「……やれやれ」
言葉が出ない。ここまで自分を慕ってくれていたことに感無量、というわけではない。だがこれほどまでに純粋な願いを訴えられるとは。
それも、クルスを肯定するための願いを。
そこまで願われたのなら叶えるしかない。何故ならば、クルスは「確殺」ではなく「教師」なのだから。
「……殺さないさ。……約束するよ」
「先生……!」
「元々、その気は無かったんだよ。
教会へ退却した際に計画した作戦には、クルスによるセレスティア殺害など含まれていなかった。それは魔帝にとって予想外の展開を生み出した。
然し、クルスには確かな予感があったのだ。————
テロ事件の際リグルを取り逃がしてしまったクルスの読みは的中し、転移魔術に長ける魔帝の固有魔術によってリグル=アーチャーは捕縛された。
とはいえ、クルスが
尤も、強ち勘違いではないのかもしれないが。
変わらぬ無表情の下で静かに苦笑を溢し、生徒達へ声をかけようとした————その時。
「————がぁ……っ!?」
瞬き程の、一瞬の間隙にて放たれた蒼炎の一撃に魔帝が吹き飛んだ。大の男が胴を強かに打ち据えられ、天空へと打ち上がる。
舞い上がる火の粉はその全てが蒼く煌き、うねる火炎は幾重にも別れ大蛇宛らに周囲をのたうち焦がしている。
ただの炎のはずだ。だと言うのに、その熱波は物悲しく渇愛を叫ぶ。
「————アイ、シテ」
悪魔が試合場を焼く。無垢な願いは悲壮を纏い、壊れた少女は乞い焦がす。セレスティアに自我はない。あるのは欲望のみ。
そしてその欲望は容赦無く牙を剥く。少年少女が相手でも。
「うわぁっ!? こっちに来るぞ!!」
「クソっ! 『
迫る蒼炎に悲鳴を上げる生徒達。再び始まった阿鼻叫喚に、クルスは障壁魔術「セイントフラグマ」を行使しようと腕を持ち上げ————られず、自らの失態を悟った。
(腕の筋繊維が逝ってる……まずい、照準が合わせられない、盾を張れない。皆を……守れない!)
脅威は目前。せめてこの身を盾にしようと決意を抱き、両脚へ力を込める。
然し、視界が障壁で覆われ、続いて飛来する斬撃波が炎を斬り殺して炸裂した。斬撃の軌跡を衝撃波が飛来・進行する軍用指定の黒魔術「ラミナガン」だ。
ひらりとコートを翻して舞い降りた術の主は、断罪の名を持つ赤髪の男だった。
「……セイントフラグマは間に合ったようだ。何を呆けている、魔術教師。生徒を守るのが貴様の務めだろう」
「面目次第も無いよ。この体たらくではね……助かったよアヴァドン」
「…………ふん」
似たり寄ったりの無表情と抑揚の薄い会話を終えると、アヴァドンはちらと視線を隣へ向けた。
渦巻く魔力が、転移魔術による転移を知らせていたからだ。
「ごっは……くっそ痛って!? お子様の撃っていい一撃じゃないだろコレェ!?」
「……余裕綽々だな」
「ホイホイ転移しやがって……やっぱりそれ埒外だよ」
「……貴様が言うのか……。そろそろ、腕の修復は終わったか? これ以上の被害は防がねばならん。『流星』に周囲の警戒をさせたが、あの正体不明な転移魔術がある限り絶対ではない」
鋭い眼光に伴うように、見てくれに似合わない若い声も硬さを増す。
「……メィドール=インターセプト。『正義』の味方役、大義だった。まさか『業火剣嵐』を放てるとは思ってもみなかった……これより先は我等の仕事だ、任せてもらおう」
「……分かり、ました。あの、王女殿下は、どう、なるのでしょうか」
「…………」
メィドールはその沈黙の意味を理解した。この男はクルスに似ている。薄い表情真っ平らな声音————日頃間近で見聞きしていただけに、この男の感情を読み取れた。
だからこそメィドールに出来るのは、アヴァドンの悲壮な貌から視線を外すことのみだった。
「…………憎まれても、助けるさ」
それを傍目に、魔帝は一人、口の中で決意を唱える。辛うじてその言葉を拾えたのは、感覚を確かめるように腕を振るクルスだけだ。
「よしっ、動くね。……どうしたの」
「いや別に? ……なぁクルス。一番キツイ苦しみってなんだと思うよ?」
「決まってる。誰からも愛されないこと。それでいて、誰からも恐怖されることだよ」
「見てきたように言うじゃねえか?」
「見てきたことだもの」
「……ガキの頃からお前とつるんでて初めて知ったんだけど、それ」
「聞かれなかったしね」
「聞かねえだろそんなん、普通はよ……」
数瞬の沈黙を、ぽつりとクルスの言葉が破り去った。
「
「…………」
「どんな気持ちだっただろうね。自分のためと理解していても、納得は出来ない胸の内って」
会話はここで打ち切りとなった。
悪魔征伐の準備が整ったのだ。
最後の戦いが幕を開けた。
肌を照らす蒼の熱気が、一際強烈に吹き荒ぶ。
それをものともせずに疾駆する三つの影。仮面を付けた襤褸と黒の神父服、剣を携えた対魔術レジストコートがそれぞれ別方向から回り込む。
作戦は実に単純だ。魔帝とクルスが撹乱し、アヴァドンが息の根を止める。
「ア————イ————アアァ、ァァア————ハイニナレ、燃エチャエ……!」
「……《断骨の刃は飛翔せん》」
正面からアヴァドンが炎を蹴散らす。切っ先の無い独特な形状の剛剣を片手で軽々と振り、その度にラミナガンが悪魔の炎を斬り払う。
「合わせろクルス!
魔帝が悪魔の目前を指差す。それは現代魔術士ならば異端な動作。動作による照準は珍しくはない。魔装を振るう、構えるなど、魔装有りきの動作なぞ飽きるほど目撃するだろう。
だが、魔帝とて帝国の実力者。魔装無しの魔術行使————「超越者の御手」の体得者だ。
そして、魔帝に応える神父服がそうでないはずもなく。
悪魔の死角に回り込むやいなや、競技場に脊柱剣を突き立て、詠唱開始。詠うは結界の魔術。高等魔術結界「セイントテルミヌス」を顕現させる聖句が厳かに紡ぎ出されていく。
卓越した技量は瞬く間に巨大な結界を張り巡らせ、悪魔を隔離する。
「————《不可侵の境界》《拒絶の理》《其は無垢純潔を謳う聖の神託》《望まれるままに穢れ無く》《拒むがままに白く在れ》《此れよりは聖域》《断絶の境界線なり》……ほら、膳は立てたよ」
「————術式起動! 『進撃の楔:行進式』!!」
魔帝の姿が消え去る。三属性黒魔術をさえ完璧に防ぎ得る結界を鮮やかに無視して悪魔の前へ。
「……よう、セレス。俺が誰か分かるか? ……変装してるし、分からないか」
「…………父、様」
「……分かるのか。やっぱ親子だからかねぇ」
「……父様、燃ヤス。愛シテ、クレナイカラ」
「それは誤解だぞセレス。必要があったから、仏頂面を作ってただけだ……」
「——————ウソ」
魔帝の言葉を跳ね除けるように繰り出された否定の言葉を、どろりと流れる歪んだ欲求が継いでいく。
「私……ズット我慢シテタノ。皆ガ、頑張ッテクレテルカラ、私モ、ッテ……デモ気付イタノ。皆、私ヲ
「ネェ父様。私、今日マデ頑張ッタ。ダカラ御褒美ヲクダサイナ。————愛ヲ抉ッテ、溶カシテ、沁ミワタルヨウニ……私ヲヒタスラニ愛シテ? 皆デ私ニ微笑ンデミセテ?」
「ソレガ出来ナイナラ、イラナイノ。燃エチャエバイイ……————燃ヤス。ネ、オ父様」
悪魔はここにきて漸く、顔つきを変えた。虚ろな瞳は変わらない、だが確かに魔帝の姿を蒼く焼き付けていた。口元は狂気的に吊り上がり、無垢な少女は灰燼と化してしまったことを理解せずにはいられない。
セレスティアの存在そのものから垂れ流される醜い欲望は、我儘と呼べる程可愛らしいものではなくなっている。
「セレスティア」
「ハイ、オ父様」
「————その褒美はあげられねぇ」
魔帝は明確に否定する。その言葉に悪魔は対して驚いた様子もなく。アヴァドンに、クルスに。次々と視線を向けていく。
「……殿下。そのご要望には、応えかねます」
「人を死なせてまで、君は愛されたいのかい? なら僕の敵だ」
そして、観客や生徒を見る。
差はあれど誰もが……その目に恐怖を宿している。
「……アヴァドンモ、教師サンモ……オ父様モ。皆ソウ、ナノネ。
「……殿下、それは————」
「————イラナイ」
揺らめく炎が、哀しみと失望を焼べて燃え上がる。
渇愛の烈火はその火力を増し、餓えるがままに周囲一帯を焼き焦がさんと結界内を炎で満たす。
あまりの火力に結界が
故に彼は————爆炎の中心へと歩み寄った。
「!? ……来ナイデ、燃エテ……!!」
「……俺は愛している」
「灰ニナレッ……! 」
「……お前との時間を」
「…………ッ!!」
「……お前と見た世界を」
「……………!」
「……俺の世界の中心は、いつだってお前だ!!」
炎熱に肌を焦がされ、息を吸う度に喉を焼かれても彼の歩みは留まることを知らない。
緩やかに、されど確かに刻まれる一歩はその一つ一つに魔帝の覚悟が込められている。
だが。
「…………信ジナイ、絶対ニ」
「セレス……!」
「ホントハ、オ父様ガ私ヲ愛シテルカナンテ、モウドウダッテイイノ」
「……! な————」
「オ父様ノコト、キライ。要ラナイ…………憎イ。オ父様ナンテ、『ズット苦シメバイィ』!」
それは蒼の閃光とでも呼ぶべき強烈な輝きだった。セレスティアの憎悪の叫びと共に迸った眼光は、オブセットの魔眼と非常に酷似した煌めきで魔帝を苛烈に強襲し、直後。魔帝が頭を抱えて絶叫・悶絶し始めた。
「ぐああああ!? こ、これは……異能……!? があっ……セレ、ス……」
倒れ臥す魔帝を狂った笑みで眺める悪魔。その両手から、新たに蒼炎が立ち上り鉄槌と化して魔帝を圧殺する————刹那、その炎を明後日の方角から来襲した爆炎球が相殺した。
————————ズバアアアアンッ!!
凄まじい衝撃と熱にも大した反応を見せず、ゆらりと首を回して悪魔が闖入者を視界に収めた。
片手で結界を維持する傍ら、空いたもう片方の手で軍用黒魔術「ボロス・ブラスト」を放った神父服の魔術士。
誰あろう、クルス=ディバーツだった。
「……アナタモ、邪魔スルノネ」
「勿論。何より僕は先生だからね、『教える』ことのエキスパートとして……君に教えておくべきことがあるわけで。……邪魔をしてでも君に言わなきゃいけないことがあるのさ」
「……?」
「褒められたり、睦み合ったり。君の望む幸せそのものとも呼べるこの
「…………」
「……苦しかっただろうね。きっと、辛かったんだろうね。誰からも愛されない、それどころか恐怖されるなんて余程の変態じゃなきゃ辛くて当然だ……————僕にも覚えがあるよ」
「……貴方、モ?」
「うん。昔話さ……傲慢なガキンチョが下手に力を持ってたばかりに皆に嫌われるっていう、ね。その点君は幸せだよ」
「……幸、セ? コンナニ、コンナニ辛イ目に遭ッタノニ……? 皆、私ヲ恐レタクセニ!?」
「それでも、嫌われてはいないだろ?」
「ソンナッ…………」
「君に恐怖しても、誰も君を、『悪魔から救うこと』から逃げようとはしなかった————皆が君を想っていたからさ」
セレスティアが見失っていたのはそこだ。本当に心から恐怖したのなら、セレスティアを愛していなかったのなら……背を向けても良かったのだ。
「知っているかい? 君の父親が毎晩毎晩僕に何を聞かせてきたか。君の護衛がなぜ安穏の生活を捨てたのか」
「イッタイ、何ノ話ヲ……!?」
「分からないかい? なら教えてもらいなよ」
すっ、とクルスがあくまの後方を指し示す。
クルスの眼には見えていた。彼が魔帝を救出していたこと、彼が決意に燃えていること。
そこにいるのは、赤髪の処刑人。
首切りの剣を携えて、その背後に魔帝を庇う。
「……
「……今カラデモ遅クナイワ」
「……いいや。
「……ソウ」
「————だが、言ったはずだ。君が間違えた時は……『
アヴァドンが一直線に疾駆する。彼我の距離、目視において凡そ二十踏といったところか。
悪魔の炎が強襲し、瞬く間に景色が煉獄へ変わる。
一寸先は蒼。視界の確認など不可能だ。
それでも、アヴァドンの進路は変わらない。一直線に、ひたすらに、ただ前へ。
救いたい者のために地獄を進む。
「ウウウァァ!! 『私ノ苦シミヲ
その叫びに異能を載せて、渇愛の魔眼が苦痛を与える。
渇愛の魔眼の力は、セレスティアの味わった苦しみをフィードバックさせる能力である。彼女の味わい続けた辛苦は最早呪怨の域に到達し、魔帝さえも悶絶を禁じ得ない。
だが、アヴァドンの疾走は止まらない。
走り、奔り、疾り——————。
「セレェェェェスッッッッ!!!」
最後の炎を切り裂いた。
そして、彼は。自身を拒む術を失った悪魔に肉薄し。
「……約束を果たそう。————『
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