シャブス王都の龍

 バルサラディード。シャブス王国という国の属国のようになっている、人口は一万九千の小国である。五十年ほど前までは三万二千ほどの人口があったものが、ヴァーラーン帝国、ラハン王国と境を接しているために度々その侵攻を受け、今の人口まで減った。五十年でこれほどの減少を見せるというのは、異常である。それはひとえに、シャブス王国の前線になっているためである。シャブス王国本体が傷つかぬための、緩衝地帯。彼らは、シャブスの代わりに、傷付いているのだ。


 そういう状況だから、国内世論としてはシャブスへの反発が強い。独立を望む声もある。しかし、力がない。

 そんな中、シュナーという、領内の小さな村落出身の若者が、驚くべき政治手腕を見せ、瞬く間に宰相にまで上り詰めた。今、彼は四十代の前半。宰相としてはまだ若い。しかし、国内の人気は相当なもので、あたかも救世主を見るようにして慕われていた。それは、それだけバルサラディード国内での不満が大きくなっているということと、シュナー自身がシャブスからの解放、独立を望んでいることを示す。


 しかし、やはり、力のないものはないらしい。物資輸送の護衛などというつまらぬ仕事を、わざわざ国境無き翼に依頼してくるくらいなのだ。この時代で物資といえば、たいていは食糧か武器弾薬、あるいは龍晶と決まっている。だから、国境無き翼も、いちいち何を護衛するのかということまで問い合わせたりはしなかった。


 陸では、歩兵を五十。空からは、二機の鐡翼。十分すぎるほどである。出撃費用を軽減するために装備も簡素にし、歩兵には六.九ラザ(一ラザで、およそ一.一ミリほど)ガルサング銃という、いわゆるアサルトライフルのようなものを携行させるのみで砲などは用いず、鐡翼には機銃とロケットのみで、龍雷ティニラエドは搭載していない。

 ただ行って、帰ってくるだけの依頼なのだ。


 〇六〇〇に出発した鐡翼を駆るのは、アイシャのナンバリング無しと、ギーファという三十がらみの男の駆る二号機。それが〇六三〇頃には、高度を低くしながら、作戦予定地域の上空を哨戒している。

 歩兵も、作戦予定地域に入った。バルサラディードの輸送隊と滞りなく合流し、進軍している。

 各方位に異常のないことを確認しつつ、何度目かの旋回行動を取った。

 一〇〇七、最終護衛地点に、護衛対象到着。国境の前線地域である。これで、依頼は終了である。アイシャとギーファは着陸行動を取り、バルサラディードの現場指揮官と面談した。

「国境無き翼のおかげで、滞りなく、貴重な物資を輸送することが出来ました。御礼を申し上げます」

「謝礼のみでいい」

 アイシャは、その指揮官に、何か嫌なものを感じた。

「貴君は?」

 いっこうに名乗らぬから、アイシャから訊いてやった。

「申し遅れました。わたくし、バルサラディード国宰相、シュナーと申します」

 一瞬、耳を疑った。宰相シュナーといえば、バルサラディード再生と独立の旗頭ではないか。国家の実質的指導者が、なぜこのような国境の前線地域に。それを、問うた。

「なに。私が出てこなければならぬほどに、今日という日は重要な日。この場所は、我らの、はじまりの場所になるのですから」

「何を、言っている」

 アイシャの悪寒は、なお強くなっている。やる気だ。この男は、何かを。

「そうだ」

 シュナーは、得意げに笑った。

「あなた方には、この重要な物資を護衛して頂いた。折角ですから、お見せしましょう」

 国境無き翼が、何を護衛していたのかを。

 シュナーが合図をすると、輸送隊の兵が、荷車の覆いを外した。

 そこには、大人三人で手を回して、やっと届くほどの、巨大な龍晶があった。そして、ほのかに紅く光っている。

「これは——」

「おい、お前」

 シュナーは、覆いを外した者に、声をかけた。

「そこに立て」

 そのまま、おもむろに剣を抜き、歩み寄る。アイシャらがあっと声を上げる頃には、その者の脚を剣でもって突き刺している。

 絶叫。そして、血が飛んだ。

 また別の脚に、剣を。続いて、腕を。男が叫び声を上げ、その場に転がった。

「四肢の血——」

 四本の手足に、等しく傷を刻んで。

「痛みの叫び——」

 初冬の原野に、男の叫び声。

「そして、生への渇望——」

 シュナーは落ち着きながらも高揚した様子で、男の四肢を、切断していった。

 それらが全て身体から離れ、男の叫びは最も強くなった。

「それを目掛け、龍は来る」

 地響き。

 そして、目が眩むほどの閃光。アイシャは、生物としての反射で、自らの頭部を庇い、眼を閉じた。

「人の身体を、依り代に」

 光がおさまり、眼を開く。すると、そこには、今四肢を切断された男。何か分からぬ黒っぽいものに、包み込まれるようにして埋もれてゆく。いや、それは龍晶であった。ただの鉱物であるはずの龍晶がひとりでにうごめいて、男を飲み込んでいるのだ。

「嫌だ、助けて」

 どんどん膨れ上がるに飲み込まれてゆくのをどうすることも出来ない男は、助けを求めるしかない。その声はどんどん曇り、遠くなってゆき、おどろおどろしい肉の塊になった。そして、それを守るようにして生えてゆく、鋼の鱗。

「――龍――」

 黒々とした巨体。そして、一対の翼。

 アイシャは、恐怖すら感じることが出来ない。

 国境無き翼の者も、バルサラディ-ドの兵も、一斉にガルサング銃を構える。

「落ち着きなさい」

 シュナーが、それらを一喝する。

「あなた方は、今、見ているのです」

 両手を、広げる。

 いた。

 龍としては、小さい。翼を広げ、その幅十サマランほど。

「寄り代としたのが、一人であった。ゆえに、この龍は小さい。しかし、十分なのだ」

 シュナーが、酒にでも酔ったように声を高くした。

「あなた方は、今、見ているのです」

 この世で、最も忌むべきものが、飛び立った。

「――そう、これは、歴史そのものだ」


 龍は、つまり、人をにえとし、呼び出されるということなのか。龍晶とは、もともと莫大なエネルギーを秘めている。それが、人の血、苦痛、生への渇望と呼応し、その姿を龍にするのだろうか。寄り代としたのが一人であったから小さいということは、ヴァーラーン帝国では、一匹の大きな龍を生み出すため、何人もの人を殺しているというのか。

 分からぬが、この恐ろしい存在が、どこを目指しているのかは分かった。

「まずい」

 アイシャは、駆けた。

「ギーファ。鐵翼へ」

 ギーファも、それに続く。

「アイシャ。どうするんだ」

「決まっている」

 ――あの龍を、墜とす。

 嫌だ。助けてくれ。

 その声が、耳にこびりついていた。それを払うように、シュナーの声が追ってくる。

龍雷ティニラエドもなく、あれを。無茶をすれば、死ぬだけですよ」

 アイシャにはそれを省みる余裕はない。


 離陸。バルサラディードに、それを阻む動きはない。

「追う。わたしに、続け」

 既に、龍は見えなくなっている。真昼が近い天に、陽と雲。それを目指し、陸を下に見る。

 全速力で航行しても、未だ龍は見えない。をせず、まっすぐに目指しているのだ。

「急げ」

 逓信機を通し、ギーファにそう伝えた。

「急いでる。もう、一杯だ」

「それでも、急げ。以上アカール

 森を、丘を、川を声、激しい振動と、身体を座席に押し付けるような荷重を感じて、アイシャは空の彼方を見た。そこには、かつての自分がいた。


 ――お前は、何故、龍を憎むのだ?

 ――わたしに、噛み付いたからよ。


 我に返った。

 龍が、そこにあった。

 機銃。

 標的が小さいため、当たりづらい。アイシャのそれは幾らかは当たっているが、無論、こんなもの、牽制程度にしかならない。ギーファのそれは、全て外れている。

 龍自体が、回避運動を取っているのだ。機銃ならば滅多やたらと撃っているだけでも幾らかの効果はあるが、ロケットを当てるには遠すぎる。

 地と水平に航行する龍が、数度その身を回転させ、ぱっと翼を広げ、空中で停止した。

「いけない。墜とせ」

 間に合わない。

 龍は、見ている。

 シャブス王国の王都、その主城を。

 頭部が、紅く光るのが、アイシャの位置からも確認出来た。

 熱球。

 人が、その営みを行う上で欠かせぬものとなっている、莫大なエネルギー。鐵翼も、機関車も、全てこの力で動いている。たとえば、小指の先ほどの龍晶ひとつで、鐡翼は二時間は航行できるのだ。この龍が、あの男と巨大な龍晶で出来ているとするなら、その考えられぬほどの力が、頭部の、いや口の一点に集中しているのだ。

「——やめろ」

 もう一度、今度は、大きく、やめろと叫んだ。その刹那、龍の口から、強烈なエネルギーが地に向けて放出された。

 それはシャブスの主城を直撃した。

 無論、眼下の世界全てを焼き払うようなことはなく、広大な城の一部を破壊したに過ぎない。しかし、龍が撃ち抜いたのは、紛れもなく、王の居る主塔。聞こえぬまでも、音を立てて崩れてゆくのが遥か向こうに見えた。

 続けざまに、小さな火球をいくつか放つ。それは、主城のあちこちにあたり、この古城を凄惨な戦いの場にした。


 今さらのように、ロケットの射程に入った。

 そのときには、龍は、アイシャとギーファに視線を移している。

 どちらからともなく、回避行動。散発的に放たれる小さな火球を、避けた。これでも、中れば、鐡翼など硝子細工のように砕け散ってしまう。

 右、左、あるいは上。激しい流れに揺蕩う葉のように、二機の鐡翼が舞う。

「——駄目だ、動きが、速すぎる」

 ギーファが、焦りを隠せない声で叫んでいる。

「アイシャ。翼を、狙えるか」

「狙っている」

 狙っているが、速すぎるのだ。

「引きつける。その間に、やれ。俺では、狙えない」

 ギーファの二号機が、機銃を放ちながら、真っ直ぐに突進してゆく。放たれた火球は、回転しながら避けた。

 六連装ロケット、全弾発射。全て、外れた。なおギーファは距離を詰め、龍の周りをしつこく飛び回った。

 線。

 この上も下もないような空の中で、アイシャは、自らと龍とを結ぶそれを見た。

 そこに重なったとき、ロケットを放った。

 今まさに、龍が、右手を振り上げ、二号機にそれを叩き付けようとしている。

 中った。

 龍の翼に炸裂するロケット。

 同時に、龍の右手が、二号機に直撃した。微かな火を上げ、力を失いながら墜ちてゆく、ギーファ。

 龍が、その姿勢を取ったからこそ、アイシャの位置に向かって身体が開いた。アイシャは、。どこを狙うべきなのかを。

 龍の急所は、頭部か胸部。頭部は、的にするにはあまりに小さい。狙うなら、胸。

 アイシャは、まさに今日、。その厚い外殻の中に、何があるのかを。


 更に距離を詰める。

 ——嫌だ。

 一発。

 ——助けて。

 さらに、一発。あの男が助けを呼ぶ声が、蘇っている。

 続けざまに、もう一発。外殻に、損傷を与えているのが確認出来た。

 暴れる龍の爪を、尾をくぐり、通り過ぎて。龍とは違う白い雲の尾を残しながら、天地を逆さまにして、反転。

 もう片方の翼にも、一発。それで、龍は大きく姿勢を崩した。また、通り過ぎる。

 ——助けてくれ。

「楽にしてやる」

 反転し、地を頭上に見ながら、残ったロケットを全て放つ。

 損傷した外殻の奥の部分を、それらは破壊した。

「——墜ちろ」

 龍もまた、ギーファのように、その力を失い、墜ちていった。

 それは、大地に乞われるようであり、あるべき所に帰るようでもあった。

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