束縛からの解放

 鐡翼の数が、異様に多い。

 ヴァーラーンの編隊の脇をかすめるようにして、ユラガンは飛んだ。ヴァーラーン製ではあるが旧型のその機体を不審に思った編隊から、交信が求められている。応じると、所属を問われた。それに、アイシャは答えてやった。

「国境無き翼」

 ヴァーラーンの者は、絶句した。それはとうに滅び、この世に無いはずである。

「わたしは、アイシャ」

 そう逓信機越しに伝えるアイシャの声。ヴァーラーンの者は、ほんとうに、あの国境無き翼のアイシャだと言うのか、と俄かには信じられぬ様子であるらしい。

「滅んでなどいない。翼がある限り、わたしは、何度でも――」

 それきり、交信を打ち切った。


 足踏みペダルを踏み込み、加速。リーランの調整は完璧である。やや操縦桿が重いが、気にはならない。操縦席に身体を縛り付けるような荷重。それが、心地良かった。

 前方に、敵影。バルサラディードの鐡翼。それに遅れて、龍。

 多い。南の空に、無数に。

 帝都を、狙っている。そうアイシャは察した。

 一機で突出して飛行するアイシャのユラガン目がけて、機銃が放たれる。

 翼を翻し、胴を回転させながらそれをかわし、高度を下げ、編隊を一つくぐった。その後ろに続くもう一つの編隊の先頭の一機に向け、ロケットを一発打ち上げた。

 直撃し、ぱっと開く爆炎を追うようにして機種を上げ、編隊を構成する数機を墜とす。そのまま雲を突き抜けるほどに高度を上げ、自らの身を隠した。

 ユーリを、。アイシャは、探している。

 この無限に続く世界の中の、ごく限られた空に、それがいるはずなのだ。

 アイシャの下にある雲を、見上げた。それが、あちこちで紅く瞬いている。龍が火を放ち、ヴァーラーンの鐡翼を墜としているのだろう。

 その雲が正面になるように機体の向きを変え、刺すようにして降下。

 地が、アイシャを求め、乞うている。その勢いと、加速。雲を突き破り、その向こうにあるはずの地を覆い隠すほどの夥しい翼。

 ロケットを二発放ち、龍の一体の動きを止めた。

 振り回す腕をすり抜け、更に地に近付く。そこで、逆噴射。胃が口から出るような凄まじい衝撃と荷重に抵抗しながら、操縦桿を引き、足踏みペダルを踏み込み、反転。逆さになったアイシャの眼の前に、龍の胴体。

 アイシャは、知っていた。龍のどこに、核があるのかを。そこにあるものは、今なお苦しみを叫び、救いを求めているのだろう。アイシャの中の龍が、その位置を知らせていた。

「――墜ちろ」

 そこに向け、ロケットを放つ。

 硬い外殻が破れ、急所が剥き出しになる。

 そこへ、機銃を集中的に撃ち込んだ。黒っぽい血と抉れ散った肉が飛ぶ。

 アイシャがその胴体にぶつかりそうになるすれすれで、龍が力を失い、墜ちた。


 背後から、龍。ヴァーラーンも応戦のため、龍を呼んだものらしい。

 鐡翼と鐡翼、龍と龍が行き交い、空を埋め尽くす。



 ユーリは。

 空の中を飛び回り、探した。

 編隊の中には、いない。

 龍の群れの隙間にも、いない。

 再び機種を上げ、雲を越え、青と陽しかない世界へ。

 眼を細める。

 その光を背負うようにして、黒い点があった。

 ユーリ。

 いた。

 それに向け、全速力。ユーリも気付いたのか、機首を下げているらしい。

「――お前なのか」

 逓信機越しに、呼びかけた。

「あんたか。また、来たんだな」

 ユーリの声が、返ってきた。

「どうして、お前はバルサラディードに」

 それに対しての答えは、無い。代わりに、機銃の弾丸。

 アイシャもそのを返し、互いに行き違う。

 じゃれ合うように、睦み合うように、求め合うように。そして、憎み合い、明らかな殺意を持って。二匹の龍は、何度もその身体を交わした。

 逓信機は、要らぬ。もしかすると、言葉も。飛び交う弾丸と、鐡翼の駆動音で、語り合っている。



 ――お前は、わたしの全てを、奪った。

 ――それは、違う。俺たちは、何も持たぬ者同士。だから、互いに求め合えたんだ。何もない。ほんとうに、何もなかった。だから、俺の中には、あんたがあった。

 ――お前は、自ら生き、積み上げてきたものを全て、その手で壊した。

 ――そうさ。俺一人が抱えるものよりも、全ての人が背負い込まされているものの方が、遥かに重い。全ての人の解放。そのためには、俺一人が抱えるものなど。

 ――では、わたしや、リーラン。他の国境無き翼が生きてきたことに、意味など無かったと言いたいのか。

 ――いいや、あったさ。

 ――では、何故。

 ――俺たちは、やり過ぎたのさ。人が背負ってはならぬものまで背負い、追ってはならぬものまで追った。それは、この世界を壊す。


 激しい衝撃。左翼の先端に、被弾したらしい。飛行に支障はない。

 ユーリの機体からも、同じように薄い煙が後方に流れている。



「――人は、こうして傷付け合い、奪い合う。それは、力ゆえのこと。人は、力を持ってはいけないんだ、アイシャ」

 ユーリが、逓信機越しに、自分の声で、そう言った。

「見てろ」

 そう続け、アイシャに背を向け、雲の中へ。アイシャも、それを追う。雲を突き破り、また龍と火と黒煙の世界へ。

 この世の終わりとは、まさしくこのようなものなのだろう。

 この空にあるもののうち、太陽と雲、そして騒乱に驚いて低く飛び去る鳥のほかは、全て、人が創り出したもの。力を持つ人が、他者から奪うための更なる力を求め、創り出したもの。

 それに埋め尽くされた世界を、ユーリは見た。

 翼の片方に備えられたものを、墜とした。

 それは緩やかに地へと向かい、その後、勢いをもって龍へと向かった。

 紅く、円く、空が穿たれる。

「奪うための力を、墜とすための力。そしてそれを奪うための、力。求めることに終わりはなく、もし、終わりが来るとすれば――」

 ユーリ目がけて振り下ろされる腕。

 それにロケットを放ち、回転しながら通り過ぎ、別の一体に向け、また龍雷ティニラエドを投下する。

 また空が穿たれ、龍やその周囲の鐡翼を呑み込む。

「――それは、この世の全ての人が、力を求め合い、その末に、滅び去ったときだろう」

 だから、今、それを止める。それが、人が生き続けてゆくための、唯一の道。そうユーリは言い切った。


「ふざけないで」

 アイシャもまた、逓信機越しに、自らの声で叫んだ。

 激しく機銃を乱射し、ユーリを追う。

「あなたは、何も分かっていない」

 ユーリは巧みに機体を回転させ、反転し、高度を変え、アイシャの照準から外れようとする。しかし、ユーリがどのような行動を取っても、アイシャはぴったりとその後ろに付いて、離れない。

「人が求めるものは、力だけではない」

 ユーリの右翼を、弾丸が貫く。

「わたしは、そのことを、知った」

 続けて、尾翼も。

「あなたがどれだけ思い上がっているのかは、知らない」

 ユーリが、全速力でアイシャを振り切ろうとする。

「だけど、あなたもまた、知らないのよ」

 炎が上がり、右翼が吹き飛んだ。

 ユーリは姿勢を保てず、激しく回転しながら、地に墜ちて行った。

「わたし達は、わたし達を、互いに追い、求め合っていたのよ」

 ゆっくりと、機首を下げる。

「力だけじゃない」

 リーランの、明るい笑顔と言葉。

「力を求めることは、罪じゃない」

 カシムの、投げやりな言葉。その奥には、優しさ。

「守りたいから。示したいから」

 これまで共に戦い、去り、あるいは死んだ、国境無き翼の者。今もなおアイシャを通して己の求めるものを見ようと、行動を共にする者。

「だから、人は力を欲するの」

 ユーリの機体は、回転することすら止め、もう地に着こうとしている。

 そこが、人のあるべき場所なのだ。

「それを阻み、奪おうとするものと、戦うの」

 アイシャもまた、ユーリと同じ地に還った。

 ゆっくりとその翼を地と平行にし、乾いた原野に引きずったような痕を残しながら転がる、大破したユーリの機体の傍に降り立った。


 鐡翼から降り、アイシャは自らの足で歩いた。

 ユーリは、草と土の上に、横たわっていた。

「――アイシャ」

 頭から血を流し、ユーリはゆっくりと起き上がった。死んではいなかったらしい。身体に龍を飼っていなければ、分からない。

「俺たちは、どこで、すれ違ったんだろう」

 この期に及んでも、アイシャは、その声を聴くと、穏やかな気持ちになった。

「いいえ。はじめから、交わってなどいなかったわ」

「そうか。冷たいな」

「そうでもないわ」

 風。

 それが通り過ぎてから、少し笑った。

「だから、わたしは、あなたを求めていた」

 ユーリは、いつものように悲しげな表情のまま、アイシャと同じように笑った。

「アイシャ。俺は、あんたが好きだった。心から」

「わたしも、あなたが好きだった。本当に」

 ユーリが、胸に取り付けた鞘から、刃物を抜く。アイシャも、同じようにした。

「あんただけを、求めていたかったよ」

「わたしは、今も、あなただけを求めている」

 もう一つの風が、二人の間にやって来て、一瞬、止まった。


 また、それが、去ってゆく。

 それを追うようにして、二人の身体が、同時に動いた。

 アイシャが突き出した刃物を潜るようにして、ユーリのそれが、伸びた。

 互いに、空いている手で、互いの刃物を払いのける。

 崩れた体勢を庇うようにして、脚を振り上げる。地からそう遠くない空でそれは交差し、止まった。

 また、静かになった。

「あんたや俺は、力そのもの。この世に、あってはならないもの」

「それには、同感よ」

「良かった。意見が合った」

 ユーリが眉を下げて笑う。

 また、互いに刃物を交差させた。

「奪い合おう、アイシャ。求め合い、喰らい尽くそう」

 交差した刃物に、それぞれの力が込められる。

「そして、選ぼう。俺たちに選ぶことが出来るものは、束縛という名の生か、開放という名の死しか無いが」

「ずっと、そうして来たじゃない」

 金属と金属が、肉体と肉体がぶつかる音。

 それが、この原野に響き、流れ、散った。

 頭上では鐡翼と龍が入り乱れ、時折二人を紅く照らす。

「あなたは、わたしに、いつも言った」

 ユーリが、力を込めたアイシャの刃物に映る顔を、しかめた。そして、続きを乞うように、少し眉を上げた。

「どうして、こんなことをするの、と」

 互いに込め合った力が弾かれ、また体勢を入れ替えた。

「あんたは、いつも答えた。少なくとも今、生きている。そう思いたいから、と」

 アイシャが、刃物を繰り出す。それをユーリが掌で弾く。宙に、アイシャの刃物が舞う。

「どうだ、アイシャ。今自分が生きていると、思えているか」

 ユーリの刃物が、アイシャの胸目がけ、伸びた。

 アイシャの身体が、鐡翼のように翻り、回った腕で、ユーリの腕を捉えた。

「――いいえ、ちっとも」

 その腕を、へし折った。

 ユーリの、苦痛の声。

 宙を舞っていた刃物もまた、やはり地に乞われ、墜ちてきた。

 そして、あるべきところアイシャの手の中に、還ってきた。


 それを、前のめりになりながらすぐ近くでアイシャを見上げるユーリの首の後ろに、突き立てた。

「あなたの身体に触れ、その熱を感じ、声を聴き、わたしもまたあなたの肌に触れ、あなたの耳元で囁いて。そうしているとき、わたしは、生きていると感じることが出来た」

 一気に、首の丸みに沿わせるようにして回し、血の脈と気道を掻き切った。

 ユーリの首から紅い血が噴き出し、草を、土と、アイシャを濡らす。

 それは徐々に弱まっていくのを感じながら、アイシャは、ユーリを、生の束縛から開放してやった。



「あなただけが、わたしだった」

 そっと、寝かしつけるように、ユーリの身体を横たえた。

 死に包み込まれてもまだ、その眼はアイシャを見続けていた。

 そこに映るアイシャは、涙を流していた。

「わたしだけが、あなただったのよ」


 ユーリは、アイシャよりも先に、空のその向こうへと行った。どれだけ求めても、自らそこに辿り着くことはなかった。

 アイシャの力で、ユーリはそこに至った。

 では、アイシャは、誰の力で、そこに向かえばよいのだろうか。

 ただ流れ、風を受けて冷たくなる涙が、頭上の火に紅く染められている。


 この場に留まる理由はない。

 アイシャは、ユラガンへと足を向けた。



 背中に。いや、全身に。そして、心に、魂に。

 激しい脈を感じた。

 ユーリの。

 咄嗟に振り返り、拳銃を抜き、構えた。

 もう血を流すことすら出来ぬようになり、横たわるだけのユーリの身体から、血とは違う、血と同じ紅が漏れ出ている。

 それは光になり、ユーリを包む。

 そこへ向かって、風が集まってゆくような。

「――ユーリ」

 その紅は完全にユーリを呑み込み、その姿を隠した。

 そして、叫んだ。

 怒り。いや、憎しみ。あるいは、悲しみ。

 漆黒の翼。

 それを光の中で広げ、さらに叫んだ。

 ――俺は、あんたを、守りたかった。だけど、あんたを守ることは、世界を滅ぼすことに似ていた。だから、俺には、こうすることしか出来なかった。

 翼を持つ紅い光は、そう言った。

 光はその中心に向かって急速に集まり、消えた。

 代わりに、翼と同じ色の、漆黒の身体が現れた。それが生む影の中にいるアイシャが、見上げ、後ずさる。

 咆哮。

 アイシャには、はっきりと聞こえた。

 ――ごめんな。許してくれ。


 その叫びを残し、一匹の龍が、北へ向けて飛び立った。

 その先には、ヴァーラーンの帝都。

 アイシャもまた、ユラガンに乗り込み、それを追う。

 追うしかなかった。

 求め合い、ようやく互いの生を交えた。

 それなのに、またユーリは、アイシャを置いて、行ってしまった。

 アイシャには、ただ追うことしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る