鐡翼のアイシャ

増黒 豊

第一章 女と龍と鐡の翼

鐡の翼

「お前には、才能がある」

 そう、ゼムリャは言った。ただ飯を炊き、傷の手当てをし、ゼムリャの気が向いたときにだけ押し付けてくるその体重と汗臭い体を嫌がらずに受け入れるだけであったアイシャは、正直、驚いた。このときも、ゼムリャの分厚い筋肉が収縮する様を薄暗いガスの灯りが浮かび上がらせるのを無感動に見ていた。

 ゼムリャは、男性的には不具であった。戦いの中で被弾し、それがもとでこういう行為が出来なくなったのだ。機能を失っても、男性であることに変わりはないらしく、むしろ執拗にアイシャを責めた。アイシャは、殴られるのが嫌だから、仕方なくそれを楽しむような振りをした。

 不意に、ゼムリャがそのようなことを言ったものだから、アイシャは素に戻り、

「こういうことの才能が?」

 と問うた。ゼムリャは苦笑して身体を離し、

「いや、戦いの才能が、だ」

 と付け加えた。このときまだ十二であったアイシャには、何のことか分からなかった。



 ゼムリャの言葉は、的中した。

 今、アイシャは二十四になっている。ゼムリャは、もうこの世には亡い。だから、彼女が指揮を取る。

 アイシャは、立ち上がった。そのまま鐡翼てつよくと呼ばれる飛行兵器に乗り込み、離陸準備に入った。

「龍に、気を付けろよ」

 副官のユーリという男が、逓信機越しに声をかけてきた。

「気を付けたところで、向こうから、勝手に来る」

 赤くなりつつある西の空が、さらに赤く光っている。ヴァーラーン帝国軍と、国境を接するラハン王国が交戦しているのだ。龍を呼んでいるらしい。



 人は、龍を呼ぶ。それは、失われた技術であった。しかし、百年ほど前、ヴァーラーン帝国がその領内に所有する鉱山から、ひとつの鉱石を発掘したことで、歴史は変わった。

 その鉱石とは、伝承のみにある、龍晶りゅうしょうであった。それが実際のところ何なのかは分かっていないが、それを錬成すると、驚くべき力を発する。今では鐡翼の推進力として使われる以外にも、人間の営みを加速させる様々なものに利用され、蒸気機関を廃れさせてしまうほどに浸透していた。


 龍晶には、もうひとつの利用法がある。

 その力を、龍に喰わせるのだ。と言うより、龍が、その力に誘われ、やって来るのだ。どこから来るのかは、分からない。しかし、太古の時代、人はその技術を持っていて、龍を呼び、互いに争ったのだという。

 龍は、強力である。空を飛翔しながらその炎で地を焼き、地に降り立てばその爪と牙で人と文明を紙のように引き裂く。龍晶を使い、どのようにして龍を呼ぶのかはヴァーラーンの者しか知らない。それゆえ、それに対抗すべく人が産み出したのが、鐡翼である。

 龍晶がもたらす力でもって推進し、機銃や炸薬付きの砲弾を搭載し、更には龍の持つ生命力に龍晶が呼応する仕組みを用いた誘導兵器も最近実用化された。それらは、龍という存在の前には、いかにも無力である。しかし、そのちっぽけな鐡翼も、衆となれば、それなりの効力を発揮する。



「動力、出力、ともに可。アイシャ、ゆく」

 アイシャに続き、次々と鐡翼が離陸する。全部で二十機ある鐡翼のうち、八機がこのとき空に発った。二十機といえば、この辺の小国並みの武力である。それを所有する彼女らは、国境無き翼と自称していた。

 特定の国家や勢力に依れば、必ず政治が絡む。そうすることで、人の戦いはなお加速する。国家に帰属せず、戦いを断ち切ること。それが、創始者のゼムリャの思想である。

 だから、あちこちで交わされる戦闘に、彼らはいきなり介入する。そして、その時々の勢力や政治のバランスによって標的を変え、次々と軍を襲ってゆく。大抵、どの戦いにもヴァーラーン帝国が関わっているから、それが呼ぶ龍が出たときは、真っ先にそれを墜とすのだ。


 その翼が向く西の空は、赤から藍へとその色を変えつつある。それに抗うように、時折ぱっと赤く光るところ。そこに、龍がいるのだ。

「散開」

 アイシャが龍晶同士が引き合う性質を利用し、それに音声を乗せて送信する逓信機を使い、号令を発する。

 薄く燃える藍色の空の中、残光に鐡の翼がきらめいた。それらは光の軌跡を残して左右に、上下に散開し、龍を目掛けて翔んだ。


 すぐに、目視で龍を捉えた。日没後の生黒い空に、それはあった。

 ぱん、ぱんと音を立て、後炎を残しながら蝿のように飛び回るのは、ラハンの鐡翼部隊であろう。

 操縦桿に備えられた引き金を引けば、機銃が発射される。身体にかかり続ける荷重が、かえって彼女を落ち着かせた。

 深視力、空間認識能力、そして標的の動きを読む予測力。どうやら、アイシャは、それが極めて優れているらしい。発射した弾丸のことごとくがラハンの鐡翼を墜とそうと飛翔する龍にあたったことでも、それが知れる。

 龍が、国境無き翼の編隊に気付いた。操縦席の硝子を割らんばかりの咆哮を上げ、巨大な身体を向けてきた。

 精神が、深く沈む。

 集中。

 空にいるとき、アイシャの意識は、たまにこのようになる。

 そういうとき、今眼の前に広がっている空の向こうに、違う風景が見えることがある。


 横たわる身体。見知ったものである。

 それが流し終えた血が、地に吸い込まれてゆく。

 その血を身体に巡らせていた者は、最期に、こう言った。

「やっぱり、お前には、才能があった」

 そのまま、その見知った身体を置き捨て、アイシャは帰投した。

「ゼムリャは?」

 そう問うてくる仲間に、彼女は答えた。

「敵の流れ弾にやられ、死んだ」


 そのことを、龍の向こうの空の黒に見ていた。

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