髪飾り

 あちこちを回り、商いをするということも、悪くなかった。国境無き翼の一員としてではなく、別の視点からこの世を見ることができた。この一年ほどの間で、ずいぶんと色々な地域を回った。そこで、様々なものを見た。

 ただ、やはり、国境無き翼の一員としてでなければ、アイシャは何者でもなかった。

「わあ、アイシャさん、見て!」

 と、市などで珍しいものを見つけて声を上げるリーランに対しても、曖昧に笑い返してやるしかない。

「こんなもの、誰が欲しがるの」

 それを、手に取った。

 髪飾りであった。大した品ではない。東の地域からもたらされたと思われる翡翠があしらわれた古いものだった。

 この戦乱の世である。税は騰がり、物価も騰がり、民はその日の命をどうつなぐかということしか考えることがない。その中で、身の回りの嗜好品などを誰が目に止めると言うのか。

「俺のひいひい爺さんの頃は、よく売れた。東の絹で作られた帯。髪飾りや首飾り。その頃は、女は着飾り、とても美しかったそうだ。俺のひい爺さんが言っていた」

 それを商う老人は、アイシャが手に取っている髪飾りを眩しげに見て、そう言った。

「――お嬢さんに、それを差し上げましょう。どうせ、売れぬものだ」

 アイシャをも眩しげに見、老人は皺を深めて笑った。

「要らないわ」

「いいじゃないか。くれるって言ってるんだ。きっと、似合うぜ」

 カシムが、背中を丸めてアイシャと目線を合わせて言った。

「リーラン。くれるそうよ」

 アイシャが、それをリーランに差し出した。どういうわけかリーランは受け取らず、にやにやしている。

「何よ」

「アイシャさん」

 髪飾りを握ったままの手を、そっと包んだ。

「着けてみて」

 別に、着けるくらい、どうということもない。要る、要らぬの押し問答になるのも面倒だと思い、アイシャは言われた通りにした。

「――似合うよ、お嬢さん」

 老人は、やはり眩しそうにアイシャを見、満足そうに笑った。

「俺のひいひい爺さんが買い付けたものだ。それから売れず、ずっとここにあった。やっと、髪飾りが似合う持ち主に出会えた」

 アイシャは、答えない。


「似合うぜ、アイシャ」

「うん、とっても似合う。アイシャさん、綺麗」

「やめてよ。馬鹿馬鹿しい」

 髪飾りを着けたまま、アイシャは憮然として言った。

「こんな世じゃなければ、アイシャも、美しいものを着、いい男と共に生きていたのかもな」

 カシムが感慨深そうに言うのを横目で見て、アイシャが髪飾りを外そうとする。

「ああ、駄目!せっかく、似合ってるのに」

 リーランが、慌ててそれを制止する。

「こんな世なのよ。こんな世しか、わたしは知らない」

 自分に、自分として以外の生があったかもしれぬと考えるような可愛げは、アイシャにはない。

「まあ、機嫌を直してくれよ。お前に似合ってる。それだけのことさ」

 機嫌を直すもなにも、アイシャは初めからどうとも思っていない。ただ、自分のことで騒がれるのが面倒なのだ。


 バルサラディードは、更に力を伸ばしている。

 それまで、暗黙のうちに禁忌とされていた、人への龍雷ティニラエドの使用も行っている。そういう話も、商いをして回っていると入ってくる。

 髪飾りを着け、絹を纏い、いかに着飾ったとしても、たった一体の龍が飛んでくるだけで、全てが灰になる。龍でなくとも、たった一機の鐵翼が飛来し、たった一発の龍雷ティニラエドを投下するだけでも、同じである。

 龍を呼ぶのも、鐵翼を駆るのも、投下装置のボタンを押すのも、人である。

 人が、人を。

 それが、当たり前になっている。

 アイシャと同じように、それを、誰もが、受け入れている。

 受け入れながら、思っている。

 もし、そうでなければ、と。


 人は、生まれながらにして、戦いを求めるのか。あるいは、それの無い生を求めるのか。

 自分で鐵翼を駆り、自分で銃を取り、自分で引き金を引かぬ人もまた、戦いの中にある。

 全ての人が、戦いの中にある。


 そこからの、開放。

 戦いの、終息。

 国境無き翼は、そのために、存在した。

 アイシャは、そのために、存在した。

 だが、それも、戦いの中で奪われた。

 だから、アイシャは思うのだ。

 ただ街を巡り、外から内を、内から外を見るようなことをしたところで、どうなるのだ、と。

 髪飾りを身に着け、もし戦いが無ければどうであったのかを思い描くことが、何になるのだ、と。

 カシムと共に売り歩いているのは、武器。

 戦いのための。

 それを人に渡しながら、そのようなことを思い描くということが、なんだか馬鹿馬鹿しいように思えた。



 ぽつりと言った。

「戦いたい」

 立ち止まる。

 はっとした顔で、カシムも、リーランも、買い付けに付き従っている数人の国境無き翼の者も、立ち止まった。

「戦いたい。わたしは」

 市の喧騒が、遠くに流れ去るような感覚。代わりに耳に蘇る、銃声。鐵翼の機動音。龍の哭き声。そして、声。

 ――嫌だ。

 ――助けてくれ。

 助けを求めながら、龍晶に喰われるようにしてその核となってゆく人間の。

 それが求めていたのは、苦痛からの開放か。あるいは、自らが人を苛むものと化すことへの抵抗か。



「戦いたい。どこまでも。ずっと、ずっと。この世から、全ての戦いが無くなるまで。たとえ、その日が来なくとも。そのために、生きていたい」

 アイシャがどのような顔をしながらそれを言うのか、誰も見ることが出来ない。ただ、呆けたように立ち尽くす背中があるだけだ。

 それは、銃を取るには、あまりにか細く。敵を捉え、首を刃物で掻き切るには、あまりに弱く。鐵翼を駆って、追い、墜とすには、あまりに優しく。

 その背が、少し、息を吸った。

 石を積み上げて造られた街並みが、その向こうに続いている。

 その石は、人が、人の営みのために積み上げたもの。

 生きるとは、そのようなものではなかったか。

 それを、人は知らぬわけではあるまいに。

 だが、人は、自ら積み上げた石を、崩すことしかせぬ。

「思い描くことでは、人は、変わらない」

 乾いた風が、吹き抜けた。

 舞い上がった塵が石壁にぶつかり、それを避けるように流れてゆく。

「思い描くことでは、人は、救われない」

「どうすれば――」

 リーランが、呟きかけた。アイシャは、振り返った。皆、驚いていた。

 笑っていたのだ。

「戦うのよ。思い描くことではない。戦うことで、人は進める」

 戦いとは、破壊である。相手の肉体を、その造ったものを、その生きた道を、壊すことである。

 だが、その行為を破壊するために、戦いという手段を用いる。

 国境無き翼は、そのために存在した。


 それを破壊されたアイシャは、より強く思うのだ。

 壊さなければ、と。

 ユーリのことは、思い出さないようにしていた。

 それを思えば、きっと、もう戦えなくなると、どこかで思っていた。

 戦わなければならないと、どこかで思っていた。

 あの穏やかな声と眼差しが、その肌の熱が、蘇る。

 ――どうして、こんなことをするの。

 しばしば、彼はそう言った。それに、アイシャはいつもこう答えた。

 ――少なくとも今、わたしは生きている。そう思いたいから。


「思い描くことではない」

 アイシャの髪飾りが、風に揺れた。

「求めること。そうでなくてはならない」

「アイシャさん」

 リーランも、国境無き翼の元構成員も、涙を浮かべている。

「国境無き翼のアイシャは、翼が無くとも、戦うってわけか」

 カシムが、巻き毛の頭を掻いた。

 戦うといかに息巻いても、武力が無ければ、何も出来ぬ。今あるのは、街の外で、二十人が守っている車に積まれた銃器や弾薬のみ。それは、カシムの商品である。

 あるのは、身体のみ。その状態では、いかに戦いたいとアイシャが言っても、戦えぬ。


「どうするんだ」

 それを、カシムが問うた。

「武器なら、あるじゃない」

「どこに」

「あなたの車に」

「おいおい、勘弁してくれ。あれは、俺の商品なんだぞ」

「わたしに、頂戴」

「お前、どうかしてる」

「もう一度、翼を。金なら、それで稼げばいい」

 カシムにしてみれば、無謀である。せっかく自分が築き上げてきた財を、私兵部隊の再興のために投じるなど、馬鹿げている。しかし、彼もまた、思っていた。長く街を回っていたから、アイシャよりも多く。

 自らが商うものは、人の営みを壊し、奪うために使われるのだということを、彼は知っていた。

 だから、この無茶な着想を、言下に否定することも出来ない。


「わたしを、助けて」


 アイシャの黒い瞳が、そう言った。

「あなたの力が、必要なの」

「参ったな」

「カシムさん。アイシャさんを、助けてあげて」

 リーランも、両手を組んで拝む仕草をした。

「ちょっと待ってくれ」

 カシムが、後ずさる。

「どうやって、戦うんだ。俺は、商売人だ。成算のないことは、出来ない」

「はじめ、銃を使う。小さな仕事よ。それで資金を得、殖やし、鐵翼を」

「鐵翼を得て、どうする」

「バルサラディードを」

 それだけ言い、アイシャは言葉を切った。


 動力になる龍晶。鐵翼のための弾薬。そして、龍と対抗するなら、龍雷ティニラエドも必要になる。それには、莫大な資金が要る。

 元手は、カシムの財。

 良いことなのか悪いことなのかは分からぬが、それを全て投げ打つ理由を、この男は持っていた。

「もともと、お前に惚れて、助けたんだ」

 開き直った。

 良いことなのか悪いことなのかは分からぬが、カシムに、到底実現出来ぬような願いをしているのは、アイシャなのだ。

 国境無き翼のゼムリャの後を次いだ、最強の兵士。

 龍ですら、彼女の前では地に墜ちるほどの。

 実現できるかもしれない、とカシムは思った。

「分かった。俺の全てを、お前に投げ売ってやる」

「ありがとう、カシム」

「全く。何てことだ。とんでもない女に、惚れちまったもんだ」

「それに答えてあげることは、出来ないけれど」

「分かってるさ。思うように生きる。ずっと、人がしたいと願っても、出来なかったことだ。俺の商いが、お前にそれをさせるなら、ある意味、俺は意味のあることをしたということになる」

「好きにして」

「おい、どっちが頼んでるんだ」

 アイシャは少し笑い、歩を進めた。

 風は吹かぬが、彼女が歩くのに合わせて、髪飾りが揺れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る