戦いを商う
「アイシャさん!見て!」
リーランが、嬉しそうな声を上げる。その指差す先には、行商の車があった。
「おーい!」
とそれに向かって手を振り、呼び寄せる。
気付いた車は原野に
「何だ、お前ら。こんなところで集まって。野盗か?」
龍晶を動力とする車から降りてきたのは、若い男であった。遥か南方の民族の出身らしく、褐色の肌をしていた。
「食べ物を、分けてもらえませんか」
「いいぜ。色々ある」
男は笑顔で頷くと、車の荷台の帆を外し、中身を見せた。
食料の他に、水、それに武器や弾薬もある。
「これと、これと――」
リーランが楽しげにそれらを選んでいるのを見て、他の者も集まってきた。
「おう、おう、これは厳しい顔ぶれだ」
三十人からなる集団の中で、女はリーランとアイシャのみである。あとは、戦場に生きてきた屈強な男どもであるから、行商人の男は面食らったらしい。
「しめて、七千八百フルークだ、嬢ちゃん」
行商人の男は、値段を伝えた。
全員が持っている僅かな金を集めても、それは遠く及ばない価格であった。
「なんだよ。金も無いのに、俺を呼び止めたのか」
行商人の男は、呆れたように頭を掻いた。
「どうにか、安くしてもらえませんか」
「駄目だ。俺も、生きていかなきゃならない」
「お願いします」
「参ったな。そうだな、七千五百までなら、構わない」
それでも、全く足りない。
「おい、おい。お前ら、一体幾ら持ってるんだよ」
そこで初めて全員の持ち分を出し合って数えてみると、千六百フルークしかなかった。
「話にもならねぇ」
男は荷台に帆をかけようとした。
「俺の銃と交換すれば、少しは食い物を分けてもらえないだろうか」
一人が、そう言って、自らの愛用のガルサング銃を差し出した。
「なんだって?銃をくれるなら、構わないが」
行商人の男は差し出された銃を改めた。
「こいつは、良い。よく整備されてるな。これなら、五百の値を付けてやる」
「本当か」
次々と、男どもが自分の銃を差し出す。
「しかし、お前ら、いいのか。こんな原野で、銃もなく」
行商人の男が、困惑したように言った。
「構わないさ」
一人が、少し悲しそうに答えた。
「どのみち、俺達には、もう必要のないものなんだから」
「何か、
アイシャも、自らの銃を差し出そうとした。
それを、一人が押し止めた。
「あんたは、これを持っていろ」
「でも、皆が銃を差し出しているのに、わたしだけが――」
その者は、少し笑って、首を横に振った。
「あんたには、これを持っていて欲しいんだ。俺達にとって、あんたは、そういう存在なんだ」
アイシャは、うなだれた。
全てを失ってなお、彼女は、国境無き翼のアイシャであることを辞めることは出来ないらしい。
復活も、再生も不可能である。だが、それでも、彼女はここにある人々にとっての象徴であり、希望であるらしかった。
「なんだ、あんたが首領なのか」
その様を見ていた行商人が、興味を示した。
「女だてらに、屈強な男ども束ねるのは、さぞかし――」
軽口が、止まった。アイシャが、表情だけで何事かと問うた。それを、食い入るように見ている。
「――なんてことだ」
行商人が、神妙な面持ちで、呟いた。アイシャは、自らを見知っているのかと思い、少し警戒を示した。
「こんな美しい女を、見たことがない」
どうも、違うらしい。
「あんた、名は?」
「アイシャ」
「いい名だ。全滅したという国境無き翼の首領と、同じだな」
リーランが、苦笑した。男は、国境無き翼に生き残りがいて、それが今目の前にあるとは思っていないらしい。
「惚れた。あんた、これからどこに行くんだ」
「別に、あても無い」
アイシャは、ぶっきらぼうに答えた。
「あてが無いなら、俺と共に来ないか」
「あなたと?」
「そうだ。各地を回り、武器や食い物を仕入れ、売る。悪くないぜ」
「そうね――」
いちおう、考える素振りをして見せた。すぐさま興味がないし、何もする気になれないと断るのが憚られたのだ。
「是非お願いします!」
と威勢よく答えたのは、リーランだった。
「ほんとか、嬢ちゃん」
男は、狂喜した。
「ね、みんな、いいでしょう?楽しそうじゃない」
皆、目的を失い、あとは原野を彷徨い歩いて死ぬだけだと思っていた連中である。
この際、この提案に乗ってみるのも悪くないかもしれない、と何となく思えた。
「ちょっと待ちなさい――」
アイシャだけが、戸惑っている。
「よし、決まりだ。俺はカシム。よろしくな」
男が、アイシャに向けて両手を合わせ、拝むような仕草をした。
アイシャは、諦めたようにして、溜め息をついた。
車はゆっくりと走り、国境無き翼がそれを取り囲むようにして歩くという異様な光景であった。
そのまま一行はバルサラディードまで足を向け、国境地帯の街に入った。
「荒れているな」
カシムは、まずそう述べた。
「前は、こんなじゃなかった。もっと多くの旅人や、軍人で賑わっていたのに」
とりあえず、車をもう一台求めなければならない。
国境無き翼が差し出した銃を全てそこで売り、荷車のついた粗末な車を一台購入した。
「さて。思わぬ金を使ってしまった。これから、どうするか――」
「傭兵稼業なんて、どう?」
リーランが、思いついたことを述べた。
「馬鹿言え。俺は、行商人だぞ。そんな危ないこと、出来るか」
「あら、出来るわよ。ねえ、皆?」
皆、それぞれに苦笑を漏らした。傭兵稼業と言っても、銃はないのだ。
「馬鹿野郎。品物を仕入れに行くぞ」
カシムがそう言い、市へ向かった。カシムが運んでいる金はまだたっぷりとあるから、それで売れそうなものを買い付けた。銃、弾薬、薬、食料など、それは多岐に渡る。
「行商とは、珍しいね」
武器を売る露店の老婆が、声をかけてきた。
「そうかい?べつに、珍しくも何ともないだろう」
カシムが不思議そうに首を傾げた。
「龍を使うようになってから、人の戦いはほとんど終わった。それでも、まだ銃を欲する者が、いるのかね」
というのが老婆の見解である。
「それでも、人が銃を手放すことはない」
カシムも、自らの見解を述べた。
「人は、得た力を、そう簡単には手放すことが出来ないんだ」
唯一、銃を提げたままのアイシャを省み、そう言った。
「そうだろう?アイシャ」
アイシャは答えず、目を背けた。
「お前ほどのいい女が、銃を握り締めるのは悲しいことさ。だけど、お前には、それを手放すことが出来ない。そういう世の中だ」
行商人としてあちこちを渡り歩くうちに、カシムなりの世界観というものが出来上がっているらしい。
戦いを無益で悲しいものとどこかで悟りながら、それに乗ることで自らの糧を得る。カシムもまた、この長い戦いの歳月が生んだ、歪んだ存在であるのかもしれない。
商品を買い付け、車は街を離れた。一台の車には、カシムとアイシャと商品が。もう一台の荷台には、三十人になる男が乗り込んだ。
でこぼことした原野を乗り越え、更に北を目指す。
バルサラディードで仕入れた武器を、ヴァーラーンで売る。面白いだろう、とカシムは笑った。
アイシャはやはり答えず、黙って窓の外を眺めている。
武器を、弾薬を、食料を商う。
どうあっても、アイシャが戦いから逃れることは出来ないらしい。
鐵翼も、国境無き翼も、ユーリも、全てを失った今でも、戦いというものはアイシャの両足を捉えて離さない。
それは、彼女が存在することが出来る、たった一つの場所がそこであるからなのかもしれぬ。
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