また、空へ
目覚めたアイシャは、その翌朝から、傷を受けた身体を回復させることに専念した。
ユーリが説明する状況の説明を受けながら、彼女は肉体を動かし、その機能を取り戻そうとしている。
まだあちこちに痛みは感じているであろうが、気にはしていないらしい。
「ラハンは、壊滅した」
まず、ユーリがもたらした最も大きな報せが、それである。
「そうか」
アイシャは、自らの胸を地すれすれに置き、腕でそれを支えながら言った。
「バルサラディードの龍。それがラハン王都を狙った。それ一匹だけなら、ラハン空軍でも何とかなったかもしれない。だけど、同時に、ヴァーラーンからも龍が放たれ、ラハンは為す術なく陥落した」
強大になりつつあるラハン空軍を、少し前に攻撃し、その鐡翼を墜とした。それが、裏目に出たことになる。もし、それがなければ、ラハンはバルサラディードとヴァーラーンどちらの龍をも墜とすことが出来たかもしれぬのだ。
今、そのことを言っても仕方がないから、二人とも言わない。
「それで、その龍は」
「ラハンを焼くだけ焼いたあと、消えた」
「そうか」
龍というのは、奇妙である。人が核となり、その苦しみや痛みが特別な精製を施された龍晶が喰うことで姿を現わすということはアイシャらが眼で見て確認した。しかし、何故呼び主の意思の通りの行動を取るのか、何故目的を達したら消えるのか、分からぬことが多い。
アイシャらは研究が仕事ではないから、その真相を追求しようとは思わない。ただ戦いのために役立つ情報であれば欲しいとは思っている。
「それにより、バルサラディードは抑えが効かない状態になっている。シャブスに続き、ラハンも無くなって、今ごろシュナーは笑いが止まらないことだろうよ」
ユーリが困ったように笑う。アイシャは、無表情のままである。
「シュナーは、何がしたいのだろう」
素朴な疑問を、ユーリが口にした。
「国を富ませるならば、近隣諸国を従え、戦力や生産を自らのものにするのが良い。だけど、それをせず、シュナーはただ龍を呼び、暴れ回らせ、街を、国を壊すことしかしていない」
「さあ。政治的狂人の考えることは、分からない」
アイシャは、そう言って、姿勢を変えた。また別の運動を始めるつもりらしい。
「アイシャ。少し、休まないか」
それを見たユーリが声をかけるが、アイシャは、
「何故」
と短く言うのみで、更に身体に負荷をかける運動を続けた。
「──で、どうするか、なんだけど」
終えた一通りの説明を踏まえ、今後の方針についての話をしようということである。
「バルサラディードを、どうにかする」
アイシャの答えは、端的である。ユーリも、それに同意した。
「放置するわけにはいかない。だけど、大丈夫か」
「何が」
「あんたにしか、出来ないだろう。しかし、その身体では」
「時間が経てば、身体は治る。人の身体は、そういう風に出来ている」
だが、とこの戦いの天才は続けた。
「時間が経てば、戦いは進む。それは、人によってしか、止められない」
だから、多少の無理を押してでも、鐡翼に乗り込み、バルサラディードをどうにかすると言うのだ。
「無茶だ」
とはユーリは言わない。それは分かりきったことであるからだ。
別の者が、それをしてもよい。
だが、それが出来る者は、アイシャしかおらぬのだ。
それから数日後には、アイシャは鐡翼の調整飛行に入った。
春が、眼の前にある。
雲が、それを告げているのだ。
だが、どれだけ加速してもそれを追い越すことは出来ない。
時間は、放っておいても流れてゆく。追いかけようがどうしようが、冬は勝手に終わり、やってきた春は知らぬ間に夏になる。
その空の下では人があちこちで動き、なにごとかを謀り、戦いをする。
誰が、何のために始めた戦いであるのか。
その先に、何があるのか。
アイシャが空の向こうに何かを見ようとし、追いかけても、いっこうにそれが見えぬように、恐らく誰にも分からないのだろう。
リーランの調整は完璧で、アイシャは久方の鐡翼の操縦に満足しているらしい。
機銃の弾丸を搭載し、左右の翼にそれぞれ備えられた六連装ロケットの砲弾も積んだ。龍の出現を想定し、
「無理はするな、アイシャ。あんたに死なれては、元も子もない」
ユーリが、今まさに鐡翼に乗り込もうとするアイシャに向かって言った。
アイシャは、それに黙って頷き返した。
死というものにその身を晒しにゆく彼女は、少なくとも今、生きている。
「頑張って下さい」
リーランは、そういう言葉しかアイシャにかける言葉を持たぬらしい。
兵らのうちでこの作戦に参加せぬ者も、皆並び、アイシャを見送っている。
「出力、動力、ともに可。アイシャ、ゆく」
逓信機越しにそう言って、アイシャは自らが駆る
龍を墜とす龍。
この世に、あってはならぬもの。人に災厄しかもたらさぬ龍は勿論、それを墜とす鐡翼もまた。
だから、彼女は飛ぶのだ。墜とすべきものがこの空から消し去るために。
それが、国境無き翼の存在理由。
目指すは、バルサラディード。
その王城を攻撃し、機能を破壊する。
宰相シュナーの持つ力は、あまりに大きくなりすぎている。それは、均衡を壊すどころのものではなくなっている。
もし、シュナーの目的が、新たな力の均衡を生むことであれば。
これまで、ヴァーラーン帝国の一強でこの戦いは続いてきた。それでも他の七つの国が滅んでこなかったのは、ヴァーラーンの国是である積極的膨張政策によるところが大きい。
国土の拡大による国力の増強を求める限り、龍を使い、それを焼き尽くしてしまっては元も子もないのだ。だから、ヴァーラーンは、その強大な力を、あくまで戦いの一局面に決着を付ける切り札として用いている。
ヴァーラーンにとって龍という兵器は、あくまで、敵の軍施設やその中枢を破壊するためのものなのだ。
だが、バルサラディードは違う。その国内の政治情勢がどうなっているのかはっきりとはしないが、どうやらシュナー一人の考えが国の行動を決定しているようなふしがある。
はじめ、バルサラディードの希望と称されるほどに優れた手腕で人気を勝ち得たシュナーであったが、宰相という地位を得た後は、やや専横が過ぎるきらいがある。
武力を求め、失われた技術であった龍を得、ヴァーラーンに対抗しうる力を持ち、その先に彼が求めるもの。
「もしかすると、この戦いの場から不要なものを排除し、バルサラディードとヴァーラーンの一騎打ちに持ち込もうとしているんじゃないか」
ユーリは、アイシャに情勢分析を伝えているとき、そう言った。
「それで、この戦いが終わるとも思えないけれど」
アイシャは、やはり他人が何を考えているのかということについて想像を巡らせるのが苦手らしい。
「だけど、そうなって、ヴァーラーンとバルサラディードが互いに戦うようになれば」
「龍同士をぶつけ合うような、そんな戦いになるわね」
その炎で、この近隣の大地は、焼き払われるかもしれない。
そうなれば、戦いどころか、この地域での人の営み自体が終わってしまいかねない。
「ほんとうに、そんなことをしようと考えるかしら」
「分からない。だけど、奴は異常だよ」
ユーリは、戦慄を隠せぬような様子で、シュナーのことをそう評した。
「それは、疑いようがないわね」
今ひとつ、判然としない。
だが、操縦桿を握り、雲を越え、空を切り裂くアイシャには、ある意味では関わりがない。
眼下の大地には、ぽつぽつと村や街が見えはじめている。
バルサラディードの領内に入ったのだ。
つい先ごろまで、うだつの上がらぬ小国であったこの地を、まさか攻めることになろうとは。
緑が、青が、白が、後ろへ後ろへと流れてゆく。
鐡翼の機首を少し上げた。彼らがそこにあることを示すようにして、傷跡のような雲を残しながら、国境無き翼は飛ぶ。
「散開」
アイシャが、逓信機越しに短く言う。
アイシャのものを合わせて九機の鐡翼が、左右に、上下に、ぱっと咲いた。
眼前、遥か向こうにある、地に腕を伏せたような丘。
そこに築かれた、バルサラディード王都。
まだ遥か向こうのそれから、鐡翼が飛び立ち、自らに向かってくるのを、アイシャは感じていた。
近付き、丘の周りを大きく飾るように、地に対して直角に翼を立てた
やはり、空を裂いた跡のように、雲を残していた。
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