最終章 空の、その向こう

鐡翼のアイシャ

 そして国境無き翼は、龍雷ティニラエドや、その他アイシャの鐡翼に載せる武器を求めるため、ヴァーラーンの経済の中心のようになっている街の市へ。


 アイシャは、自らが龍晶を身体に取り込んでいることを打ち明けた。だが、それによって具体的にどのような影響があるのかは明かさなかった。彼女にも、よく分からぬのだ。

 分からぬまま、自分が何故空を求めるのか、何故ユーリを求めるのかという動機について述べたに過ぎない。


 龍晶とは、結局のところそれが何なのかを言い当てられる者はこの世界にはおらぬが、非常に密度の高いエネルギー体である。それは、たとえば我々のこの世界のものを引き合いに出すなら石油のようなものであり、核燃料のようなものでもあった。

 そして、たとえば命のようなものでもあった。もしかすると、それこそ我々の世界の石油のように、太古からの数多のいのちが積もり、凝り固まって出来たものなのかもしれない。


 それを、アイシャは、身体の中に飼っている。

 たとえば、先にも述べたように、アイシャも、ユーリも、そしてゼムリャも、その肉体の強さは常人の域を超えている。咄嗟の事態における判断力、集中力も、並のものではない。そして、空間認識能力、深視力。戦いに必要な全ての身体的、精神的要素が、強化されているのだ。


 たしかに、空を飛ぶ巨大な龍の火に比べれば、それは大したことではない。しかし、アイシャの身体に龍を飼っていると仮定して彼女のこれまでの働きを見た場合、紛れもなく、彼女はであった。


 空にあってはその前を飛ぶものは龍であろうが鐡翼であろうが残らず墜とし、地にあってはそれ一人で何人もの兵士を殺し、普通なら身体が壊れて死んでしまうような拷問にも耐え、なおかつ生還を果たした。

 思い返せば、彼女の働きは、最高の兵士というような曖昧な括り方では語ることが出来ない。たとえば、彼女は数百の兵のいるバルサラディードの野営地に潜入し、シュナーの暗殺を試みたこともあるのだ。それは結局失敗に終わったが、アイシャ以外の人間には計画すらも出来ないことであろう。


 だから、彼女は、兵器だった。

 兵器とは、人が戦いのために産み出したもの。彼女に、ぴったりの言葉であろう。

 それが、空に羽ばたき、敵を討つため、翼を求めた。

 もう、誰もそのことについて意見を述べる者はいない。そして、誰も、そのことについての提案や助言をしてやれる者はいない。

 人が背負うには重く、ただ大きすぎるものを、いや、本来なら人が決して背負うはずのないものを、彼女は背負っている。



 アイシャは、空にあるとき、不意に意識が空の青の、あるいは黒の中に潜航し、その向こう側を見ることがある。そういうとき、アイシャは、彼女自身すらも知覚せぬ間に、的確に敵を墜とす。

 それは、アイシャの中にある龍が見ているものを、アイシャが見ているのか。あるいは、龍の中にあるアイシャが見ているものを、龍が見ているのか。

 そういうときに見るものは、声や、風景。それは、もしかすると、記憶のようなもの。そして、その先にあるものを、見ようとするような。そんな感覚であろう。

 記憶の、その先。そこに、何があるのか、アイシャは知らない。

 知らぬから、求めるのかもしれぬ。

 だから、また空へと行くのかもしれぬ。

 空は、そういう意味において、アイシャを縛っている。



「どうなっても、知らないぞ」

 カシムが、半分投げ出すように言い、市の中の武器や機械部品を扱う店へと足を踏み入れる。リーランは、市の中でもひときわ油臭い臭いを放つその露店の屋根の下で深呼吸をひとつし、あれこれとを漁り、これも、これもと選び取ってゆく。

 その間にカシムと商人は商談を進め、金額の面で妥結した。手付けとしてカシムが支払った金額を確かめると、商人はにんまりと笑い、

「お前達の鐡翼は、街の外か」

 と言った。あとで、届けさせるということらしい。そこで、実物と残りの金を交換する。



 その日の夕暮れ時、数人の男が荷車を曳き、アイシャらのもとを訪れた。

 そこには、龍雷ティニラエドの他、ロケットなどの兵器。それと、リーランが選んだのような部品。商人がそれらをどこで手に入れたのかは聞かぬ。そういうものだ。

 鐡翼への取り付けも彼らが行なってくれると申し出たが、リーランはそれを断った。

「おいおい、お嬢さん。あんたみたいな若い娘さんの手には、余る代物だ」

 と兵器を運んできた商人は笑ったが、リーランは含みのある笑顔を見せ、

「あら、この世で一番速い鐡翼の整備士に向かって、随分な言い草ね」

 と応じない。商人らは、別に売り渡した兵器や買い手がどうなろうと知ったことではないから、あまり無理強いはせず、金だけを受け取って去っていった。


 リーランが早速作業に取り掛かり、それは夜が更けても続いた。旧型の鐡翼というのが彼女の琴線に触れるらしく、興奮気味に、

「わあ、凄い。こんな形式の圧力弁、見たことない」

 だとか、

「ああ、この無意味に四角ばった造型。待ってて、あなたをこの空で一番速く飛べるようにしてあげるから」

 などという声が油の匂いに混じって聴こえてくる。それに苦笑を漏らし、アイシャとカシムや他の国境無き翼は火に当たっている。

「あいつは、昔からああなのか」

「いつも、あの通りよ」

 アイシャの翡翠の髪飾りが、火を吸い込んだように光っている。

「リーランは、わたしが空で戦うことを、いつも助けてくれる」

「お前を通して、自分が失ったものや、得られなかったものを、見ているのかもな」

 カシムは、四十前といった歳の頃である。若い頃から諸国を商いのために回っているから、人の内側のことをよく観察するのが癖になっているのかもしれない。

「迷惑ね。わたしに期待されても。わたしは、誰かの求めに答えるために、戦っているわけじゃない」

「それは、そうだ」

 だが、とカシムは続けた。

「人は、お前に期待する。自らの弱さを知っているからだ。だから、自分にはない力を持つお前を通し、自分が追うことの出来ないものを追う」

「勝手に期待されたって」

「アイシャ」

 じっと、カシムとアイシャの話に耳を傾けていた者の一人が、声を発した。妻も、子もあったが、まだ若い頃に戦いの中でそれを奪われ、ゼムリャの時代からずっと国境無き翼で暮らしてきた古参の男であった。

「期待されたからといって、お前が為すことが変わることはない。だが、お前のような力を持たぬ人は、お前を知り、お前の存在を感じることで、自らもまた共に戦い、追うことが出来るのだ。それだけのことなのだ」

 アイシャは、答えない。では、勝手にすればいい、とでも言いたげである。

「背負い込むことはないさ。ただ、お前を知る人は、お前が誰なのかを知っている」

 カシムが、穏やかな口調で言った。アイシャには、それを素直に受け入れることは難しいらしい。

「あなたに、わたしの何が分かるって言うの」

「分かるさ」

 両手を広げ、カシムは明るく笑った。

「どこまでも意地っ張りで、無愛想で、不器用な女さ」

「馬鹿にしているの」

「ああ。そして、最高の女さ」

 アイシャは、眼を逸らした。黒い波のようになった夜の風に揺れて唇を叩く髪を少しだけ掻き上げ、鼻で笑う。

「その髪飾り、似合うぜ」

「馬鹿馬鹿しい」

 アイシャは立ち上がり、リーランの方へと向かった。

 その背を、カシムも、国境無き翼の者どもも、苦笑しながら見送った。


 

「アイシャさん」

 鼻の頭を真っ黒にしたリーランが顔を上げた。

「どう、調子は」

「前の機体のように、軽快な動作は期待出来ないかもしれません。速さの方に振れば、操作性は悪くなる。それを良くしようと思えば、今度は速さが出ない」

「旧型だもの」

「でも、大丈夫です」

 工具を腰の袋にしまい、リーランが胸を叩いた。

「この新しいアイシャさんの翼を、最高の翼にしてみせます」

「気負わないで」

 アイシャは苦笑し、リーランが置いているガスの灯火が闇に浮かべる鐡の翼に登り、腰掛けた。

「あなたの好きなように、調整して。わたしは、どんな翼でも、空をける」

「本当ですか」

「わたしを、誰だと思っているのよ」

 言われたリーランが、吹き出した。

「思っていたこと、言ってもいいですか」

 アイシャが、頷く。

「翠玉なんて呼び名、アイシャさんらしくないです。その髪飾りは、とっても似合っているけど」

「じゃあ、何と?」

 リーランが、アイシャの腰掛ける翼を見渡した。

 古くなったそれは、今まで、幾度、空を飛んだのだろう。

 どれだけの敵を追い、どれだけの敵に追われたのだろう。

 傷ついて、軋みを上げて、それでも墜ちず、今、地にあって静かに羽を休めている。

 そして、再び空に征こうとしている。

 それは、アイシャそのもののようだった。

「決まってるじゃないですか――」

 翼の上のアイシャが、少し首を傾げる。

「――鐡翼のアイシャ」

「そのまんまね」

「髪飾りも、とっても似合う。だけど、アイシャさんには、鐡翼が一番似合う」

 アイシャが、髪飾りに手をやった。

 それを外し、リーランに投げ渡す。

「あなたに、あげるわ」

「でも――」

「わたしには、必要ない」

「せっかく、似合ってるのに」

 アイシャは状態を反らせ、両手を冷たい翼につき、見上げた。

 そこには、無数の星。それを隠しながら歩く、雲。そして、またリーランに眼を戻した。

「わたしには、鐡翼これがある」


 その夜が明け、陽が昇り、少し高くなった頃、鐡翼の調整は終わった。

 見た目は古いままであるが、アイシャの好みや癖を知り尽くしたリーランが兵器と共に購入した部品を全て使い、仕上げた。

「アイシャさん」

 眼の下に濃い隈を貼り付かせたリーランが、笑う。

「名前を、付けてあげて。今までみたいに、番号じゃなく。名前を」

 国境無き翼が保有する、たった一つの鐡翼。それに、名を。

 与えるとするなら、その名は一つしかない。それを、アイシャは、口にした。これまでずっと、ユーリと二人のときにしか口にすることの出来なかった名。

「――ユラガン

 斜めから差す陽に、古い黒が輝いている。それは、まさしく龍だった。

 龍を内に飼うアイシャが、空を征く鐡の翼。


 アイシャは、その名を光の下、口にした。

 自らが、龍であると。



 そのとき、空が俄かに騒がしくなった。

 黒い虫のようなものが、遥か遠くに浮かんでいる。

 ヴァーラーンの、鐡翼である。

「――襲撃」

 バルサラディードの。

 その空には、恐らく、龍も放たれる。

 そこに、ユーリがいる。

「アイシャ、出る」

 即座に操縦席に乗り込み、離陸準備。

「アイシャさん。気を付けて」

 翡翠の髪飾りを握り締め、リーランが鐡翼の駆動音に負けじと声を張り上げた。

「無理はするな。無茶もするな。そして、死ぬな」

 カシムに頷きを返し、操縦桿を引く。

 国境無き翼の者は皆、胸の前で手を組み、見送っている。

 原野の草を横倒しにし、離陸。


 そして、空へ。

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