龍を墜とす雷

 弾幕。

 もはや漆黒と化した空に浮かぶ巨大な龍は、月を受け、その身体を黒く光らせている。アイシャは、その強大な存在から仲間を守るために、機銃を掃射する。眼下の原野には、ぽつりぽつりと龍晶によってもたらされた灯が見える。国境無き翼は文字通り、国の境を越え、ラハン領に入ったらしい。

 そのラハン領を蹂躙し尽くさんと召喚された龍は、王都の方、すなわち北へと首を回し、飛び去らんとする。夜間の飛行、ましてや戦闘は、よほどの訓練を積んだ者でなければ不可能であるから、この空にある人間は、百年に渡る戦いに適応した種の人間ばかりなのであろう。

「逃がすな」

 その一人であるアイシャが鋭く言うと、国境無き翼の編隊は、ちょうどかりが飛ぶような形で、追尾の姿勢を取った。遅れて、ラハンの編隊も続いている。

「国境無き翼か」

 突如として空に現れた八機の鐡翼がそうであるとラハンは判じたらしい。

「助力、感謝する」

 ラハン王国を形成する八万七千の人口の大多数を占めるクントゥルー人特有の、yとhに特徴のある訛りが逓信機越しに聞こえてくる。

「あの龍を、墜とす。以上アカール

 謝辞には答えず、アイシャはそれをのみ言った。

「あんたらが付いていれば、百人力だ」

 ラハンの者は、どこか浮かれた様子である。自分の国を巨大な龍が今まさに襲おうとしているのに、その駆逐を国境無き翼に任せてしまいたがっているような響きもある。だが、誰もそれを責めることは出来ない。彼らは、ラハン王国空軍である前にクントゥルー人であり、さらにそれ以前に、個人なのだ。ゆえに、自らの生命を投げうち、龍の前に立ちはだかり、その熱炎を受けて四散することよりも、安全をどこかで望む。なぜなら、彼らには、帰るべき大地があり、そこに国と家があるからだ。

 その点、国境無き翼は、気楽であった。どこにも拠ることなく、ただこの百年に渡る戦いの終息のみを主眼とした集団は、帰るべき領土も家も持たない。本拠はあるが、それは時々で変わる。往々にして、国境の緩衝地帯や砂漠、原野などに彼らは居た。そして必要に駆られた場合、兵器、その整備に必要な道具、移動式の建屋、食糧、そして三百からなる人員ごと移動するのだ。弾薬や資材、食糧その他の消耗品は、彼らを目当てにした行商人から買い付ける。武器商というのは、ヴァーラーン帝国ほか七つの小国からなるこの地方において特に多い。あちこちを渡り歩く彼らの商売が成立するほどに、戦いが頻発しているということだ。


 話を戻す。

 操縦桿を握り、ペダルを踏み込む。その身体を座席に叩きつけるような荷重がかかるが、アイシャは眼を僅かに細めるのみである。その表情のまま、ラハンの中心部に向けて飛び去ろうとする龍の後ろに、ぴったりと付いた。

 アイシャには、他の者には出来ぬ技がある。龍に辛うじて付いてゆける程の速度で航行しながら、針の穴を通すように正確に射撃をすることだ。今も、操縦席前方から伸びる照準器を片目で覗き込んでいる。

 龍は、羽をほとんど水平にしている。それが、時折、羽ばたく。その瞬間を狙うのだ。これは、生半可な腕で出来ることではない。

 激しく振動する機体。待ち焦がれた恋人のようにアイシャの身体を縛って離さぬ座席を突き破りそうになるほどの荷重。その中、アイシャは、自分と龍を結んだ。

 ほんの一瞬、龍の羽が上がる刹那。

 左右の翼にそれぞれ一門ずつ配置された、六連装ロケット。

 その全弾を、放った。

 闇の中、龍晶がきらめく紅い軌跡を残し、それは飛ぶ。

 飛んで、龍に吸い込まれた。

 ちょうど羽ばたいた羽にそれらはあたり、龍が失速、下降を始めた。

 怒りの満ちた咆哮が、夜を揺らした。アイシャは動じず、なお龍に向かって機銃を掃射する。

 はっきりと、目が合った。

 操縦桿の隣、手元の操作棒レバーを引く。それが、安全装置になっている。そののち、操作棒を、左いっぱいに。

「三、四、八、退避せよ」

 アイシャの通信を受けた三期が、龍の左右から高度を下げながら離れてゆく。それを確認したのち、操作棒のボタンを押し込む。

龍雷ティニラエド

 それが、この兵器の名。

「――墜ちろ」

 両翼から一発ずつ、放たれた。一瞬、その大人の男の背丈ほどの大きさの筒は自然落下を見せたが、すぐに我に返ったようにその尻から火を吹き、推進した。

 龍雷は、失速して高度を下げてゆく龍に向かって、軌道をひとりでに曲げている。

 追尾してくるそれを、龍は嫌っているらしい。なにか、とてつもないものが迫っているのだということが分かるのだろう。

 しかし、龍雷は、身体を地平に対して直角に倒し、急降下と回避を行う龍を逃すつもりはないらしい。空中で緩やかな孤を描きながら、それに追いすがる。

 龍との距離、二十サマラン(彼らの、距離の単位。一サマランで、およそ八〇センチメートルほど)。そうアイシャは見た。

 そのまま機首を上げ、自らも効果範囲から離脱。

 着弾と同時に、凄まじい爆炎と閃光。

 龍晶と龍が引き合う性質を利用し、誘導。操縦手は、ただ放つだけでいい。着弾すると内部で龍晶がいくつかの金属と融合し、その力が解放される。その際に発生する高いエネルギーでもって外殻を破砕し、内部に致命的な損傷を与える。

 個体差はあるものの、龍の大きさは四十サマランから大きいもので五十サマランほどもある。その強靭な生命の前に飛行する鐵翼は、文字通り、蝿のようだった。しかし、この飛行兵器がこれほどまでにこの戦いにおいて重宝されているのは、これが人類が龍に対抗することの出来る有効な手段である龍雷の効果を最もよく発揮させられるからである。

 龍雷は、強力である。急所である頭部や胸部に炸裂させるか、外れても左右どちらかの羽を破壊することが出来れば、一発で墜とすことが出来る。たとえば龍を目掛け、龍雷を地上から発射するような兵器もある。しかし、龍は俊敏で、羽に通常兵器で損傷を与えて運動の自由を奪うか、弱らせてからでないと追尾し切れないことが多い。それゆえ、龍と同じ空を舞い、蜂のように刺すことの出来る鐵翼にそれを積載し、撃ち込むという戦法が有効なのだ。

 龍雷は龍のために開発された兵器であるが、それを搭載する鐵翼は、龍に対してのみ用いられるものではない。

 相手が、人間の場合においても、それは用いられる。


 アイシャは、龍雷によって丸く、紅く穿たれた闇に照らされながら、操縦桿を握っている。

 眼下には、火を纏いながら、墜ちてゆく龍。その長い首の先にあるはずの頭部が、吹き飛んでいる。もう一発は、胸部に直撃。逓信機越しに、ラハンの兵が賞賛を浴びせてくる。

「全機、反転」

 八機の国境無き翼が、一斉に空で上下左右に弧を描き、反転した。

 その先には、国境無き翼に追随している、十機のラハン王国空軍。

 その一機が、火を噴いた。

 ゆるゆると、それは地へと吸い込まれていった。

「――こいつら、やる気だ!」

 重ねて言う。国境無き翼は、国家に拠らぬ軍事組織。

 龍が出ればそれを墜とすが、彼らの存在理由は、戦いの終息。

 ラハン王国はこのところ、成長が目覚ましい。隣国に手を付けてそれを吸収し、ヴァーラーン帝国に対抗しうる力を得ようと画策している。

 力とは、とても微妙な均衡で成り立つ。ヴァーラーン帝国が用いる龍は、言わばトランプで言うところのジョーカーなのだ。だから、それが出現したとき、国境無き翼は最優先でそれを討つ。しかし、それが地に墜ち、空が人のものとなったとき、彼らの機首は、力の均衡を崩さんとする者に向くのだ。

「全機、反転!逃げろ!」

 今更叫んだところで、遅い。

「追え。墜とせ」

 アイシャの無慈悲な指示が、下される。

 一発で鋼の塊をも撃ち抜く機銃の弾丸が、無数に放たれる。

 十あったラハンの翼は全てが勢いを失い、それぞれに火を上げ、墜ちていった。

「帰投する」

 暫くの間をもって、地にそれが打ち付けられた爆炎が、アイシャの目線の遥か下でぼんやりと光った。

 それをも追い越し、彼女らは飛んだ。

 月を左手に見ながら、その向こうの闇へ。

「すげえな、アイシャ」

 一から順番に番号を振った機体のうち、七に搭乗する者の声が逓信機から流れる。

「ゼムリャがいた頃みたいだ」

 無論、褒める意味で七は言った。

 しかし、アイシャはそれに答えることなく、ただ南の黒を目指し、翔んでいる。

 アイシャの機体には、ナンバリングは無い。

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