第11話 渇愛の篝火
騒乱に荒れるこの現状。クルスの表情はやはり無表情であり、それが冷酷を醸し出す。
「其処を退け、『
殺意さえ載せてクルスを睨め付けるのは「魔帝」だ。先程までは破壊した結界の応急処置を担っていたようだが、こちらへ手の甲を突き付ける様は完全な敵対姿勢だ。
「……アァ、イ、アイ、アイ、イイイイィ?」
壊れたオルゴールの様に、美しい声を不気味に繰り返すセレスティア。もはやオブセットの侵食はそこに見られないが……異常である。
魔術とは、魔力を以って現実を書き換える術。クルスの教えた魔術行使や固有魔術に関しては、そこに感情という要素が介入してくる。
クルスは感情を、「世界からのカウンター」を受け流す術式と称した。受け流しの技術が固有魔術の創作に役立つと言ったのも、固有魔術が術者の心に在る何かを現実へ侵食投射する魔術であるからだ。
であれば、これはセレスティアの固有魔術といっても過言ではない。
灰燼と化した悪魔の翼は見る影も無く、その灰は微かに燻る執着に渇愛を焼べて蒼白く燃え上がり、その両の細腕をウェディンググローブの様に包み込む。
これは誕生の魔術。生誕の篝火。
全身を蒼炎で焼く少女は陽炎の中で愛を求める魔性と成る。
『渇愛』の悪魔、セレスティア=レイン=エルソレイユ。
悪魔というある種激情の塊とも呼べる存在を覆し捕食したこの少女は、クルスにとって殺すしかない害悪だった。
「殺す。殺すよ。君の命令通りにね。皆を助けるためには、最後の凶芽を摘まないと。君がそれを知らないわけがないだろう?」
「だとしても俺が命じたのは執着の悪魔を討伐することだけだ。命令に従え。————いつまで過去の自分に引きずられてんだ……!」
唸る魔帝にクルスは不可視の力を放出させて応えた————つまりは、聞く耳在らず。
「……より多くの命が救われるなら喜んで命令に背くよ。僕は『確殺』、必ず殺す。忠誠より人情より、大衆を守るためにこそ魂を毀す。君があの日命じたように、僕は魂を守る」
「————チィッ、ここまで来て敵に回ってんじゃねぇよ!? 目の前にある命を切り捨てようとしてる奴が『守る』だぁ? 頭冷やせこの野郎!」
「————もう一度言おうか。僕は『確殺』で、皆のために一人を殺す」
「…………お前……?」
なんだ、この違和感は。確殺であることをやたら強調してくる……?
魔帝がハッと息を呑む。刹那、彼の脳内で憶測と推察が電光石火に飛び閃き。
「……クルス=ディバーツ。俺は今ここでお前を討ち果たす」
吹き荒れる力場の最中、口角を密かに
「セエエヤアァッ!!」
「《舐め焦がす炎》《汝を貪り血錆に加えん》」
「《生命の影》《蠢く終焉はそぞろ歩く》ゥう! ァハッハッハッハッ!!」
観客席の残骸を舞台に、彼等はまだ戦い続けていた。
飛び交う魔術と剣軍黒矢はいっそ美しくすらあったが、場を満たすのはどす黒い殺意一色。
戦闘は激しさを増し、破壊と燼滅が周囲に満ちる。
(くっ……この卑怯者めがッ……!? 何故頑なに逃げの一手を撃ち続けるのだ! ……観客達を餌にして不意打ちでもするつもりか? もしそうなら、私の
エルクレウスの脳内はやはり憤怒の色をしていたが、そこに拭いきれない不可解が雑色を混在させる。
この狂人の言葉を信じるとするなら、今回のリグルは戦闘を得意としておらず、逃げに徹しなければ数瞬の後に死骸と変わるわけだが……ならばなおのこと不可解である。
エルクレウスらが
「ケヒヒヒュヒュ!! さぁまだまだ楽しみま————あぁ、もうそんな時間ですか」
唐突にリグルが弓矢を下ろす。態々番えた矢を弓から抜いての、交戦姿勢の解除。
「なんのつもりだ? いよいよ観念したのか」
「面白くないジョークですねぇ、貴方とてもう限界でしょうに? 私のみに剣を集中させるならまだしも、観客を守るために分散させるとなれば尚更ですし……色々と時間切れなんですよ。楽しんでいられる時間はもう終わりです」
「……逃すとでも? それこそ面白くないジョークだ」
「ええ、全くですアヴァドン=ナンバーアウト。彼の『断罪』の前から、偉大なる夢のためとはいえ逃走するなど。面白くありません……全くもって、面白くありません。————ですから」
再度、唐突。リグルの身体を、リグルから湧出した藤色の蛇が包み込んでいく。
反射的に動いたエルクレウスが剣の嵐で止めに向かうも、リグルは袖口の影を実体化させて壁を作り出す。次いで衝突した、アヴァドンが追撃に放った魔術の炎が晴れた時には……その黒影は影も形も無かった。
————せめて、役立たずの一匹ぐらいは狩っていきますよ。
ニタニタと愉悦を零す狂人の笑みを耳元で感じながら、アヴァドンは直感的に走り出した。
それは、決定的な絶望を回避するために存在が下した反射だったのだろう。
未だ鳴り止まぬ喧騒の音と、立ち込める不穏と悲鳴を背景に、クルスと魔帝はその相貌を蒼く照らされて睨み合う。
……何処か態とらしく見えるのは、悪魔の炎が生み出す陽炎のせいだろうか。
「……おーおー、動かねぇのか? クルス」
「君こそ。王女サマを守りたいならさっさと僕を倒すなりなんなりすりゃいいのさ」
やはり表情の無いクルスは掴み所も無い。覇気のない瞳は魔帝をしっかりと捉えているが、魔装はだらりと下げられ、空いた手は神父服の内ポケットを弄っている。
「……そういや、いっつもそこに飴玉の一つ二つ隠し持ってたもんなお前。変わんねぇのな、甘党め」
「黙れ親馬鹿ならぬ馬鹿親め。君が色々しくじった結果がこの惨状なんだよ? 尻拭いのために王命まで出してくれちゃってさ……。最高のアフターケアを約束してもらおうか」
「当然だ! って言うべきなんだろうけどな……。ちっと待ってくれや。俺には先に、謝るべき人がいる」
「……そうかい」
魔帝の返答に、何処か喜ばしく思っているような雰囲気で返すクルスは、先程までの無機質なヒトデナシじみた気配をまるで感じさせない。
「……もっと良い方法があったんだろうな」
「……さあ、ね。……この結果が最善だとしたら、君のとった行動を、君は『悪』だと思うかい?」
「……いや、思わない。アヴァドンに聞いたんだが、お前んとこの生徒と友達になろうとしたらしいじゃねぇか? セレスは。城の中で軟禁してたようなもんだったからな……いつしか自己評価は最底辺に下落しちまって、しまいにゃ『確殺様』なんて言い出す有様だ。迷惑かける前に死んじまおう、なんて考える娘がよ……友達を作ろうとしたんだぜ?」
「友達になるって、要は自己推薦だからね。王女サマが何を考えてたかは兎も角、良い心境の変化ではあったんじゃないかい?」
「ああ、その通りだ。だからよ? お前んとこの学生には感謝してんだ」
「……そう思うなら全力で謝ってあげて」
その通りだ、と魔帝は周囲を視線のみで確認する。惨劇がそこにはあった。積み重なる瓦礫と、傷ついた生徒や観客一同。所々に上がる黒煙は音も無く惨状を喚き散らす。
折角の競い合いの場がこんなことになって……生徒たちはさぞ悲嘆に暮れていることだろう。
「……ああ。謝るとも。全霊を以て、謝るとも」
「……まぁもっとも、僕に謝れなんて言う権利は無いけどね。教師の立場でありながら、僕は生徒を守れちゃいない」
「クルス…………」
「——————だから」
脊柱剣が掌で踊る。乾いた音を立てて握り込まれた剣の刃はクルスの小指側————
「終わらせようじゃないか。この馬鹿騒ぎを、主犯格の終わりを迎えて。その為には……たった一人を殺す必要がある」
「……そうか。いくぞ?」
「勿論。…………別れの挨拶を用意しなよ」
「無論。……固有魔術起動! 術式構築、転移航路掌握————出頭せよ罪人。『魔帝の楔:支配式』ッ!!」
それは王の裁き。罪の運命に深々と突き刺さる絶対宣告。魔帝を中心に波動が空間を調べ尽くしていく。宛ら反逆者を探す王の刺客の様に。帝王の魔術的視界を瞬く間にしらみ潰す。
宙に満ちる魔力、人々の存在。そして見つけた、一筋の異端。
藤色の、蛇。
「————不敬な」
魔帝の侮蔑が底冷える。王の怒りは次元の海を泳ぐ蛇をいとも簡単に引き摺り出し、そして。
教師の一刺が、蛇の体内に潜む狂気を貫いた。
「もう一度、お前に試練を与えよう————『
魔装の補助によって最短に短縮された「魂魄の苦罰」。不可視の力は脊柱剣へと纏わり付き、振り向くことなく、背後の影へと突き込まれた。
魔帝によって引きずり出された、漆黒の狂気へと。
————ぴたり。
時が止まるような錯覚を誰もが覚えた。完全に静止した一瞬間は、会場を満たしていた影の怪物が木っ端微塵に砕け散ったことで終結する。
影の獣達は光を弱点とし、強烈な閃光が命中すれば跡形も無く消滅してしまう。にも関わらずこの
つまり、それが意味するところとは。
「ごお、ぎぎぎがっ、ああああ————また、してもォ!? 邪魔をするのですかァああ!」
「またしても、お前の負けだよ。リグル=アーチャー」
筋繊維が悉く断裂しているにも関わらず、クルスの一撃はリグルの骨肉を抉り砕いていた。
更には、リグルの起動していた固有魔術を利用した「魂魄の苦罰」による魂への直接攻撃。
「なぁ、ぜぇエエエエ! 何故だァ!? 私が……がふ、其処の
「向かうことが分かったのか、かい?」
「言うまでもないだろうが? ————狩人紛いの獣畜生が、血生臭くて仕方なかった故によ」
抑えきれない忿怒を言葉に覗かせる魔帝が歩み寄る。その眼光は魔術帝国を統べる覇者の威厳。不届き者に手ずから誅を下さんとする無慈悲の体現者が、その手に雷を奔らせた。
「何度貴様が地獄の淵より蘇ろうとも。
厳罰、執行。黒魔術「
「……がが、が、ぎっ、ぐ……」
「大人しくしてろよな。テメェには後で色々聞かせてもらうからよ」
感電したリグルを魔術で縛る魔帝。
威厳に満ちた言動は既に霧散しているが、クルスには取り敢えず言いたいことがあった。
……嗄れ声で凄まれても不気味なだけだ、と。
「……うっ、ぐぅ……」
「おお、起きたかメィドール。あんまり動くなよ、お前さんの打ち所はいいとは言えな」
「————メィ! やっと気がついたのです!!」
「うおおい! 抱きつきたいほど嬉しいのは分かるが骨折れてるからな?!」
「はうっ、そうだったのです……」
激痛と共に目を覚ましたメィドールを迎えたのは土埃と擦り傷で顔を汚したリリィとクロンだった。
見れば、他の生徒たちも教師陣に介抱されているようだ。
「お前さん、ちっと耳をやられてるからな。あとは肋骨が一本ポッキリ、だ。お前さんが一番重症なぐらいだからな、運が良かったのか悪かったのか」
「……そう、だ! 先生が————先生は? 何処?」
「クルス先生はまだ戦って————」
不意に轟音が轟いた。魔帝が叩きつけた「紫電の龍爪」の衝撃だ。
「……なんって衝撃だ? ここにいる俺らまでピリピリするじゃねぇか!」
「影たちが消えていくのです! これで……」
「……まだ。王女殿下が、残ってる」
メィドールは会場の中央に目を向ける。ただひたすらに気掛かりだった。朧げな意識で聞いた、魔帝とクルスの対立。そしてクルスの、殺害宣言。
見る限りでは前者の問題は解決しているように見えるが、後者に関しては不明だ。
「……先生に、人を殺してほしくない」
「同感なのです。誰かを犠牲にした救いだなんて、正義ではないのです」
メィドールもリリィも、クルスが薄暗い過去を持つことはなんとなく察していた。
王家となんらかの繋がりを持っているが、エルクレウスとは初対面であったことを考えると十魔公ではないだろう。だが、それに比肩する実力を持っている以上、帝国軍に関係する人物の可能性が高い。
つまり、人を殺した経験があってもおかしくはない。
オブセットとの戦闘で見せた魔術士らしからぬ近接戦闘の技量はそれを物語る。
それでも、生徒を愛する教師であることは知っている。
「……私、も……先生を助けたい……! リリィ、クロン、手伝って、くれる?」
「勿論なのですよ、メィ!」
「へっ、水臭え。俺だけじゃなく、
痛む身体に鞭を打って、少年少女は立ち上がる。
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